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「街のあかり」 アキ・カウリスマキ
最近、観た映画の感想を書くのも、ずいぶん時間が経ってからになってしまった。
今年観た映画は少ないが、昨年の後半は少しふだんより多めに観ていたのだけど、この作品もその中の一本。
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前作でカンヌの賞をとってからにしては、この「街のあかり」の評判が地味な印象で期待と不安があった。
しかし、正直実に深い味わいと感動を持って観終えることになった。まったくカウリスマキはここまで来てしまったのか、次回作つくるだろうか、というような杞憂を想起させるものだった。敗者三部作完結という予告もあったというだけではなく。

敗者という意味ではしかし、彼の映画で登場する人物が徹底的に敗れた場所はシステムの中でだけである。
カウリスマキは、もう一度「マッチ工場の少女」の底なしの孤独と敗北感から始める必要があったのだろうか。
 彼自身その後の「浮き雲」の幸福な結末の理由を、制作時のソーシャル的な必要性として述べている。実は彼自身はハピーエンドをいつも望まない人なのだ。

登場する人物の、幸運とはほど遠い出来事と彼ら自身の選択は、なにか剥き出しにされた人間という生物が、物理的に拠り所のない、誤魔化しの効かない領域で、互いぎりぎりからの真の連帯感を見いだす。その通過儀礼の如きドラマである。
 そしてそれはそのままカウリスマキの内面の声として映画から聴こえて来るものだ。

 『俺の女房は「芸術とは単純化だ」という意見でね。これが正しいかどうか知らないけど、俺はちゃんと守っているからね。だって、いろいろのガラクタで飾りたくったら肝心なものがどれかわからなくなるだろう?
 俺の場合はそれは「連帯感」というやつさ』 (カウリスマキ)


★ヘルシンキからカウリスマキファンに愛を込めて
★シネアートのカウリスマキ特集ページ
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# by past_light | 2010-05-30 16:28 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)
内なる安定と外なる不安定
 天候異変というべきか、桜もすでに散りはじめてなおも春らしい日和、時間が少ない。

 町田康という作家の話を彼がゲストとして出たラジオをポッドキャストで聞いていて、なにか感覚的に身近に感じるものがあった。
 読んだことはないが、近いうちにその価値観の崩壊のパンクする文体を体験してみたいと思いつつ、まずは猫の話題の本からとも思いつつ。

 それにしても身近な猫たちをよく観察しての話だなあと感心する。
 つまりペットという単なる溺愛の位置づけとしてではなく、それといって人間という位置からの俯瞰的な動物への視線というのでもなく、どう言うべきか、同じ地上に生きる生物同士と言うか、生をこの地上で現在形で共にする深い縁を感じているのだろうかな、と思ったりすることを言う人だ。

 彼は野良猫と複数共に暮らすために、それに便利そうな土地へ引っ越して暮らしているという話を訊いたことがあるが、よくよく猫たちと暮らし観察していると、人間より猫の方が優れている生き物に思えるという話もしている。ラジオでは「魂は猫の方が上じゃないか」という言葉で表していたが、魂というのは存在という意味だと考えるべきだろうかと思う。

 ラジオでは司会者の大竹まことが、彼の家で飼っている猫が、「台所でアジを焼いているかメザシを焼いているか、遠くからわかるんだよね」と言っていたが、それに類する感のよさは多くの人がよく知っているだろう。本能の部分では人間が衰退しているものが彼らには必需品なのだ。

 近頃も野良猫への風当たりは強い。訊いてみると、だいたいその根幹には、自分の土地や周りを、うろつかれるのにさえ寛容になれない狭量な人間の心がそこにある。なんと公園内であれ、人間だけが居るべきだという感じの苦情を都庁にまでファックスする人がいるという。しかも自らの名を匿名で。
 それでなくとも、なんとなく人間は自分たちだけが地上に住むべきで、できるなら同じ趣向、価値観、イデオロギーなどを共にする人間だけが居ればよいなどと思っているのかと感じるようなことがある。
 が、実は、外部を排除して安定しているように思われる集団にしても、外側に敵が居なくなると内部で必ずのように不安定な動きが生まれるのが常だ。その場合は新たなターゲットが内部で分離されて、再び外へ弾かれてそれは外部となる。

