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本年もお世話になりました
プライベート(変則3枚組)2008年猫写真カレンダーPDF

A4サイズでプリントできる PDFファイル三枚組です。
御家庭のプリンターの印刷設定で、(用紙に合わせて縮小)を選択してプリントして下さい。
PDFは、ダウンロード(デスクトップに保存)してお使いになるとブラウザで開かなくて済みます。
個人用に、けっこうテキトーに作っていましたら、家人が猫好きの知り合いのおばあちゃんにあげたいということで、ほのぼのタイプに仕上げました。
ちょっとダサイ作りになりましたが、カレンダーなくて困っている方のみ、お使いください(笑)。
日付けは、フリーの素材をベースにしましたので、間違いないと思いますよ。

★素材ルームよりどうぞ

本年もお世話になりました。
どうぞ良いお年をお迎えください。
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by past_light | 2007-12-29 22:19 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(4)
羽田発福岡行き
 羽田発福岡行きJAL203便。前もってインターネットで買うようになってから、航空運賃の不思議をおもう。買い方、時期やらで二倍も値が動く。

 着陸のための下降。福岡にはその日暑い雲があった。何度もエレベーターが急下降するような血の気が引く思いをした。これが飛行機の慣れない習慣。

 福岡の両親も昨年と同じように、と思う面もあるが、母七十と父八十を超えての一年はやはり大きな時間だとおもう。
 昨年よりやっぱり歳を取ったのだということがありありと実感される。
 それはこちらも同じだけれど、二十歳の人が二十一になるのとでは、そうとうに違う時間の流れであり、生きるという仕事の疲労ににも似た痕跡を残す。

 それでもまだまだ元気だ。と思いたいというのが誰しもの想念だろうか。
 
 帰郷のなにが最大の理由かと言うと大掃除である。一日は大きな窓ガラスを外から拭くことで費やしてしまう。それから次は室内の高い場所にある様々な器具やらなんやら。これで東京の自宅を大掃除する余力を失うんだけど、それはぜんぜん平気です。うちは小掃除に徹しているからだ(笑)。

 すぐ近くにある大きなスーパーの最上階に映画館、シネマコンプレックスというか、何本もの映画を上映しているので、何十年かぶりに午前中に映画を観ることにした。なんと最初に座った客だ。上映が始まる頃、やっと二十人ぐらい座席は埋まる。「続・三丁目の夕日」。
 評判では一作目を上回るとか・・、はっきりいってウソです。(笑)
 小さな話が平行していくつも欲張っての、そして残念ながらすべて盛り上がりに欠けます。やはり前作をテレビで観ての感想に書いたように、そんな心配が適中した。ドラマもテレビサイズだが、オープニングにゴジラが登場する空想のエピソードはりっぱにシネマサイズ。これで一本作ると面白そうだと思いながら、映画は始まる。

 観終って、次回作はもう無理だろうと思う。あとで、主演のひとりが、もう次回作があってもやらない。と言っていると耳にした。出来うんぬんよりも、実際にマンネリが避けられないテーマ、続編の世界だから、賢明だし妥当なことだと思う。

 福岡は、まだまだ街が密度を増して行く感じだ。建設ラッシュの箇所も多いようだ。空気も、夜空を見上げての星の光も東京と変わらない。オリンビック誘致に成功していたら、きっと中国みたいにもっと忙しないことになったかもしれない。

 帰って来たら、一番会いたかった(笑)公園の猫たちが出迎えてくれた。
 公園の池の周りを歩けば田舎に帰って来たような気分。
 さて、今年もクリスマス気分は忘れたまま、あれよあれよと年末に突入だ。
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by past_light | 2007-12-25 20:50 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)
ただ悪いだけで、良いところはなにもない
 福沢諭吉は、人間というものをよく知っている人でした。と大江健三郎さんは書いている。(著書・「新しい人」の方へ)

 人間の素質のなかで、ただ悪いだけで、良いところはなにもないのが、「怨望」(えんぼう)である。

 「乱暴(粗暴)な素質の人には、勇敢な、という良い素質がある。軽薄な人には、利口(伶俐)なところがあるといってもいい。
 しかし、「怨望」という素質だけは(人をうらやむ、嫉妬する)、良い素質とつながっていない。なにか良いものを生み出すところが全くない。」

 ううむ、乱暴者も軽薄者もあんまりありがたくないが、たしかに「怨望」というのは最悪かもしれない。しかも、これはけっこう誰しも他人のことだとばかりにい言っちゃあ、すまされないような微妙なものだ。それはそして、・・何も良いものを生み出さないし、まったくもって下品な素質だ。

 たとえば、隣の芝生が青く見えたりする話は昔からあるわけで、仕事なんかだと、自分とは距離のある分野、あまりかかわりのない分野などには鈍感力でというか、関係ないよ、と言っていられるとしても、こと同じ分野とか業界とかでは、「むらむら」していたりとか、少しでも胸に、耳に痛みを感じたらお互い気を付けましょう(笑)。

