「笠智衆さん」

 若い女性の話に多いのだと思いますが、仲の良い老夫婦を見ると、なにか憧れを感じるそうです。「あんな風な夫婦に憧れる」と・・・。 そういう話は先日、あるところなどでも聞きました。
 彼女の話では、手をつないで散歩していたり、公園で一緒にベンチに座っていたり、ブランコで遊んでいたりする老夫婦も見かけたそうです。
 それは耳にすれば、誰でもが、ほのぼのした光景が浮かぶ、そんな話でしょう。
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 しかし、多分経験上、憶測ですが・・(笑)、誰しもそこまで時間が経つには、若い時期、また中年、壮年と・・、現在のそのふたりの姿に、あまり重なっては見えないような様々な場面、情景も、きっとあったはずです。
 あえて聴いてみなくとも、いろんなドラマや葛藤の多い時期も通り過ぎているというほうが一般的なのでしょう。
 よく、長く一緒に暮らして・・空気のような存在になる、という話もありますが・・。

 そういえば、小津安二郎の映画の『お早よう』という映画だったと思いますが、それはホントにのんびりした映画でした。
 その映画のなかでも永年連れ添う夫婦がやはり出てきます。
 毎朝のように旦那が縁側に出て「ぷ~っ」とおならをすると、奥から奥さんが出てきて「あんた、なんか言った?」と、必ず聞きに来るのですが、そういうのんきで可笑しい家族が中心になるような映画です。
 そう言えばこの話をした時にも、「いいわね・・・」としみじみ呟いた女性もいましたね・・。

 『東京物語』の笠智衆は、小津の映画では、ほぼずっと壮年~老人の役を演じていました。 その笠さんは『東京物語』でも当時まだ若かったので、老人を演じるのに腰に座布団を入れていたそうです。
 思い出すと、そんな笠智衆の歩く姿や背中や表情が思い出され、なるほどと感心しました。

 ある人が「老いには、それそのものの美しさがある」と言っていましたが、小津映画の笠智衆もその後の笠智衆さんも、いつもぼくには美しい老人に映りました。
 余談ですが、そんな笠さんは、ぼくの忘れられない印象的な夢の中で、なにかを伝えてくれる不思議な老人として登場したこともありました・・。
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 大部屋役者だったという笠智衆が、生涯、役者としてぼくたちにその姿を楽しませてくれたのも、小津安二郎が「お前ぐらい下手だと、面白い。物になるかもしれないよ」と主役級に抜てきしてからのことで、笠さんも役者の仕事に本格的に取り組みはじめたそうです。
 後で思い出したことですが、ぼくが子供の時に観たテレビの中の笠さんは、確かに--印象的なくらい異様に下手--に映って見えました。そういうぼくの今となってはうなづける話です。
 俳優笠智衆が忘れられない役者として人の心に残るのも、小津安二郎という監督が、そんな目と感性を、ちゃんと持っていたからこそでもあります。

 そういう出逢いというのは、恵まれた奇跡のようにも感じるところもあります。しかし、笠智衆のような人を見ていると、いわゆる大量生産的な効率とか巧みな技術などではかなわない、なにかある不器用さの中に隠れた魅力、存在感・・、そして、そこに忘れがちだが大切な、ゆっくりとしかもしっかりと、その演技を目にした者に伝わるものがあるのだとも思います。

 過剰な主張も欲も感じさせなかった、そんな笠智衆さんの晩年も、確かに美しい老いの姿を魅せてくれていました。
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# by past_light | 2004-09-08 01:17 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

「触覚と愛」

 河合隼雄さんの本の中だった、ある女性の詩人か絵本作家だっただろう、父親を早く亡くしたその人の話。
 小さい頃の記憶に、お風呂で湯舟に持ち上げられて入ったり、出たり、体を洗ったり・・といった父親の手の触覚の記憶が強くあるのだと言う。
 そして、一瞬の風に揺らぐ木々、散る木葉、それを感じるという出会いには、触覚的な感覚が人にあることの大きさのようなものがあるのでは・・、というような話だった。
 人格を形成するものに「触覚」の影響は忘れられやすいのかもしれない。

