「レモン色の空」

 古い雑誌をぱらぱらとめくっていた。
 十数年ほど前の「鳩よ!」という雑誌は、毎回詩人や作家などを一人だけみっちりと特集していて、そのなかの何冊かが家に残っている。
 まだ佐野洋子さんと一緒になったばかりの頃の「谷川俊太郎の特集」や「寺山修司」、「太宰治と坂口安吾」・・と、価格390円でこんなに残しておきたくなる雑誌もそんなに多くないだろう。
 そんななかに一冊「光太郎と智恵子」の特集があり、ぼくはその有名なふたりについて、それほど関心が強くあったわけでもなく、「智恵子は東京に空がないという・・」という誰でも知っている詩のフレーズや、高村光太郎の彫刻がロダンにずいぶん影響を受けたものだろう・・というぐらいしか脳裏にもなかった。で、この雑誌の特集も、そんなに熱心に読んだ記憶もないので、はじめて読む感じでめくっていた。 その中に後生を精神を病んで生きた智恵子の最期を描写した詩があり、それは「レモン哀歌」という。

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 レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待つていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう


 この詩やこの雑誌の執筆者たちの文から伝わってくるものは、光太郎の芸術家精神の、やや冷たい観察眼と、それに智恵子の愛らしさ・・と真直ぐな気性だ。しかし、それを伝えているのも光太郎の鋭い観察眼による詩によってであるというのが、詩に高められようとする時の、詩人の眼とその言葉の力であり、怖さでもある。タイプはちがうけど谷川俊太郎さんは佐野洋子さんと一緒になった頃、かなり詩人の限界をも自覚し始めていたように感じる。まあ、それがまた詩にされたりする・・というところがなんとも螺旋的な話でもあるが。だがこういうことに結論めいたことなどはいらないだろうとも思う。・・しかしなんとなく光太郎の詩には無自覚な感じも受けるのだけど、この時代と、芸術至上的な堅いが真面目な姿勢と、それもまた肯定的にも語れるだろう。確かに心を打つものがあるし、またそれは智恵子の存在を抜いてはあり得ないという19世紀的浪漫の香り・・でもあるのだ。

 あなたはだんだんきれいになる

をんなが付属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない中身ばかりの清冽な生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修行によるのか。
あなたが黙って立っていると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。



 この詩に、北川太一という人がつけた解説のなかにある、智恵子の生活信条はすごい。 意志として持っては厳しい響きだが、当り前のことのようにも聴こえるところが純粋だ。
 「必要以外何物も有たないこと、外的な理由に魂を屈しないこと、赤裸なこと。」
(2000.8月・記述)
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# by past_light | 2004-09-03 19:50 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)

9.16ノートから

・・・いつも頼りにしているメディアによって、ぼくらに見えているのは現実の全体なんだろうか・・いつもそんな疑問が浮かぶけれど、アメリカのニュースをテレビで垣間見ても、やはり驚くようなメディアの姿が垣間見えてぞっとする時がある。ぼくが観たそのインタビュアーは「いつ行動するのか・・」というまるで急かすような口調だった。

現在アメリカに住み、親友をこの事件で失ってさえいる日本人の女性が、その日記の中で報告してくれている日常などに、おもてのメディアでは伝わってこない現実も伝わってくる。。

「・・政治家や評論家の言葉は私の気持をかき乱すものばっかりだった。はっきりいって何考えているの?っていうのが本音。何言っているんだろう・・・理解できなかったよ。ファイトバック?軍隊は準備できている?何いっているの!やられたからやりかえす?ちょっとまってよ。これが一個人の問題で同じことやったら、あなた同罪でしょ?どんなに酷い事をされても、誰にも人を殺す権利なんてないんじゃないの?同じことしてやっぱり大量虐殺して、その映像みて、喜ぶ人がどれくらいこの国にいる?まぁ、もちろん爆弾おとしたり、また罪のない人を殺す気ではないと願いたいけど、軍隊という言葉をきいても、他のコメントを聞いても、ほんと戦争の始まりとしか思えない。
やめてほしい。愛する人をたくさん亡くした人もいるのに。これから戦争になったら、もっと愛する人を亡くす人が増えるだけだから。・・」

