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ベルイマンの「叫びとささやき」から、いろいろ久しぶりに思って散漫に書いてみました
数十年ぶりベルイマンの「叫びとささやき」を観る。19世紀の医療限界もあり末期がんの痛みを演じる迫力は圧倒。 至福感は一瞬の中にしかない。という言葉にするとアホみたいな種に到達。生き物を苦しめ余裕噛ましてる偽善的な人生は、地獄へ至るというトーデンとケーザイカイへの警告的内容(笑)  (9/4ツイート)

 ツイッターの方では、原発の事故以来の関連情報の海外からも含め絶えない状態が未だに続きます。
 かたやTVなどではほとんど核心的な情報が流れないようになっています。
 地震と原発事故後半年、政界のニュースなどでは自民党時代から続いた国の姿がまるで繰り返す安心のように、かのマスコミもしがみ付きたいのかと思うように、なんとも緊急性のない薄められた現実に麻痺感漂う顔があります。
 内に賑やかな報道もお祭りのように過ぎて、首相もどじょう救いの竜ちゃんに変わりました。が、ともあれ辞め立てほやほやの菅さんが、自らの吐露する原発事故後の経緯記事や、TVでの暴露ハシナが出てきました。官邸にいた人も発言し始めましたが、役職の間はずいぶん言えないことが多いのだろうと思われます。
 が、それらはツイッターなどではかなり以前より流れて知ることのできた情報ですが、お茶の間で流れるマスコミに触れるだけでは、ほぼ初耳という人も多いだろうと思います。

 事故の直後、少なくとも「キレ菅」などと悪意的に揶揄されてしか伝われなかったような東電への総理の殴り込み、「撤退したら東電も東日本も終わる」と威嚇して来たのはかなり大事な役目だったわけです。
 東電は言わば自らおこした大事故に怯み退散しようとしていた。つまり後始末を政府に丸投げするつもりだったということ。運営し専門的な作業に従事し、責任当事者で当然最も原発の内部を知るはずの東電が逃げて放置したらどんなことになっていただろうか。

 そんなことすら充分に伝えないマスコミというのはなぜ・なんなんでしょう。日本の半分近くの大地から、むろん首都も含め、当分人の住む環境でなくなる事態が起こりえていた。
 事故直後、建屋の屋根の吹き飛んだ原子炉に、自衛隊のヘリのデモンストレーション的な空からの放水は、その効果は焼け石に水であることは承知の上でした。
 あれは諸外国、ことにアメリカに「本気」度を見せて収束への意志を見せるためだったことは、その後報道もされたが冷静に考えればうなずけることでした。
 つまり福島第一の原発事故とは、国土と国民にとって相当な危機だったわけですが、一部の記者などが発信し過激と排除されたその情報は、数ヶ月して後々になぞられるように発表される。パニックを怖がった、確かにその内容は事故直後と比較すれば衝撃が薄められる時期を狙ったものだと思えます。しかし遅くてはいけなかった情報も含められてしまい、不必要な被曝をしてしまった住民が居たのだから、冷静な対応をしていたと言えない国の姿があります。
 事故の状況は一進一退しながら、やがて土壌の汚染や食物への心配と拡大したか変化しながら、このところ話題も少なくなって来たようなマスコミですが、実のところ炉心溶融から地下へ落ち始めているのではないか、という心配は続いています。
 現実的には事故の状態の全貌は誰も見ていないということ、いや人が肉眼で確認できる場所では未だないわけです。

 その日突然断ち切られた日常から、はるかに違う場所にいる人たちもいる。
 しかし、そして免れたかのぼくらの日常は、からくもたしかに続いている。それがどうのといっても、ふたたび天変地異かなにかが足元で呻けば、それもまた途切れるだろうことは暗黙の覚悟。ならと、ことさら嘆いて暮らすのも精神には無理なのかもしれない。

「放射能が降っています。静かな夜です」 「明けない夜はない」 和合亮一 (福島の詩人のツイート)
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 ベルイマンの「叫びとささやき」から、いろいろ久しぶりに思って散漫に書いてみました。

 最初に観たのは20代前半。たぶん岩波ホールでの封切りだから懐かしいにもほどがあるのですが。当時、ヨーロッパ映画3本立てあたりの何かの伴映。ハイコントラストモノクロの心理戦、「ペルソナ」に出逢ってからベルイマンに心酔を始め、それからしばらくして観て、それも決定的になったきっかけの、当時新作の映画という記憶が「叫びとささやき」だ。

 この頃の岩波ホールとは、インドのサタジット・レイ、ブニュエル、ベルイマン・・と、今ではミニシアターというメディアで上映されるしかない、海外の映画との出会いの機会を日本ではまっさきに提供した。少数派の観客に向けた映画の唯一の封切りの場所ということだったような感じ。

 そしてベルイマンも集中して上映された時期があった。
 とうてい大劇場には不釣り合いな、小さな教会で観るにすらふさわしいかの、例によって牧師が信仰の内省的な苦難を曝す「冬の光」とか。神という位置と人間の地上における地団駄。
 当時それは日本人若輩者の、正直言えば掴みどころのない内容の、北欧のキリスト教的背景の精神の葛藤。ロマンとか恋愛とか、若者の青春のテーマからすると、距離があきらかに感じられた。
 しかし人間の精神の空間に複雑にもつれて、一筋縄で答えを括れず、墜ちた地球のエデンに放置されたアダムとイブの苦悩には、ただ呆気にとられもすれ不思議に圧倒もされるものだった。
 それはやはりある程度今でも、テーマに内在するものにはぼくは距離を持つ者ではある。しかし人の「自我」の姿の裏も表も、厳密に照らし出そうとすれば、夏目漱石が唸りそうな人物たちにある種の親近感を禁じ得ない愛おしさがあるのも変わらない。
 突詰めれば、人が自我の牢獄を自覚しながらに、自由になることなど叶わずに捕われたまま、その狭い空間の矛盾の中で右往左往した人間を演じることの辛さを、濃密に人格にしたとすれば彼や彼女の叫びとささやきになる。