 それから、大江さんは自分の子供時代の経験からつなげて、「怨望」は子供の世界では「意地悪さ」に近い。という。
 じつは、よくよく見てみれば大人の世界もあまり変わらないですよね(笑)。

 #一週間ほどネットを不在にします。トラックバックは最近有難くないものも多いので、ここのアドレスが記載されているものに限られる設定になります。
コメントを頂いたら、帰ってからお返事差し上げますので、よろしくお願いします。
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by past_light | 2007-12-14 16:15 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
経済音痴の感想
 経済のことは、ちんぷんかんぷんなんだが、まあ、シロートらしく、わかりやすくテレビで見た話をするのも悪くないだろう。

 中国はもうモーレツに成長していますが、それでも独自の国を代表するブランドが少ない、ということにかなりコンプレックスを持っているようだ。

 テレビでの話は、(日本語で書くけれど)「ワハハ」というブランドが、日本でもヨーグルトなどが有名なフランスの「ダ○ン」ともめていると言う話。
 20年前に、今の社長が最初は自転車販売で立ち上げた飲料メーカー が「ワハハ」だ。いまでは中国全土でそうとうに有名な会社へと成長したブランド。

 それはきっかけとしては「ダ○ン」に出資や技術の恩恵を受けての成長でもあるのだが、企業提携する際に「ワハハ」の商標を、「ダ○ン」に委譲するようなことになっていたということだ。
 その後「ワハハ」は実質的な買収を警戒して、同ブランドでの他の製品の開発販売をし、それも成功した。それを「ダ○ン」は、ブランドの無断拡大使用というか、そういうことで訴訟した。
 買収を警戒して、ということだが、実際、「ワハハ」の株は、当初双方が40%ぐらいづつを所有しあっていたはずなのに、いつか「ダ○ン」は50パーセントを超えて所有していた。
 しかし「ワハハ」の国際的に通用する中国ブランドを育てたいという思い、また、そういう形で商標を奪われ、消えて行った中国ブランドの歴史への反発も国民にはおおいにありそうだ。が、「ダ○ン」に対して「ワハハ」は、過去の資料等をつぶさに集めて(たとえば中国政府は国内のブランドの海外への委譲を認められない)、商標は自分たちのものであり、「ダ○ン」は奪おうとしている。という戦いを続けている。

 聞いていると、決着は、つまりこれは法律上のことになってしまうのだろう。
 しかし、「ダ○ン」は、「ワハハ」ブランドをひとつの経済的、戦術的な「所有物」として考えているのは、ほかのいくつもの飲料メーカーをも同じように提携していたりするところを見れば、明かかもしれない。つまり「儲ける」方法としての経済原理で何ごともクールに運んでいるということだろう。
 そういう経済の常識的スタンスから拝聴すれば、いい悪いとか、言ってもしょうがないだろうけれど、ことぼくのような外野から見れば「コソク」で「醜い」とも映るのはこちらの勝手だ。

 とはいえ、「ワハハ」の社長としたって、20年前自転車で売り歩き、がんばり、それで大会社までできたころ、さらに大きくするために「ダ○ン」の資本提供を欲したわけだ。で、巨大に成長することで、この一件は皮肉にも自ら招いた結果のひとつでもある。

 巨大なホールで開催する、中国全土に行き渡る販売網の高売上店の店長たちを壇上に招き表彰し、高級車を何台も奮発して、さらなる団結と成長を、と演説する社長の姿は、なんとも一方正直、空しくも見える。

 果てないような訴訟合戦、戦術。たとえ中国ブランドを育てたいという思いがその動機につよくあろうとも、それらは人間にとって大きな心労でもある。
 人間が人生をそれに費やすほどの意味があるのかは、ぼくには不可解で、それに頷くにはタイプが違い過ぎるのかというほかないが、どうにもなぜか空しさの残る話だ。
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by past_light | 2007-12-13 02:16 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
正気でいこう
 テレビのニュースの特集に、青い目の人形が、歴史をくぐり抜けた存在感で映っている。
 アメリカ生まれのセルロイド、その人形は、80年前に親日的な思いを込められて全米から集められ、日本の各地にたくさん贈られた。
 少女たちの目が輝いたことは想像できる。

 しかしいつか大平洋戦争がはじまり、敵国の憎き「青い目」として処分を命じられる。叩き壊されたり、焼かれたりした。
 それでも秘かに幾人かの人の手でかくまわれ、救われて、今日まで生き延びて来た人形だ。

 その話を聞いていて、思う。
 いま思えば、どう考えたって、バカみたいでしょう。はずかしいでしょう。大人気ないでしょう。気が触れてるでしょう。正気じゃないでしょう。

