「Busy-Money」

 田舎に居た頃は、近くに海があったり、登ろうと思えば、全くひとりになれてしまうような草の生い茂る小高い丘などがあったので、お金を使って遊ぶという感覚があまりなかった。

 子供の頃、ともだちの一人が畳屋の息子で、そこの倉庫にある畳の原料である積み上げられた藁の上に登って、天上から降ろしたロープに掴まりターザンゴッコをみんなでやった時の楽しさは格別で、今でも思い出せば、その楽しい興奮と藁の匂いや肌ざわりが甦って来るほどだ。
 お金のかかることとしては、おこずかいを貯めて映画を観たり、レーシングカーを作ったりマンガ雑誌を買う時ぐらいしか、お金を意識したことはなかった。
 変な言い方だが、お金を意識しないで生きていけるということは、とても幸福なことだと思う。 もし、ずっとまったくそうであることができれば・・・。

 余談だけど、ぼくも高校生にもなると家を出ることばかりを考えたので、その頃、田舎の映画館で観た、黒焦げになったフィルムが10分ほどジュリー・アンドリュースの顔を隠していた『サウンド オブ ミュージック』に心踊らせてヨーロッパを夢みたり、『ティファニーで朝食を』で、ティファニーのショーウィンドウを覗きながら歩くヘップバーンのいる都会の朝に憧れたり、ニューシネマの『真夜中のカーボーイ』でNew Yorkの現在に出逢ったり・・と、それらはその頃の田舎の人間関係と家の閉塞感に窒息しそうだった、ぼくの気持ちの平衡を保ってくれたりしていた。

 将来のビジョンがはっきりあるわけではなくても、ただ無条件に未来を信じさせてくれるような、そんな力が映画を観るその頃のぼくにあった。だから、それにもお金を使っているという感覚はなかった・・。

 よく、ストレスなんかで衝動買いとか、ついついお金を使ってしまう。そういう話しを聴くことがあるけど、確かに、気持ちが充実していない、空しい、淋しい、そこに埋めたいものがあるという場合に、人は物で埋めようとする傾向があるというのはよくわかる。もちろん、そうするかどうかは人と財布にもよりけりだが・・。

 以前に友人の友人という女性が、わざわざ遠方から電話をして来たことがある。彼女は人材派遣のような会社を設立して社長を20代でやっている、いわゆるキャリアウーマンらしいのだが、ともかく日常、衝動的に大金を使ってしまう習慣がついてしまって困っているという話しで、誰彼かまわずでもあろうと思うけど、それから抜け出すきっかけを他の人の話しから見つけようということらしくて、その一人にぼくを選択して電話をかけて来たらしかった。

 ・・その話しを聴いていて感じたのは、彼女が実は本気で悩んでいるようには伝わってこないものがあるということ。自分よりも、多忙さや周りに問題があるように思っているような話しの流れ。人との付き合い方にしても相談にしても、この人から次ぎの人へという感じが見えるようにわかるということ。
 そんな事務的さと落ち着きのなさとある種の軽薄さが、まるで彼女の人材派遣という仕事の中にあるかもしれない、ひとりの人を一種のファクター(要素)、スタッフ(材料)としてのみ見る習慣や、人と付き合う技術のようなものが彼女の人格まで凌駕してしまい、他者との関係にまで影響しているかのように感じられた。

 ・・・しかし、こういうことというのは誰しも陥りやすい、実に現代的な現象、あるいはもっともっと切実な病かもしれない。
 そういえばbusyという言葉はネットの世界では--繋がらない--というふうにも使われる。(1999.9記述 修正2004.9)
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by past_light | 2004-09-10 19:07 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

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