人気ブログランキング | 話題のタグを見る

宇宙人は生きていたので御葬式をはじめました

 ・・・というのは矢野顕子が曲をつけていた子どもの詩集「太陽のオナラ」にあったフレーズだが。 21世紀もさらに地球上でドンパチが絶えることがないので笑えないんだ。

 近くに池のある公園がある。
 そこでくつろいで遊ぶ家族連れなどの情景に、ときに目が止まる時がある。
 特に休日の天気のよい午後の昼下がりなど、明るく暖かな日には、たくさんの家族や恋人たちのカップルなどがいる。
 ここで観る顔は、例外は除いて(笑)どれも生き生きしていて楽しそうに見え、リラックスしている。
 そんな情景をこちらものんびりと観ていて、話は空想的だが随分昔に読んだ宇宙人をチャネリングしてメッセージを伝えるという質疑応答集本の中の話を思い出す。

 そのなかで・・宇宙人?は・・彼らの住む惑星は公園の中に住宅や建物があるような感じらしく、非常にストレスのない都市のなかに住んでいるそうである。
 生活必需品などの生産は自動化され、すべてロボットなどによる製造が可能になっており、衣食住についてはすべての人に必要充分で、そういう意味で競争するという必要性はなくなっているという。
 その惑星の住人は、社会的奉仕という意味で、週に3時間ほどなんらかの仕事に従事し、他の時間は各自の適性や希望によって学んだり、宇宙の他の惑星を訪問したり、またときに援助したり・・といった、まあ地球に住むぼくたちには手塚マンガを思い出させるような、そんなうらやましい感じに聞こえる、それは話だった。

 しかし、それも人々が経済的にも精神的にも強欲さから解放されており、地球の・・否、東洋的諺?からいうと「足るを知る」というか・・そういう穏やかな心理状態が惑星の住人に存在していて、それは可能なことのだろう。
 そんな惑星や宇宙人が実在するかどうか、それは主眼点ではない。要は話の中の意味するものだろう。
 彼らからいうと、確かに地球という惑星はプレッシャーの強い惑星という話だ。まるで重力の存在が象徴的に聴こえるような表現だが。

 近頃いろいろなニュースを観ていて、地球の生物の代表としての人間を考えると、時に気持ちが沈みがちにもなるが、それでも公園のなかの人々の情景を観ると、ひとつの可能性というか・・、そんなヴィジョンを、ふと垣間観るような気がするのですが、地球人の白昼夢みたいなものだろうか。
by past_light | 2004-11-12 20:01 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)

過去と現在、記憶のコラム。

by Past Light