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「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」藤原 新也

フリーペーパーに連載されたものから選別され書き直された短編集という。

ある意味で隙だらけに思える。が、芸術的な密度や完成度やメッセージとか・・、
およそ自我拡大がもたらすかもしれない作家という性の、ぎらつく動機などとは無縁でしか見えない世界もある。
また、企てられた人生にぽっかり空く、無計画な休暇にしか表れない物語がある。
ひとつひとつのエピソードの中にあるのは、日差しの影の軒下にある、気づかず見過ごす蜘蛛の糸の絡まる世界の細部。
それは、繰り返す日常から、うつろな眼球の視界からも隠されている。

観なければ観なかったのだ、というような、時間の中を通り過ぎる、しかし確実に存在していたという人と人の間のドラマ。
人は生きていて、そして揺らいだのだ。
日常にありふれてもいるだろう。
しかし凝らして覗けば謎めいて、幸不幸など誰も判らない人の一生の帰結の様々な余韻。
たしかに人が生きた匂いがする。
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by past_light | 2009-10-29 21:22 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

「グーグーだって猫である」

家は猫好きだから、ということもあるが、だからかえって登場する猫のポジションの扱いにも逆に厳しく観てしまう。
けれど、やはり猫に深い縁のある人が観るのと、そうでない人が観るのでは楽しみ方が多分に違うだろうという映画かもしれない。

猫の映像を見るだけで何割方の満足感を得てしまう場合は、映画の全体のできには寛容になりがちだ。
ところがこの映画にはもうひとつ客観性を持つには難点があり、なじみの土地が舞台になってしまうというのも大きなファクターで、この映画の舞台は吉祥寺なのだ。
家はずっとこの近辺を移り住んで暮しいている。映画は相当地元にサービスされた街の紹介がされていて、それも楽しんでしまうということもあるし、現実よりもフィルムの中の街は仕方なくも美しく、楽しげでもあるのだ。
加えて少し贔屓(ひいき)で観る主役の小泉今日子、そして上野樹理も、森三中、加瀬亮などの配役、それにかわいい猫が登場するわけだから、人には、観て損はないよ、と言うことになる。
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現在形の猫、「グーグー」の活躍は物語の中ではいまいちだけど、この映画の主題はじつはタイトルのとおりで、主人公の漫画家が先に飼っていて映画の冒頭で生涯を閉じる「サバ」という猫の存在が、主人公のこころに沈殿していて、映画の締めくくりまで存在は大きい。
十数年共に暮した「サバ」との主人公の気持ちの整理がつかないままに、「グーグー」が寄り添っている時間が描かれている。それだから「グーグーだって猫である」んだよ、ということになるんでしょう。

こういうところが、観客に同じような体験とか気持ちを共有できるかどうか、これは大きな違いになってしまう。
最初に飼った猫という存在はやはり大きくて、だいたい若い頃に、ひょんなことで捨て猫とか巡り会うことが多いし、後先など考えずにとりあえずアパートとかに連れて帰るとか・・、そしてその後の生活の変化、激動の、葛藤の時間を共にしたりし、そしてなんとか十数年を共に生きてくれていると、猫との暮した時間も鮮烈に思い出が多いものだ。

だいたい二代目の猫が、その飼い主のこころの空白を埋めるような癒すような、そういう役割を全く拒否することは難しい。といっても人間側からのことで、こと猫自身には関係のないことだ。おかまいなしに行動してくれるから、かえって埋めたり癒したりしているわけだけど(笑)。
この主人公の漫画家の夢で、あの世の「サバ」は、人間としてコミュニケーションをする。「のほほんと、あまり注意して見てあげられなかった」という飼い主の思いと、「ううん、とても楽しかった」という「サバ」との静かな対話の時間が、同じような思いをした人には痛切かもしれない。
そんな夢から主人公が嗚咽しながら目を醒ます経験は、多分多くの人が共感するものだろう。それは飼い猫や飼い犬などに限らずである。

つくった映画監督は非常に映画的なセンスのある映像と語り口を持っている人だという感想。一昔前までの映画監督にはこういうセンスの映画作りができる人はあまりいない。
若い人かと思ったらそんなには若くなくてそろそろ50代だから、たいしたもの。いや、映画全体として見終わっても、よい読後感があるみたいにこなれている印象を残すから、そこには年の功もあるかもしれないし。
コメディセンスとシリアスなシチュエーションとを物語としてうまく融合し、けっこう切ないけど楽しいみたいな、都会の街に日々吹いている風みたいな後味のある情緒を残した。
公式サイト
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by past_light | 2009-10-25 19:23 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

「崖の上のポニョ」

昨年、映画の方は見逃しながら、かわいい主題歌だけは何度も聴いた覚えばかりある。
意外に映画のベストテンなどからは外れて、大方の評判はあまり芳しくなかったのかと思っていた。
久しぶりにレンタルのカードを作ったので借りて観た。
結論から先きに、とてもいいです。

