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ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ

 太宰治は、もしかしたらある男性像の典型を生涯、それを演じたのではないかとよく昔思った。
 物語り作家としての才能も並々ならないのに、自己に矛盾した愛憎に振り回されていたのではと。そのような作品も結果書かねばならなかった。

 この映画の人間像も、人間失格の人物像にしても、精神の底に感じられるものに真実の苦悩を感じないのだ。この時代、破壊的な人生を演じるのはなにか世の中が許容した、ひとつの男像のスタイルであったような甘えが透けて見えるのは何故か。
 演じれば演じるほどに人間に無理が祟る、葛藤に疲れる。支離滅裂な人間として家庭では破壊者として君臨する。
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 ひるがえれば、この時代のこの男たちに付き合う女とは、なんと強い精神と肉体を与えられたものか。
 それに甘えた男たちと女の物語は、今も続いているだろうが、このヴィヨンの妻は、女の無垢の不気味なほどの強さが男を震え上がらせさえする。彼女の上に立つ男の精神は見当たらないだろう。

 松たか子のキャスティングには不安があったが、見終わればなかなかに素晴らしい役だった。
 浅野忠信のキャスティングには不安がなかったが、むずかしい役で、鑑賞しながら、型にはまらないように、と願うような不安が生じた。

 現代に生きる生活者にとれば、非人非人とはむしろ社会の上層に住みつつ、自我の欲望に無意識なまま精神の成熟から遠くへだたって、誠実な人間性を喪失した者たちこそに与えられるべきものだ。

「生きてさえいればよい」は、簡単な言葉だけれど、いつの時代にも生活者の底から立ち上がる声だ。
Commented by さすらい at 2012-05-03 04:24 x
 太宰治は、高校生頃の必須アイテムだったようで、あの頃よく友人たちとの間にの話題になっていました。
 今当時を思い出してみて、何に惹かれて読んでいたのかわかりません。当時の生意気な背伸びだったのかもしれません。ただ、読んだという行為は悪くはなかったと思います。年を経てふたたび、太宰に立ち返る理由にはなります。
「生きてさえいればよい」は、さいきんNHKでやっている「開拓者たち」というドラマでも出てきますね。原発の被災者の口からもあったような気がします。思い言葉です。
Commented by past_light at 2012-05-03 16:52
5月連休時ですと、晴天が多かったのですが、今年このところのジメジメした日が多いですね。

ぼくは20代前後ですが、文庫になっているものは連続してほとんど読みました。無頼派が流行ってたんですね、マイブーム。
御伽草子にしても新ハムレットにしても、下敷きのあるものに対しての物語りづくりの力はなかなかでしたね。晩年とか人間資格等は対極ですね。 斜陽などは中間でしょうか。
太宰も生きてさえいればいい、という生命に対しての力も欲しかったです。文才もですが、独自の文学もできたかも、もったいない消費です
Commented by さすらい at 2012-05-07 02:33 x
>下敷きのあるものに対しての物語りづくりの力はなかなかでしたね。

「走れメロス」を思い出しました。これも、元々は古代ギリシアの演劇の中にあったんですね。太宰のあとで知ってびっくりしました。私の好きなシューベルトの未完のオペラの中に出てきました。
Commented by past_light at 2012-05-07 19:24
「走れメロス」は子供の時に最初に接する太宰でしょうね。
新釈諸国話や民話・童話下敷きの御伽草子なども、どちらが原作かというほど面白い本でした。
by past_light | 2012-05-02 17:12 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(4)

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