「・・しかも、人の怒りをサポートするような報道マンのコメントにははっきり行って絶句した。その場に居る人は特に怒りという物しか浮かばないのだろう。でも、爆弾を落そうなど、アメリカはやりかえすぞーなどいっていいのか?テロリストの家をしっているの?このテロリストはただのテロリストじゃない。宗教がからんでいるテロということを分かっていてそんなこというの?いたちごっこになるっていうのがわかってないの?ほんと、絶句としかいいようがなかった。
どの報道でも、テロがどういう目的で行われたとか(まぁ、アメリカが今一番輝いているからだっていう言い方はしていたけどね(--;)、どうしてここまで恨みをかったか。逆恨みだけか?そうじゃないでしょう。何か理由があるはず。それを考え様とする人はいないのか?いくら一つの組織のボスを殺そうがなにしたって、それをされた側はいつかまた報復してくるんじゃないの?宗教は一日にしてならず、人の心の中でずっと残り受け継がれていくもの。それと深く結びついたテロの芽はまだどこかで発芽するのでは?・・」

「・・今日、一つのクラスでみんなでテロについて話し合って。女の子は基本的に冷静な目でテロの後起こった、パキスタン人の女の子が虐待されて死んだ話しや、パキスタン人のタクシードライバーが殴られた話をして、なさけないというような発言をしているのに、男の子は、戦争にいくならいつでもいく!準備はできているとか、真珠湾でやられた時といっしょだ。やりかえさないと世界平和はない。っと意気揚揚にいうのだ。もう絶句だった。先生もびっくりして、やっぱり怒りの矛先を間違えちゃいけない。怒りで戦争をしてはいけないって戒めたけどね。・・本当にそう思っている生徒がいるんだな。って思ってショックだった。やっぱりあの映像が彼らに怒りをおぼえさせてしまったのだろう。そして、報道マンの言葉をコピーしたような若者が増えてしまっているのでしょう。・・」

「・・全員無事が確認されたといいましたが、一人無事が確認された後連絡が取れなくなった親友がいます。もう10年来の友達。何故かこいつだけは何があっても死なないだろうと思っていたので、とにかく死とは無縁のタイプだったので、実際あまり心配していなかったのだけど、連絡が取れなくなってから胸騒ぎを覚え、翌日もうだめだろうということを別の友達から聞き、今日、死体がご両親によって確認されたということを、聞きました。
これを聞いたら今まで抑えていたものが全て爆発しちゃいました。憎しみよりも悲しみの渦です。何よりも平和主義だった親友がテロによってもういなくなってしまった。いっつもおおきく周りにいるひとをぬいぐるみのようにつつみこんでくれた人が。でも、彼が今彼と共に命を失った人達のために、アメリカ中の若者が意気揚揚に軍に戻ろうとしている事を知ったらどうどう思うだろう?怒りや憎しみによって戦争を始めていいの?わからない。確かに圧倒的な武力で押さえ込めばまた一時期は平穏な時がくるとは思うけど、殺された人間の憎しみはまたいつか爆発するのでは?突破口を作るためにある程度の戦力をつかわなければならないというのならば、分かるけど。なんかわからない。
大事な親友を失ったという心の傷と、同じクラスにもあの酷い映像をみて偏った報道をきいて、まるで何かにコントロールされているように、軍人の話し方になっている。つい先週までは、自分の命を犠牲にして戦争するなんて・・・っていっていたくせに・・・わかっていたくせに。憎しみが彼らの心を変えてしまったのね。
ベトナム戦争を思い出してみれないのかしら?どれだけ沢山の人の命が奪われたか・・・どれだけの兵士の心に傷をのこしたか・・・それによって何も平和なんてえられなかったのに・・・どうしてまた繰り返そうとしているのだろう。・・」

(以上は、めいさんの9月11日から13日の日記からの抜粋で、御好意により引用を御本人より快く許可を頂きました。また原文の全体は「めいちゃのおもちゃ箱」http://page.freett.com/meicha/index-j.html(現在は更新されていません)で、読むことができます。
また頂いたメールには「・・日本からの無邪気なメールによって傷ついている人が沢山います。けして冗談にはならない話だということを少しでも多くの人に理解してもらえれば・・・そしていつ自分の身におきても不思議ではないということを、理解してくれる人が少しでも増えてくれればと願っています。・・」とありました。
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# by past_light | 2004-09-01 19:45 | ■9.11コラム | Trackback | Comments(0)

メモ帳から

 ■映画化もされた「ブリキの太鼓」の原作者、作家ギュンター・グラスのテロ事件以後のインタビューが下記のページにあります。
「アメリカ批判は友人としての務め」
ご興味のある方に一読をおすすめしたいと思い紹介します。

