内なる安定と外なる不安定

 天候異変というべきか、桜もすでに散りはじめてなおも春らしい日和、時間が少ない。

 町田康という作家の話を彼がゲストとして出たラジオをポッドキャストで聞いていて、なにか感覚的に身近に感じるものがあった。
 読んだことはないが、近いうちにその価値観の崩壊のパンクする文体を体験してみたいと思いつつ、まずは猫の話題の本からとも思いつつ。

 それにしても身近な猫たちをよく観察しての話だなあと感心する。
 つまりペットという単なる溺愛の位置づけとしてではなく、それといって人間という位置からの俯瞰的な動物への視線というのでもなく、どう言うべきか、同じ地上に生きる生物同士と言うか、生をこの地上で現在形で共にする深い縁を感じているのだろうかな、と思ったりすることを言う人だ。

 彼は野良猫と複数共に暮らすために、それに便利そうな土地へ引っ越して暮らしているという話を訊いたことがあるが、よくよく猫たちと暮らし観察していると、人間より猫の方が優れている生き物に思えるという話もしている。ラジオでは「魂は猫の方が上じゃないか」という言葉で表していたが、魂というのは存在という意味だと考えるべきだろうかと思う。

 ラジオでは司会者の大竹まことが、彼の家で飼っている猫が、「台所でアジを焼いているかメザシを焼いているか、遠くからわかるんだよね」と言っていたが、それに類する感のよさは多くの人がよく知っているだろう。本能の部分では人間が衰退しているものが彼らには必需品なのだ。

 近頃も野良猫への風当たりは強い。訊いてみると、だいたいその根幹には、自分の土地や周りを、うろつかれるのにさえ寛容になれない狭量な人間の心がそこにある。なんと公園内であれ、人間だけが居るべきだという感じの苦情を都庁にまでファックスする人がいるという。しかも自らの名を匿名で。
 それでなくとも、なんとなく人間は自分たちだけが地上に住むべきで、できるなら同じ趣向、価値観、イデオロギーなどを共にする人間だけが居ればよいなどと思っているのかと感じるようなことがある。
 が、実は、外部を排除して安定しているように思われる集団にしても、外側に敵が居なくなると内部で必ずのように不安定な動きが生まれるのが常だ。その場合は新たなターゲットが内部で分離されて、再び外へ弾かれてそれは外部となる。

 以前読んだものに、「外部の安定は実は内部の不安定を表している。内部が安定していると外部は不安定に見える」というような話があったが、ぼくはその意味が以前解らなくて考えていた。
 それは、内的に安定していればそれは「静」であり、そこから見える外側はめまぐるしい変化であるように見える。それに冷静に着いていくこともでき、明晰な幻想のない視線が伴うものだろう。逆に、内的に不安定であるなら内的にはそれは「動」であり、混乱でもあり、そこから外部に向けられるその人の視線は、無関心、あるいは鈍重な感性、不満な感情まじりの固定した客観であり、偏見や観念となり、それに彩られたアクションとなる。それはいわば皮肉にも「安定」であるようにその人は思うものだろう。
 ややこしいけれど、なにかわかりやすい例えはないものか(笑)。間違っていたらまた再見。

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<下記はツイッターに書いたものの採録>

 ポッドキャストでゲストの町田康の話を聞く。読んだことのないパンク作家だが友達になりたい。猫の話もあれだが、そこから透けて展開する価値観の曖昧さを意識、人と動物の関係へ人が思い込みがちな位置関係への疑義。物質界ではたゆまぬ努力の人間も、ただここに生きる充実の猫にはどうか。

 観察していればわかるけれど、持ち前の本能の部分では人間は衰退している。安心と危険等々、物事を察知する能力も全くかなわない。ほとんど予知的なアンテナを持っているし。ただ存在し居ることで成すこと、側に居れば治癒能力さえオーラに含む。

 考えてみれば,人間は自分に対してイメージを持っている。尊大か卑下かどうかどちらにしろ。それを同じく他者に向けるし。しかも実に変幻自在な身勝手なものだ。んなことより、それを高尚な能力なんて思っていたら災いだ。動物は無駄な悩みを持っていては生きていけない。
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Commented at 2010-04-16 07:25 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by もんどのすけ at 2010-04-21 11:06 x
新しくブログを書き始めました。しばらく書き続ける気でいます。
Past Lightさんにも、どうか読んでやってください(笑)。
今度のブログは新機軸(?)で、記事の部分を縦書きで書いています。
縦書き文庫というサイトで知ったブログを縦書きで書く方法なのですが、これが簡単にどこのブログの記事でも縦書きにしてしまうという優れモノ!
縦書きにハマっています(笑)。
http://tategakinikki.blogspot.com/
Commented by past_light at 2010-04-22 21:14
縦書きいい。フォントがきれいに並んでる。それにしてもフォントがきれいに並んでる。・・ツイッター仕様なコメント失礼--笑--
Commented by さすらい at 2010-05-21 00:04 x
人の心を形成している一番底の層は感情だろうと思います。これは一番本能に近いもので、身を守るということにつながっているだろうと思います。人の場合、その上に言語機能とでもよぶものが乗っかっていて、この中で、思考の体系が動いているのではないかと。こう考えると、人の頭の中は複雑になっていて、猫ほど直線的な行動は無いのではないかと。
ついでに思い出しましたが、犬と猫では、狩猟関係で先に犬が飼われるようになって、穀物栽培の段階になってカラ、ネズミの天敵として猫が飼われるようになったと言うことのようです。でも、最近の飼い猫は、ネズミを知らないですね。
Commented by past_light at 2010-05-22 03:00
感情は心理的な思考へ結びつきますね。感情は一時ですが、それが繰り返し思い起こされるとたとえば怨恨とか怒りとかへと。
それで自らも周りも苦しみます。いわゆる宗教は第一歩としてそこに焦点を当てている感じです。
猫、動物が存在として見せるものに関心があるんです。
その生のシンプルさは、もちろん人間が持っている複雑さ、思考することやそれらの能力が引き算されてのものでもありますが、ということは人間の苦や、もつれた惨状はその能力が誤用されたものだということもいえます。
猫が目の前のことに全存在を傾けて生きている姿を見て我々人間はなにかを感じ取るんだと思います。
野良はねずみやモグラや鳩に非常に関心ありますよ。ただ食事に困らない限り食用とはしないようです。もてあそんでしまいますね。
Commented by past_light at 2010-05-22 03:03
これ、さすらいさんへの返信というより、日頃思ってることを述べてますからツイッターにします(笑)
by past_light | 2010-04-15 20:37 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(6)

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