 ベルイマンとは徹底して同じテーマで動いていた人だと思う。
 「処女の泉」などでは無垢で清廉な少女が苦難と不条理に殺される。当時はかなりショッキングな内容と描き方だが、それが神話的に高められる。神の存在、不在の答えも、人間の悪事や良心の中でしか描くことのできない宿命から、飛躍するように奇跡という手法が映画の力で持ちこまれる。そのことでかろうじて救いが完結するが、映画には不思議な感情がのこる。

「叫びとささやき」はベルイマンにしては後期の入り口なんだろうか。
 僕の十代後半からしばらくというものは、「男と女」のルルーシュなんかのブームもあり、フランス映画なども年に何本も上映されていたし、イタリア、イギリス、つまり商業的興行にしてもヨーロッパ映画もかなりの数を持っていたと思う。
 やがてアメリカ映画が日本を席巻してしまう時期が来るが、そんなころやっと上映されたものは「ファニーとアレクサンデル」あたりか。

 話をもどして。「叫びとささやき」を改めて以前録画していたビデオではあるが見直していると、当時より怖さが増して感じられた。それは「死」に対しての内的な距離というようなものが接近した年齢のせいもあるのかなと思いつつだったが。

 三人姉妹の埋めがたく取り繕う精神の距離、真実の冷え冷えした関係。メイドであるアンナの無垢と無防備の母性が、唯一体温を感じさせる人物像で、地上での神聖を体現する。死のベッドから呼ばれる残った姉妹とアンナのプロット、「これは夢よ」「あなたには夢でも私には意味があるの」これは超現実的手法を上質に用いるベルイマンの素晴らしい表現であり、またそれゆえいかなるホラーより怖いものになっている。

 自我の牢獄に隔離され、イノセントの出口のない人間。内に外に誤魔化し、我が儘に愛を求め、また求められ拒否する、他者との関係の絶望的な様相。さらけ出されて直視せざるを得ない醜悪さに満ちた芝居の日々のなんと地獄なんだか。
 ここに登場する人物の描かれ方の、底意地の悪さと言えばまた愚直すぎる表現にしかならないが、ベルイマン自身の精神とは、どうにも強靭なのか。夏目漱石の病理をはるかに凌駕して映画に登場する人物は底なしに苦悩しているように思われる。

 「金持ちが天国へいくのは、らくだが針の穴を通るより難しい」という言葉があるが、言わば知に長けていようと、利己的、自己中心的な精神とは、それそのものが自らの牢獄なのだが、人はその場にただ縛られることを選び螺旋に繋がれた犬のように動くだけだ。
 アンナに象徴される母性の、すべてを受容する無垢な精神だけが本当には神の方にあり、観念の神には不在であることをベルイマンは表現しているように思える。

 実はベルイマンとは難解とは言えないシンプルなことを表現し続けたと思われます。
 それはこの「叫びとささやき」では、映画の終わりに誰でもわかるように伝えられている。死んだ次女の日記の中に書かれた、病状の良い清々しい午後、姉妹たちが見舞いに訪れて、久しぶりみんなで庭園を散歩する記述にあります。

「愛する人たちがここにいる。このとき私は、この一瞬に幸せはあるのだと悟った。私は人生に感謝した」
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# by past_light | 2011-09-07 17:51 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(6)
「父と暮らせば」 黒木和雄監督
井上ひさしという人の力も、この原作・戯曲のすごさも、あらためて知らされたような気がする。
それが背景にあり生まれたとしても、やはり映画としても素晴らしい作品。
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この映画を観ていても、舞台劇としてもきっと素晴らしいものだろうと確信される。
親子二人の広島弁による対話が美しく、しかも深いやりとりばかりで、胸が熱く詰まる。
静謐な背景,場面、静かに映される映像が控えめだからこそ、主題が深く内省的に我々に届く気がする。

黒木監督は映画化を井上さんにお願いするにあたり、映画になれば、「世界に観てもらえる」と快諾を得たそうだ。
それはできあがったこの映画を観て納得されたことだろうと思う。

ぼくとしては、今、現在として、観ていて思わないでいられなかったのだが、原爆と原発を同列に話すと笑う人々がいると思う。が、あえて置き換えても自然と思われるのではないかと感じた。
生物として、人として,命ということを考えれば、むしろつながりを感じての反応は正常ではないかと。

それを、恐ろしさを、肚に真に感じた者、経験したその後の人間の誠実な精神の反応は、この親子ときっと同じだと思う。過去の話ではなく、我々自身に常に問いかけられている命の核心に触れるものだ。

素晴らしい脚本を得た配役としての、宮沢りえも、故・原田芳雄も、代表作になるしかないと身震いの出る濃密な時間だった。
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# by past_light | 2011-08-29 03:15 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(2)
続 脱原発な抜粋
「デンマークのメディアはいま、この期に及んで原発頼みのエネルギー政策を変えようとしない日本政府の対応を、驚きを持って伝えています」

「アメリカでは地震は原子力発電所にとって一番恐ろしい外的要因と考えられている。地震の場合はいろんなところがやられるので、多重防護システムが働かなくなるなどで、最悪の場合、炉心溶融とかにつながりかねない」

無保険運行の原子力発電(飯田)。事故後の膨大な払いきれない保障金は、結果国民の税金が使われざるをえない。考えれば誰が考えても不条理なシステムなのに、安い安いと言っているのが思考停止という他ないのに、賢いと思われているお上。

ラジオでブルト君やポスターコンクールやわくわく原発ランドの話をしていたよ〜。金融商品でも「リスク面」も合わせて説明するのが常識なのに、これでは子供への「洗脳」という印象も拭えないって。

「海外の目はもっとシビアである。この難局を乗り越え地震列島にもっと原発を作ろうという国に、「がんばれニッポン」と応援する国はめっきり減っている」「原発事故が地域社会を根こそぎにし、原発と人間の間には共通するスケールがないことを明らかにした」http://bit.ly/jTdJqF

だから住民にはやめさせる権利がある「これだけの数の原発があり、福島原発のような事件が起こっているにもかかわらず、原発事故が起こっても、電力会社も自治体も住民を救うことができないというシステムなのです。http://bit.ly/iKXyZd

http://t.co/SIivOjD原発が落とすカネで、過疎地だった町はしばらくの間、賑わったように見えた。だが、--夢の町になるはずだった双葉町は、'08年度には原発のある町で全国唯一、財政の早期健全化団体に転落している。