 故、武満 徹(音楽家)さんの本にあった話。
 知人のYさんという人は、茫洋とした大らかな人だったという。 彼は、旅行好きだが、説明されても一体どこにあるのかわからないようなところへ旅をすることが多かった。
 たぶん南米でのこと、Yさんは土地の原住民と海へ魚捕りに出た。仕掛けた網の手前に来て、土地の人は「今日はたいしたものはかかっていないようだから、ひきかえそう」と言ったが、Yさんは折角だから一応覗いてみようと提案したそうだ。 でもやっぱり網を手繰ると、不恰好なエイがたった一匹しかかっていなかった。 Yさんが覗こうとすると土地の人が慌てて尾を切った。エイの尾には棘があって人を刺すのだ。
 Yさんの観察によると、エイの白い腹は女性を想わせたたそうだ。切断された尾の付け根のあたりから白い紐の様なものが出て来た。引き出すと、瀕死の母親をただ小型にしただけのエイの赤ん坊がかわいらしい姿を見せた。
 Yさんの介添で四匹の子供が生まれた。手桶に海水を汲み中に放したが、す~っと底に沈んで泳ごうとしない。Yさんは死んでいく母親に替わって、どうしてもこの子たちに泳ぎを教えなければならんぞ、と思ったそうだ。
 Yさんは一匹一匹両手に掬って、手桶の海水の中で、人間の母親が乳飲み子をあやすように、静かに揺すりながら子守唄をうたった。 しばらくするとエイの赤ん坊たちは、Yさんの手の動きに合わせて、胸びれをゆらゆらと動かし泳ぎはじめた。 四匹の小さなエイが、夕暮れの海へ還っていく姿を見た時ほど嬉しいことはなかったとYさんは話したという。
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# by past_light | 2004-09-07 22:43 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

「近くて遠い人、遠くて近い人」

図書館に寄って少し本を見ていた。 映画監督、大林宣彦の「マヌケ先生・・」のエッセイがあったのだが、借りている本を返していないので、そこで少し拾い読みしてきた。
 めくったところに小学校時代の、ある先生の話しがあった。
 その先生は算数の先生なのに、授業の中に生徒たちと共に、映画を観に行くカリキュラムを作ってくれていたそうだ。
渡船
 ある日、学校をさぼって映画を観ていた大林少年の隣に、気づくとその先生がとがめもせず一緒に座り映画を観て笑ったりしていたそうである。
 映画館を出ても、さぼったことには、なんにも触れずに、一緒に丘の上まで散歩したりしたそうである。

 ある時、先生が「人間にはニ種類の人間がいる。近くにいても遠い人と、遠くにいても近い人だ・・、よく覚えておきなさい」と大林少年に言ったという。
 ・・・その後、ある日の学校の朝礼で、その先生が壇上に立ち、こう言った。
 「突然ですが、私は学校を辞めます。みなさんとお別れしなくてはなりません。理由は言えません。お別れする私に拍手して下さい」。
 先生は自分で拍手しはじめ、生徒たちも何故かわからないまま、拍手したそうである。

 その後、大林少年は大人になり、あの時、おそらく気づいていながらなぜか忘れていたことを思い出す。そのとき、みんなが拍手をしている時に、確かに他の先生のなかに拍手していない人たちがいた、と・・。
 その人たちは、ほんとうに、あんなに近くにいても遠い人たちだった・・と。
 そして、心に深く印象を残した、その辞めていった先生、(辞めさせられたのは明らかだが・・)は、ほんとうに今でも--遠くても近い人--だと・・。

 この話しを読んでいて、同じ経験がなくても、同じような気持ちを持ったことがあるような人は多いのではないだろうか。
 近くても・・遠い人は、結構、いつの時代でも多い。--遠くても近い人--それは、素敵な響きだ。
(1999.9・記述 20004.9修正)
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# by past_light | 2004-09-07 17:54 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

「淀川長治さんの想い出」

 淀川さんは『映画の友の会』を生涯続けていらっしゃったので、会ったことがある人は結構居るのだろうと思う。 初めてその会に友だちと行ったのは、ぼくも二十歳になったばかりの頃で、淀川さんもまだまだ髪に黒さの残る頃だったと思う。
 その頃、ミニコミ誌をガリ版で作っていて、友だちとの話題も映画の話しが中心というか・・、会えば必ず観たばかりの映画の話題になっていた。

