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独創的な自伝スタイル
「鉄輪」  藤原 新也 (著)
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著者が写真家でもあるから、このようなスタイルの本が自らだけの力で作れる、というのは本当にうらやましく思う人も多いだろう。

見開きの写真と、見開きでひとつのエピソードが、少年期の一番いわば世間的には辛い記憶から語られはじめる。
そこには少年期特有の、淡くとも露なエロティシズムがまといつくような、やるせない繊細な想いがこちらにも共有される。同時に著者の根幹にあるかの骨太の生命力。

各エピソードが連なり、記憶が次々と後を追って鮮明に物語られる。
湯の靄にかすむ鉄輪の町の情景とが重なって、一つの短いエピソードに、読み手の中にもやりと映像が構築されていくのがわかる。

拾った猫「次春」が、少年を親と思うか、常に後を追う姿が切なくもユーモアをもって目に浮かび、最終章の少年の旅立つバス停まで、映像が浮かんで仕方がなかった。
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by past_light | 2009-09-30 17:56 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
「ゆれる」 監督・西川美和
 後味はいわばよくはない。それにはちゃんとした理由があるのだが。
 しかし脚本と監督、三十代の西川美和という人の力量は驚かされる。それにこの映画は役者がもっとも好むつくりなのではないかと思わされた。
 見終わればまず、兄役である香川照之が、ものすごいうまい役者だということが、彼の代表作の作品にもなるだろうということも思われる。香川の顔、背中、それにその身体から醸すような「むっ」とした演技は、最近あまり他の演技者では感じなかったほどレベルの高い表現だとおもう。主役のオダギリジョーも充分。その風貌、キャラクターに漂うイメージとしての存在が生きた感じだし、文句なしに巧い。
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 後味がよくないというのは、たぶんこの監督の持ち味にもなるのだろう。すっきりとエンディングを迎えるような作品はこの先も作らないんじゃないかななどと思わせる。
 設定も登場する人物群もさほど複雑じゃないし,むしろシンプルなのに、描かれる人間の心理は怪奇というほど複雑、曖昧で、それはたぶん観客が注意して観ればみるほど、かえって迷宮の様相になる。想像し,深読みすればするほど、いくらでも登場人物たちの内的なドラマは,観客にとっては繰り返しひっくり返るような、終わりのない不安に投げ込まれてしまう。

 以前、映画を知る前に、この映画の監督がテレビで受け答えしている番組を観ていて、「友人がなぜか人を殺してしまう」という悪夢を観て、それがベースで物語を構築したという話や、人が善人と悪人とに単純に分かれるということに対する疑念、むしろ一人の人間がはたして善人か悪人か決定づける物差しがあるのか、一人のなかに言わばジキルとハイド的に共存しているものが人間じゃないのか,などというふうな話をしていたので、この人の映画もやや想像した部分があったけれど、なるほどこんな風に彼女は描くのかと思った。
 人間の内部のアメーバ状の「ゆれる」世界を、硬質ともいえるような隙のない構成で構築する。そういう並外れた力には敬服する。その映像、カットも、ところどころ女性性の成せるとしか思えない独特なものがあるし、全体を見渡せば男性的ともいえるような輪郭を感じさせる。
またジャンルとしてもミステリー、サスペンスです、と単純に言えないような世界を作り出したことも賛辞されるだろう。

 人間、考えれば、終わらない謎が沈殿したまま生きていることはあるだろう。
 たとえを言えば、あのとき「こうして、こうした」と思い込んでいたが,何年も経ち、とつぜん「あのときぼくはこうしなかった」と思うと、どこに正しい答えを残しながら生きているのかなど、わけが解らなくなるものである。

(2006年の作品)
映画のオフィシャルサイト
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by past_light | 2009-09-27 20:07 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)
『おくりびと』
 昨年、話題をさらった映画。もうテレビで放映しちゃう。だんだんテンポ速くなりますね。
 海外でも評価されたのは、その対象となる多くの日本映画がやはり、その国柄独特の風土,風習が色濃く描かれていたものが目だつのだが、これは何処の国だろうと同じような関心事なのかもしれない。
 今村昌平の「姥捨て山」をテーマとしたものなどは、今となるとおとぎ話に近い話に思えるが,土着性のなかにあるあんがい人間の根本的な、シリアスなテーマ性を感じさせるので、そこに普遍性が隠れている。