「地域の皆様のご理解を得て・・」と頭を下げて造られた原発も、ともなう利権とも関係なく、わずかに離れた周辺地域の現実や、かなり離れたホットスポット汚染など持ち出さなくとも、広がる汚染の様子を見れば、地域の皆様は一部の人じゃないのが痛切に判るはずだ。

安心してつくったり食べたり飲んだり歩いたり走ったり転んだり、生活の隅々に影響。その汚染は動植物にも知らされることもない。原発の事故はどう考えても結果的に生物と生活者への具体的なテロ行為に等しい。

これほどの大事故が起こった以上、心が震えない人はおかしい。・・保守の論客たちは心を閉ざしている。何かに怯えて見て見ない振りをしている。原発事故の大きな悲劇と不安に対し、人間としての素直で自然な感情で対応しようとしていない。http://bit.ly/mTE3wg

都民の動揺を抑えるため水から放射性物質が検出されても1kgあたり20ベクレル以下の場合は不検出と報告するように指示があった http://bit.ly/iRIUmL

「避難するという現実」前を歩く女性は猫と餌皿だけしか所持していない。 http://p.twipple.jp/yhuZG

国民の健康被害より風評被害を重視しているのは--その理由は簡単だ--放射能の健康被害が起きるのは数年、ひょっとしたら数十年先だが、風評被害による一次産業への補償は、目の前の問題だからである。政府は補償で払うカネをできるだけ少なくしたいのだ。http://bit.ly/mUwEw8

原子力は人類を幸せにしない。-生物は地球上の放射線が無くなってから発生したので放射線を検出する器官が不要だったから進化の過程でこれを持たなかった。--原発がこの事実を無視し生物発生前の地球の状態をつくりだすことは全ての生物にとり大変不幸- http://bit.ly/h1PWKV

ものすごく辛くて悲しい経験をして、今までのままではダメだと、賢い先輩(独・・)を見てやはり改心しなくては!となったけど、古いつきあいの争い好きの 友だちたち(米・仏・・)が「昔のようにまたやろうぜ」と肩を叩いて来たので、ふらふらと昔の不良に戻りそうになった図。

「東電は、雨水が流れ込んだと見ている」-こういう記事見るたびに思うが、東電はごく普通の奥さんが持っている「雨降りそうだから洗濯もの取込んでおこう」みたいな想像力の欠落から始まっている感じがする。

教科書検定で、原発のページに国策としてのかなり作為的な検閲がされている。聞いていても推進を前提にしている。原発事故の当たり前の危険性に関しての記 述がかなりトーンダウン。チェルノブイリ事故の事実さえ欄外の脚注へ追いやられるなど。庶民の責任もお上が教育で洗脳していては問えない。

私たち原発を批判する研究者は「せめて事故のリスクを分散させるために、原発の集中立地はやめよ。原子炉の出力にも制限を設けよ」と言い続けたのですが、黙殺されました。村の閉鎖性が福島第一原発の事故を悪化させた一因だったことは否めません。
東京電力から一時研修に来ていた人は、去り際に「安斎さんが原発で何をやろうとしているか、偵察する係でした」と告白しました。) http://dreammakerk.blog92.fc2.com/blog-entry-2055.html

http://r10.to/hBrWM8 #r_blog 福島とか郡山を避難区域にしたら、新幹線を止めなくちゃなんねえ、高速を止めなくちゃなんねえって、要するに経済が回らなくなるから避難させねえってことだべ。つまり俺たちは経済活動の犠牲になって見殺しにされているってことべした。
日本は原発依存文化 米紙 - 福島第1原発事故で原発の安全性に深刻な懸念が生じた後も、草の根の大規模な反対運動が起きないのは、政府や電気事業者から支出される補助金に依存する地域構造があると指摘する長文の記事を掲載

ブルターニュは仏蘭西でもケルトの色濃い森と石の家。ホント小人や妖精が今でも出そうだなあ、とうっとり全体緑の映像を観ていても、原発はどこにあるだろ うとか、アレバの汚染水が常に気持ちの中によぎってしまい、軽い吐き気がするからな。どこの国も観光的にイメージダウンするエネルギー源だと思う

国策」という後ろ盾があったから、お金の使い方も人の脅し方も思想操作も都合の悪い情報の隠蔽も・・と、なんだってできて来たという事実は白昼にさらされている。自民党支配の時代からのことだから原発の推進を取り下げるのは自らを否定することになるわけであるか。でも自らを否定して総括しろ。

メルトスルーではモグラも甚大な被害を受け始めただろう。
ヤマメにとって、最近の日本人ほど迷惑な存在はいません。乱開発によって住処となる清流を奪い取り、最後は核分裂生成物です。

放射能下水汚泥、行き場なし 業者引き取らず、保管限界 http://t.asahi.com/2r6e 受け取れって方もおかしい。雨で流れて隅々まで汚染物質は行き渡るんだよね。原発事故の隅々までの事実を軽くみてるから、経済のためにはまだ造りたいなんて馬鹿が居る。現在損失は見てない。

効率,経済性、というのはたいへん善良な未来を目指した響きで、疑念を呈するもの少なく、マスコミもこぞって肯定的に使っていたな。エコノミックアニマル と揶揄された日本人だったが、現在の大人たちがその老後でありその子孫であることを証明しているだけの日本の様相であります。

「島の漁師たちが、中国電力に小旅行といって伊方原発に連れて行かれ、原発の経済効果と安全性を説明されたんじゃけど。地元の漁師に聞いてみるとカネをもらったはいいけど、海の温度や海流が変わったからか、それまでみたいな漁ができんくて困っちょると-」http://bit.ly/jWiRUG

国会中継が聴こえて来たが、立ち腐れニッポンとか老害等なのか?「脱原発とか流行ってるが・・とか、自然エネルギーとか言っているからだめだとか・・、とにかく菅総理には早くお辞め頂ただければなんでもうまくいく・・」?

