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「ウイグル人1万人が消えた」=ラビア・カーディル氏、会見
会見内容

 ・・・また会場に来ていた中国共産党の機関紙「人民日報」の記者が、カーディル氏がまるで現場を目撃したかのように話せるのはなぜか、また同氏がかつて中共のもとで事業に成功し富豪となったことは先ほどの話と矛盾しないのかと質問したのに対し、カーディル氏は次のように答えた。

 「メディアではなく中共の宣伝機関である人民日報と、この場で言い争いをする気はない。5日の事件発生直後から、世界各国のウイグル人が電話などで現地と頻繁に連絡を取っている。また事件当日に現地にいて、その後、国外に脱出した目撃者による直接証言も得ている。それらの情報を総合して話したのであり、信憑性は高いはずだ。もちろん個々の証言の確認作業も進めている。第2の質問についてだが、私はかつて一部の人間を先に裕福にするという中国の政策のもとで富を得た。私はその金をウイグル人のために当てたので、ウイグル人の中で私の存在感が一気に上がった。そのような私を利用するため、中共は政治の場に私を引き入れた。当時の私はまだ中共を信じていたので、自治区の法律に則って民族の権利が守られるよう主張し、行動した。そのため中共は、私を監獄に入れたのだ。中国共産党はウイグル人の生活を破壊した。あなたには、宣伝機関の人間ではなく、1人の報道者として現地を回り、真実を報道するよう希望したい」

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by past_light | 2009-07-31 14:55 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(32)
取りあえず、政権交代か・・
YouTubeが語る  オバマ大統領の核政策転換に反対する米政府アジア専門家  最大の理由は「日本政府が反対している」

池田香代子ブログ

ユーチューブ/米核政策の「チェンジ」へ、鍵を握るのは日本

「・・・その理由は、日本政府の『懸念』。日本の外務省、防衛省など安保外交政策を担当する官僚が、『米政府は核政策を転換しないように』と訴えている。

人類史上初めて核兵器の攻撃を受けた国の政府が核政策の転換に反対するのは、皮肉であり悲劇だ。・・」

・とんでもない連中だ。官僚というのにはこういう力があるのか・・ゆるせん。
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by past_light | 2009-07-30 14:36 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(6)
夏の音楽、股旅
図書館のホーム・ページで、検索してCDを借りて、近くの図書館に運んでもらいいます。
たぶんなかなか巡り会わないような世界の各地の音楽などにも出会いますが,最近、夏用にと借りて、とてもよかったアルバムの二枚。

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「ハワイアン・スラック・キー・ギター・マスターズ」
ギターの奏法もいろいろあるんだなあ、と再確認。
しいていうと、ライ・クーダーをイメージしてもらい、ぜいたくなハワイの夕暮れの微風を足してください。
もちろん想像ですけど・・(笑)
もろ、ハワイアン好きにはこの空気感まで伝わる弦の響きはぜったいに気に入ると思いますよ。

■スラック・キーとは,ハワイに伝わる伝統的なソロ・ギター奏法。ハワイの人たちにとっては,地元の酒場でわいわいとお酒を飲む時に,どこからともなく流れている音楽だという。遠く日本に住むボクらには,極上にして無上のリラクゼーション音楽。(アマゾンサイトの紹介から)

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「ネーネーズ」の記憶は、ニュース23のキャスターだった筑紫さんと重なる。
その番組のエンディングテーマに使われたことのある「黄金の花」。
じつは全編の歌詞をぼくは初めて聴いたと思う。
非常にユニーク。そしてじんわりはらわたにくる感じ。
筑紫さんがコンサートで聴いて、ステージに跳んで行って、番組に「ください」と言ったという経緯は有名、ぼくのなかでは。

ジャケットのように、普段着の沖縄のふつうのおばちゃん、失礼、おねえさんたちの歌声のファンは海外にも多くて、ライ・クーダーの参加するアルバムもあるらしいし、映画音楽では「ピアノレッスン」が有名なマイケル・ナイマンも縁で沖縄に導かれたらしい。
気持ちを明るくする、ネーネーたちの高音の見事なコーラス。島唄からジャンルの垣根のない歌まで、南の土地のおおらかさとユーモアは、けっこうネクラに生きていると衝撃だろう。

