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闇と気配

 テレビをつけたら中沢新一さんが日本庭園であぐらかいて話していたので、ちよっと聞いていたら、ほどなく番組はさっさと終了してしまった。つづけて『視点・論点「闇との対話」』という番組が始まったのでそのまま観ていたら、読んだことはないが芥川賞作家という藤原智美という人が、なんだか漆黒の暗闇に演出された施設にて、視覚を頼らない体験する、という経験からを話していて、なかなかおもしろかった。
 今のように二十四時間明るい光のなかで暮らしている現代を、つい当たり前のようにしてはいるが、しかし考えてみれば、月明りにのみ頼るような夜の闇、その暗い静かな夜、じつは人間の暮しの歴史の時間としては、その時間のほうがまだまだ長かったのだという。思えば急激な変化である。

 その施設の闇の中には、駅のホームとか森の公園やバーまで設置されていて、手探りというかなんというか、みんながそれぞれ持つものは白い杖だけ。それでともかく何人かのグループで連れ立って歩いて行くのだそうだ。バーにある冷蔵庫のなかの照明まで外されていて、ずいぶん厳重にその「闇」が守られているという。
 グループの中には視覚に障害を持つ人もいて、藤原智美さんは駅のホームに落ちそうな寸でのところで手を掴まれて助かったそうだ。やはり視覚を遮断されたときの聴覚、嗅覚や触覚の力を感じると言う。終ってみると、初対面の同行者たちとなんだか連帯感のような、親しみのようなものが湧いていたのだという。

 そういった経験の中の話もあれだけど、興味深いのは、その暗闇の施設での体験を終えた後にグループで語り合ったときに訊いた、その仲間のなかのひとりの視覚障害者の人の話。

 駅のホームなどで、昔は人の気配で場の感覚をつかめたものだが、今はどうも「人の気配がしない」というのだ。それで困るという。
 たくさんいるはずの人の気配がしないって、どういうことだろう・・と身を乗り出したが、藤原智美さんも、最初はやはり気を配ってくれる人が少なくなった、という意味になるんだろうかと思ったそうだ。しかし実は、人が気配を自ずから消している。ということではないか、ということに行き着いたそうだ。

 いたる人が携帯の画面に集中し、またヘッドフォンの耳の音の中に埋もれ閉ざしていて、その人の気配を消している。そういう現代の日常の場面、視覚障害者の人のひとつの頼りでもあった「人の気配」を感じとること、それが難しくなったということに、言われてみれば、視覚に障害はなくても,思い当たることは少なくないかもしれない。
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Commented by ナカムラ ユエ at 2006-11-29 23:41 x
こんにちは。
通勤電車の中でわたしも以前同じことを考えました。
これだけ人が詰め込まれているのに(あるいはそのせいで)肩に触れる人を意識しないでいられることの奇妙さを。
その一員であることに慣れ過ぎたせいか、よくスーパーのレジ待ちでパワフルな中年女性に割り込みされてしまいます。(w
Commented by past_light at 2006-11-30 01:44
ナカムラ ユエさん、こんばんは。
通勤電車の中、そうですね、混んだ電車に乗る機会が数日間続けて最近ありましたが、久しぶりにギュウギユウ詰めを体験したんですが、思い出しました、確かに気配を消します(笑)。そうでもしないと異常な空間ですね。いや空間がないわけで・・。

そういえば、気配を消すと言うのが忍者の得意技でしたし、葉隠れなわけですが、そういう場合は何かに依存しないで自らの精神をコントロールしているとも言えるんでしょうかね。
ナカムラ ユエさんは、古来乙女に美徳とされる「おくゆかしさ」をお持ちなのでしょう。そのレジ待ちできない猪みたいなモノノ気姫は、毛背豊かな御中年のお背中をしてませんでしたでしょうか(笑)。
by past_light | 2006-11-29 02:11 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)

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