 その会に遅れてきた淀川さんは溌溂として、今、試写で観てきたばかりの映画の話を身ぶり手ぶりで熱演してくれた。 踊りの場面になると陶酔したような表情で、自らの体でステップし再現するという入れ込み方だった。なんの映画だったかは忘れてしまったのだが、その熱演する姿はいつまでも忘れられない。
youngster
 会が終わって希望者にサインをしてくれるというので、ぼくは、その当時淀川さんを敬愛するきっかけになった『私はまだかつて 嫌いな人に逢ったことがない』という本を持参していたので、それにサインしてもらうことにした。
 ・・順番が来て「よろしく御願いします」と手渡すぼくの上から下まで見た淀川さんは、その時、顔を少ししかめたように見えた。しかしそれは、なんとなくぼくは予想していたことだった。実は、なにかで読んでいた淀川さんの話しが頭にあったからだ。
 当時、ぼくはやや長髪だったし、ダンガリーシャツとジーンズの上下で、どこへでも出かけて行った。淀川さんは--イージーライダーのイメージのピーター・フォンダが好きになれない--というようなことを、その読んだ記事で知っていたのだ。 その時ぼくは、申し訳なさそうな顔で淀川さんに一礼したと思う。しかし、わずかに顔をしかめたような感じの表情はすぐに消え、ご自身のサインと日付けを、さらさらと書いたかと思うと、「お名前はなんておっしゃるの」と聞かれた。 その声は柔らかくやさしい響きだった。応えると、ぼくの名前を横に入れてくれた。

 その後、舞台上の淀川さんを「フェリーニの道化師」上映会だったと思うけど、その変わらぬエネルギッシュな話しを聴いたこともあった。 またそれから何年も経って、体調を崩され退院したばかりの淀川さんの姿も友の会で観た。
 誰かが「この人だけは、死なせたくないね」と言っていたという話しを聴いたことがあるが、たぶん多くの人を、そういう気持ちにさせ続けた人だった。

b0019960_16555829.jpg 「私はまだかつて 嫌いな人に逢ったことがない」は映画のセリフから淀川さんの人生のスローガン、モットーのひとつになった言葉だが、この本にある、当時亡くなったお母さんへの想いの話しは、人によっては理解を超えていた話かもしれない・・。
 そんな近しい人への自分の情愛の強さを、ある意味で警戒もした淀川さんは、結局独身を通すことで、映画の仕事に身を捧げることにされたようだ。---家族がいれば、そのためには何でもするというような気持ちになり、他を犠牲にしてしまうかもしれない---というような思いがあったと、どこかで書いておられた。

 スローガン、モットーと言うと、堅苦しく、縛られそうに聴こえるが、それがそういうものでなく、楽しみながらそれらと付き合っておられたような感じがする。 それは、多くの著作や対話集、また、特に、おすぎとの対話などを読めば、淀川さんの独特な、その柔軟な精神に気づき、誰もが頷けることだろう。

 ・・あの時、ぼくを、ジーンズの上下を観た時の淀川さんのなかにも、そのとき「私はまだかつて 嫌いな人に逢ったことがない」が響いていたのだろうか。・・・その想い出の本は今も手元にある。

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# by past_light | 2004-09-07 02:19 | ■Column Past Light | Trackback(1) | Comments(2)

「チャーリー・ブラウンを見つめて」

 彼は御存じスヌーピーの御主人である。なのに飼犬の方が世界のマーケットでは有名なようである。
友人のライナスの毛布をライナスの姉ルーシーのようには批評せずに、常に暖かく彼の依存症を容認している。

 彼らはよく塀で哲学的な会話をするようだ。
チャーリーはややペシミストの傾向があるので、悩みの多い日々を送っているようにも見える。
しかしむやみと個人的に深刻だと表現するよりは、いたる場所に存在するストレンジャーが、日々彼らの住む社会の矛盾と摩擦して葛藤し、そこからこぼれ落ちたような人々への、あたたかい共感のための視線を、彼が静かに成長させるために与えられた運命的な資質のようにも見受けられる。