■「ネーネー」とはウチナーグチ(沖縄口=沖縄の言葉)で「おねえさん」のこと。

それぞれが島唄の名手であった古謝美佐子/吉田康子/宮里奈美子/比屋根幸乃の4人を知名定男がプロデュースする形で90年に結成。沖縄音楽専門のインディー・レーベル<ディスクアカバナー>の第1弾としてアルバム『IKAWU』(91年)でデビューを飾り、2作目『ユンタ』(92年)よりメジャーに移籍。本拠地である沖縄県宜野湾市の民謡酒場「島唄」での地道な活動はもとより、国内外で多くのライヴをこなし、94年には初のヨーロッパ公演も実現させた。95年末に古謝が抜け、翌年、當眞江里子が加入。そして99年11月14日、渋谷公会堂での「さよならコンサート」で惜しまれつつ解散した。そのときの模様は『オキナワ〜メモリアル・ネーネーズ〜』(00 年)に収められている。

沖縄には多くのガールズ・グループが存在するが、前述のように、円熟した唄者で構成されワールドワイドな成功まで果たしたネーネーズは、稀有なグループだ。高度な歌唱力と知名の絶妙なプロデュース・ワークが相交り、りんけんバンドと共に"オキナワン・ポップ"なる新ジャンルを確立させたパイオニアである。98年、英国のタルヴィン・シンのヒット曲「O.K.」で大々的にフィーチャリングされ、世界のクラブでネーネーズの歌声が流れたという事実などは特筆すべきだろう。

なお現在は、小山良子/伊計季代花/宮城江利奈/平田桂子の4人が「二代目ネーネーズ」として、民謡酒場「島唄」で活躍している。(アマゾンの解説より)

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by past_light | 2009-07-28 20:41 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(8)
つづれ折り
野良猫のくらしは、たぶん住んでいる環境に大きく依存して、幸せ度が決ると言って間違いないと感じる。
ただ幸せ度なんて言っても人間の考える事だから、いい加減なものだと思うけれど。
最近は野良猫も地域猫という御墨付きももらえる事も多くなったから、本当に人間次第である。

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公園などではわりと環境がいいので、人間さえやさしいなら猫もいごこちはよい。
ただ、飼っていた猫を捨てるというのは、飼われていたともあれ幸せな環境からのことだ。
部屋などで閉じ込められてのペットとしての環境から、とつぜん他の野良猫のいる空間へ放り出されるのは、これは猫にとっては、人間が災害に遭い自然のなかへ放り出される事に等しいと自覚しなくてはいけない。

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 ■以前、村上春樹のエッセイを読んでいて、彼が二十歳そこそこぐらいの頃の学生時代だと思うけれど、一匹のネコにいつも餌をあげていて、ほとんど飼猫のような状態だったそうだが、夏休みになると村上春樹は帰郷か旅行かで長く家を開けたそうだ。
その期間、そのネコはどうしていたかと言うと、自分で林の中で暮らし、餌も自給自足で生きていたようだという。そして村上春樹が戻ると、また以前のような同じ生活をしたという話を覚えている。それは彼にも、その間のネコの生活を不思議に思うところもあったらしい。
そういう話はまあ、もしかしたら溺愛するペット愛好家には信じられない、人と動物の距離感なのかもしれない。(この記事は2000年頃に描いた記事から見つけたもの(笑)

■下はクレーの天使を意識して前にいたずら描きしたもの。
「祈りのふりをしてお札を数える天使」「天使のかくれんぼ」「脱力した天使」「躾をする天使」)
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by past_light | 2009-07-27 17:50 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(5)
青い夏〜独居編
その後、東京に戻りどうなったのか、気になる方もいるとおもうので、きりのいいところまでときおり昔話を続けよう。

ちゅうど、その後一年ぐらいしてからか、イラストのグループを立ち上げた友人が、本日暑中見舞いをくれた。無断で紹介しよう(笑)。

「いやー、ご無沙汰してます!『青い夏シリーズ』愛読させてもらってますよ。何だかアノ頃の空気や想いが伝わってきて、自分も漠然と『ハワイに住み,毎日タイコだけを叩くような生活がしたいナ!』と思っていた事を思いだしました。・・・・」

