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指で遊ぶ
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アウトラインが妙に手描きぽく、写真からブラシで作っていくアプリで作った写実。
こういうのを手描きしたら十倍以上の時間かかりますが、まあ描く楽しみってのもあるわけで・・なんとも。
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ペイントタッチがなかなかペンキぽくって指でごしごしやりたくなるアプリ.、細かい絵を描くより原色で画面いっぱい埋めたくなります。
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書道のアプリです。指で書くのですが、だんだん墨も薄くなったりして。
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人と書いてから・・ユビュ王みたいな顔になりました。
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CMでも見たことがあるBMWーでしたか、車の車輪で絵を描くやつ。ちいさなアプリでできる。
車を運転して描きますが、描いている間、CMの実写の画面みたいで、出来上がってみないと何を描いたのかわかりません(笑)。
北斎のはったりみたいな、アブストラクトが誰でも描けるのではないか・・。

以上、iPodタッチのアプリで。
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by past_light | 2009-05-31 03:06 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(8)
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もう数年前に死んじゃったネコなのに、よくこの子は写真いじります(笑)。
iPod touchで加工をしてみたもの。
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by past_light | 2009-05-27 00:50 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
「ある」」ことで、「ない」ものを浮かび上がらせる。
ずいぶん前だが、ジャコメッテイという彫刻家の展覧会を観ていて、もともと彼の彫刻は後年になるに従い、どんどん削られて無くなってしまうのじゃないかと思うように細く細くなった立像が特徴になったのだが、その一点を凝視していたら、どこを見ているのか判然としなくなって来た感じだった。
それはのちのち考えてみたら彫刻としての物体を見ていることで周りの空間を意識せざるを得ないような体験で、言ってみれば、そこに「ある」ことで、「ない」ものを浮かび上がらせるようなものだということを感じた。

「ある」」ことで、「ない」ものを浮かび上がらせる。
それがなんだかすごいことだと未だして思うのだ。

それをまあごく普通の生活感で捕らえられるかというと、どうなんだろうか。
むかし、お金がなくて人は「ない」ことで、想像を膨らませ、「あったらなあ」と夢見たりすることもあっただろう。
こどものときに欲しかったものが大人になって買えるようになって、そのころの「夢」だったまあおもちゃなんかを手に入れたりする人がいる。実に「ある」ようになっちゃったら、「ない」ことで培われた想像力のなかの「実物」と釣り合ったか、というと、意外に難しいテーマなんじゃないか。

「ある」ことで、「ない」ものを浮かび上がらせること。
やはり芸術的か、はたして宗教的か、というところで成立つのかな。
新型ウイルスもなかったものだが、「ある」ようになって大騒ぎになりました。
くれぐれご自愛ください。
そんな話にするはずじゃなかったんですが...(笑)。
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by past_light | 2009-05-22 02:19 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)
ゆるい猫写真
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おい、うさぎじゃないぞ・・ひひひ
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情けなかとぉー
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by past_light | 2009-05-15 01:47 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
小さな駅で降りた人は少ないか
五月晴れはどこへ。一挙に梅雨になっちゃったか、というような毎日になりました。

数日前から、この弱小ブログのアクセスが増え続けているようなので,不思議だと思っていましたが,ついに昨日は異常な数字に。といっても普段から二桁を超えることなど少ないから驚くわけだけど、なんとアクセスが750を超えている。それでまたサーバーの故障かと思ったりもしたけど、提供されているアクセスログのキーワードを観ていて謎が解けた。

山田太一さんの9年前のドラマ「小さな駅で降りる」が再放送されたせいだ。
それにしても、とグーグル検索でキーワード検索したらトップにページが出てくる。そのせいみたいだ。
グーグールって、いろいろ批判の多い昨今だ。谷川さんは怒っていたしね。膨大な世界の書物のネット図書館作りを始めているらしいからだが。「グーグールは傲慢である」と。
それでも我ながら自画自賛で恐縮だけど、確かに僕の書いた感想文は一読の価値はないとはいえない(笑)。今読み返してもドラマ自体の内容の先見性,普遍性にも改めて感心するが、その9年前の社会の状況において展開されるドラマがまったく現在に通用する、もっと深刻であり切実感があるものだ。
ぼくの9年前の感想は自分で読んでも恥ずかしくない思いのするものだった。それをちゃんと反映してのトップ扱いだと勝手に想像すれば、ヤフーの検索などを比較したら、単に放送スケジュールの大手案内サイトや、新しい日付のブログページが並ぶ検索よりも、ほら実に誠実なものじゃないかと、ここばかりは我田引水な感想を持たざるを得なくて、ひとり嬉しく思い、だったりだ。

そこでちょっと昨夜、他のブログのドラマ感想記事を二つ三つ読んでみたら、そういう社会の切実感はたしかにみんな感じているようだ。が、結論的にやっぱりでも「甘いよ」というひと言も垣間見えたりした。

「甘い」って、いかにも大人センスな言葉だけど、これが社会の多数を占めている間は、たぶん食の安全の不安も環境問題も家族の壁も過労死もなくならないだろうなあと思う。
どうして「甘い」と思うのか,そういう自分の条件づけられた感覚を疑うところから発想も発芽しないと、相変わらず亡霊のような動きの景気指数に一喜一憂する一生でぼくらは終わるだろう。

誰も事情がある。とぼくも書いた。しかも時代はさらに厳しいし、普通に生活するっていう基準だってどうやら曖昧な感じの世の中っていう思いもたしかにある。
しかし、一方では、人生、生きてみないとわかんない。という面も否定できない。経験的にも人それぞれ個性もありで、たとえ同じ社会のなかで生きていても、固定したどんなマニュアルもパターンも、一個、個人としては通用しない方が多いだろう。むしろ通用するのは画一的でおそろしい人間の集団だろう。
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画家のミロは、当初堅い仕事にやむなく就いたことがあるが、すぐに神経衰弱になり、のち天職の画家となる。画家になり貧しいアパートの一室で幻覚を見るほどの空腹のなか、とても面白い絵を描いたりしている時期があるが,そんな究極の苦労もあるということだろう。
人間の内部って、表面に現われるより先きに叫んでいたりするのだ。それに鈍感でやりすごすと、「自然の復讐」があるのかもしれない。

「小さな駅で降りる」の感想ページ
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by past_light | 2009-05-07 18:48 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)