小出裕章さんが素晴らしいのは、デモに出かけて来ている人たちを「それぞれ自立して自分の気持ちから来ている。それぞれの個性を持って・・」と感じ取れる感性の柔軟さ若さだ。これが硬直した学者や政治家に欠けている最も大事な感性だ。http://bit.ly/jc7IyE

トリッティン元ドイツ環境相は、・・ドイツのような脱原発を選択すれば電気料金が上がるという批判に対し「原子炉解体と放射性廃棄物処分という二つの問題がまだ解決していない」と指摘、結局は原子力の方が自然エネルギーよりコスト高になると訴えた。・・原子力は地球温暖化を防止するという主張についても「世界の原発の4分の1が集まっている米国の1人当たりの二酸化炭素排出量は、日本の2倍だ」と反論。原子力は「むしろエネルギーを無駄に消費する構造を助長する」と切り捨てた。http://bit.ly/lCkUmw

「避難するにしても地獄。留まるにしても地獄」という現実に居る人から見れば、原発止めたらビジネスなんたらと言っている意識のレベルとは、好きなおもちゃで遊んでいるようにしか見えないかもしれないね。

「15%節電はNHKはじめメディアが大宣伝合戦」、そういえば昨夜の「Bizスポ」で飯田香織というあんまり好きくない顔と口調の女性が、連日 のように「早くしないと電気が使えません」的コメントをさせられていたが、どこかおどおどとしつっかえる口調だったことが忘れられない。

静岡茶が仏蘭西まで行ってチェックされ、結果としお茶全体のみならず国の信用を失うという構図は、そのまま現在進行中大事故原発の現状に危機感を持たない ままに、目先の景気のために急かすように動かしたがる体質にまま当てはまってることは、安心して自然の中で遊べない小学生でも理解できるだろう。

ぷると君とかもんじゅ君とかふくいち君とか、なんやいそれ不謹慎と思うのは浅いぞ。子供たちが津波ごっことかして自己治癒、恐怖を解消している、懸命な心理的な作業と同じことを、大人の我々もしてるのさ。ぼくちゃんよくやること。

事故後我々は放射能の被害に敏感になったが、元より原子力発電所は大気中に高いレベルの核放射能を放出し汚染している。汚染は人間の免疫システムを崩壊さ せ、免疫があれば防ぐことのできた多くの種類の病気に罹るようになる。エーテルレベルの放射能汚染は現科学は気づいていない

かれこれ長い間、文学と政治とに引き裂かれた人格は、ついに単なる保守頑固爺さんになったことを堂々と語りはじめた。この人は芸術,文化には奇妙な甘さを持っているが,そういえばナチスの首脳も芸術にはセンチな涙を禁じ得ない人種だった。石原都知事。

「「原発が苦しみの源に」バルガス・リョサ氏」:イザ! http://t.co/UR6HEsK「用心したとしても、原発を恐ろしい苦しみの源に変えてしまう自然界の出来事が起こり得ることを示した」と述べた。-もうきっと離れていても正常な人の本音

先日のバットマンでゴッサムシティのクリストファー・ウォーケン演じる実業家が「新しい原発を造る」と言うと市長は「電力は足りてる」と言う。実業家は 「まだこれからどんどん使う街になる」と。儲けた金は息子に残すためだ。絵に描いたような話でしょう。あまりにも現実的だけど。

まだ、「安全なら」使ってもいいと原発を思える人は、福島で起き,起きつづけていることが肚に落ちていないということだろう。つまり生物として鈍すぎる。

原発推進派の皆さんへお願いの便りが届きました。http://bit.ly/jnL6Tv いつもの故郷の風景に一瞬「大丈夫なんじゃないか?」と錯覚しましたが、しかしバスを降りる時測った空間線量が「0.9マイクロシーベルト」と言われた時、一気に現実に引き戻されました。

原発も 原爆も 絶えて物言う人もなく

扇風機 これさえなかった ハイティーンの夏

「もったいない」は節約の美しい日本の概念だったが、原発炉心格納器の寿命まで延ばしてしまうのは醜い欲とのバランスだった。

http://bit.ly/jORlxgしかし、最悪の事態とは次のようなものも言うのではなかろうか。それは、父祖たちが何代にもわたって暮らしつづけ、自分もまた生まれてこのかたなじんでみた風土、習慣、共同体、家、所有する土地、所有するあらゆるものを、村ぐるみ、町ぐるみで置き去りに-

TVドラマの「おひさま」を週ごとまとめて観てて、最近の戦時の生活の話に、異様に内的現実感が胸に迫る、どうも原発事故以前だとありえない感覚。米の イラク戦争のころ「チャップリンの独裁者」を観ていて感じたリアリティを思い出す。今は多くの想像力ある人が内的緊張感の中にいるだろうと思う。

エアコンなんてないころの子供のころの夏休み、じりじり照りつける太陽が肌に焼け付くように暑くても、日記に書ける日々の、跳び込む海や山林や、かき氷の 山、それがどんなに楽しかったかと、教えたくても場としての安心な自然がないという、ゾッとする現実に目が醒めないか推進派オヤジ。

「福島原発を襲ったような自然災害に耐えられるかどうかを確かめるため、リスク評価を実施すべき」って、あの規模の災害に耐えられるかと案ずるより、造らない選択が無い方がはるかに愚かに思える。

ビワ栽培で“原発経済”を拒否 http://t.co/aRED1Xs  --ある推進派の町民が口にした言葉が、山戸さんの耳にこびりついている。「命が惜しくてカネがもらえるかね!」
先の推進派町民の「命が惜しくてカネがもらえるかね!」というのはいかにも原発の位置というものの象徴である。アホーが講演で「原発ないと電気代10倍ですよ〜」と脅していたらしい。経済至上主義の男たちは「子供の命が惜しくて経済成長できるかね」と正直に言うべき。

http://t.co/Q8T8EvQ 「東電は一言で言うと『役所』。縦割りとマニュアルがものすごい。社内にも原発を重荷に感じている人はいるのに、身動きできない」

ともあれ,民営なのに奇妙に権力的な電力会社や政府の組織的な工作が通用しているかの日本国内だが、彼らが肝心な名誉挽回を必要とする海外では国民を騙し に騙して繕っている国という印象を強くするだけなら、あんたがたの大好きで恐怖症のグローバル経済に、はてどんな意味があるのか訊きたいな。