 以前読んだものに、「外部の安定は実は内部の不安定を表している。内部が安定していると外部は不安定に見える」というような話があったが、ぼくはその意味が以前解らなくて考えていた。
 それは、内的に安定していればそれは「静」であり、そこから見える外側はめまぐるしい変化であるように見える。それに冷静に着いていくこともでき、明晰な幻想のない視線が伴うものだろう。逆に、内的に不安定であるなら内的にはそれは「動」であり、混乱でもあり、そこから外部に向けられるその人の視線は、無関心、あるいは鈍重な感性、不満な感情まじりの固定した客観であり、偏見や観念となり、それに彩られたアクションとなる。それはいわば皮肉にも「安定」であるようにその人は思うものだろう。
 ややこしいけれど、なにかわかりやすい例えはないものか(笑)。間違っていたらまた再見。

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<下記はツイッターに書いたものの採録>

 ポッドキャストでゲストの町田康の話を聞く。読んだことのないパンク作家だが友達になりたい。猫の話もあれだが、そこから透けて展開する価値観の曖昧さを意識、人と動物の関係へ人が思い込みがちな位置関係への疑義。物質界ではたゆまぬ努力の人間も、ただここに生きる充実の猫にはどうか。

 観察していればわかるけれど、持ち前の本能の部分では人間は衰退している。安心と危険等々、物事を察知する能力も全くかなわない。ほとんど予知的なアンテナを持っているし。ただ存在し居ることで成すこと、側に居れば治癒能力さえオーラに含む。

 考えてみれば,人間は自分に対してイメージを持っている。尊大か卑下かどうかどちらにしろ。それを同じく他者に向けるし。しかも実に変幻自在な身勝手なものだ。んなことより、それを高尚な能力なんて思っていたら災いだ。動物は無駄な悩みを持っていては生きていけない。
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# by past_light | 2010-04-15 20:37 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(6)
「山谷でホスピス始めました」 山本雅基著
 ある日のラジオ番組のゲストで、「山谷でホスピス始めました」の著者である山本雅基さんの話を聞いたのが読むきっかけだ。
 常識的にはちょっと驚いてしまうその経緯を聞いていて、なんとも言葉にならなかった。
 感心したとかなんていうのもどこか恥ずかしい。
 (ちなみに山田洋次監督の映画「おとうと」の題材のヒントとなった著作ということらしい)

  彼は、いわば無一文から、ほぼ借金のみで、山谷のドヤ街を住処とする人たちの老後に、安心や希望を提供したいというシンプルな動機で、「きぼうのいえ」というホスピスを始めた。
 それには運命的な奥さんとの出会いとか、一億以上の借金の保証人を無謀に引き受ける神父とか、
そういうサポートもなくてはできなかったことだが、結果不可能のようなことを可能にしてしまった。

  といって、山本さんは強靭な人かというとむしろ繊細で弱く、幾度も挫折や鬱や過労で倒れたりと、そういう流れを含みつつのことだ。
 それでも話を聞いていて、なんとも柔らかなところへと到達していく人柄への驚きもあった。
 著作を読んでいてその詳細がだいぶ理解された。

  入居した山谷の老人たちとの日々の出来事、その彼らの辿った人生の時間へと思いを馳せる著者。
 そこには何冊も本のできそうな人生の物語が確かに感じられ、ただただ黙して読者も読むしかない。しかし、当の彼らが饒舌に語る訳ではない。むしろ語らない過去だからこそ、対面する者が察し深く感じとるものだと思われる。

 そのホスピスの日々の想像を絶する大変さももちろんのことだけれど、ある意味では、いまのこの社会が失った日だまりの日々の日記でもある。
 すべてはそして、山本さんが著作の最後の方で言う、この言葉にすべて集約されている感じがした。

 「ほんの小さなつまづきで人生を棒に振ってしまうような罠が、この社会にはいくつも張り巡らされている。
そういうひとたちにこそ、人生の最後に生きる希望を取り戻し、悲しみを癒し、希望とともに次のステージ、すなわち死の世界に進んでいくための場所が必要なのだ」
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# by past_light | 2010-03-30 20:31 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)
つぶやきは時計の秒針
 ツイッターをしばらく使ってみて、ブログでのんびり書いている気分とは相当違うということが印象的。
 短い文字数でつぶやくのは、ある意味で簡単でもあるけれど、特に生活の細部を記録する趣味がないので、そうすると対してつぶやくこともなくなる。
 流れていく他の人の文字列を眺めていると、呆然と失語症のアンニュイともいうような気分にもなる。「失語症のアンニュイ」は昔ボクの版画に付けたタイトルですが、思い出すのですよこの言葉。