「・・ヴィリー・ブラントがドイツ連邦首相として初めて国連で演説したとき、実は私はニューヨークにいたのです。彼はこう語りました。「飢餓もまた戦争なのだ」と。この発言は拍手喝采を浴びました。しかし、誰一人最後まで考え抜こうとはしませんでした。・・」
(グラス氏は、ヴィリー・ブラント(元ドイツ首相)が考えるような、南北対立の解決を模索する世界経済会議の召集に賛同しています)
http://members.tripod.co.jp/serpent_owl/arch-text/grass.htm

■+++++++++++++++++++++++

「死んだ男の残したものは」  谷川俊太郎作詞・武満徹作曲

死んだ男の残したものは

ひとりの妻とひとりの子ども

他には何も残さなかった

墓石ひとつ残さなかった




死んだ女の残したものは

しおれた花とひとりの子ども

他には何も残さなかった

着もの一枚残さなかった



死んだ子どもの残したものは

ねじれた脚と乾いた涙

他には何も残さなかった

思い出ひとつ残さなかった



死んだ兵士の残したものは

こわれた銃とゆがんだ地球

他には何も残せなかった

平和ひとつ残せなかった



死んだかれらの残したものは

生きてるわたし生きてるあなた

他には誰も残っていない

他には誰も残っていない
+++++++++++++++++++++++++

「我が身から出たものは いずれ我が身に還る」(100人の村)

(2001年のメモ)

■「青虫と蝶」

いくつかの投稿を読んでいて思う。
どうして、戦争の中にある悲劇を冷静に心配し指摘する人に「正常な人ではない」とい
うようなニュアンスの言葉が出て来るのでしょうか?。

あのニューヨークの事件のあった翌日だった。
家をちょっと出た通りで近所の人と挨拶した。
その人は近くの家の表の道路に面した庭の木を指差した。
「ほらたいへん」
見るとその枝と葉にはたくさんの毛虫がかなさるように這っていた。
うわ~ほんとうにたくさんの!!

ぼくは家に帰ってからふと思った。
「毛虫は変態して蝶になるのだっけ?」
この醜い不完全な、木の若葉に害をもたらすように見られている存在から、変態し、ま
ったく違った様相で新生するということに、 人間に通じるある象徴的な印しのような
思いを感じた。
人にとっては、それは意識の進化であり、人間が美として新生し現れる姿なのかも知れ
ない。

昨日あるページ(http://www2.csc.ne.jp/~prema21net/)で、「魂との対話」「魂との絆
」などの著者マイケル・J・ローズのHP(http://www.michaelroads.com/)に書かれて
いるという彼のコメントの訳文に出会った。(ぼくは、その著作を書店で見たことはあ
るが読んだことはない)

「・・・何を感じていますか?悲しみですか?問題ありません。自然なことです。憤怒
、怒り、復讐、ロ-ズウエイの人たちは誰一人としてこのように感じていないことを知
っています。しかし、不幸にも,世間一般の現実においては多数の人がこういった感情
を持っているのです。
このような感情がもたらすものは、その暴力をさらに煽ることなのです。たくさんの人
々が今、祈っています。いいことです。でも多くの人は、祈ったあとふたたび怒りと報
復の思考と会話に戻るのです。・・・

・・・あなたの祈りが日々こころの平安をささえるようにしてください。そしてあなた
の平安を日々の生活の中にあらわしてください。他の人たちに話し掛ける言葉の中にあ
らわしてください。特にこのような状況のときに。平安そのものになりなさい。すべて
の人類への愛を語ることをおそれないでください。あなたが交通渋滞のなかにいるとき
、スパ-マ-ケットのレジで並んで時がとてつもなく長く感じるとき、あなたの思考の
中に、愛を存在させなさい。・・・」

という内容で、そして締めくくりに書かれてある言葉に目が止まった。

「・・老師の言葉を思い出してください。『わたしたちが無知であるという目印は暴力
,不正、悲劇への私たちの信念の深さにあります。青虫がこの世の終わりと呼ぶものを
マスタ-(師)は蝶と呼ぶのです。』
蝶は青虫の変態からうまれます。もし愛への跳躍が報復への跳躍に勝るなら人類はこの
悲劇から再生することができるのです。・・」