またしても。本日のバットマンで、水道管から恐怖ガス撒かれて煙が立ち上るゴッサムシティに、見えない煙の想像が重なるし、やるせない。バットマン映画としては騒々しくなくシリアスタッチの演出がクールであった。

おせんと共に生きて行く無法末

「国が責任をとります」という正体は福島の事故後の今を観ればわかる。事故の重大さを誤魔化し続け、安全を吹聴し直ちには死なないからと納め、長期の影響 はうやむやにしておく。使うお金は税金だから実体腹は痛まない。安全だから来日してくれと無責任に宣伝する。御体裁維持のごり押し。

【発狂】関西電力が断言「テポドンが着弾しても原発は壊れない」 http://t.co/ct0YkX0 フクシマの事後の実感もなく、以後もなにも変われない壊れた頭、売ってしまった魂かな、

近年は経済人が偉そう過ぎ。一番生物的感覚的に鈍いのに世界のトップランナー気取りでいる。金と引き換えにどれだ け毒流しているか。効率全肯定するなら中国を誰が非難できる。大島渚がむかし朝生で政治家相手に「政治で世の中動いていると思ったら大間違い」と怒鳴った が、経済で地球は動いてない。

公園に毎年立て掛けられる七夕の竹。いつものように誰彼が願い事書いてつるしてある。ふと最初に目に飛込んだのが「げんぱつがなくなりますように」

経済栄えて山河なし子の健康なしという視点はない RT @YoshitoHori: --今止めたら電力不足、コスト増で経済への影響は甚大です。原発で安い電力の韓国等にデータセンターを含め、雇用とともに流出するでしょう。RT @masason

飯田哲也さん 原発事故と原子力ムラの関係をどう見る? - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/YIx7mGO 原子力ムラでは不都合な言葉をよく言い換えます。「これは一生の仕事ではない」と感じました。

1億1000万人の国民がそれぞれ所を得て生活できる環境があってこそ福祉社会の建設ができる。だが最近の大商社、大企業は本来、中小企業が担っているラーメン屋もやれば、酒屋も魚屋も手掛けるようになった。何でも資本力にものをいわせてやる。http://bit.ly/lYA2Tv

香山リカはいつも表面から数センチを引っ掻いてる。ユング派のマリア・F・フランツの「ある人が自らの内に適応す べきものをもっているなら、あらゆる方法で助け、しかし適応すべきでないことが真の彼の課題であるとしたら、適応しないように援助すべきである」という深 い洞察がないと感じる。それから小出さんに対しても不正確で浅い世俗的な視線だけで失礼。出世に関心はなく、罠を避けられた。彼はずっと誰に命令もせずされず、研究できたそのポジションには納得し、むしろそれをありがたいとさえ感じていたと話していた。

福島の「放射能汚染」を調べ続ける科学者・木村真三氏が本誌に登場「この驚くべき調査結果を見よ!」 http://t.co/s7aUT46木村氏は言う。 「本当に辛い。こういう仕事は本来、行政がやるべきことなんですが、行政がそれをしようとしない。だから僕がやるしかない。

http://t.co/XX8R1qE チェルノブイリ原発事故(86年)を「ソ連の失敗」と見下していた日本が、福島原発事故(2011年)で「経済技術大国」の天狗の鼻をへし折られた。2つの逸話はよく似ていると思う。

「私たち4人の兄妹は、母の遺志を引き継ごうと誓ったんです。10億円の買収を持ちかけていた電源開発は、遺産相続を巡って私たちが対立すると期待していたみたいですが、当てが外れましたね」 http://t.co/tsw6IPL

2011年4月7日仙台--地平線に目が眩む光。光は火星からの宇宙船による地震エネルギーを打ち消すという結果だった--この動作は1300万人口の東京都市の地震からの壊滅的な効果を防いだ--技術は途上だが結果は将来の非常時に有望 http://bit.ly/r3uufm

2011年5月8日:琉球朝日放送(QAB)。隠された原発被曝労働者の実態を40年間追い続けてきた樋口健二さんが沖縄を訪れた。沖縄に原子力発電所はないが、原発ジプ­シーとして労働力で原発を支えてきた歴史がある。http://bit.ly/m0dBqr

「核燃料サイクルは破綻している」 http://t.co/IEosoco 検針票に表示されないコストの1つ、六ヶ所村で日本原燃の共同出資会社が続けている「核燃料サイクル」のための費用が。「1世帯当たり月額200円程度を電気料金から回収している」太陽光の負担よりよっぽど高い。

やらせメールなど慣習化されていた組織的な圧力には作戦は当たり前では?どうしてストレステスト自体・事故の現実を考慮しない? RT @namatahara: ストレステストを言うことで支持率が上がると思って-- RT @wanDerrrrr: 恥でも何でも今は原発再稼働させない人を
@namatahara 「まるで読み違えてますね。玄海原発再開は経産省(とそのウラにいる電力会社)の独断。毒リンゴを食べた海江田さんが官僚ペーパーを棒読み、古川知事のサル芝居。官邸サイドはぎりぎりまで閣内不一致を避けようとしたが http://bit.ly/qYaUo0

http://t.co/LQl17zo 東海村の村上村長がこう言いました。「福島事故で世界は変わった。私達も考え方を変えなくてはいけない。原発との今後の共存共栄は難しい」

@nhk_genpatsu 経済重視の老人が原発維持勇気をと言う。むしろ脱原発を思い立った人たちの方に「覚悟」あり。生活者が事故の影響に生活を蝕まれている現実の惨状も痛切な思いにも、想像力を寄せることのない経済原理主義的な焦燥による浅薄な思考の方が、後世へ覚悟のない我がままだ。

http://bit.ly/pS6qWt体内の「内部被曝」の怖いことがよく分かった。国も同じで、内側がやられたらもう手に負えない。「勇気」を発揮しようにも発揮できなくなる。勇気や精神力を持ち出すケースでないことは、あまりにも明らかだろう。外敵と戦うのとは違うのである。
http://bit.ly/pS6qWt子を持つ母親の恐怖は深い。女性の参政権の強いこの国では今後、原発賛成では選挙に勝てないだろう。自治体は財政をかかえるから、すぐに反対はいえないだろうが、一般住民の意識ではすでに原発反対が圧倒的多数を占めている。日本国民は賢明で常識を具えて
 http://bit.ly/pyJMGV --脱原発論の決定版と言っていい。なぜなら私は、保守の多くの方と同じように、積極的ではないにしろ心情的に原発推進論者だったと言っていい、しかし西尾氏のこの論文を読んで日本は脱原発に向かって歩みを始めなければないことを悟ったからです。
「保守・右翼の脱原発宣言」鈴木邦男‐マガジン9 #maga9 http://t.co/liLdrMs 昔は僕らも同じだったな、と思った。左翼の言ってることに反対していればいい、と思っていた。