 もちろんリアリストのルーシーには、それは時にどつきたくなる様相に見えるのは当然である。
だがそのルーシーも、理想の恋人とでもいうべきシュレィダーの敬愛するベートーヴェンよりも自分がはるかに重要だという錯覚から抜け出ることができないのはリアリストの限界を証明している。
だが、この場合の「現実」とは、ルーシーにとっての「もの」であるので、彼女にはまわりの連中のほうが理解に苦しむ行動をしているようにしか見えないのは典型的なリアリストの盲点を明らかに暴露していて興味深い。
彼女自身も時にうっすらとそれに気づき、悩める者の精神分析を有料でありながらも開設し、自らも聴く耳を持つことを公共に知らしめるのだが、患者はほぼチャーリー・ブラウンである場合が多く、ともあれ供給と需要の関係が途絶えることのないアメリカの精神分析ビジネス界を現わしているのかどうかは定かというわけではない。

 チャーリーが赤毛の女の子を近くにして現わす心理的パニックは初々しく可憐であるが、やや度を越して見え、必要以上のかなしみを無限に再生産しはしないかと、同性としては複雑な心境で見守るしかないジレンマを感じないわけにはいかないのだ。

 しかし、彼の野球チームの不屈のシーズンももうすぐ終焉のときだ。
マウンドの孤独を知っているチャーリー・ブラウンは、今シーズンの不名誉な連敗の中からさえも、彼の人生の美味なる詩(うた)を見つけることだろう。

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●チャーリー・ブラウンをめぐってのふたつの参考資料 (付録)

◆下記の引用は推測であるが・・チャーリーとライナスの会話であると思われる。
どちらがチャーリーでライナスかは、まあどちらでもよいと感じられる塀での会話・・と推測される。

A「ぼく・・大きくなったら偉大な預言者になるんだ。そして、深い真実を語るのさ。
でもだれも聴いてくれないだろうな」
B「誰も聴いてくれないと判ってて、なんで話すんだい」
A「ああ・・それはね、預言者というのはかなりへそ曲がりだからだよ」

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◆チャーリーブラウンに倣って~

寝台の下にはきなれた靴があってね
それでまた起き上る気になったのさ今朝
全く時間てのは時計にそっくりだね
飽きもせずよく動いてくれるもんだよ

話題を変えよう

雑草の上を風が吹いてゆくよ

見尽した風景をぼくはふたたび見てみてる

話題って変りにくいな

 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」谷川俊太郎詩集より

(2000.1.31・記述 2004.9修正)
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# by past_light | 2004-09-06 15:56 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

「生きることのなかにあるもの」

たとえば・・岡本太郎という人にはなんだか常人にはないエネルギーを感じていた。
もう亡くなってしまったのだが、淀川さんなどとともに、この世から消えたということが、どこか不思議なままに・・その存在の余韻が残る人だ。
少数の者にしか現れない個性というものは、本当にそれだけで価値のあるものだと改めて思うことがある。

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むかしむかし、池袋にあった美術館で「ジャン・デュビュッフェ展」が開かれていた時、横を通り過ぎた背の低い人物を無意識に振り返ったら、やはり岡本太郎だった。
御婦人と連れ立って会場を歩いていたその人は、振り返りじっと目を懲らして見ていたぼくにすぐに気がつき、自らも立ち止まった。そして、先へ行こうとするとなりの婦人を制して、暫くそのままぼくと見つめあった。
その後やがて目を逸らしたぼくから、自らも目を逸らした太郎氏はまた婦人と歩き始めた・・。
それはある意味では・・視線の勝者のようにも見える姿でもあった。
会場では、まだ幾度かスレ違うことはあったが、もう二度と彼はこちらに気をとめるようなことはなかった。

こんな話をその後友達などに話すと、勘違いや自意識過剰だと言われたけれど、それも当り前だというとにしよう・・。
だが当時、有名な「今日の芸術」という本との驚くべき出会いから、その後、岡本太郎全集を図書館でほとんど夢中で読み終えたり、彼のいくつかの絵に理屈を超えた魅力を感じていたのだから、ぼくのその時に太郎氏を凝視する眼差しは、彼を振り向かせるほどある意味で強かったのだと、ぼくは理解している。
では何故すぐにぼくは目を逸らしたのか・・・。ぼくはその理由と理屈を考えた・・、「とは言え、何を話しかけたらいいというのだろう?」・・などと。
しかしそんなあれこれはホントに理屈で、それは言うまでもなく、何者でもない無名さを意識したりや自信の無さからのある種の自己卑下であり、自己憐憫、コンプレックスという大袈裟にいえばそんな病根から来る心の無力感だろう。
そして尊敬とか敬愛とか・・それがあまりに度を越すと、人は同じ人間であるということをすっかり忘れ、まったく太刀打ちできない雲の上にいる人のような位置に相手を置いてしまう。