 ネットで同じように書くという行為としても、ブログとかまとめて書く日記とか、そういう意識とは全く別。これは全く別の意識を持って関わる方がいいんじゃないかと感じるもの。眺めていれば、むしろ忙しい人の方がつぎつぎと文字を打っている様子が目に浮かぶ。政治家の原口さんとか、フリージャーナリストの方とか、現場を移動しながら携帯だろうか、繋ぎっぱなしのようだ。彼らの行動は分刻み,そしてツイッターでは秒刻みだ。そのエネルギーにおそれいります。
 それは読者というかフォローする人の数の多さが相互作用のように影響していると思う。リアルな同時間の中で文字を打つ人間へとエネルギーを送っているような世界だろう。舞台の役者と観客の現場でのリアルな交換がつまり推進力、流れを促進する。
 ぼくはどうも今のところ、流れに乗っていない。猫と散歩しているようなリズムでは無用なメディアか(笑)。
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# by past_light | 2010-03-07 03:04 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)
野花を召しませ今年も一年
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# by past_light | 2010-02-10 16:47 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
Twitterで今日の午後流されたニュース
捜査妨害だ!」と激怒する検察は、報道内容に関して山口一臣「週刊朝日」編集長に出頭要請した模様。普通、抗議があれば出向くのが社会の常識。・・という有田さんの記事からフォーローしてみた。
(山口一臣という人はラジオのポッドキャストの大竹まことの番組で週一で馴染みの人だ。)

週刊朝日の知人にさっそく電話。どうやら、検察からきたのは、石川氏の女性秘書に対する記事への抗議。すでに書面で抗議文が届いているらしい。
(この記事とはlこの中にある)

「本日出頭を」と要請の東京地検。出張中の山口一臣「週刊朝日」編集長が「今日は無理」と答えると検事は絶句。自分の都合で世界が回ると思っている唯我独尊の非常識。(と有田さんは書いている。そして)
週刊朝日」編集長への東京地検からの出頭要請が誤報というのは誤報!要請をなかったことにしたい検察の圧力に歪められる報道。騙されてはいけない。(とつづき・・)

本社の圧力に対して、週刊朝日編集部トップは抵抗したが、本社側の強い圧力に押し切られた。編集部の平部員や、外部に対しては、出頭要請はなかった、抗議文だけだったということにして、山口編集長は、明日、出頭することになるという。
(岩上さんは朝日新聞社から週刊朝日に圧力があったと言っている。そして・・)

(その後・・)
2月12日号の週刊朝日の記事「子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」について、編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がツイッターで飛び交っておりますが、出頭要請はありません。週刊朝日編集部に確認したところ、東京地検からこの記事への抗議書が届いたとのことです。(とasahi_tokyoは発表した。)

さて、真偽のほどは。概要
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# by past_light | 2010-02-03 18:32 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
使ってみてマンボ
使ってみて、短い文章で済む「思いつき」は、これからはツイッターにしようかなと思いました。
大海に注ぐ川の流れのような感じですね。
フォローを追っていくと、あまりに広大な人間模様がどんどん目の前に広がるようで、ちょっとたじたじしてしまう。
ミクシーとちがって履歴が残らないのがある意味では潔い。
たくさんの人のわずかかもしれないが心の片鱗に触れるような、なにかアメーバ状の世界です。
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# by past_light | 2010-02-01 21:05 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(2)
Twitter
Twitterやってみたけど、携帯電話ないので、外ではせいぜいiPodタッチだなあ。もっぱら家からになりそうです。やっている人がいたらフォロー「させて」ください(笑)。そういえばフォローミーという映画もありましたけど・・(笑)。
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# by past_light | 2010-01-28 19:07 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(3)
「頭の大きな男のはなし」
先日紹介した「昔話へのご招待」は、夜寝しなに寝床で二回分ぐらいづつ聞いている。だからまだ楽しみが当分ありそうだ。
それで、昨日聞いた『遠野の語り手・鈴木サツ(語りを聞く)/わらべうた』の回、サツさんの絶妙な語りはすばらしい。それ自体が作品だ。しかしお話の内容は翻訳聞かないと解らないところも多い(笑)。
その「頭の大きな男の話」を聞いていて、これは落語にしたらいいなあ,と思った。もしかしたらすでになっているかもしれないが。
それで落語風に採録・・。
・・・・・・
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ご隠居、おめでとうございます。

おや,くまささん、早々おいでかい。ああ、おめでとう。
それにしてもどうしたい、またカカアと喧嘩でもしたのかい。

聞いてくださいよ、カカアのやろう亭主の俺に「正月だからって、いつまでもごろごろしてんじゃないよ、まったく頭はでかいだけで中身は空っぽかい。ちったあ金の成る知恵でも出したらどうだい」なんてぬかしましてね。正月だからゴロゴロできるってもんで、こちとら。

