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このCM、きたろうと少女がいいです

東京ガス 食CMシリーズ 家族の絆・お父さんのチャーハン編

泣けるという話題で、これはじめて観ましたが、演出が映画的ですね。
きたろうの父親像、表情が巧いし、食卓の少女もいいです。
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by past_light | 2009-11-25 16:07 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(15)

「マルホランド・ドライブ」  デイヴィッド・リンチ

リンチの大方の映画というのは、世界の暗部を描くかたちとしては圧倒的な形式かもしれない。それの真骨頂にある映画が「マルホランド・ドライブ」だろうか。
初期の「イレイザー・ヘッド」あたりは、その二度と見たくないと思わせ、うなされるような悪夢そのものの恐ろしさ、不快さ、音響もそのままの世界で、恐怖映画の斬新さがあったが、それもマニア的に感じた。
しかし「マルホランド・ドライブ」では、「ツインピークス」から続いているような、現実の世界と繋がり、重ね合わせた世界の暗部、呪術、ブラックマジックに操られた悪意の人物が暗躍し、平静な日常の太陽の光からは隔絶した闇の力が、ぼくらの世界を揺るがして不安になる。

ツインピークスでは、「ブラック・ロッジ」という言葉も散見されたが、これは善なるフォースの集団が「ホワイト・ロッジ」ならば、「ブラック・ロッジ」とは悪のフォースの集団ということである。これについてはリンチは、その神智学的な類いの知識があるのだろう。そういうアイデアを生かして取り入れたという気がしていたが、あくまで物語の要素としてだろう。
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健全な性善説の世界で生きている人には、どうしてもあまりお薦めできない。怖がりの方は観ない方が良い。
というより、「マルホランド・ドライブ」の物語を順を追って着いて行きながら理解しようとしたら、わけが解らないということになる可能性が大きい。
むしろ夢の物語が、時間軸も登場人物も、起きる事の次第も錯綜し、パッチワークのように継ぎはぎされ、解きあぐねる自分の心理の解釈も一筋縄でいかない秘密の層をなすように、そんな悪夢の展開を楽しむことがお好きならお薦めしたい。
謎解きにやっきになりたい中毒性もありそうだ。しかもリンチの映画に登場する女性はエロティシズムもブラックマジック的だ。

しかし、あくまでこの映画で描かれたのは、リンチ自身が言うように、「ハリウッドの暗部」を、「抽象として」描いたということで納得できるだろう。
田舎からダンス大会で優勝した女優志願の女性。彼女が夢を描いて着いた土地がハリウッド。その地に着いたときから彼女はマジックにかけられている。その後、彼女はハリウッドの世界で生き、「愛」や「挫折」や「嫉妬」や「憎しみ」を経験し、どうなっただろう。
富の集中するセレブな世界の闇に、平凡なぼくらは馴染みのないブラックマジックがかけられている。
葛藤と罪悪感、そのドライブの果てに辿り着くところは・・。

事の次第は整理すると単純なのだろうが、映画全体で、その世界、人間の暗部の感情が「抽象」として構成された意欲的な作品。キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」をふと思いだした。
こういう映画は作る作者自身の方が楽しいのじゃないだろうか。見せられるほうは、映画の展開に妙に釘づけになりつつも、観終われば、明るい太陽の下で解毒したくなる.
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by past_light | 2009-11-23 18:05 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

「トウキョウソナタ」

黒沢清監督というのは昔、初期の「ドレミファ娘の血が騒ぐ」という、ちょっと稚拙なゴダールっぽいというか、実はぼくは良く理解できていない映画、それからその後観た二本ほどのホラー的な作品などからの印象からいえば、あまり好きな部類とは言えない人だったが、この映画は誰もが観て面白く観れる映画だと思う。
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ごく普通の家族設定。サラリーマンの夫と主婦,大学生と小学生の男の子のこども。でも当初から家族はバラバラな印象ではじまり、それが加速して行く物語が展開すると、黒沢清ならではとも言えるのだろう独特な場面が連続する感じもちゃんとある。

ぼくなどはサラリーマンの人の、時代の変化の中で安泰だったコースが、足下から崩れていくことの不安や、夫が家族にリストラ後の事を知られまいと必死に社会的体裁を繕うという姿は、現実的に男としては充分わかる部分は多々あるけれど、やはりどうかというとその人たちの反応は過剰で、コメディ的にも思える。しかし、現代のたしかに現実なのだと言う意見には異論はない。

夫婦役の小泉今日子と香川照之、ふたりの息子たちの演技もいい。香川は「あるべき」人生、家族像、親像、に頑固にハマった可笑しさ哀しさをよく体現していたし、物語の展開とともに、そこから再生する様、そしてこの映画の個性的な後半の展開にもよく着いて行けるキャラクターだ。
またとくに小泉今日子はこの映画では役としていままでにないキャラクターに思えた。ごく普通に見えるサラリーマンの主婦像だが、映画を通して徐々に彼女に感じるものは、単に鬱屈したとも言えず、必ず爆発するとも言えない、得体の知れない日常のぼんやりした感情。それが自然と表れていくような、この小泉今日子という配役に違和感を感じさせない、よくこなれた存在感が出た。

