雨音のショッカン

 ホームビデオというものが家庭に浸透しはじめたのは、もうずいぶん前のことだ。
 やがて8mmビデオカメラも出て、小さなカセットテープに長時間の録画が可能になって、ビデオカメラもどんどん小型になり、持ち歩くにも苦にならないようになった頃、ぼくもソニーのパスポートサイズとうたわれたカメラを手に入れ、旅行に、ちょっとした街のカメラハンティングにと持ち歩いていたことがあった。

 今となってはそのカメラも、デジタルビデオカメラなどの普及によって過去の遺物化たらんとしてきた。
 技術の進歩は人の感性の速度を無視してどんどん進んでいく。いつか気づくともないうちに、エムペグ、それにデーVデー録画だし、ハイビジョンも小型ホームビデオカメラに浸透しはじめた。

b0019960_22301182.jpg それらは魅力的だが、十年以上経ったがまだ現役で使えるそのビデオカメラで撮ったテープには、尾道や長崎や京都、広島、景色に街や人、公園の猫や犬など、想い出のシーンがランダムに編集されず入ったままだ。そして何年にもわたっての、今はもういない三匹の猫たちの姿。

 今では小さな頃からビデオに映った自分の姿を残せる時代だから、そういう経験ができる世代にはうらやましい感じもある。写真では不可能な動く人やものの姿には、当時の記憶もその場の空気もリアルに甦るという強みがある。
 しかしまたそのぶん、喪失した哀しみとも表現できるのか、過ぎ去った過去への郷愁、そんな情緒、胸を締めつけるような感情が押し寄せてきたりしてしまうかもしれない。が、それは人それぞれというものだろう。

 未来や現在より、過去が存在を主張するような「時」というのは、年齢とともに多くの人の、ややもすると増えてしまう時間なのかもしれない。
 しかし思いだせば、ぼくはわりと子供の頃にですら、「郷愁」という感情は経験していたような気がする。
 町を歩いていて、通りすがりの民家から聴こえてくるテレビやラジオの音楽や人の話声。それらはその季節の、その町の、その通りの、その時間の、その日の気温と陽射しと空気の匂いなどに結びついて、ある「印象」を心とからだの何処か奥深くに刻みとどめているかのようだ。幼年、少年期に感じる、なぜか遠く古い過去の記憶が、心の奥にある引き出しのなかで、眠りを醒ますのを待っていたかのように。

 たとえば前世というものがあれば、輪郭のはっきりした記憶とは言えずとも、その郷愁と情緒の中に存在する無形の実体が記憶のかたちを求めてわき上がり、甦ろうとする、そんなことですらも、ある意味デジャ ヴューな体験のひとつなのかもしれない。

 雨のしとしと落ちる日の庭には、そんな静かな誘い水が雨水にまじって含まれている・・。
 とまあ、そんなヒマがあったら覗いてみませんか(笑)。
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by past_light | 2005-06-04 22:33 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

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