しかし実際に世界のエネルギーが減少し、またはエネルギー価格が高騰すれば、いずれにしても日本国民が高エネルギーに支えられた今の快適な生活を維持することはできなくなる。それを頭にいれて、われわれはこれからの生き方を考えていかなければいけない。 http://bit.ly/pz5MyI

脱原発宣言の経営者 「経営者が脱原発を言えない理由はお金」 #ldnews http://t.co/HYy1o3z 空調や照明を中心に節電に取り組んだところ、本店の電力消費量は前年比3割減となりました。

今夜の報道ステーション、平沼元経産という立ち枯れが、日本は工業国だから豊富な電力に見合うエネルギーが必要と。地下原発で守りの壁を増やして・・と老災的妄想を絶壁頭から吐く。古館は「自然の話しにいきましょうか」と京都の町家を吹き抜ける夏の風で対抗。か(笑)

中村隆市ブログ「風の便り」- 「原発を導入し推進した政治家は責任を取らない」 http://t.co/D8RXKxp 原子力の平和利用ということで物とかお金とかに慣らされ、それで生活しないと幸せじゃない、という感覚が染みついた気がするんです。

推進に固執する学者に共通すると感じるのは、学者特有の自己の観念に埋没したフランケンシュタイン博士に象徴され ている。「なんとしても絶対的に安全な原発を造れるはずだ」という妄執。放っておけばアトミックミサイルに股がる博士の異常な愛情まで至る狂気に最後は付合うことになってしまう。

友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ http://bit.ly/fwham2 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々と共にあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、--

ラジオで言っているが、アメリカでも常識的な、現実的な原発事故の避難訓練の必要が最初から前提となっていれば、誘致する地域ももう少し慎重だったかもしれない。

誰も孤島ではなく 誰もそれ自身だけではなく (中略) なぜなら自らも人類の一部ゆえに問う無かれ 誰がために弔いの鐘は鳴るのかと それが鳴るのはあなたのため

経団連会長という肩書きの妖怪はとにかく金のことしか頭にない。先日は記者会見で、机ぱんぱん叩いて「怒ってい る」と書かせたつもりだが、あういう行為は追い詰められた焦りだし、自らのごり押しが無意識的には分かっているから出てしまう子供騙しなのだ。ホントは自分が一番怖がっている様。
しかしよくまあ汚染についてはなんにもコメントしないで、原発の電気が不足したらの経済の心配ばかりしていられると思う。孫とか居る歳だろうにあの妖怪。

小澤征爾氏  「原子力を使わないでも生活できる国になること」を挙げて「それが日本の力を示す一番のチャンス。若い世代がどうやってそのことを分かるかが、これから数カ月の問題だと思う」

この災害や事故自体を「なかったことにしたい」とか「現実のできごとと思わないことにしたい」とか、自分の心と今の状況との間にシールドを設けてしまう人が出てくる。これが、「解離」と呼ばれる心の防衛メカニズムだ。http://nkbp.jp/puQOoF 香山さん、カテゴリー的わかりすぎ

今日の報道ステーションは与謝野の顔。予想した言語から一歩も進化していなかった。「貧しくなりたくない」「次の 世代に豊かさを引き継いで」が原発を愛する理由だ。が、幻想の中から出たくないという老人の妄想である脳の中、悲しいほどの老醜を曝す。その語る豊かささ え古く貧しい理解のまま。
百歩譲って理解して、与謝野の「貧しくなりたくない」は戦中戦後子供時代の強迫観念だろうかもしれない。しかし、 すでに生活困窮、貧しい人はたくさんいるし、経済的に豊かな人でも精神貧しい日本になっているし。原発は貧しさの象徴だと感じている人が多くなっているこ とに気づいていない与謝野哀れ。

スーパーホットスポットを次々発見放射能汚染に新事実、この数値を見よ! http://t.co/Emr20Wy 孫たちのために祈れ。原発を愛する気持ちに変わらない老いを捧げる与謝野と経団連など老体組よ。
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# by past_light | 2011-07-14 20:54 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(11)
Daily News
ぼくが読んでるツイッターを元に収集される日々のニュース一覧の新聞
こちらは日々のツイートのアーカイブ-Twilog
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# by past_light | 2011-05-22 16:24 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
春眠落ち着きを覚えず〜つぶやき経過
大規模停電は避けられた。夜街を歩くと照明がそれでも明るすぎるほどだと感じる。半分の明るさでいい感じだし、自動販売機は多すぎ。大型店以外は看板はまだ消されていないものが多い。それらを厳しく見て行けば多少の暖を取るために使えそうな電気はあると感じる。猫が行方不明でトリプルで辛い。

スティルス型無人遠隔操作ロボット・スーパージェット放水機なんてどうして造らなかったのかと思う。

SF的で申し訳ないが、こんな説をぼくは訊いている。広島や長崎が何十年も草木も生えないと言われたがそうではなかった。しかしそれらは他の惑星からの飛来物が放射能をできる限り中和してサポートしているから。地球の存在は宇宙レベルのバランスに関係してる。宇宙人にインボケーション。
先日、未確認飛行・・のサポートの話をしましたが、1分30秒あたりからの映像を観てください。自分でも驚いてます。http://www.youtube.com/watch?v=EtkydnZ5xsY&feature=player_embedded
三号機は、圧力が高まって重大な決定が報道され、間があって、圧力が安定し当面大丈夫と報道された。安堵と共に不思議な印象を持った。カギはそれです。
サポートされたのは、その結果による汚染レベルにそれほど危機が高まっていたからだと思う。これ迄も今のままの社会システムを保守したいから何時までも隠されて来たことだろう。ーもう変人とされてもしょうないなー
ビデオ観る前の数日前書いた話、アダムスキーとか多少読んだ経験のある人には驚くことではないでしょう。
何故、全面的にサポートしてくれないのか、その理由もきっとあるでしょう。しかしチェルノブイリにしてもその後にしても、彼らの隠れたサポートがなかったらとっくに地球は汚染で住めなくなっているのではないかという説もある。