だれもが本心を隠し、というか、けして家族にさえ面とは明かすこともできず、「家族」という形態を形として保ちながら、家族としては精神の内部から崩壊している、そのばらばらな様。そしてやがて形態としても保ち得なくなって行く過程は、こういう二時間の映画の中であるから、誇張的にも思えるだろうが、やはりそれは現代では普遍でありリアルである。

そして映画は、そのまま家族が破壊の一途へと進むのか、とだんだんやるせない思いになるが、最後にはドビュッシーの「月の光」のすばらしいピアノ演奏が、不思議な希望の光を、家族の静かな再生を伝えてくれて、気持ちよく観終えることができる。
この希望というか、感動というか、は、平凡と普通と無力の輪廻の中から生まれ、ぼくらがあるとき発見する、「突然変異」のもたらす驚きと感動である。

(下記は監督へのインタビュー記事から)
─それでは最後の質問ですが、黒沢さんは「映画史的に正しい」映画について言及されることがありますね。この映画を作られる上で、そういったことを意識された点はありますか?

黒沢:そうですね、なにか理屈を超えた形で、ある祝福がこの家族の上に訪れるという、それはつまり音楽ということなんですが、観客の方にはぜひ理屈を超えたある感覚によって、何かを感じ取っていただければうれしいです。映画の正しさって理屈だけではなくて、感覚的な正しさもある。この作品がそうなっていればとてもうれしいですね。


監督:黒沢清 2008年
公式サイト
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by past_light | 2009-11-19 19:14 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

「ぐるりのこと。」

失われた十年とよばれた時代がありました。
たぶんバブル後の時代を言うんでしょうが、個人的にはよくわかりませんね。バブルな生活とは無縁だったからか、いつもピンこない話だ。

この映画だと、よくどこにでも居そうな夫婦の1990年代の10年の時間。
そしてその間に、この社会で起きていたいわゆるぐるりのこと。
旦那の方の法廷画家が傍観する当時の事件を反映した法廷を通して、振り返れば不安すぎるほどの変化が、社会の奥深くから起きていたというような再認識をもする。
人間の所業としてはいやな後味ばかり、そういう記憶にある事件がぐるりにあった。それはいうまでもなく今でも続いているようだ。
法廷画家の旦那は、ある意味では持ち前のひょうひょうとした性格が幸いするようにか、映画のなかではさして心理的にもコミットしていない風情で淡々と仕事をこなしていく。
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ぼくらの生活はだいたい主に自分の手ののばせるぐるりのことだけで過ぎていくようだが、毎日ニュースで聞いたり観たりするいろんな事件はどう繋がっているのか、ときどき思うこともある。

しかしあまりに理解できない事件などを目の当たりにすると、まったく無関係のものにしか思えないのだが、それでも社会で生きるある意味の不安という影響は与えているだろう。
夫婦,家庭という個的な単位にもさまざまな変化があるものだ。崩壊の瀬戸際もあろうし、そして再生の物語もあるだろう。個の再生とは、ぐるりの社会の再生にも、必ずちいさく繋がるのは歴然だろう。

学生時代からの付き合いのような、どこかにいそうな夫婦の10年。
法廷の被告たちを演じた脇を固めた達者な役者たちも短くても見どころ。全体、映画の見どころは多いが、とにかく夫婦を演じるふたりが実にハマっていて、こと妻の役、木村多江は入り込みすぎて、こちら観客も心配になるほどだ。
彼女自身がこの映画のこの役で女優として再生したかのような話をしていたことをどこかで読んだ記憶があるが、それはそうだろうという納得するものだ。

子どもを亡くしてからの情緒不安定な様子を演じるが、彼女自身が役に入り込みすぎてウツ的な状態だったようだ。
見せ場の一つである、妻が泣きじゃくりながら夫に悲しみの堆積した感情をぶつける場面などは、観ていても圧倒的だ。実際、夫役のリリー・フランキーの話によれば、役に入り込みすぎ、泣きすぎ、台詞が言えなくなるテイクも重ねたようだ。そのリリー・フランキーがとてもやわらかい存在感で受け止めているのが、まさに監督の意図した「ふたりのドキュメンタリー」を成功させていると思える。
それは撮影にも表れていて、実にワンシーンをカメラが長回しで録り続けることが多いから、演じる側も大変だが、出来上がりから感じられる、夫婦の各場面の集中力と緊張感はただならぬもの。初主演のリリー・フランキーが妻の苦悩を受け止めるその場面、元々のプロ役者とはまったく異質と感じるような自然さを、けして途切らすことがないのにも感心する。
監督は自身の前作の世界的な評価の後、自らウツを経験した時間を糧にして、制作に当り「人はどうすれば希望を持てるのか?」と問い、「希望は人と人との間にある」ということに行き当たったという。

その話も当たり前のようでいて、しんどい夫婦関係とか(笑)、その上での夫婦の関係の、水平にも垂直にも広がる天国、地獄の地平を経験し見渡し,世の夫婦が、どうであれ自らも振り返る余韻を持たせる映画になっている。

映画は全体を通し、その夫婦のターニングポイントの「事」そのものはあえて描かず、その事の前後の日々を描くことで、観ていて必要以上な重さを避けられている感じがある。
それが物語の終わりまでに、だんだんと薫ってくる清々しさを残すことになったと感じた。

監督・橋口亮輔
公式サイト
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by past_light | 2009-11-12 20:58 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(15)

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