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ベルイマンの「叫びとささやき」から、いろいろ久しぶりに思って散漫に書いてみました
数十年ぶりベルイマンの「叫びとささやき」を観る。19世紀の医療限界もあり末期がんの痛みを演じる迫力は圧倒。 至福感は一瞬の中にしかない。という言葉にするとアホみたいな種に到達。生き物を苦しめ余裕噛ましてる偽善的な人生は、地獄へ至るというトーデンとケーザイカイへの警告的内容(笑)  (9/4ツイート)

 ツイッターの方では、原発の事故以来の関連情報の海外からも含め絶えない状態が未だに続きます。
 かたやTVなどではほとんど核心的な情報が流れないようになっています。
 地震と原発事故後半年、政界のニュースなどでは自民党時代から続いた国の姿がまるで繰り返す安心のように、かのマスコミもしがみ付きたいのかと思うように、なんとも緊急性のない薄められた現実に麻痺感漂う顔があります。
 内に賑やかな報道もお祭りのように過ぎて、首相もどじょう救いの竜ちゃんに変わりました。が、ともあれ辞め立てほやほやの菅さんが、自らの吐露する原発事故後の経緯記事や、TVでの暴露ハシナが出てきました。官邸にいた人も発言し始めましたが、役職の間はずいぶん言えないことが多いのだろうと思われます。
 が、それらはツイッターなどではかなり以前より流れて知ることのできた情報ですが、お茶の間で流れるマスコミに触れるだけでは、ほぼ初耳という人も多いだろうと思います。

 事故の直後、少なくとも「キレ菅」などと悪意的に揶揄されてしか伝われなかったような東電への総理の殴り込み、「撤退したら東電も東日本も終わる」と威嚇して来たのはかなり大事な役目だったわけです。
 東電は言わば自らおこした大事故に怯み退散しようとしていた。つまり後始末を政府に丸投げするつもりだったということ。運営し専門的な作業に従事し、責任当事者で当然最も原発の内部を知るはずの東電が逃げて放置したらどんなことになっていただろうか。

 そんなことすら充分に伝えないマスコミというのはなぜ・なんなんでしょう。日本の半分近くの大地から、むろん首都も含め、当分人の住む環境でなくなる事態が起こりえていた。
 事故直後、建屋の屋根の吹き飛んだ原子炉に、自衛隊のヘリのデモンストレーション的な空からの放水は、その効果は焼け石に水であることは承知の上でした。
 あれは諸外国、ことにアメリカに「本気」度を見せて収束への意志を見せるためだったことは、その後報道もされたが冷静に考えればうなずけることでした。
 つまり福島第一の原発事故とは、国土と国民にとって相当な危機だったわけですが、一部の記者などが発信し過激と排除されたその情報は、数ヶ月して後々になぞられるように発表される。パニックを怖がった、確かにその内容は事故直後と比較すれば衝撃が薄められる時期を狙ったものだと思えます。しかし遅くてはいけなかった情報も含められてしまい、不必要な被曝をしてしまった住民が居たのだから、冷静な対応をしていたと言えない国の姿があります。
 事故の状況は一進一退しながら、やがて土壌の汚染や食物への心配と拡大したか変化しながら、このところ話題も少なくなって来たようなマスコミですが、実のところ炉心溶融から地下へ落ち始めているのではないか、という心配は続いています。
 現実的には事故の状態の全貌は誰も見ていないということ、いや人が肉眼で確認できる場所では未だないわけです。

 その日突然断ち切られた日常から、はるかに違う場所にいる人たちもいる。
 しかし、そして免れたかのぼくらの日常は、からくもたしかに続いている。それがどうのといっても、ふたたび天変地異かなにかが足元で呻けば、それもまた途切れるだろうことは暗黙の覚悟。ならと、ことさら嘆いて暮らすのも精神には無理なのかもしれない。

「放射能が降っています。静かな夜です」 「明けない夜はない」 和合亮一 (福島の詩人のツイート)
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 ベルイマンの「叫びとささやき」から、いろいろ久しぶりに思って散漫に書いてみました。

 最初に観たのは20代前半。たぶん岩波ホールでの封切りだから懐かしいにもほどがあるのですが。当時、ヨーロッパ映画3本立てあたりの何かの伴映。ハイコントラストモノクロの心理戦、「ペルソナ」に出逢ってからベルイマンに心酔を始め、それからしばらくして観て、それも決定的になったきっかけの、当時新作の映画という記憶が「叫びとささやき」だ。

 この頃の岩波ホールとは、インドのサタジット・レイ、ブニュエル、ベルイマン・・と、今ではミニシアターというメディアで上映されるしかない、海外の映画との出会いの機会を日本ではまっさきに提供した。少数派の観客に向けた映画の唯一の封切りの場所ということだったような感じ。