 対して、『おくりびと』で描かれる、今もつづく納棺師というしごとの内容をよく知る人などもやはりほぼ稀だろう。主演の本木雅弘自身が、長く企画を温めていたという。原作にあたる「納棺夫日記」の作者、青木新門さんを何度も訪ねて映画化の許可をもらったという。
 が、シナリオ段階で、原作者としてのクレジットを拒否することになる青木さんは、「送られてきたシナリオを見るとね、親を思ったり、家族を思ったり、人間の死の尊厳について描かれているのは、伝わってきて、すばらしいんです。ただ、最後がヒューマニズム、人間中心主義で終わっている。私が強調した宗教とか永遠が描かれていない。着地点が違うから、では原作という文字をタイトルからはずしてくれって、身を引いたんです。」(2009年の毎日新聞)と述べている。
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 このはなしは意味深く、たしかにうなづくしかないものだ。
 しかし、「宗教と永遠を描く着地点」を描くとすれば、これは可能なのかどうか、また違う映画である必要もあったかもしれない。それでも映画「おくりびと」は、いままで描かれなかった「死」と「生」との交流を感じさせているものとは思える。

 舞台となる山形の地方のもつ独特の緩やかな時間感覚。少数の登場人物。派手な動きをすることもなく、ユーモアはあるものの、全体とても地味だ。
 それはもう一つの主役、死者たちの寝姿の存在が,生きてあるもとの均質にさえ感じられる。それは「死の尊厳」を感じさせ、映画全体が持つ静かな大気のなかのような清々しさでさえある。
「静謐」。この言葉は、この映画の感想にもよく使われているが、たぶんそれはこの映画で描かれた目に映るものとしての映像のより奥、その見えない領域を感じ取れた人が思わずにはいられない言葉でもあるだろう。
 経験的に、納棺された死者を見る度に、その「静謐」を感じる。
 生は喧噪と欲望と飾ることの楽園でもあるが、だれもが辿り着く死の静寂は、そこからは謎である。
  ぼくらが他者の死を見るとき、ぼくらの何もかもが終わるときの、すべてを脱ぎ捨て何も持てずにその静けさへ回帰することをおぼろに想像するのだが、やはりそれはどうしてもあくまで予感にとどまり、どこまでも謎だという方がふさわしい。

 納棺師として、死者を旅立たせるための丁寧な所作を行うときの主役の本木雅弘はすばらしい。この映画の性格そのものを集約した場面であるだろう。
 彼は劇中で、その死者を扱う仕事への多くの偏見,差別に会う。それは身近な妻からでさえだ。
 しかし、そのいざ納棺の場面に立ち合うことをとおし、どんな説明も必要のない価値を目の当たりにする。

 ぼくなどは個人的には葬式無用というか、お墓無用というか、ばちあたりものだが、それでもこの映画の納棺師が、死者の旅立ちの準備をさせるその行為のなかの意味はとても尊い美しいものだと感じる。身近な死者と生きて見送るものとが互いの気持ちを確認するための時間なのだ。
 映画の終わりのエピソードになる、子供のころ忘れた父親の「顔」が浮かび上がるシーンは、この映画が最後となった峰岸さんの、なんともいえない穏やかな表情。今になると、胸が熱くなる奇跡的な画面。