ははあ、またつまらない喧嘩だね。
それにしても晦日に床屋行ったばかりってえのに、またよく伸びる毛だね,お前さんの頭は。

なんかご隠居におもしれえはなしでも、って事でご挨拶かねがねってわけで。

おもしれえはなしかい。
じゃ、こんなのはどうかい。

へ。


昔,頭のえらく大きな男がいてね。

あっしのはなしですかい(笑)。

男の頭のでかさにどんな床屋も嫌がってね、剃っちゃくれないで困っていた。
で、まあなんとか剃ってくれる床屋が見つかって、まあ七晩かけて男の頭を剃ってやったそうだ。

へえ、またすごい頭ですなあ。

しかしな,剃り終えたのはいいが、頭のてっぺんの方を剃刀で切っちまったそうだ。
それでしょうがないってんで、男は柿の種を埋めて塞いでおいたそうだ。
暫くすると男の頭から柿の木が生えてきて、やがて立派に実を成らせた。
その柿はえらく美味でな、町のみんながもらいにきた。
そんなに美味いならってんで、男は殿様に差し上げに行ったら殿様もたいそう喜んで、男に褒美を持たせて帰らせた。
それをうわさで聞いた柿屋が「頭にできた柿で褒美をもらうなんてとんでもねえ奴だ」ってんで、男が寝ているうちに柿の木を切っちまった。

なんだ,金の成る木かと思いやしたが・・。

男の頭は切り株だけになったが、やがてそこからキノコが生えてきた。
またそのキノコの美味たるもので、みんなもらいにきた。それでまた殿様に差し上げたら、また喜ばれてな,褒美をたんともらったそうだ。

とんでもねえはなしと思いやしたが、なんだか羨ましくなっちゃいやすね。

だがな、今度はキノコ売りに「とんでもねえやつだ。頭にできたキノコで褒美をもらうなんて」ってことでな、男の頭の切り株が掘り起こされてしまってな、大きな穴が空いちゃったそうだ。

ありゃぁ、想像できない痛さですな〜。

それで,男は仕方ないってんで、水を入れて穴を池にしてね、鯉を飼ったそうだ。
その鯉がまた立派に育って、どんどん増えた。それでその鯉の美味なことが評判になり、みんなが御馳走になりにきたもんで、男はそんなに美味いならまた殿様に、ってんで差し上げたらまた殿様は喜んで褒美をくれた。

どこまでも運のいい男ですな。

だけど、それを訊いた鯉屋がまた腹をたててね。
「頭の池で飼った鯉で褒美をもらうなんてとんでもねぇ奴だ」ってんで、男の頭の池を土で埋めちまった。
しょうがねえから、男はその土で大根を育てたら、これが立派な大根になった。そりゃあゆうに十里にもなる大きさの大根だったそうだ。

十里ですかい。こりゃおでれえた。それじゃ食いきれねえや。

ところがね。男はその大根を「ごり、ごり」て食べちゃった。

なんでえ、駄洒落ですかい(笑)。
でもご隠居、大根の葉っぱのほうはどうなってんですかい、ええ。

こりゃあね、は・な・し・だよ。

おあとがよろしいようで。
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# by past_light | 2010-01-04 18:00 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(12)
年賀状について
特別擁護老人ホームに週に一度、三時間だけ夕食の食事介護のパートに行っている人が、今年は元旦にその日があって、そこであったというこんな話を訊いた。

いわゆる車いすでの生活や、認知症をわずらった老人たちばかりの施設。
認知症の一人の女性に一枚の年賀状が来た。手にすると彼女の表情がぱっと変わり、年賀状を胸に抱きしめていたそうだ。その女性は食事も普段あまり進まなかったが、その日はたくさん食べていたという。それでまわりがびっくりした。

ぼくは非常に義理堅くないので(笑)、このところあまり年賀状には熱心ではない。特にここ数年は無精がひどくなった。それでも何人かは毎年送ってくれる人がいるので、お返しの年賀状は必ず出させてもらっているのだが。そんな中には二十年以上会っていない人も多い。印刷されたご家族の写真を毎年見ていると、子供の成長などはいやいや時の経つすごさをひしひし、というぐあいだ。

で、年賀状はどうでもいい感じになっている自分がいたので、先きの話を訊いて内省してみた。それでそういう場合の年賀状の、ぼくも思い及ばなかった力を知らされた。
その年賀状を胸に抱きしめた女性を思うと、ぼくも年をもうすこしとったら(笑)、忘れそうな人に出してみようとなんとなく思っている。
忘れ去られた方がこちらの場合、出した年賀状はさて喜ばれるかどうかわからないのだが(笑)。
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# by past_light | 2010-01-03 20:35 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(10)