ぼくも、もう少しこのことについて静かに自らにも確認してみたい。あなたはいかがで
すか?
「平和ぼけ」と嘲笑することはいとも簡単です。(2001年)

■「冷静である必要の大切さ」

先週、あまりに衝撃的な事件によって世界中の人の心が振動した。
目にする繰り返される映像に、人間の世界が止む先きの見えない巨大な憎しみと悲しみ
を、この惑星上から立ち上らせていることの事実に、あらためて戦慄を感じることが率
直に最初だった。
このような現実を前に、「冷静」さは「薄情」とかさらに「非現実的」とさえ置き換え
られ呼ばれるような雰囲気も生まれている。そんな非難的な視線時は人の感情が凶器と
してさえ見えて来るような場面もある。果して愛国心は憎悪と両立するのだろうか?。
しかし、まわりの多くの人は、これ以上の暴力を目にしたいとは思っていないのがわか
る・・。

いつも頼りにしているメディアによって、ぼくらに見えているのは現実の全体なんだろ
うか・・いつもそんな疑問が浮かぶけれど、アメリカのニュースをテレビで垣間見ても
、やはり驚くようなメディアの姿が時に見えてぞっとする時がある。ぼくが観たそのイ
ンタビュアーは「いつ行動するのか・・」というまるで急かすような口調だった。
こういう時、報道が冷静さをまず持つべき立場のはずが、
必ずしもそうではないということ・・今度のような大きな出来事の時は特に感じること
があります。
記事などを作る側も、読者を獲得する競争の中でインパクトを求めるあまり・・
どこかで自己矛盾を感じながら・・仕事をするような気持ち・・という話もあるところ
で読みました。
数字で出て来る多くの人の意志というのも、どこか無気味さが最初に感じられます。
ネットでもいろいろの考え・・を聞くことができる。
それは感情をここぞと吐き出すためのものにも使うことも出来得ます。
「考え」は・・衝撃や憎しみなど・・人は、はげしい感情から偏向し作られたりするの
に、
無意識に翻弄されていることを気づくことがとても困難になります。
また無関心からのいたずらな事を言う人も・・人を傷つける可能性を想像できないよう
です。
誰しも日頃から自覚しなくては、こういう時には、さらに足を掬われて混乱を助長して
しまう側になります。
今、いつの時代も繰り返されている、隣の住人が敵に見えてきて・・そして迫害される
人が生まれています。
実際上・・何もできないと焦燥感を感じたり悲しく沈みがちですが・・、
ただ日常を落ち着いて、まわりの偏見など注意し、この事件を受け止めて・・そう送る
だけでも
ぼくはとても尊いものだと思います。
不安の想念などが蔓延しやすい時に、ある人が優しい波動を感じさせてもらえる一輪の
花のようにさえ
存在できることは、他の人にも想像以上に大きな助けになることだと感じます。
署名したり、HPの中でなにかを話したりすることもできますけれど、
それはそれぞれの自由意志から自然発生・自発的にするものであればいいわけで、
なんにしても誰かが誰かになにかを強制、圧迫したり非難したり・・
などというのではおかしいわけですね。
被害者の家族の方の中からさえも、「仕返しなどより、人がもう死んでほしくない」と
いう
ようなことを言われている方も多いようです。心中を思うと言葉などなく頭が下がりま
す。

テロの根絶には、人間の間に深くある憎悪の根絶が必要で究極に重なるものですね。
まず、これから地球上のアフガニスタンの土地の住民の差し迫った危機があります。
すでに内戦などで半分は瓦礫になってしまった国土らしく、食糧難も続き、
今また・・数百万という難民の予測もあります。多くのさらに餓死する人々も予測され
ています。
外へ退避できるのはまず力のある人でしょう。
悲劇はいつもまず貧しい生活者・子供です。
それは報復する側も目にしたくない現実的で残酷な悲劇のはずです。
そんなことをさけるために、しんぼう強く・・爆弾よりまず先に「道」を開いてほしい
ですね。
それは、多くのいろんな人が様々な形で提案しています。
憎しみが止みがたい困難を、それでも乗り越えて試みなければならないと思われます。
たとえば、戦いのための数百億のお金が生活者の困窮を助ける方に使われると、
・・本当はテロリストも困るかも知れません。それはのんきな理想に聴こえるのでしょ
うか・・。(2001)
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# by past_light | 2004-09-01 19:30 | ■9.11コラム | Trackback | Comments(0)

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