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小さな駅で降りた人は少ないか

五月晴れはどこへ。一挙に梅雨になっちゃったか、というような毎日になりました。

数日前から、この弱小ブログのアクセスが増え続けているようなので,不思議だと思っていましたが,ついに昨日は異常な数字に。といっても普段から二桁を超えることなど少ないから驚くわけだけど、なんとアクセスが750を超えている。それでまたサーバーの故障かと思ったりもしたけど、提供されているアクセスログのキーワードを観ていて謎が解けた。

山田太一さんの9年前のドラマ「小さな駅で降りる」が再放送されたせいだ。
それにしても、とグーグル検索でキーワード検索したらトップにページが出てくる。そのせいみたいだ。
グーグールって、いろいろ批判の多い昨今だ。谷川さんは怒っていたしね。膨大な世界の書物のネット図書館作りを始めているらしいからだが。「グーグールは傲慢である」と。
それでも我ながら自画自賛で恐縮だけど、確かに僕の書いた感想文は一読の価値はないとはいえない(笑)。今読み返してもドラマ自体の内容の先見性,普遍性にも改めて感心するが、その9年前の社会の状況において展開されるドラマがまったく現在に通用する、もっと深刻であり切実感があるものだ。
ぼくの9年前の感想は自分で読んでも恥ずかしくない思いのするものだった。それをちゃんと反映してのトップ扱いだと勝手に想像すれば、ヤフーの検索などを比較したら、単に放送スケジュールの大手案内サイトや、新しい日付のブログページが並ぶ検索よりも、ほら実に誠実なものじゃないかと、ここばかりは我田引水な感想を持たざるを得なくて、ひとり嬉しく思い、だったりだ。

そこでちょっと昨夜、他のブログのドラマ感想記事を二つ三つ読んでみたら、そういう社会の切実感はたしかにみんな感じているようだ。が、結論的にやっぱりでも「甘いよ」というひと言も垣間見えたりした。

「甘い」って、いかにも大人センスな言葉だけど、これが社会の多数を占めている間は、たぶん食の安全の不安も環境問題も家族の壁も過労死もなくならないだろうなあと思う。
どうして「甘い」と思うのか,そういう自分の条件づけられた感覚を疑うところから発想も発芽しないと、相変わらず亡霊のような動きの景気指数に一喜一憂する一生でぼくらは終わるだろう。

誰も事情がある。とぼくも書いた。しかも時代はさらに厳しいし、普通に生活するっていう基準だってどうやら曖昧な感じの世の中っていう思いもたしかにある。
しかし、一方では、人生、生きてみないとわかんない。という面も否定できない。経験的にも人それぞれ個性もありで、たとえ同じ社会のなかで生きていても、固定したどんなマニュアルもパターンも、一個、個人としては通用しない方が多いだろう。むしろ通用するのは画一的でおそろしい人間の集団だろう。
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画家のミロは、当初堅い仕事にやむなく就いたことがあるが、すぐに神経衰弱になり、のち天職の画家となる。画家になり貧しいアパートの一室で幻覚を見るほどの空腹のなか、とても面白い絵を描いたりしている時期があるが,そんな究極の苦労もあるということだろう。
人間の内部って、表面に現われるより先きに叫んでいたりするのだ。それに鈍感でやりすごすと、「自然の復讐」があるのかもしれない。

「小さな駅で降りる」の感想ページ
by past_light | 2009-05-07 18:48 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)

過去と現在、記憶のコラム。

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