友人もハワイアンやボサノバが好きなのだ(笑)。
「ハワイでタイコ」もまたのんきなトークだと思われるだろうけれど、実は30過ぎたころもぼくはよく友人に「南の島でさ、のんびりしながらギター弾いたり,歌ったり、ときには絵とか描いちゃったりしてさ・・」なんてほざいていたのだから、のんきなそういうトークは大好きである(笑)。夏向きだし・・。
それにしてもコメント欄に書いてよ(笑)。


東京に帰ってくる頃には,頭のぼーっとした貧血状態も落ち着き、当座の生活にもしばらくなんとかなりそうな懐具合にもなった。

さて、居候宅を出て、どうするかと考えていると、だいたいこれが不思議なもので、無計画という放蕩息子に、棄てる神あれば拾う神、いや友人はいるもので、ぼくの消息を新聞配達店で訊いて高校時代の友だちが尋ねてきた。

彼は高校の途中で退学して田舎にあった海員学校へ行き、その後船舶の船員として働いていたが、丘に戻り部屋を借りようと思っているので、ちょうどいいから同居しようと言う。
そんなできすぎた話がね、と思う人もいるかも知れないけれど、どうも若い頃というのはそういう偶然が次々起る時があるのだということを申し上げておきたい。

同じ江戸川区内にある下宿を借りて、部屋代を交互に出す計画でまたしても同居生活が始まった。

引っ越しには今度はタクシーを使った。駅前でタクシーをつかまえて、すぐ近くだった居候宅まで乗って行き、「ちょっと待っててください」と、外に運び出していた荷物をタクシーの後部ボンネットを開けて積み込み始めた。
運転手は「ちょっと、困りますよ」と言ったが、すぐ近くですからと、続けた(笑)。
当時の運賃で1000円もかからない距離だったが、「おつりはいいです」と言ったら、少ないチップでもちょっとは気分を直してくれたようだった。
友だちのほうはといえば、ほぼ身一つだった(笑)。
船員生活から突如、丘の生活だから、ホントに数着の洋服以外に荷物がなかったのだ。

そんな友だちとの、またしてもの同居生活だが、しかしそれもじつは長続きはしなかった。
同棲時代の話みたいだが、残念ながら異性でないところがむさくるしい。
べつに夜な夜な議論して反目というような、そんな繰り返しじゃない。
友だちは二ヶ月ほどすると突然帰ってこなくなったのだ。心配していると1週間ほどして現れ、かなり離れた東京の郊外の地での住み込みでの仕事が決ったので、と言う。
いまなら、はやいとこ電話で知らせるのが普通だが、ぼくらの時代には携帯はおろか電話はないのが当たり前。下宿の大家の電話だけが通信手段だが、なんとなくかけにくかったのだろう。
そして、ついにぼくの部屋ひとつ、一人での生活がはじまった。

友だちは船員生活でやや早く給料生活を経験しているので、ときどき訪ねてくる度に、その頃夢中に覚えていたポール・サイモンのギターのコピーを弾いているぼくに、「お金、貯めた方がいいよ」と言っては帰って行った(笑)。
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by past_light | 2009-07-21 19:45 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(36)
池の側で猫と見ている
どこかの池のそばにあるような村風情の情景が楽しめる盆踊りも、この蒸し暑さのなか、心配された雨にも祟られずに無事に終了した。
普段は静かな公園の夜もこの二日ばかりはおなじみの音楽と太鼓の音でにぎやかというか、やっぱりけっこううるさい(笑)。

というのもネコの目線で見ているからか。
茂みのネコたちと眺めている人間の部類のぼくだが、そのネコも反応もいろいろでおもしろい。
意外に、普段と違う雰囲気と賑やかな人手をけっこう楽しんでいるようなネコもいる。
またやはりびくびくと落ち着かないネコもいるし、食欲もなくすネコもいるし、その夜は現れなくなるネコもいる。

それも各自の性格もあるが、やはり年齢が主な要因のようでもある。
それは普段から何年も観ていて、ついこの間までは平気で現れていた場所も、急にその場所へ移動してくるのをいやがるような変り方をすることがある。
つまり、人間でいうと、あるころから急に気難しくなる老人のようだという感じもする。
いったんそうなり始めると、ネコはかなり頑固で、警戒心が強くなる。そのパターンにはまり込みやすいようだ。
きっとなにか、きっかけがありそうではあるが,主な原因には、やはり身体、体力の衰えへの不安からだということだろう。それからネコも老いると「好奇心」という反応も鈍くなるようだ。

