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夢と日常を和解させる淀川少年〜淀川長治物語
 スクリーンのなかに箱庭のように浮かび上がる明治から大正にかけての神戸は、夢のような華麗な風景、映画に魅了されていく淀川長治少年の楽園のようでもある。
b0019960_02554157.jpg 亡くなるまで何年もおつき合いがあっただろう大林監督の淀川さんへの敬愛が、小中学生までの長治少年役の子役さんによって託され、じわり伝わってくる。
 この子役さんの天才的な表現力はなんという素晴らしさだろう。
 「野ゆき山ゆき海辺ゆき」の林泰文くんが登場した時も素晴らしかったが、長治少年を演じる子役はさらに凄い。

 忘れられないシーン、お礼に貰った活動写真の1等席チケット2枚。友だちと観るために映画館の入り口で待つが、来た友だちは「淀川君から貰ったお弁当を食べた時から、なんだか落ち着かないんだ(この友人はいつもお弁当はおイモだったのである)、淀川君と対等で居たいから断わりに来たんだ」と言う。
 その時に「ほら、2枚もらったんよ」と自分の胸にチケットを差し出す時の長治少年が、そのまま淀川さんのしぐさ、あの女性的ともいえるスマートでダンディな身ぶり、モーションにまさにそっくり、ぼくは眼を見はり胸が熱くなった。

 活動写真と現実の間にある壁を超えた、いわば夢と日常を和解させ、歩み寄らせようとするかのような淀川長治少年は、スクリーンと観客席を軽々と行き来して、人生の最初に関わってくれた愛すべき、懐かしい登場人物たちと、かけがえのない時間を過ごす。

 もともと裕福きわまりない暮しから、逃れられない時代の変化にも翻弄され没落していく淀川家を、長治少年の姉が「最初からなに不自由なく持っていた者は、失していくのが楽しみ、宿命なんよ」と言う。

 市川森一さんとの共同脚本。よくこなれた語りと台詞もふたりが力を注いだということが伝わってくる。
 こういう映画話法、軽快さと深さを同時に滲み出す映画作家は、やっぱりめずらしいと思った。

淀川少年--淀川長治物語~神戸編~サイナラ」

(テレビ朝日で淀川長治さんの一周忌特別番組である、大林監督の「淀川長治物語~神戸編~サイナラ」の当時の感想より)
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by past_light | 2007-08-29 01:08 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)
ローズマリーの催眠術
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猫がこの家のちいさな庭にいなくなってからというもの、とかげくんは自由奔放だ。
しっぽを置き土産に逃げる機会もなく、ながいながいしっぽで健康そのもののようだ。

子供の頃ちかくの草むらからとかげがよく出て来て、ちょっとさわろうとするとしっぽをぷちっ、・・と、音はしないが置いて逃げていった。
置いてけぼりのしっぽは、独立した生きもののようにぱたぱたいつまでも動いていた。

近くで見るとかげは、そのまま大きくすればあきらかに恐竜だった。
ということは、アリくんたちなどにとっては恐竜なんだろうか。
白昼に、そんなことを考えたわけではない・・。むにゃむにゃ、ぐー・・・(- -
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by past_light | 2007-08-27 01:36 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
象徴派の夜が来る
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まだまだ、暑い日が続くけれど、それでも「酷暑」と言う言葉はいらなくなった感じだ。

古本でしか手に入らなくなっている本は多い。探し回るとたいへんな労力だろう。
図書館で見つけた本に、手元において読み返したいという本があった。しかしネットで見たら絶版ものだ。古本屋を探せばどこかにあるだろうが、むかしほどにかける時間と労力を楽しいと感じるほど余裕はないから、アマゾンの古本出品で一番安いところで購入した。ついでに同じ著者の他のものも買った。その値段は2冊めが送料より安い。
理由はないが、おそるべし時代だ。
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by past_light | 2007-08-25 20:33 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
暑さを語る。
 なんだか息苦しくて目が覚めた。
 一息ついた、なんていっていたら、翌日からまたまた猛暑がもどる。
 おーい、もどってこなくていいよ。
 戻れば、それから猛暑はいつ終るともなく続いている。

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 トウキョウは今日は38℃まで上がったようだ。三年ぐらい前、36℃だ、と溜め息ついていたのも信じられないほどだ。
 何十年も前、トウキョウに来た頃、夏の暑さは九州より辛く感じたが、それでもたぶん31℃から33℃がせいぜいの気温だったはずだ。

