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「風の又三郎」1957年版
「風の又三郎」 原作:宮沢賢治 監督:村山新治 脚本:清水信夫 1957年
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 この映画を観たのはたぶん中学生の頃のことだった。
 しかも学校の図書館で授業の中で、ある先生が観せてくれたのだ。
 先生は誰かは忘れたけれど、きっとその先生自身が感銘を受けて生徒に観せたいと思ったのだろうと今では思う。

 フイルムは16ミリだったんだろうか、それとも8ミリフイルムとして学校に供給されたものだったのか。ずいぶん古さを感じる画面だったが、監督:村山新治版の「風の又三郎」の製作年は、いま調べるとぼくはすでに生まれていた年だ。

 壁にかけられた白い掛け軸を広げたような画面に、陰影の深いモノクロの又三郎の映像が現れ、あの「ど・ど・ど・・」の印象的なフレーズの歌が流れた。
 実に不思議な体験だ。又三郎が風とともに図書館の暗闇に現れたような幻視的な体験だった。

 映画全体の記憶とか、その出来映えの善し悪しとか、つまり思えば少年には二の次である。
 美術授業の中でスライド画面で観た巨匠たちの絵も、シュルレアリスト画家の絵のみにあらず、すべて言わば少年には「超現実」であった。音楽の教材として授業で聴かされたシューベルトの魔王のレコドの時間には頭の中で完全に映像が動いていた。

 田舎の中学の、日々なかなか文化的な接触の少ない時間の中で、一人の先生が紹介してくれる映画や絵画や音楽、それらはなんとぼくらの記憶に深く刻まれていることか。
 そのような体験を子供に与えられることこそ、教育というものの中にある一番の人間的な恩恵じゃないだろうか。
 考えれば以前からだが、そういう話があまり語られない教育の世界に日頃から何かぼくは大きな違和感を覚えている。
 そして、この映画「風の又三郎」は、そんな印象的な、強く記憶に残る映画のひとつとして出会った作品。

 CGはおろか、せいぜいモンタージュ合成された映像で表現された風の中の又三郎。そのシンプルな映像との出会いの体験を、大量に安直に映像に接することのできる、いわば感性が麻痺しやすいこの時代に、もう一度できないものかと思うし、子供たちにも出会って欲しいという気がする。
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by past_light | 2012-03-03 19:02 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(4)