宮崎さんという人は感心しちゃう。他に日本に誰が作れるかと思わせる。
映画評論家の中にはまるでだめな人が多いということがわかる。たぶん少なからず表現とか創作とか関わる人は、やっぱり宮崎さんはすごいと思うところがありありと感じられる作品だろう。

ことに、これほど子どもの内面世界に近くありつつ、大人の抑制、分別を排除して、想像を突き進める態度に敬服するし、苦しいながらきっと楽しい時間だろうと羨ましくもある。
映画では数十秒で終わるエピソードの部分に、迷いつつどれほど自身の無意識と向き合って時間をかけているかがテレビで放映されていたが、それはいざ観客としては、無念にもなかなか汲み取るほどには見尽くし感じ尽くせないものだ。制作途上の作家としての必然で、また特権的で贅沢な苦しみなんだろう。
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アマゾンのレビューにたくさんある感想を少し覗いてみた。
賛否に分かれるというより、既存のアニメファンにはなかなか受け入れられないという節の書き込みも多い。
子どもの反応の話も面白い。何度も観たがる子もいるし、あまり反応のない子もいるという。
お母さん方のなかには、ポニョの天衣無縫、奔放さ、母親の行動や、子が親を名まえで呼ぶなど、拒絶反応もある。
また物語の整合性とかのディテールの省略的な設定が、受け入れがたい人も多いようだ。

しかし考えてみれば昔話とか神話など、謎,不思議なまま接して無意識に残り、こころに影響を与える物語には事欠かないのではないか。
なぜ桃太郎は川から流れてくる桃の中から生まれたのかとか。浦島太郎が亀に乗り竜宮城で遊んで帰れば、お土産を開けてしまい老け込んじゃうとか。そこには魅力的な解けない「謎」が詰まっていて、それはぼくらの無意識にそのまま到達していつまでも謎として働いているような気がする。そのことこそ人間の心の深さ、不思議なのだ。

いろいろ思っていて、映画のオフィシャルサイトを見たら、宮崎さんの制作意図の解説があり、なんだ、このとおりの映画じゃないかと膝を叩いた。

「海辺の小さな町
海に棲むさかなの子ポニョが、人間の宗介と一緒に生きたいと我儘をつらぬき通す物語。
同時に、5歳の宗介が約束を守りぬく物語でもある。
アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し、
キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。
海辺の小さな町と崖の上の一軒家。
少ない登場人物。
いきもののような海。
魔法が平然と姿を現す世界。
誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう。
そのために、空間をデフォルメし、絵柄を大胆にデフォルメして、
海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする。
少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、
神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。」
宮崎 駿


とくに「ポニョが・・我儘をつらぬき通す」という下りは作り手の意図として潔く響いてくる。
ポニョというキャラクターは、まさに幼児の持つ底知れぬエネルギーと、それを使い果たしてぽてっと眠る単純なる生きる姿のすごさを思いださせる。

手描きにこだわった理由も、よく理解される絵の世界で、キャラクターの感触さえ感じられる柔らかさ。それらは海の描写にも、ふと、咲いている花の可憐さなどにも表れている。

シンプルな物語として味わえば、荒れ狂う海の描写や、古代魚の泳ぐ水に侵蝕される陸地、ポニョのパワフルで躍動感あふれる大波の上の走りや、ロウソク仕掛け動力のポンポン船の楽しさとか、主人公たちと同年齢に当る子どもにはきっと大きな影響を与える作品だろう。

それから大人が深読みしてユング的、象徴的な考察もいくらでも想像たくましくされる物語でもある。その材料にも事欠かない。
陸地を凌駕しようとする海、海の母、人間であることを捨てて海に住むポニョの父親、地上に接近してくる「月」、悠々と泳ぐ古代魚・・・。それから人が夢で傍観するように、謎のような宗介の母リサと海の母グランマンマーレとの「対話」の謎。

宗介とポニョはなぜあれほど惹かれ合うのか、ポニョが人間になってその魔法の力を失いともに生きる意味は何か・・。
宗介の試練はひとまず終わったが、ポニョと生きることで続く試練があるだろうし、やさしい宗介が、男性として、大母から受け継ぐポニョの持つ女性性、自然のエネルギーとの和解するこれからの世界・・。もしかしたらポニョは救世主かも・・。
とまあこれほどいろいろ想像させてくれる物語も久しぶりという感じです。
まさにファンタジーという名にふさわしい作品です。

2008 原作・脚本・監督: 宮崎 駿
公式サイト
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by past_light | 2009-10-23 18:36 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

秋にかなしい

このところ、ニュースに訃報が続いた。
偶然か、加藤さんの訃報の数日前、図書館で見つけたフォーククルセダーズのCDを借りて聴いていて、ジャケットの若い頃のかわいいメンバーの写真に自分の中高生の頃をも重ねて見ていたりして、なんとも時間の無常も胸に去来していたのが伏線になった。