ぼくが原発に本能的にアレルギーなのはこのページにある経験からかもしれない。実はいまだ猫が行方不明なのでよけいです。http://past.exblog.jp/4090369

テレビとか観ていたら、「希望」という言葉がいろんな人の口からよく出て来る。子供たちの顔や行動を見て救われている大人が多い。きっとそこに取り戻すべき大事なものがあるのだ。

復興という言葉でなんら改心しないまたゾロ同じ世界を望む人が居る感じだな。いやなら日本を出て行け、山奥へ行け、30年前の世界に戻れ、と常套的な傲慢な文句しか思い浮かばないらしい。まあ少なくとも30年前の消費電力の生活は悪くなかったんだぜ。復興というには精神の方も忘れちゃならない。

安全という神話というより、安全という妄想に憑かれた顔。フランケンシュタイン博士は怪物を造り出し、完全にコントロールできると思っていたが、その怪物は博士を踏みつぶし超えて街へ出たのだった。

ずいぶん前だが、ある作家さんが日記で、当時原発のCMの依頼があり、かなり高額なギャラで、生活上からも喉から手が出るほどのお金だったが、泣く泣く断ったということを書いていた。いろいろ出演者等々の顔を浮かべながら、よかったと思う。

最近、古い風景・自然を見ていると切なくなる。天災によってもだが、さらに人為的な装置で自然に大変なことをしていることに恐ろしく、感性も鈍くなっている人間の精神。

「放射能が目に見えないから暮らしていけるだけ」自宅に戻った農家夫婦の会話(毎日サイトのニュースから)

揺れると日本地図が頭上に浮かぶ。東は踏んだり蹴ったり。

タオの話に雨乞い師。日照り飢饉に苦しんでいた村が雨乞い師を招いたが小屋に入ったまま何日も出てこなかった。しかしやがて村に雨が落ちて来て喜ぶ。師に何をしていたか尋ねると「村に秩序がなくなっていたから小屋で静かにしていて鎮めた」自然は浄化作用として人間の活動に優しくも凶暴にも反応。

つつましく、我欲抑えて。パチンコや自販機で原発一基分だ!と吠えつつも、一方で原発ないと経済成り立たないと言う事故矛盾。威張り虫しんちゃん。

トーデンとセーフの人、もしテラちゃんレベルのわりに人生きてるなあと思ったら、あなた方のおかげではなく、それはスペースブラザーズが中和作業をせっせとかげでやってくれたからだと白状しなくてはなりません。夢みたいだけど悪夢よりいいよ。

桜もだいぶ散り始めて来た。マスクをしてる人、高齢が多い(^^;。子供と若い子少ない。砂場で泥遊びしてる。見た目には変わらない公園の水や緑、野良猫。陽に照らされたそれらが美しく、かえってその日の光景とその後の人の辛さが目の前にかなさりだぶってしまう。見えないというのは複雑やっかい。

外で暮らす猫は地面に近く、よく土まみれでゴロゴロしてるし、時々猫草も食べてるし雨水も飲みます。今のところ彼らは元気ですが。

寺島実郎もやはり経済からの視野で限界を見せているな。原発に対しては彼らは地上からの生物的な感覚を喪失している。
残念ながら、この世界は人間が生きて行けるシステムよりも経済が生きて行けるシステムを優先する種族が増えているようです。経済の神を信仰している意味ではカルトの奴隷だよね。

ちなみに我が住まい家は、3.11日の震度5に意外に耐えた古フルの隙間からなんとかかんとか物質を防げない平屋であり、かわやは古来便所仕様で尻むき出しである。震度3でもみしみしぎしぎし音は怖い。

ETV特集「カズオ・イシグロをさがして」を観ていて、地震と津波と原発事故に襲われた今現在になんともトーンが似ていて。私たち一人一人の過去と記憶が泥にまみれたアルバムを大事に見つけ出すように切なく主張する。死を身近にするとなにがほんとうに必要か。

経済重視の暴走的な推進力で生命を軽視していることがなされて来た。結果として過酷な現実を生んでいる。安心は健康な自然とともにある生活である。異常な事態を招いた社会の責任は重い。根源的転換をすべき。【原発の未来 国民投票実施中】http://kokumintouhyou.org

中国は今後大量に原発を増やす計画だ。どこの国にしろ自らが原発を推進し認容するということは、もしかしたら危うい管理と情報統制の隣りの中国だろうと黙って認めなくちゃならないことだ。

Amazing voice「グレース・ノノ」を観て、歌いたくなった。もとい、歌ったが。このシャーマニズムの電気と引き換えに失いつつあるものが、避難所にあるといいなあと思った。

ニュースの避難所訪問の首相は象徴的だったような気が。以前記事で、この人はこの人にこう言われるとこう言うし、次に会った人にそう言われるとそう言う。「早く帰りたい」と迫られて「早くて六ヶ月ですが、なるべく前倒しできるように・・」と言っていた。次に東電に会うと変わらないことを祈ります

いつもできるだけ放射能を極力中和作業しています。未確認飛行物体スポークスマン http://bit.ly/gNgWwz  http://bit.ly/enZFIm

「原子力問題の本質が差別の問題だということに気がつけば・・」という意味は深いです。昨夜放映の映画「若者たち」を観たが、広島・長崎のその後に残したもうひとつのものをきっちり発言していて今の時代に観ると目が醒めると思うほど。かえすがえす今の時代はものを言わなくなった。

そっくり!!「私たちは30年間、専門家や大臣から原発は安全だと聞かされてきた。しかし、原発はごますりとへつらい、セクト主義と批判者への迫害に取り囲まれていた」http://t.co/QjFBW1j

クレイジーに成り立たった世界は、クレイジーな人間が正気な人を笑う。いままでどんな汚染も、死が見えなくては気づけなかったのでは?
原発ないと経済成り立たないというのは、孫が浴びる放射性物質は孫の世代が何とかするだ。と言う爺さまのアタマの中の理屈。危機感成り立たない世代。

「放射性物質は、匂いも色もないから吸い込んでる自覚がない」田中優。クロサワ映画の夢の「赤富士」では放射性物質それぞれに色を付けたんだという台詞がありましたね。見えない恐怖は安全神話に似ている。

原発でぎらぎら贅沢な暮らしを続けようと言う人たちと,清貧とまではいかないけどいい空気と奇麗な水といい景色のなかで節約して気持ちよく暮らそうよという人たちの国に別れたら、迷うことなく後者参加ですが、前者参加組が地球を滅ぼすだろうからな。説得したいものだが。
宗教関係者へ、特に神道系にも。空気や海や水、大地、自然、命を穢す恐れ、結果を見せている原発を、どうして黙って黙認しているのかお尋ねしたい?

