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谷川俊太郎にまつわる話---3.「なみだうた」

谷川俊太郎にまつわる話---3.「なみだうた」_b0019960_19203102.jpg 谷川俊太郎の詩集に「モーツァルトを聴く人」という詩集がある。 何年も前に、最初CD付きで発売された詩集だ。 その詩集の挿し絵にはパウル・クレーの素描が使われていて、詩集自体もお気に入りの一冊だ。

 以前も谷川さんの朗読集のカセットブックなどをぼくは買っていて、それをよく聞いていた。
 息子さんの賢作さんの短いピアノの挿入曲も、ドビュッシーのピアノ曲が好きなぼくは肌にあう感じでとても気に入っていた。

 そのカセットブックで出逢った谷川さんの朗読は、当時すごい影響力をぼくには与えて、一時その谷川さんの声が耳から離れない感じで、本を開き詩を読みはじめると、その声が頭のなかで響いたりしていた。
 それで「モーツァルトを・・」のCDブックも、本屋で出会ったその日に買った。
 CDには谷川さんの、その詩集からのいくつかの朗読とモーツァルトの曲、そしてベートーヴェンの弦楽四重奏曲の一曲「カヴァティーナ」も入っていて、そこで初めてその曲を聴いて、その旋律の深い情感に驚いたりもした。

 その他の曲は朗読と交互に、あるいはかぶさるようにモーツァルトの馴染みの曲が流れる。
 でもなかにはじめて聴く曲があり、その合唱曲は詩にひどく合っていて、いつも聴き入ってしまう。
 曲はモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」という。それは天上的な美しさ、モーツァルトならではという感じの曲だ。詩の題名は「なみだうた」。
その詩のなかに挿みこまれた、変調するように韻を踏む言葉がある。耳で聴く詩のなかでも、ぼくが好きな理由も、このあたりにもありそうだ。

谷川俊太郎にまつわる話---3.「なみだうた」_b0019960_15005142.jpg 普通、ぼくらは朗読するなんて、もう縁遠くなっていることが多いかもしれない。 ぼくは、以前ためしに宮沢賢治の短い童話を、ひそかにひとり声に出して読んだことがある。
その時なぜか、その言葉たちのなかにある純粋さみたいなものに触れた気がして胸が熱くなり涙がこぼれたことがあった。 もし傍目から見られていたら無気味な光景かもしれないけれど。
 そういえば小学生ぐらいまでは、家に一人でいる時にも、よく声を出して本を読んだ記憶がある。
 時計をかたわらに置いて、ドラマのラジオ放送の真似事みたいなことをしていたのだ。(クライなんて言わないでくれ)いわばそんな「こころの記憶」が呼び覚まされた。

 ぼくはよく「感情のリハビリ」なんて言って、人に無責任にすすめたりしたこともあったけど、ぼく自身も実はなかなか忘れている非日常的行為なのが正直なことだ。
 もう今は亡くなった年長の友人が病床にあった頃、「モーツァルトを聴く人」をテープにとってあげたら、とても気に入って繰りかえして聴いていたと言っていた。

 ・・季節がめぐってくるたびに何十年も見慣れた光景だが その光景がぼくにもたらす感情はいつまでも新しい・・
 この頃の谷川さんの詩は、人の肉体の老いに、内包されている永遠なる魂の若さが、ふっと顕現するような光景を思わせる。


なみだうた

子どものころよく座敷の柱におでこをくっつけて泣いた
外出している母がもう帰ってこないのではないかと思って
母はどんなにおそくなっても必ず帰ってきて
ぼくはすぐに泣き止んだけれど
そのときの不安はおとなになってからも
からだのどこか奥深いところに残っていてぼくを苦しめた

だがずっとあとになって母が永遠に帰ってこなくなったとき
もう涙は出なかった

そのかわりと言うのも妙な話だがぼくはときどき
モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を聞く
「まことのおんからだに栄えあれ」という意味だそうだが
まことのおんからだというのがぼくにはよく分らない
だがこの言葉はひどくエロティックだ

*

ぽたぽたこぼれた
くちべたなみだ
じだんだふんだ
こえだがゆれた

まぶたにたたえた
あみだのなみだ
からだはからだ
なんまいだ

*

初夏の日差しが若葉に照りつけ枝が風に揺れている
季節がめぐってくるたびに何十年も見慣れた光景だが
その光景がぼくにもたらす感情はいつまでも新しい

悲しみとか淋しさとか喜びとか哀れとか
人は感情をさまざまに名づけるけれど
言葉で呼んでしまってはいけない感情もある
こころとからだから溢れてくるというより
自分が隠れた大きな流れにひたされているような気持ち・・・・
そんなときぼくは知るのだ
涙の源は人が思い及ばぬほどはるか遠くにあるということを

*

なみだなみだ
おおなみこなみ
うみからよせた
ほっぺたぬれた

ないだないだ
ないたらないだ
そよかぜふいた
まってたあさだ


詩 谷川俊太郎 (「モーツァルトを聴く人」より1995.1.1初版発行 小学館)
(1999.12記述 2004.9修正・加筆)
Tracked from moco moco at 2005-02-14 22:40
タイトル : クレーの天使、買いました。
なぜかふっとNescafeの谷川俊太郎の詩を思い出して本をかったんだけど、その音楽が実は息子の谷川賢作だったということ、さらに2枚組で1枚目は俊太郎(朗読)+賢作(ピアノ)のスーパーコンビで、2枚目は賢作(ピアノ)という豪華なCDがあるということで買ってみた。これがいい!清涼な空気感がいっぱいで、なんか柔らかな温かなものに包みこまれる感じ..。癒される〜。なんか大げさじゃなく心洗われる感じ。[:嬉しい:]... more
Commented by acoyo at 2004-09-15 21:49
毎日お邪魔して、ごめんなさい。昨日、今日と嫌なニュースが続いたので、ここに来て和んでます。

昔、倉本総が、癌で死んで行く子供に、やはり彼の詩を読ませてました。私は「ネロ」が好きです。最初に読んだ詩ですから(教科書で)。真夏のベランダで洗濯物を干しながら思い出していると、どうしてだかむくむくと元気になります。
Commented by past_light at 2004-09-16 02:37
acoyo さん、ごめんなさいって言うのはあり得ないでしょう。(笑)

貴重なお客様です。少しでも和んでいただけるのならそれはほんとに幸いですが、和めないようなものをのっける時もあるのでしょうか、これから・・はて。

そうですか、倉本さんがですか。昔イメージとしては倉本さん、なんか頑固者で支配的な感じがしておりましたが、ずっとながめていると、すごくやさしさが滲み出てくる人だと思うようになりました。

「ネロ」はぼくも好きです。谷川さんのテープの朗読にも入ってまして、いいです。
詩は、やはり生きとし生けるもの・・に永遠を与えるようなところがあります。

by past_light | 2004-09-15 21:11 | ■Column Past Light | Trackback(1) | Comments(2)

過去と現在、記憶のコラム。

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