滝田洋二郎・監督 2008年
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by past_light | 2009-09-23 18:41 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(9)
「硫黄島からの手紙」 監督・クリント・イーストウッド
クリント・イーストウッド自身が半ば冗談めかして「日本映画のつもり」と言うのも、半ば本気ということだろうと思う。なぜこのように戦争を描いた日本映画が日本自身でつくれないのか、と考えさせるものだった。
内容には日本とアメリカと、どちらが正いか、というような愚かな視点はもちろん無いし、日本でさえこれほどフェアに描けるのか疑問を持つ。作者自身、戦場とは、善悪、敵味方に白黒の判定をつけるような単純な世界などないことをよくよく感じているということだ。
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映画は徹底して戦場での「人間」の状態を見つめる。とくに極限の状態での人間の姿を描いた映画では「野火」もそうだが、敵味方という立ち位置を超えて人間が描かれるものとしては「戦場のメリークリスマス」も忘れられない。どちらも原作が相当に優れたものとして存在する。
戦争もの、ということで合わせて思えば、優れたものというのは、戦場における非日常の状況の中で、露になる個としての人間性の様相を描いているかどうかだ。

(この映画ではたとえば、青年が憲兵になり、同行する上官が、ある家の犬を「通信のさまげになる」から「射殺しろ」という命令に、銃声だけを聞かせ犬を射殺したふりをしてその場を救おうとするエピソードがあり,米兵捕虜に治療を受けさせ、語りかける日本の隊長もいる。ひるがえって、上からの命令も無視し勝手に部下に自爆して死 ぬよう強要する隊長もいるし,日本の投降兵を遊びのように射殺する米兵もいる)

普段の日常においては曖昧にぼんやりとし、あからさまには浮き上がる事の無い人間精神の基底に沈む闇、隠れた深部が、容器の底の沈殿物をかき回すと上澄みに表れるよう、いわば仏教でいうような、餓鬼、阿修羅、そんな精神のヒエラルキーが、そもそも地上の人間の精神の中のことをあらわしたものとよくよく感じられる。そんな場面が戦場では出現し、コントラストを持って白日に暴露される。

「人間の検証」とは事の後では遅すぎるのではないかと思われる。
いったん状況が極限に追込まれたときのそういった人間を真に想像できる者は、甘美的な、あるいは脅迫的な言葉を並べて他者を地獄へ煽動することはないだろう。しかしいざ煽動される側も、普段の自らの精神の闇には注視することなく、偽物を偽物と気づかず、外部の価値観に翻弄された習慣の延長に、もしや地獄はあることを肝に銘じなくてはならないのだろう。
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by past_light | 2009-09-12 21:19 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(7)
堂々と25%削減を応援(笑)
2009年9月7日、民主党の鳩山代表は日本の温室効果ガス削減の中期目標として、
2020年までに1990年比で25%の排出削減を宣言しました。しかしこの宣言に対し、
産業界や経済産業省は抵抗を強めています。

そこで、今月9月22日にニューヨークで開かれる国連の気候変動サミットにおい
て、鳩山新首相が堂々と25%削減を国際的に宣言できるよう応援のメッセージを
送りましょう。

鳩山代表が掲げる25%削減は、米国のオバマ政権が掲げる目標よりもはるかに高
いものです。鳩山代表のリーダーシップが、オバマ大統領にも強いメッセージを
送ることになり、世界的な気候変動対策の取り組みが加速されます。

みなさんの声で、日本の未来を、世界の未来を守りましょう!

★いますぐ、メッセージを送る!

https://www.greenpeace.or.jp/ssl/enerevo/switch2/?cyber

★詳しくはこちら。
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/enerevo/switch2/?cyber

★ このキャンペーンをお友だちに伝えてください!
このメールをお友だちに転送したり、ブログなどで紹介して、広めていただけま
せんか?

★ グリーンピース・ジャパンのメールから転載

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管理人・ぼくが聞いた話では、このままでは10年から15年程度の時間しか残されていないという話もありました。たいへんだけど、ぼくらもう少し簡素で質素な生活スタイルを学ぶべきじゃないか。
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by past_light | 2009-09-11 02:43 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(46)
リンクメモ「ベーシック・インカムのある社会」
「ベーシック・インカムのある社会」
古山明男 講演録「ベーシック・インカムのある社会」― 労働と教育の根本的転換 ―
この記事はわかりやすくて、まさに入門編的です。
教育者の立場からのはなしも興味深いですよ。
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by past_light | 2009-09-06 16:41 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(17)