で、人間もやはり同じようなことを感じる人も多いのじゃないか。
公園などで日課のように歩いている老人にもやはり、実に苦虫をつぶしたという表情の、それの動かないジイさんもいる。
歩く姿を観ていれば、ゆっくりと重い足取りで、きっと柔軟さを失ったその身体に,自らがまんならないという常日頃の気持ちの鬱憤もありそうで、致し方ないように思う。が、そんなに睨みつけるような視線をこちらに向けることもあるまい。と思いたい気持ちもある。

「どん」とベンチに腰掛けて、杖で地面をたたいてそばのネコをビックリさせているお爺さん。
ネコをなでている人に「猫はお嫌いですか」と言われて,「俺は猫は嫌いだ」という。
まあ、好き嫌いは仕方ないが,好き嫌いが自分にとって不快な感情を持たせるとしたら、「好き嫌い」はあまり当人にとって得じゃない感情だろう。
実際問題、老いという中にある問題というのは主客取り揃えてたいへんそうではある。

それでも、年齢とともに気難しくならないで,開かれた気持ちでいるということは人間にはできそうでもある。
何でもない日常の、とくにエポックな出来事でもない、さして輝いているわけでもない,そんな人や動物や植物や、「もの」との出会いに、思いだしては静かに、目を凝らし、耳を澄ませて生きていきたい。
それがぼくらの近くに「いつもいる天使」。
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by past_light | 2009-07-20 00:59 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(57)
閑話休題
よく考えれば、超個人的な話を書き続けるというのもおかしな行為だと思った。
ただ続けて書いていて、自分にとっては、ちよっとした発見はあった。

若い男が都会でひとり、ともかく生きているということは、案外面白いものじゃないかという気持ちもある。
だいたい田舎で悶々と閉塞感を感じて、獏としてなれど「自由」を求めて上京する十代も今にしても多いだろう。
たとえ、それが想像上の、きれいごとの「自由」というものであってもだ。
若者には(この言葉自体古すぎるけど(笑)、それだけで羽が生えたような気分で、多少の困難は屁とも思わないで都会の街を今も闊歩しているに違いない。

大志を抱け,とは言わない。
むしろ、若さの今の時間はそれだけで喜ぶべきものだ。
生は謳歌するためにあるのだから。

・・・ちょっとヘッセの世界みたい(笑)
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by past_light | 2009-07-17 01:31 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(69)
青い夏〜独白編
今日は梅雨が明けて、夏の宣言だという。
恒例夏の盆踊りが、今年は早、今週末にこの「村」では開催のようだ。
毎年、踊るばあちゃんたちの浴衣姿で夏が始まるという、来ても過ぎてもやや感傷的な夏の情緒。


海岸線が見えれば、やっと長崎の島原半島南端の町への帰郷。
そうはいっても、このときにはまだ東京に出て2年も経っていないときだから、なつかしさはさほどない。

そのころはこの町で初めての楽器店なるものが我が家だった。
ぼくが中学生の2年の頃、両親はこの土地に来て,そのちいさな店を始めていた。

家のある店先に着くと、おやじがいて、なんとなくとりあえず、「こんにちは」と言ってしまった。
するとふりかえった父親は、「ん、どなたでしたかな?」と眼鏡を上げてこちらを見た。
意外な返答に唖然としたが、「○○だよ」と言うと、なんとか納得したようでもあり、まだピンと来ていない風情のままでもあった。

このころは、長髪というほどではないが、のばし放題の髪だし、まあ上京する直前は、坊主からのばし始めて間もない状態だから人相も一変して見えたのだろう。

家に着いた頃には所持金は数百円あるかどうかだった。
今から考えれば、どうしてあのころはお金のことをあんなにも考えないで生きていたのか、不思議でもある。
普段でさえ自分の所持金を把握しないまま、学校へ行って、明日の生活費にも事欠くことに気がついた時があった。そのときは、あきれた友人の一人が500円を自主的に差し出してきた。
翌日、日払い制度のアルバイトに行き、そうして繋いだような日も多い。

若いというのは、過去よりも先きのことへ,変化へと関心が向いている。二三日も居れば、なんだか早く東京へ戻りたくなる。時間が止まったような静かな田舎には、長く居られないのだ。
それに、長居すれば、なんだかんだと話をしているうちには,父親との間も雲行きはあやしくなる。