 そしてベルイマンも集中して上映された時期があった。
 とうてい大劇場には不釣り合いな、小さな教会で観るにすらふさわしいかの、例によって牧師が信仰の内省的な苦難を曝す「冬の光」とか。神という位置と人間の地上における地団駄。
 当時それは日本人若輩者の、正直言えば掴みどころのない内容の、北欧のキリスト教的背景の精神の葛藤。ロマンとか恋愛とか、若者の青春のテーマからすると、距離があきらかに感じられた。
 しかし人間の精神の空間に複雑にもつれて、一筋縄で答えを括れず、墜ちた地球のエデンに放置されたアダムとイブの苦悩には、ただ呆気にとられもすれ不思議に圧倒もされるものだった。
 それはやはりある程度今でも、テーマに内在するものにはぼくは距離を持つ者ではある。しかし人の「自我」の姿の裏も表も、厳密に照らし出そうとすれば、夏目漱石が唸りそうな人物たちにある種の親近感を禁じ得ない愛おしさがあるのも変わらない。
 突詰めれば、人が自我の牢獄を自覚しながらに、自由になることなど叶わずに捕われたまま、その狭い空間の矛盾の中で右往左往した人間を演じることの辛さを、濃密に人格にしたとすれば彼や彼女の叫びとささやきになる。

 ベルイマンとは徹底して同じテーマで動いていた人だと思う。
 「処女の泉」などでは無垢で清廉な少女が苦難と不条理に殺される。当時はかなりショッキングな内容と描き方だが、それが神話的に高められる。神の存在、不在の答えも、人間の悪事や良心の中でしか描くことのできない宿命から、飛躍するように奇跡という手法が映画の力で持ちこまれる。そのことでかろうじて救いが完結するが、映画には不思議な感情がのこる。

「叫びとささやき」はベルイマンにしては後期の入り口なんだろうか。
 僕の十代後半からしばらくというものは、「男と女」のルルーシュなんかのブームもあり、フランス映画なども年に何本も上映されていたし、イタリア、イギリス、つまり商業的興行にしてもヨーロッパ映画もかなりの数を持っていたと思う。
 やがてアメリカ映画が日本を席巻してしまう時期が来るが、そんなころやっと上映されたものは「ファニーとアレクサンデル」あたりか。

 話をもどして。「叫びとささやき」を改めて以前録画していたビデオではあるが見直していると、当時より怖さが増して感じられた。それは「死」に対しての内的な距離というようなものが接近した年齢のせいもあるのかなと思いつつだったが。

 三人姉妹の埋めがたく取り繕う精神の距離、真実の冷え冷えした関係。メイドであるアンナの無垢と無防備の母性が、唯一体温を感じさせる人物像で、地上での神聖を体現する。死のベッドから呼ばれる残った姉妹とアンナのプロット、「これは夢よ」「あなたには夢でも私には意味があるの」これは超現実的手法を上質に用いるベルイマンの素晴らしい表現であり、またそれゆえいかなるホラーより怖いものになっている。

 自我の牢獄に隔離され、イノセントの出口のない人間。内に外に誤魔化し、我が儘に愛を求め、また求められ拒否する、他者との関係の絶望的な様相。さらけ出されて直視せざるを得ない醜悪さに満ちた芝居の日々のなんと地獄なんだか。
 ここに登場する人物の描かれ方の、底意地の悪さと言えばまた愚直すぎる表現にしかならないが、ベルイマン自身の精神とは、どうにも強靭なのか。夏目漱石の病理をはるかに凌駕して映画に登場する人物は底なしに苦悩しているように思われる。

 「金持ちが天国へいくのは、らくだが針の穴を通るより難しい」という言葉があるが、言わば知に長けていようと、利己的、自己中心的な精神とは、それそのものが自らの牢獄なのだが、人はその場にただ縛られることを選び螺旋に繋がれた犬のように動くだけだ。
 アンナに象徴される母性の、すべてを受容する無垢な精神だけが本当には神の方にあり、観念の神には不在であることをベルイマンは表現しているように思える。

 実はベルイマンとは難解とは言えないシンプルなことを表現し続けたと思われます。
 それはこの「叫びとささやき」では、映画の終わりに誰でもわかるように伝えられている。死んだ次女の日記の中に書かれた、病状の良い清々しい午後、姉妹たちが見舞いに訪れて、久しぶりみんなで庭園を散歩する記述にあります。

「愛する人たちがここにいる。このとき私は、この一瞬に幸せはあるのだと悟った。私は人生に感謝した」
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by past_light | 2011-09-07 17:51 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(6)