しかしぼくとは違い、加藤さんは、「振り返らず,繰り返さず」をモットーに音楽活動をしていた。
また「やりたいことがなくなった」とも生前言っていたようだ。
それを訊くと、ウツの症状との関連性はやはりそこにないといえないと思う。
燃え尽きるという、それは感じなのかもしれない。
かといって、もっと楽に生きてください。ともなにか言えない。

「帰ってきた酔っ払い」というレコードは中学生のときに持っていた。
今では早回しの声による歌、などといっても誰も珍しがらないが、そのころはコメディソングにしても実に新鮮,奇怪な音楽で、エンディングのベートーベンの旋律も、そういう使われ方を聴いたのは初めてだった。
このころサイケデリックな色調のイラストスタイルなどがアメリカから輸入され、このシングルレコードの蛍光色を使ったジャケットも新鮮に見えた。

異例の大ヒットその後のフォークルは、短い活動期間に180度曲調が変るような、叙情的ないい歌をもいくつも生み出した。
それらはいまだにとても好きで、それを聴いてみたいと思っていたのだ。
「イムジン河」騒動は、その曲のシンプルな美しさとは無縁に見えた。

しかし、訃報を聞いてから改めて聴く、「青年は荒野をめざす」「悲しくてやりきれない」などは、あまりに予言的に思えてなにか胸に堪えた。

昨日は,ネットのニュースで南田さんを亡くした長門さんのコメントを読んでいて、長門さんのその四年に想いを馳せた。
それから長門さんの語る言葉に感心した。
亡くなった事を知ったのはと尋ねられ、
「・・さりげなく風のように僕の耳に入ってきましたね。」
という長門さんの言葉の描写に、かえって生々しく、動かしがたい「事実」が感じられた。

「皆さん誰でもそうだと思うけど、死に対する拒否反応はすごく多いんで、あまり死んだ洋子は好きじゃない。」
と率直に口にする言葉などに、このような精神のときに取り巻かれて答える、長門さんの長いインタビューの、胸の内の思いを語る姿に、その誠実さ、無防備の美しさ無垢さ、人間性の温もりとか厚みが感じられるものだった。

ご冥福をお祈りします。
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by past_light | 2009-10-22 20:23 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)

星の季節

いつの間にか夏の名残りも消えて肌寒く感じる日が増えて来た。

夜、空を見るとオリオン座が輝いている。
オリオン座を見ると、いつも不思議な気がするのはなぜか。
少年はもしかしたら、ソコからやってきたんじゃないか(笑)。
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子どもの頃から、夏が終わりやがて肌寒くなって、これから冬へむかうんだなあと思えば、夜空にはいつもオリオン座があった。
真ん中に位置して等間隔に並んだ三つの星の規則性とか、星座の中でも目だつオリオン座は、とくに不思議に思わせるものがある。
これが偶然といえるのだろうか。
なにか宇宙には知性が働いていて、なにもかもできあがっているんじゃないのか。

その小さな少年は、田舎の家にお風呂はあったけれど、家に母親とふたりだけの期間には、よく少し離れて歩いて30分ほどの親戚の家に行ってお風呂をもらって帰って来た。
家とは違い、美容院が併設された親戚の家は賑やかで、夜道を歩いてそこに着くと、蛍光灯の灯りが目にまぶしかった。

風呂から上がって、少年が母親と帰る夜道は暗く、いつも少年は母親の袖につかまって歩いた。
そして見上げた夜空にはオリオン座があった。
不思議な気持ちになって、少年は眠い目を閉じ、閉じたまま、片手でつかんだ母親の着物の袖だけを頼りに、つかつかと夜道を歩いた。

オリオン座はあの頃のままだ。
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by past_light | 2009-10-11 21:08 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(3)

ビル・トッテン×大学生

「アシスト」の社長ビル・トッテンさんのコラムは以前から読んでいたりして興味ある人物ですが,下記の内容を読むと人となりの全貌がよくわかりますね。
【インタビュー】ビル・トッテン×大学生
-----------抜粋----
—— 歩くのがお好きなんですか?

トッテン : はい。大好きです。涼しくなると京都駅まで歩きます。

—— 京都駅!?・・・ずいぶん遠いですね。

トッテン : そうですね、6〜7kmくらいですか。ここの通りは通称、社長さん通り。皆さんも良く知っている大きな会社の社長さんの家がずらっと並んでいます。私は毎日この辺を散歩します。だけど、この通りに住んでる社長さんとは誰とも会いません。

—— ええ?どうしてですか?

トッテン : 皆さん、黒塗りの車が迎えにきます(笑)。そんな暮らしは、私はしたくない。私は歩きます。買い物も全部近くの店。だから近所の人とはみな友達、楽しい人たちばかりです。
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by past_light | 2009-10-06 02:40 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(7)

過去と現在、記憶のコラム。関連ありなTBはラヴリー。リンクはフリー。コメントはブラボー。


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