久しぶりに変らぬ田舎の港町の静かな海を見て、変らぬ母と弟の姿を見て、ひさしぶりに四人で一緒に食事をして、なんとなくこの帰郷は顔見せ程度で終わってしまった。
数日後、しばらく生活できそうなお金をいただいて、さっさとまた東京にもどることにした。

このころは、どうしてせつかくある親の店を継がないのか、とよく同級生の友人からでさえ訊かれたことがあるが、もともと地元に暮していたわけでもなく、その町への愛着も乏しい。このころは、親との間もそれほど巧くいく気配もないまま、その狭い町に居続けるという選択肢は元来、心に1パーセントも占める余地がなかったのだ。
なんとしてもひとり、この地と親もとから、遠く離れて行かねばならぬ。ということだけがいつからか心にはあったのだった。

それは別にしても、現在から見れば、結果、この町は以前よりご多分に漏れずに過疎化への一途を辿っているという話を訊く。いまでは、家中で「早くやめておいてよかった」という話になっているのだから、実に未来とは不確定なものなのだと思うのだ。
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by past_light | 2009-07-14 19:30 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(25)
ボサノバとハワイアン
今日は昔話もお休みして・・
来る夏にはぜひ聴きたい、ぼくの好きなボサノバとハワイアンをカラフルにご紹介。
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アントニオ・カルロスジョビン、アストラット・ジルベルト、ナラ・レオン、イリアーヌ、伝統的なスティールギターの音色が美しいハワイアンタッチ、日本から、高木ブーの「ビンテージ」に小野リサの「ボサ・フラノバ」
それでは、アロハ!
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by past_light | 2009-07-11 20:35 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
青い夏〜銀河鉄道編
この数日は蒸し暑く、寝苦しい夜が続く。
昨夜,ネコに大量にえさをあげにくるおばちゃんと会ったら、「あついね〜。今日も寝れないよ〜」
と言っていたが,おばちゃんは昼寝しているはずなので,大部分はそのせいじゃないかと思う(笑)。


乗った列車はずっと乗客が増えることがなく、ひとり座席を占領できたので、それは幸運だった。時季的には夏も終わりに近づいた頃のせいだっただろうか。
このころの鈍行列車は、一日走っているような車両であろうと、座席のクッションは硬くて薄い板のような紺色のシートだった。よく座布団を用意して乗っているおばあちゃんなんかもいたと思う。
そういえば、車両の各パーツにはまだまだ多くの木材が素材として使われていた。
それから車内の床も板張りだった。そこからは常にかぐわしき(笑)オイルの匂いが立ち上っていた。

食べても満腹感のないせいでか、長い乗車の時間、ついつい駅に止まると駅弁を買っては食べた。それでもやはりなにか実感のない状態が続いていて、あとは車窓から外の景色を眺めてはうっとりしたり、うとうとしていた。

明け方に止る駅に着くと、窓から外の光景が実に旅情というにふさわしい感情をかき立てる。何本もの交差し入り乱れるかのような鉄のレールと、黒い列車たちの存在感。聴こえるベルや汽笛、水蒸気を吐く音、機関車のサイドから湯気の出ている水がこぼれ落ちている様・・。

今でも思うのだが,ぼくなどはけっこう腰の重いタイプで(財布は軽いが)、気軽に旅行とかしない方なのだが、いったん出てしまうとずっと旅先でうろうろしていたいほうで、旅の列車のなかでも、子どもの頃の記憶からか、えんえんと乗り続けて一生終えちゃおうか、というような、どこか根っこには放浪癖が潜んでいるような気もする。

翌朝早く、北九州辺りで乗り換えになり、そこから福岡方面と鹿児島方面へと線路が別れる。新しい車両に乗り換えて、それまでよりなぜか快適なクッションの効いた座席になって、やがてぼくはうとうとと強い睡魔におそわれた。
これは心地よい時間だった。完全に眠っているとは言えないのだけど、周りに乗客が増えたり減ったりしている感じがわかる。会話が時折鮮烈に耳に届く。ときに垂れた首を起して薄目を開けると乗客らの顔が見える。だが、夢なのか現実なのか、よく判然とはしない状態だからなんだか気持ちよい。
それはまるで、いわば銀河鉄道に乗っているような気分でした。
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by past_light | 2009-07-10 16:56 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(15)