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『おくりびと』

 昨年、話題をさらった映画。もうテレビで放映しちゃう。だんだんテンポ速くなりますね。
 海外でも評価されたのは、その対象となる多くの日本映画がやはり、その国柄独特の風土,風習が色濃く描かれていたものが目だつのだが、これは何処の国だろうと同じような関心事なのかもしれない。
 今村昌平の「姥捨て山」をテーマとしたものなどは、今となるとおとぎ話に近い話に思えるが,土着性のなかにあるあんがい人間の根本的な、シリアスなテーマ性を感じさせるので、そこに普遍性が隠れている。

 対して、『おくりびと』で描かれる、今もつづく納棺師というしごとの内容をよく知る人などもやはりほぼ稀だろう。主演の本木雅弘自身が、長く企画を温めていたという。原作にあたる「納棺夫日記」の作者、青木新門さんを何度も訪ねて映画化の許可をもらったという。
 が、シナリオ段階で、原作者としてのクレジットを拒否することになる青木さんは、「送られてきたシナリオを見るとね、親を思ったり、家族を思ったり、人間の死の尊厳について描かれているのは、伝わってきて、すばらしいんです。ただ、最後がヒューマニズム、人間中心主義で終わっている。私が強調した宗教とか永遠が描かれていない。着地点が違うから、では原作という文字をタイトルからはずしてくれって、身を引いたんです。」(2009年の毎日新聞)と述べている。
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 このはなしは意味深く、たしかにうなづくしかないものだ。
 しかし、「宗教と永遠を描く着地点」を描くとすれば、これは可能なのかどうか、また違う映画である必要もあったかもしれない。それでも映画「おくりびと」は、いままで描かれなかった「死」と「生」との交流を感じさせているものとは思える。

 舞台となる山形の地方のもつ独特の緩やかな時間感覚。少数の登場人物。派手な動きをすることもなく、ユーモアはあるものの、全体とても地味だ。
 それはもう一つの主役、死者たちの寝姿の存在が,生きてあるもとの均質にさえ感じられる。それは「死の尊厳」を感じさせ、映画全体が持つ静かな大気のなかのような清々しさでさえある。
「静謐」。この言葉は、この映画の感想にもよく使われているが、たぶんそれはこの映画で描かれた目に映るものとしての映像のより奥、その見えない領域を感じ取れた人が思わずにはいられない言葉でもあるだろう。
 経験的に、納棺された死者を見る度に、その「静謐」を感じる。
 生は喧噪と欲望と飾ることの楽園でもあるが、だれもが辿り着く死の静寂は、そこからは謎である。
  ぼくらが他者の死を見るとき、ぼくらの何もかもが終わるときの、すべてを脱ぎ捨て何も持てずにその静けさへ回帰することをおぼろに想像するのだが、やはりそれはどうしてもあくまで予感にとどまり、どこまでも謎だという方がふさわしい。

 納棺師として、死者を旅立たせるための丁寧な所作を行うときの主役の本木雅弘はすばらしい。この映画の性格そのものを集約した場面であるだろう。
 彼は劇中で、その死者を扱う仕事への多くの偏見,差別に会う。それは身近な妻からでさえだ。
 しかし、そのいざ納棺の場面に立ち合うことをとおし、どんな説明も必要のない価値を目の当たりにする。

 ぼくなどは個人的には葬式無用というか、お墓無用というか、ばちあたりものだが、それでもこの映画の納棺師が、死者の旅立ちの準備をさせるその行為のなかの意味はとても尊い美しいものだと感じる。身近な死者と生きて見送るものとが互いの気持ちを確認するための時間なのだ。
 映画の終わりのエピソードになる、子供のころ忘れた父親の「顔」が浮かび上がるシーンは、この映画が最後となった峰岸さんの、なんともいえない穏やかな表情。今になると、胸が熱くなる奇跡的な画面。

滝田洋二郎・監督 2008年
Commented by さすらい at 2009-09-23 22:13 x
もう放映したのですか。うっかりしました。
原作者の気持ちもわかるし,映画が違った着とをしたのもわかる気がします。
「ぼくなどは個人的には葬式無用というか、お墓無用というか」
驚きました。全く同じことを、独り者の僕はすでに、遺言状にして書いてあります。ひとりもののたしなみとして。
Commented by past_light at 2009-09-24 20:09
民放でしたので、CMをビデオで跳ばしましたがかなりじゃまでした(笑)。
原作にあたる方の気持ちはわかりますね。
ただ映画でこれだけ受け入れられるというものにできたことはそれはそれでいいと思います。
見る人が見れば感じるものは深くまで到達できるものだと思いましたし。
Commented by さすらい at 2009-09-24 23:13 x
みんぽうでしたか。普段ほとんど民放見ていないので、見落としたわけがわかりました。新聞もスポーツ欄と番組欄はとばしています。その報いかな。作家の手から作品が離れたとき、監督の手から映画が離れたとき、そこから先は,見る人の感性ですね。どう受け止めるかはその人次第。かつて「お葬式」という映画もありました。関係ない話ですけど、ずっと以前、夏休みの自由研究に「お葬式」のことをまとめてきて発表した女の子がいて驚いたことがあります。
Commented by past_light at 2009-09-25 01:25
>みんぽうでしたか。
はい、びんぽうです。(笑)
自由研究に「お葬式」、というのはすごいですね。その子,そうとう将来楽しみです。
とにかくなんでも深く調べるのは面白いんだと思いますね。
そういう意味では,何でもいいのかもしれない対象は。
Commented by さすらい at 2009-09-28 03:17 x
自由研究にみんなあっけにとられていました。普段目立たない漢字の女の子だったので、よけい不思議がられました。各地のお葬式の風習などを集めていたと記憶していますが。動機が不明で,謎の研究です。今も続けていたら有名人になっていたかもしれません。30年く゜゛らいまえの話です。
Commented by past_light at 2009-09-29 01:12
各地のお葬式の風習、というと意外に民族学的で専門的ですね。小学生としてはかなりレベルの高い研究でしょう。
そういう個性が生きた大人になっているといいですね。
Commented by さすらい at 2009-09-29 23:47 x
自由研究というと決まり切ったものや多分親の手伝ったものが多い思います。自由研究の事前指導をしていない先生がいたとしたら、それは無理な注文というものですが。この子のお葬式の研究というのは発想がまったく独自でしたから、本人のものと思われます。休み中に葬儀に参加するというような体験をしたのかもしれません。
私の勤めていた学校では、自由研究の巾を大きくして、絵の好きな子が絵を描くのも,習字が得意な子は習字を書くのも全部自由研究の中に含めていました。自由研究は、自分の得意なものに取り組むという考え方です。苦手なものの復習特別してそういう扱いでした。
Commented by past_light at 2009-09-30 01:28
自由研究という名前はぼくらの時代にはなかったような気がしますが。
ひたすら,「宿題」という響きだけが耳に残っております(笑)。
Commented by さすらい at 2009-09-30 23:14 x
私の子どもの時代は、「夏休みの友」のような題の冊子が出たよう記憶があります。ちっとも「友」ではなかったですが。宿題は、出せば必ず点検や採点をしなければならないので、実は出す方も相当の負担になります。
by past_light | 2009-09-23 18:41 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(9)

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