それから何年かたった後、教育テレビのディスカッション番組にゲストで岡本太郎が出た。
その頃のそういった番組は、今と違ってゲスト主体で話が進められ、会場に来ている参加者は質問や時々意見をいうぐらいの作りの番組がほとんどだったと思う。
太郎氏のアクティブな人生観や芸術観に、一人の青年は「そうは言っても、あなたは有名で才能もあるから言えるのだ・・」と言うような事を言った。それは太郎氏の「誰でも絵は描ける。巧い下手など生温い常識を否定し、世間に比較せず自分を絶対的に生かし切らねばならない・・」もちろん覚えているとはいえない不正確な言葉だが・・、その内容はいつも普遍的なことのように彼が本に書いているようなことでもある。そんな話、人生論に反応して出て来た意見だ。
「シラケ」という言葉が世代を現わす言葉の一つにある頃でもあった。
番組司会の人もそんな青年に「それは違うよ。才能うんぬんの話ではないと思うよ」と言って、ついになお言い張り続けるような青年は引き下がった。

ところで・・岡本太郎が書いたこと、言ったことは、実際上の生きている期間に厳密に照らして言えば、本当に矛盾やズレはなかったのかと問われれば、どうだろう・・。
それはあるのかもしれない。またないかもしれない。

たとえば・・、ホンネとタテマエというものがあり、タテマエは美辞麗句であり、ホンネはウラ取り引きの賄賂体質だったりするような世界もある。
しかし、「必要以外何物も有たないこと、外的な理由に魂を屈しないこと、赤裸なこと」 と言った高村智恵子も、「雨ニモマケズ・・」と詠った宮沢賢治も・・、その他、ぼくらの心に強い印象やささやかでも勇気を与える言葉を残した人たちも・・。
(横道だけど・・「私はかつて嫌いな人に会ったことがない」などをモットーとして公言した淀川さんは、晩年近しい人に「あれはぼくの大ウソなのよ」と言ったという話を微笑ましく思い出しながらなのだけど・・。)
彼らにとっての「本音」とは、書かれ話された方の、それそのものだったのだと思う。
しかし多数の常識と他者と世間の圧迫、また時に重くなる肉体と動物的生存のための推進力などにより、それは-理想と現実-という背反するギャップにさらされ葛藤を余儀なくし、生き物としての「タテマエ」の表情を見せたこともあるだろう。
人が生きるということのなかには、値段のつけられないものが進行しているのだとも思ったりする。
(2000.10・記述)
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# by past_light | 2004-09-05 21:06 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

「小話」

ホントは買うべきだったけれど、買わないで立ち読みしていた本があった。
世界の宗教的な世界で伝えられるような小話・・。
買っていないということは、手元にないので、記憶でカイタモノをのっけます。
まあ、だいたいディティール抜きに、大きなマチガイはない。でしょう。



三人の僧が旅の途中、ひとり寺で暮らす坊主のところに休息場所を求めて立ち寄った。
庭で火を囲み「主客の議論」に熱中する僧たちに、寺の坊主は尋ねた。
「あなたがたは、たいへんに、勉強なさっているお方たちと伝え聞きます。
そこで、教え願いたいのですが、たとえば、そこにある大きな石はいったい人の
内部にあるものでしょうか、外部にあるものなのでしょうか。どうかお教え願えますか」

それに僧が答えた。
「仏法によりますれば、すべて外部にあるものは人の心よりのあらわれ
であると申します。ですから、その石は内部にあるといえます。」

そこで坊主は一突き。
「なんと、あなたの頭はお固い。」

(禅の話しだったろうと思います。タワケ!!)


