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聴き手のマイスター、饒舌に語る。

 ここではよくご紹介するので、おなじみですが、亡くなった河合隼雄さんは、「聴き手」として、もうこれ以上ない相手だといつも感じられるのは、多くのさまざまな分野の人との対話を読んでいると思うことです。
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 「こころと脳の対話」。この 茂木 健一郎さんとの対話でも、やはり・・・と思いながら、さらに読み進めていると、対話の句切りの各所で、河合さんが、「もっと脳の話を聞きたかったなあ・・」と終るところが、この対話集の特徴になっているところを表わしています。
 茂木さんの深々とした関心が、河合さんの豊かな体験や思うところをいつにもまして引出し、読み手のこちらも、たのしく、おもしろく、尽きなくページを夢中で進めてしまう。

 河合さん没後の出版ですが、読んでいると、「聴き手」のマイスターといっても、それでも足りないほど。ほんとうに貴重な方を失ったなあと、改めて思われる。

 河合さんが「聴き手」としてのマイスター、ということの証しみたいな話がある。
 河合さんがよくタクシーに乗ると、運転手の方がなぜかよく、「じつは、ほかの仕事がしたかったんですよねぇ・・」などと話しかけてきてしまうというエピソードの中にもある。もちろん運転手の人は河合さんだとは知りもせず、気づいてもいないわけだが、つい「へぇ・・」などと答えてしまうと、運転手の人は尽きなく話しかけて来て、ついには道に迷ったり、間違えたり、ということになるので、だんだんタクシーに乗る際にはそんなムードに「乗らない」ように体勢をつくるようになったそうだ。

 箱庭の現場の話とか、また患者さんとの興味深い体験など、「割切れない」ことの不思議さ、おもしろさを、思いださせる話し満載だ。
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by past_light | 2008-11-29 18:02 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

児童奇術的大人論・序説

 大人になり、いやいやそろそろ完成しなくちゃ、なんて歳でしょう。世の大人のご同輩。しかし実のところなにが大人かわからなくなって、我ながらをふりかえりふりかえりしては「ぞっ」としているご同輩はいらっしゃるのでしょうか。(笑)
 まあイメージのなかの大人とはある種、理想の使用後みたいなものだろうから、大人を通り越し、いつか暴走老人とか・・、けして大人というジャンルは。歳をとるだけでなれるもの、時間と経験だけで成せるものではないだろうとは想像はつくわけ。

 前に大江さんの昔の対談で「大人になれば・・わかるんだろう、落ちつくんだろう」というようなこと、そう思っていたことが、年齢としては「大人」になったけれど、じつはまるっきりの間違いだと気づいた。・・とむしろそういう感じ方のほうが大人だなあ、と思うので、誰しも油断召されるな(笑)。

 ジブリの宮崎監督が、アホー・・じゃなくて、麻生総理の漫画好きについて質問されて、「恥ずかしいと思う。だまってかげで読んでればよいこと」と言ったということが新聞サイトで賛否の書込みを呼んでいた。

 宮崎さんは先日「ポニョ」制作の数年をドキュメントしていた放送をみて、少なからずというか、おおいにというか、幼児期、とくに母親との関係との整理のつかない思いを抱えたまま、それが作品にかならず影響をして行くという。その自分の内部、無意識へ執拗に、かならず触れて行こうとする、いわばしんどい作業を、制作過程など赤裸々に脇からカメラに曝している部分を見ていると、「ポニョ」は未だ未見だけど、「トトロ」などを思い起せば、時に気むずかしい宮崎監督にあらわれている「大人」とは、自身の「幼心」との会話、接点を、けしておろそかにしない作品づくりにあるんだな、と感じられた。

 それでそのプロセスの姿は、TVのカメラには、悶々と坐る背中や頭をかきむしるシーンでしか映され得ないもので、まあ、アキバにて宣伝カーの上から漫画好きをニコニコして語るものとはそうとう一線は期している類の大人ではあるんじゃないかな。
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by past_light | 2008-11-25 20:15 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)

引受ける

 先日TVに姜尚中さんが夏目漱石の話をしていたので、途中からだけど観ていたら、姜さんらしくてなんだか可笑しかった。
 可笑しかったというと語弊がありそうだけど、本人も時々にやにやしているので、可笑しいというのは楽しいという意味だと思う(笑)。にやにやといっても、ふざけているわけでもなくて至って真面目なんだけれど、ときにニヤニヤしてしまうというのは真剣な話を真剣にすすめて行く間に、なぜか挟まれて出てくるような不思議な現象だから、ちっとも嫌味じゃない。

b0019960_01073838.jpg 「それから」とか「こころ」について解説しているなかで、浮き出て来る夏目漱石っていうのはもはやイメージの中の文学作家の典型である。
 でも、それはものすごく当っている話。
 たぶん現代から見れば、どうしてそんなに真剣に悩むんだろう。とちょっと思ってしまいそうで、神経衰弱や胃カイヨウも、さもあらんという気持にならざるを得ないのだが、つまるところ、夏目漱石の描く人の内面生活などは、しんどすぎて、現代からすれば、ほとんどの人は深く考えることもなくやりすごして、のほほんと生きて行くほうを選んでいるような類のものだろう。

