長崎原爆の日に

 ぼくが育ったのは長崎県にある島原というところだ。
 そこは母親の故郷でもあり、母親はそこで生まれ、長崎市に原爆が落とされたころは母親は少女だった。
 よくぼくが子供の頃に訊いた話では、山で隔てられた向こうの長崎の空が真っ赤になっていたということ。それに続く話にある光景もたぶん空の色や黒い雨のことだったと思う。子供の頃だからか、話を聞いての、その想像し頭に浮かんだ映像、それはまるでぼくは実際に見たことのように今でも記憶が連結するのを感じる。そのいつも見ていた山と、その背景の空を血のように赤く染めた悪夢のような映像。
 山で隔てられていたから、それが加わり母親の住む島原への影響は少なかったのだろう。

 昨年、会った時に初めて訊いた話だ。
 原爆が長崎に落とされる前日か少し前の日、島原へもB29が飛んで来た。
 焼夷弾で母親の家も焼かれ、母たちは逃げまどった。
 少女である母親は上空を見あげたとき、かなり低空飛行をしていたのだろうB29に搭乗して下を見ていたパイロット、その戦闘員と目が合ったのだという。
 彼女はおそろしさに逃げた。

 なんで以前、子供のころには話さなかったのか、訊いたら、「あたしャ、そういう話をするのは好きじゃない」「言ったってしょうがない」みたいなことを言っていたが、ある意味では心理的になんとなくわかる。
 個人的な体験として色濃いリアルさ、そんなこわさというのは、伝えにくいものだ。自然と、口にしにくい経験だったんだろう。

 原爆、また戦争の、それら苦しみの大きな経験から、後の世代に伝えることになかなか口が重い方々も多いのは、その体験の傷の大きさ「そのもの」からでもあるだろう。

 しかし、さいわいに母親は死ぬことはなかったわけで、こうしてぼくという人間も存在しているという不思議が成り立っている。
 不思議といってもお話しするほどドラマチックではないようですが。

 長崎県に住んでいたから、すでに子供の頃に原爆資料館なども見ることができた。
 それはもう展示物を見てのショックはトラウマになって当然である。写真などは最近はテレビで映像としてみていることも多いわけだが、熱で溶けたビンとか、そういったものの、「その日」の痕跡は、やはりその実物を見るということの経験は大きいだろう。そのオブジェはまるでこちらに訴えてくるように網膜に印象を残すものだ。

 そういう意味でも、多くの人がそこから少しだけでも、というか、実際ほんの少ししかぼくらの想像も届かないだろうが、その人類の惨劇、むしろ人間がつくりうる地獄。 人が悪魔と化しても無意識で、自らなしたことを覆い隠すその「事実」を肝に命じておくべきだと思う。

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・追記)
 思い出したことで書いておきたくなった。
 前にテレビの特集で、広島の資料館に大江健三郎さんが息子さんの光さんを連れていく日の記録が映された。
 資料館の前に来て、光さんはなかなか足が進まない。躊躇する光さんを大江さんはある程度強引に引っ張っていくかたちになっていた。
 それは光さんがちょっとかわいそうでもあるように映るシーンでもあるが、大江さんの思いとしては、是が非にでもふたりでその館の中へ入っていくことは、そうとうに重要なことであることがうかがえる気がした。
 目を伏せがちに引っ張られていく光さんに、励まし、先へと誘い、しきりに話しかけ、そして感想を尋ねる大江さんだった。

 その時に光さんが答える言葉はひとことだった。
 「だめです」
 「そうか、だめか」
 「だめです」

 戦争と、その大義に隠される暴力から、想像しえない地獄絵が広がっていた地上の一つの場所。そのような大量殺戮をおこなえるような人間の不可解な部分に、頭の中での時系列等々で、実感なく記述的に現されるような「しょうがない」にしても、それらどのような肯定の表現の先に、けして人間の未来はないだろう。
 やはり、「だめです」という魂の言葉がなくてはならない。
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by past_light | 2007-08-10 02:24 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

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