恋する男が、恋焦がれる女のテントの戸口に立った。
「もしもし開けて下さい」
すると、中から声が聞こえた。
「どなた」
「わたしですよ」
「ここは狭くて、ふたりはとてもむりなのです。どうかお帰りください」

男は砂漠に行き、うんとこさ・・考えた。

一年後、男はまた女のテントを訪ねた。
「どなた」 中から声がした。
「あなたですよ」
すると、扉が開いたとさ。

(イラスムの小話。ぼくは読んでイラスム教のイメージが変ったが、こんな深い話をユーモアに包めるのに・・と)

著名な学者が、禅の和尚を訪ね、教えを請いたいと願い出た。
迎えた和尚は客に茶を出した。
茶碗から茶が溢れ出しても注ぎ続ける和尚に、
客は「もういっぱいで入りませんが」と言った。
和尚は「なるほど、あなたの頭もいっぱいのようですな。空にしてからおいでなさい」
と言った。

(これも禅だと思います。説教臭いと嫌いな人も多いようですが・・、時々忘れやすいものがあります・・か) 2000.12・記述)
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# by past_light | 2004-09-05 02:00 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

「いつものアウトサイダー」

 先日、本屋で老子関係の本を立ち読みしていたら、また読んでみたくなった。
 けっこう西洋でも「老子」は関心を持って読まれているという話もある。ロシアのトルストイも愛読していたらしく、訳書さえ出版しているという。
 また「タオの心理学」、「タオのリーダー学」なんて経営に関しての本もある。アメリカらしい発想で、たぶんカリフォルニアあたりの風なのかな・・。ぼくは「タオの心理学」は最初に老子に関心を持つにあたって関係した思い出のある本だ。

 本屋で見比べたいくつかの現代語・口語訳を見ているとけっこう違いがあり、好みもあるが、意味の伝わり方もずいぶん違って来そうな気がした。 それらの本のなかには逆輸入的な語句を駆使したわかりやすいものもある。しかし問題は生きたものとして老子の言葉が響くかどうか・・なんだろう。 もっとも難しいのは、言葉にされているものの実際の意味を誤解なく理解するということだろう。読み方によっては現代にそぐわない古臭い話のようにも、またちょっと表面的には指導者的な立場、政治家なんかが誤解しそうなくだりもある。しかし他のところでは彼らにはきっと最も難しい資質が要求されるように聞こえる話もある。

 それはそうとして・・、この紀元前に現れた--道(タオ)--の思想は思想である以前に、老子が実際に理解していた世界・自然・命・・の、まんまの姿、様相、根源を基盤に見据えた智慧かもしれない。人の一生の様々な問題を根っこから溶き解くほどの何かがあるようにも感じる。書かれた時代は遥か昔だが、書かれている内容の中にある当時の権力者の姿や、国と国、人と人の間で日夜演じられるねじれた無限芝居は、今でも進化論を葬りたくなるほどそのまんまである。 ことにこの日本を背景としてタオの話を読んでみると、まるで逆の常識が多くの人のステータスなんだろうかとも思う。 まあ世の中から落ちこぼれたと思っている人の(ボクかい)単なる慰めになっては、これもまたいかんでしょうが〜・・、ちよっと味わってみたい現代社会の永遠のアウトサイダー的な話をお聞きください。

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 「たかのしれた社会」

ぼくらは、人にほめられたりけなされたりして、
それを気にして、びくびく生きている。
自分が人にどう見られるか、いつも気になっている。しかしね、
そういう自分というのは、本当の自分じゃなくて、社会と関わっている自分なんだ。

一方、タオにつながる本当の自分があるんだ。
そういう自分にもどれば、人にあざけられたって、笑われたって
ふふん、という顔ができるようになるんだ。
社会から蹴落とされるのは怖いかもしれないが、
社会の方だって、いずれ変ってゆくんだ。
大きな道をちよっとでも感じていれば、くよくよしなくなるんだ。
たかの知れた自分だけど、同時にたかの知れた社会なんだ。

もっともっと大きな「ライフ」というもの
それにつながる「自分」こそ、大切なんだ。
そこにつながる「自分」を愛するようになれば、
世間からちょっとばかりパンチをくらったって
愛するものが他にいっぱい見つかるのさ。
世間では値打ちなんかなくっても、
別の値打ちのあるものが、いくらでも見えてくるんだ−−
金でなんか買わないですむものがね。

社会の中のひと駒である自分は
いつも、あちこち突きとばされて
前のめりに走っているけど、
そんな自分の中には、
もっとちがう自分があるんだと
知って欲しいんだ。


加島祥造・訳  タオ--ビア・ナウ--老子 (パルコ出版)
この人の新訳も他の出版から出ているようです。
これは著者の潤色された意訳ですね・・。それはそれで・・でも読みやすいでしょう。
(2000.8月・記述)
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# by past_light | 2004-09-04 01:34 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