 たとえば、「こころ」で描かれる、「先生」の、若い時に魔が差したような、恋愛に於ける友情の裏切りともいえる行為が、時間とともに先生の内部を浸蝕する苦悩などは、現代からみてすると、競走し、奪うものであるような「恋愛観」からは、ちゃんちゃらおかしなものに思えるかも知れない。

  「それから」でも、やはりいわばタイミングを逃し、あるいは遠慮し、あるいは友情と履違え、愛する女を諦めたはずが、のちに退っ引きならぬほどの情念に身をまかせざるを得ないような展開を迎えながら、そのいまだある迷いを吹飛ばすかのような、女の言う「しょうがない、覚悟を決めましょう」という一言に戦慄する主人公の「それから」もなんともずっしりくる話でもある。

 そうして考えてみれば、「道草」にあるような、「嫌ならことわればよい」という細君の当たり前のような言葉にどこか頷けずに、自らを逃れられない情況へとややこしく追込んでしまうような物語のテーマの不思議にしても、姜尚中さんの言うように一言で説明がつくものでもあるのかと思った。

b0019960_01092833.jpg それは「引受ける」という精神だ。

 つまるところ芸術家の苦悩とは、ユングも言うように「この新しい統合の成就に伴う意識の態度は、本質的には『受容』というものである。さらに言えば、ある面を抑圧したり、ある特定な面だけを過剰に発展させたりして、自分の性質を曲げるのをやめることである」
というような人間の成長、統合へ向う避けられないものなのかもしれない。

 それはたとえばヘルマン・ヘッセなどの主題に典型としてあるような、人間の二面性、聖と俗、善と悪、力と繊細、それら両極を自身のなかに統合してあらたに強靱な精神、人間性を希求する魂の欲求なのかも知れない。
 それはときに夏目漱石が「門」において、その禅寺の門をくぐり入門する主人公にできなかったように、思考しつづけ苦悩を引受けるタイプの人間であるかもしれない。が、じつのところ在家して入門していたような方向でもあるのだろうなあ、ととりとめなく思ったりしている(笑)。

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by past_light | 2008-11-13 21:03 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

久しぶりにアート、アップしました。

先日の展示会に出品した最近の絵を、まとめて15作品、アップしました。7ページあります。
こちらから更新ページはじまり・・
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by past_light | 2008-11-10 02:07 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(4)

人間の品格

 たとえば、人というものの品格はなにかと思うと、だれかがベストセラーになるようなモノを書いたようなお行儀めいたものなどではなくて、それはまあある程度のことで、筑紫さんが亡くなり、歴代のアシスタントのひとりの女性が、「本当に何も知らないわたしに、こんなことも知らないのか、とか、叱られたこと、馬鹿にされたことがいちどもありません」と偲んで語った言葉を訊いていて、人間の品格って、そういう人のことを言うのだとおもった。

 傷つくのがこわくて、対人間では心を閉ざしがちだったり、自らをあえて証しがちなようなことを口にすることを人は警戒しがちかもしれない。
 それはたしかに世の中には、無防備に語ったこと、人の弱みと思われたようなこと、それを訊いて嬉しがるような人種がいるせいもあるだろう。
 経験的に、たしかに無防備にあっけらかんと話したことを訊いた相手の表情とかで、一瞬ハッとする経験は何度かある。
 その後、どこかである種の風評と化していたり・・、そういう経験で胸に痛みを覚え、対人間で気を許すことにひとは警戒するようになったりすることも多いのかも知れない。
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 筑紫さんは、たしかにけっしてそんな下品な部類の人間とは違っていたと感じていた。
 あれだけ忙しいのに、文化に興味が深く、たとえば映画ひとつににしても、ものすごく沢山観ていて、ジャーナル的なものにかぎらず、小栗さんの映画なども確実に楽しめていたひとだった。

 長年、ニュース23で筑紫さんを観て、訊くことにあたりまえのように馴染んでいたが昨年からそれが断たれ、最近、あまり音沙汰のないことに、こころによぎることはあった。昨日ニュースサイトの文字に「あっ」と声が出た。

 多くの筑紫さんを偲ぶ声を聞いていて、そうだなあ、淡々と長生きするだけででも価値のある人生だと河合隼雄さんのことばなどからも思ったけれど、筑紫さんのような惜しまれすぎるような存在もこの世にとってはありがたすぎるほどのものなのだともおもう。

ご冥福をお祈りします.
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by past_light | 2008-11-09 02:17 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)

展示会も無事に終了しました。

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ご来場ありがとうございました。
今回も楽しい展示会でした。

いろんな方にお会いする機会にもなりました。
だいたい、日頃の生活からいえば、この1週間で1年分、、人とお会いするのですよ(笑)。

ブログのお友だちとも、はじめてお目にかかれました。
ホントにありがとうございました。

松屋銀座のフロアで御世話になる店員の方々も美人ぞろいですよ。次回は男性諸氏も是非 ! (笑)

またの機会にお会いするのも楽しみにしています。
取り急ぎご報告まで。
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by past_light | 2008-11-05 14:51 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(2)

過去と現在、記憶のコラム。関連ありなTBはラヴリー。リンクはフリー。コメントはブラボー。


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