「想定外だとしていた人たちには、想定外なのは当たり前だ」
「怖い怖いと思うから病気になる」と科学者なのに言える呆れた人に、「ではどうして乳児、児童が病気になるのか?」とお医者さんは言いました。
高齢者が原発に甘い理由 http://p.twipple.jp/fkU7L

ベテランの詐欺師とは何度もおなじ失敗を繰り返しながら、自らが嘘をついていることを忘れるほど磨きをかけた詐欺師になるらしい。

再生可能エネルギーに切り替えて行くことには、人がエネルギー消費を少なくすることで、原発をなくして行く助けになるという観点から始める。
原発は発電量が100か0で、調整するには火力発電が結局必要になっている。原発を運用するにはそのぶん火力も連れ回している。

「明日の神話」にいたずら 故岡本太郎氏の壁画 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011050290070836.html?ref=rank  というか、あまりにもの巧い太郎タッチに驚くんだけど。

(そうそう、三日前に45日ぶりに猫が戻りました。がりがりでしたが生きて回復中です)
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# by past_light | 2011-05-03 20:24 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(7)
あけましておめでとうございます
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あけましておめでとうございます。

東京は寒いですが、よい天気の元旦です。
ニュースを見ると西の方でも大雪の地方が多いようですが、そちらはいかがでしょうか。
今年はブログも少し書かないとなあと思っています。

今年もよろしくお願いします。
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# by past_light | 2011-01-01 18:41 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(6)
今年もありがとうございました。
 今年もお世話になりました。
 今年はツイッターを始めてからブログは放置状態になりましたが、過去記事の検索等々でなんとか人目に触れていたようです。絵本作家の佐野さんが亡くなってから突然アクセスが激増した日が続いたこともあり、谷川さんと佐野さんのキーワードで過去の記事などに訪問頂いた方々が多かったようです。いかにファンが多かったかがわかります。
 10月には松屋銀座で二年ぶり展示会をやりました。今年出した絵には自分の中では神秘性が意識に上ったモチーフが多かった気がします。

 夏が終わるといつものことですが、ふと気がつくと年末だという感じがします。
 12月のはじめに福岡へ行き、両親のマンションの大掃除してきました。それでいつも東京のこの家はなおざりというのがこのところ習慣でしたが、本日なんとか中掃除程度は済ませました。
 12月も前半は暖かい日が多くて楽でしたが、後半になってぐっと冷え込む日が続いています。

 先日1年ぶりに会った友人の子供が中学生になっていて、赤ん坊の頃から知っているので随分外見的には変わって来たなあと思いましたが、しばらく接しているとなにか変わらないものがその中心に感じられます。それは誰しも実は同じなんだなと思います。谷川さんは、詩の中でそういう感覚を書いています。(ぼくが言う意味では内に変わらないものというのが新しく、外見的に変化しているものは見慣れた光景、という意味ですが)好きなフレーズで何度も紹介していますが、これは毎年思い出すにふさわしい感じです。

「季節がめぐってくるたびに 見慣れた光景だが それがぼくにもたらす感情は いつまでも新しい」

良い年をお迎えください。
来年もよろしくお願いします。
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# by past_light | 2010-12-31 21:36 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(2)
おもひで
先のギャラリー情景。お行儀の良いお客様ばかりでありがとうございました。
楽しい一週間でした。お店の方もお世話になりました。
またいつかお会いしましょう。
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★展示された絵からは、リラックスアートギャラリーのパート10に15点を載せています。
ご覧になる方は、こちらをクリックしてください。→最初のページから

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# by past_light | 2010-11-06 17:56 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
二年間のご無沙汰でした
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Zoo+Zoo・See Vol.3
「ぬいぐるみとリラックスアートで楽しむ動物たち」

 ■会期 2010年10月26日(火)~11月1日(月)
会期中の営業時間 朝10時~夜8時 (最終日6時閉場)
 ■会場 松屋銀座7階 遊びのギャラリー
松屋銀座の案内ページ
松屋銀座への最寄り駅からのアクセスマップページ
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秋も深まる10月も下旬、お近くにお出かけの際は
お立ち寄りください。
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# by past_light | 2010-10-04 20:27 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
「天然コケッコー」 監督:山下敦弘
 原作のことも知らず鑑賞した者としては、比較する理由もないので、ひたすら一編の映画として観る。
 まだ少年と少女たち、年下の子供たちと席を並べての田舎の学校生活。その来ては去る四季、自然と共にあることの恩恵、そこに日々彩られていく物語。それは実に楽しくさわやかな情緒を残して記憶されていく映画ということにつきるだろう。
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 今更ながら言いたくなる、都市生活で得られることの叶わない、季節とともに移り変わりゆく住民たちの出来事、そこに暮らす人たちのスローペースな心模様、ぼくらがそれをじっくり味わいつつ、人が毎日なにげなく生活することの贅沢をも思い出させもする。

 設定や題材としては、それほど新しいとか斬新とか、そんな部類ではないのだ。が、主人公の少女のナチュラルな存在感が、切ないほど観客の胸に寄り添ってくる。彼女が周りの愛すべき人たちと共に生活する時間のかけがえなさ、愛しさと懐かしさ。それに初恋の記憶のようにぼくらが熱く思いを辿るのは、少女のその等身大の視線が、普遍的にぼくらの心の内奥にある故郷としているものに通じているからである。
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# by past_light | 2010-06-02 00:55 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)