「レモン色の空」

 古い雑誌をぱらぱらとめくっていた。
 十数年ほど前の「鳩よ!」という雑誌は、毎回詩人や作家などを一人だけみっちりと特集していて、そのなかの何冊かが家に残っている。
 まだ佐野洋子さんと一緒になったばかりの頃の「谷川俊太郎の特集」や「寺山修司」、「太宰治と坂口安吾」・・と、価格390円でこんなに残しておきたくなる雑誌もそんなに多くないだろう。
 そんななかに一冊「光太郎と智恵子」の特集があり、ぼくはその有名なふたりについて、それほど関心が強くあったわけでもなく、「智恵子は東京に空がないという・・」という誰でも知っている詩のフレーズや、高村光太郎の彫刻がロダンにずいぶん影響を受けたものだろう・・というぐらいしか脳裏にもなかった。で、この雑誌の特集も、そんなに熱心に読んだ記憶もないので、はじめて読む感じでめくっていた。 その中に後生を精神を病んで生きた智恵子の最期を描写した詩があり、それは「レモン哀歌」という。

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 レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待つていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう


 この詩やこの雑誌の執筆者たちの文から伝わってくるものは、光太郎の芸術家精神の、やや冷たい観察眼と、それに智恵子の愛らしさ・・と真直ぐな気性だ。しかし、それを伝えているのも光太郎の鋭い観察眼による詩によってであるというのが、詩に高められようとする時の、詩人の眼とその言葉の力であり、怖さでもある。タイプはちがうけど谷川俊太郎さんは佐野洋子さんと一緒になった頃、かなり詩人の限界をも自覚し始めていたように感じる。まあ、それがまた詩にされたりする・・というところがなんとも螺旋的な話でもあるが。だがこういうことに結論めいたことなどはいらないだろうとも思う。・・しかしなんとなく光太郎の詩には無自覚な感じも受けるのだけど、この時代と、芸術至上的な堅いが真面目な姿勢と、それもまた肯定的にも語れるだろう。確かに心を打つものがあるし、またそれは智恵子の存在を抜いてはあり得ないという19世紀的浪漫の香り・・でもあるのだ。

 あなたはだんだんきれいになる

をんなが付属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない中身ばかりの清冽な生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修行によるのか。
あなたが黙って立っていると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。



 この詩に、北川太一という人がつけた解説のなかにある、智恵子の生活信条はすごい。 意志として持っては厳しい響きだが、当り前のことのようにも聴こえるところが純粋だ。
 「必要以外何物も有たないこと、外的な理由に魂を屈しないこと、赤裸なこと。」
(2000.8月・記述)
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# by past_light | 2004-09-03 19:50 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)

9.16ノートから

・・・いつも頼りにしているメディアによって、ぼくらに見えているのは現実の全体なんだろうか・・いつもそんな疑問が浮かぶけれど、アメリカのニュースをテレビで垣間見ても、やはり驚くようなメディアの姿が垣間見えてぞっとする時がある。ぼくが観たそのインタビュアーは「いつ行動するのか・・」というまるで急かすような口調だった。

現在アメリカに住み、親友をこの事件で失ってさえいる日本人の女性が、その日記の中で報告してくれている日常などに、おもてのメディアでは伝わってこない現実も伝わってくる。。

「・・政治家や評論家の言葉は私の気持をかき乱すものばっかりだった。はっきりいって何考えているの?っていうのが本音。何言っているんだろう・・・理解できなかったよ。ファイトバック?軍隊は準備できている?何いっているの!やられたからやりかえす?ちょっとまってよ。これが一個人の問題で同じことやったら、あなた同罪でしょ?どんなに酷い事をされても、誰にも人を殺す権利なんてないんじゃないの?同じことしてやっぱり大量虐殺して、その映像みて、喜ぶ人がどれくらいこの国にいる?まぁ、もちろん爆弾おとしたり、また罪のない人を殺す気ではないと願いたいけど、軍隊という言葉をきいても、他のコメントを聞いても、ほんと戦争の始まりとしか思えない。
やめてほしい。愛する人をたくさん亡くした人もいるのに。これから戦争になったら、もっと愛する人を亡くす人が増えるだけだから。・・」