 でも、戦争というのは、そういう狂気がわからなくなる人たちがたくさんいるということですし、平和な時にも「正気」じゃないと、もはや戦時となれば「狂気」に呑み込まれるのはかんたん。そういうことをやっぱり忘れているんだな、と。
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by past_light | 2007-12-11 02:10 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
ユーモアは人生にひそむ天使の透かしである
大江: 僕の家内は、僕の友だちの伊丹十三の妹でしたが、僕が彼女と結婚したのはね、伊丹君は天才的な男ですが、実社会ではうまく生きていけないだろうと、妹は代りに僕が引き受けてやろうと、ゴーマンなことを高校生が考えたわけですね。

小澤: ああ・・・。

大江: 実際にはいろいろあって、やっと結婚してもらったんですが、結婚してから一年半くらいは僕の話は八割り方分からなかったそうです。

小澤: ・・・(笑)

大江: こちらは、なにか謎を秘めたような感じの彼女の対応を、美しいと思ってたんですが。

小澤: アッハハハ。

大江: そういう幸福な誤解ってあるもんですね(笑)。

引用は「同じ年に生まれて」 小澤征爾・大江健三郎
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by past_light | 2007-12-09 21:15 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(2)
尾道それから、それから
 むかし尾道三部作かの有名な第一作「転校生」が地元で試写された時、「お前は、尾道に恨みでもあるのか」なんて、今にして思えば目が点になるような言葉を大林さんは言われたことがあるという。
 つまり観光アピールになると思っていた地元の大人には、古い家屋とか、寂れたふうの変哲もない港とかばかりが背景にあり、当地にとって特にアピールしたい観光地と目されるところは映されず、むらむらと頭に来たんだろう。

 それで、上映も怪しくなるような時期がいったんあった。
 しかし、映画を見た子供たちの「自分たちの映画を初めてみた気がする」などの感動の声に後押しされ、映画は無事に映画館にかかることになった。その後のことは大林映画のファンならずとも御存じの現象が全国に行き渡った。
 各地から映画を観て感動し、尾道に詰め掛けたファンを、今度は喜んだ地元のなにがしかの方々は、映画の記念になるものを建てたり作ろうと大林さんに持ちかけたりする・・。果ては銅像とか。
 大林さんはすべてをことわり、「では、ロケ地の案内図でも」とかという話に、大林さんは、尾道で「迷子になるマップ」を作った。

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 もう十年前になる。ぼくが尾道に最後に降り立ってからだ。
 その頃の尾道は「セピア・尾道それから」などにも書いたように、駅は何の変哲もない、午後の陽射しが差し込んだ田舎の落ち着いた駅、その駅の入り口を外に出ると目の前には港、瀬戸内の海があった。高いビルはなく、目の前の町は懐かしい空気に満ちていた。駅前の本屋で「迷子になる」マップをもらって歩きだせば、普段着の尾道を満喫しながらの散歩がはじまっていた。

「どうぞ、尾道で迷子になって下さい。あなたの尾道を見つけて下さい」

 ぼくは確かに迷子になりながら、どこへ行くともしれない山道を歩いたりもした。ある道ではお爺さんに声をかけられて、「あそこではセットだったんですよ」と差された指の先を見て、「時をかける少女」で、ラベンダーの温室があった深町くんの家のことだと思い当たったりした。
 不思議に何人もの老人に声をかけられたのが印象的だった。その地の人には一目でロケ地を探して歩いている観光客だとわかるのだ。それはその地の日常のひとこまで、ぼくらが出会う場所は老人たちの散歩の途上であり、老人たちの家の前だったりした。

 いま、駅前は大きく変わったという、その尾道をぼくはまだ見ていなくて、最後に行った時の尾道では駅前にバカ高いビルが建築中でなんとも吃驚したものだ。
 現在の駅を写した写真を垣間見て、少なくとも、あの駅に降り立った時の、なんとも穏やかな、ごく普通の尾道の日常に紛れ込むかのようなふうには行かないんだろうなあ、とちょっと想像はしている。

 大林さんの娘さんが成人式を迎えた日に、彼女が遅く帰って来て、その日に撮って来た写真を見せてくれた。その日の出来事が順番に映っている。
 最後に夜になって撮ったらしきセルフタイマーでの写真には、後ろにぼやリと民家があり、娘さんはどこかしょんぼりした感じで自分を写している。
 「これ、どこでとったの」
 「ああ、やっぱりわかんないのね」
 聞くと、前に住んでいた大林さん家族の古くて小さな家だ。
 大林さんは、今の前の家とくらべれば大きくて快適と思う家に引っ越して、さぞかし娘も幸せだろう・・。と思い込んでいた。しかし、娘にとって、子供のころから大きくなるまで住んだ、その想い出多い古くて小さな家が、彼女にとっては、かけがえのないふる里なのだ。

 観光地であろうが、なかろうが、ひとり迷子になって歩くのは楽しい。そしてすこし心細い。それは子供の頃に感じた隣町への冒険と、心持ちさして変わらない。が、なぜかそこに居たことの、印象としずかな懐かしさが残る。「旅」の本質を味わうことなんだろう。
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by past_light | 2007-12-05 19:24 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)