「・・しかも、人の怒りをサポートするような報道マンのコメントにははっきり行って絶句した。その場に居る人は特に怒りという物しか浮かばないのだろう。でも、爆弾を落そうなど、アメリカはやりかえすぞーなどいっていいのか?テロリストの家をしっているの?このテロリストはただのテロリストじゃない。宗教がからんでいるテロということを分かっていてそんなこというの?いたちごっこになるっていうのがわかってないの?ほんと、絶句としかいいようがなかった。
どの報道でも、テロがどういう目的で行われたとか(まぁ、アメリカが今一番輝いているからだっていう言い方はしていたけどね(--;)、どうしてここまで恨みをかったか。逆恨みだけか?そうじゃないでしょう。何か理由があるはず。それを考え様とする人はいないのか?いくら一つの組織のボスを殺そうがなにしたって、それをされた側はいつかまた報復してくるんじゃないの?宗教は一日にしてならず、人の心の中でずっと残り受け継がれていくもの。それと深く結びついたテロの芽はまだどこかで発芽するのでは?・・」

「・・今日、一つのクラスでみんなでテロについて話し合って。女の子は基本的に冷静な目でテロの後起こった、パキスタン人の女の子が虐待されて死んだ話しや、パキスタン人のタクシードライバーが殴られた話をして、なさけないというような発言をしているのに、男の子は、戦争にいくならいつでもいく!準備はできているとか、真珠湾でやられた時といっしょだ。やりかえさないと世界平和はない。っと意気揚揚にいうのだ。もう絶句だった。先生もびっくりして、やっぱり怒りの矛先を間違えちゃいけない。怒りで戦争をしてはいけないって戒めたけどね。・・本当にそう思っている生徒がいるんだな。って思ってショックだった。やっぱりあの映像が彼らに怒りをおぼえさせてしまったのだろう。そして、報道マンの言葉をコピーしたような若者が増えてしまっているのでしょう。・・」

「・・全員無事が確認されたといいましたが、一人無事が確認された後連絡が取れなくなった親友がいます。もう10年来の友達。何故かこいつだけは何があっても死なないだろうと思っていたので、とにかく死とは無縁のタイプだったので、実際あまり心配していなかったのだけど、連絡が取れなくなってから胸騒ぎを覚え、翌日もうだめだろうということを別の友達から聞き、今日、死体がご両親によって確認されたということを、聞きました。
これを聞いたら今まで抑えていたものが全て爆発しちゃいました。憎しみよりも悲しみの渦です。何よりも平和主義だった親友がテロによってもういなくなってしまった。いっつもおおきく周りにいるひとをぬいぐるみのようにつつみこんでくれた人が。でも、彼が今彼と共に命を失った人達のために、アメリカ中の若者が意気揚揚に軍に戻ろうとしている事を知ったらどうどう思うだろう?怒りや憎しみによって戦争を始めていいの?わからない。確かに圧倒的な武力で押さえ込めばまた一時期は平穏な時がくるとは思うけど、殺された人間の憎しみはまたいつか爆発するのでは?突破口を作るためにある程度の戦力をつかわなければならないというのならば、分かるけど。なんかわからない。
大事な親友を失ったという心の傷と、同じクラスにもあの酷い映像をみて偏った報道をきいて、まるで何かにコントロールされているように、軍人の話し方になっている。つい先週までは、自分の命を犠牲にして戦争するなんて・・・っていっていたくせに・・・わかっていたくせに。憎しみが彼らの心を変えてしまったのね。
ベトナム戦争を思い出してみれないのかしら?どれだけ沢山の人の命が奪われたか・・・どれだけの兵士の心に傷をのこしたか・・・それによって何も平和なんてえられなかったのに・・・どうしてまた繰り返そうとしているのだろう。・・」

(以上は、めいさんの9月11日から13日の日記からの抜粋で、御好意により引用を御本人より快く許可を頂きました。また原文の全体は「めいちゃのおもちゃ箱」http://page.freett.com/meicha/index-j.html(現在は更新されていません)で、読むことができます。
また頂いたメールには「・・日本からの無邪気なメールによって傷ついている人が沢山います。けして冗談にはならない話だということを少しでも多くの人に理解してもらえれば・・・そしていつ自分の身におきても不思議ではないということを、理解してくれる人が少しでも増えてくれればと願っています。・・」とありました。
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# by past_light | 2004-09-01 19:45 | ■9.11コラム | Trackback | Comments(0)

過去と現在、記憶のコラム。関連ありなTBはラヴリー。リンクはフリー。コメントはブラボー。


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