 つまりトウキョウの夜はヒートアイランド現象ということらしい。気温が下がらず、風もないと、亜熱帯の夜だ。トイレに入るとサウナの代りになるし、今年の日中の陽の強さも海岸の砂の上なみだ。

 公園の猫も今年はみなぐったり、オス猫のアレルギー持ちは蚊の攻撃にもやられっぱなしだろうだが、それより街中のビルの隙き間の猫なんて生きのびているか、・・・
 あるいは ねりりし、きりりし、はららしているか、それゆえ地球人は とても不安である。
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by past_light | 2007-08-22 20:23 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
夕闇迫る猫道
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今日は暑さが一息ついた。昨日とは10度も違う。
それでも場所によっては、まだ蒸し暑さが感じられる。
なんだか夕方が早くなったか。
猫道には今日も無事に夕闇が迫る。
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by past_light | 2007-08-18 21:23 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
蝉の知らせ
昨日からこのニュースは気になっているが、ただただ、このところ異常に暑いからだけではなく、30年、いや50年予想を速めているような事態なのに、大騒ぎしないのがかえって無気味だ。↓
北極海の氷の面積が観測開始以来最も小さくなっていたことがわかりました。これは、国連の予測よりおよそ30年も早いペースです。
海洋開発研究機構は、「今回観測したデータは、国連の機関が予測した氷の流出の進行より30年ほど早いもので、現在の予測は、北極海で起きていることの実態を説明仕切れない」と指摘しています。


今年、この夏、街路樹の下などを歩いているとやたらと蝉が落ちて来ます。鳴き声もすごいし、ボタッ、とホントウに音を立てて彼らは時に身体にぶつかって落ちてくる。道には絶命寸前の、また死骸が毎日落ちています。アゲハも庭によく来ます。大きなアゲハ、亜熱帯地方にいるようなカラフルなアゲハ。↓
かつて南西日本に分布したクマゼミは、首都圏の街路樹を占拠しつつある。九州周辺が北限とされたナガサキアゲハの生息域が、埼玉県まで広がった。海の中では、水温の上昇によるサンゴの死滅やクロマグロの減少が進んでいる。

テレビでブータンを五木寛之さんが歩いていた。
主に仏教についてだったが、仏教が生活に根付いているというか、日本では想像できないほどに人生観、価値観、日々の生活と密接であり、それは自然である。
もちろん、どちらにしろある意味では、よしにつけだが、「伝統」に従順であることの姿かもしれないが、しかしそれでもなにか日本で、ヒステリックに「伝統」と言っては押し付けがましいイデオロギッ種に聴こえるもの、考えることとはまるっきり違う感じがする。
街の人たちがインタビューされて「満足しています。幸せです」「欲は切りがありませんから」と穏やかでにこやかに答える姿は、けっこう日本に住むものとしてはショックですらある場面。
しかしふりかえり、仏教、、御葬儀式とかは日本のほうがお金のかかる豪華さですね(笑)。
ブータンの国民総幸福量という考え方・・「(輪廻の途上である)ほんの短い今の人生、満足して生きなければもったいない」。その夜訪れた酒場の主人は言った。

2005年、ブータンで初の国勢調査が実施された。最後の設問「あなたはいま、幸せですか?」に対して、「すごく幸せ」45.2%、「幸せ」51.6%。あわせて96.8%である。」


「戦争のできる時代は終った」と言っていた人がいる。
むしろ世界にとって、命取り、戦争は死期を速めるだけのチョー贅沢なことになっているということだろう。
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by past_light | 2007-08-17 17:02 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
マイク・グラベル静かに語る
ド根性大統領候補マイク・グラベルは「ベトナムでの米軍兵士の死は無駄ではない。兵士に謝罪せよ」という批判に応えて、こんなことを書いている:

「・・・南ベトナム陥落後、アジア全土に共産主義が拡大するという不吉な予測は実現しなかった。共産国であっても、アメリカ合衆国とベトナムは今や最も良好な貿易関係を築いている。ホーチミン市に行けば、バスキン・ロビンスのアイスクリームを買うことも出来る。

30年間もの無用な流血の結果、5万8,000人ものアメリカ人が殺害され、数万人が手足を失くし精神を病んで帰還した。自己を犠牲にして祖国に尽くした兵士達には敬意を表すべきだ。しかし、彼らの英雄的行動が戦争そのものの無益さを軽減したわけではないことも認識すべきである。現在、イラクで同じ過ちを繰り返すことで、我々は退役軍人や戦地の兵士たちに対して非常に酷い仕打ちをしている。なぜ我々が再び同じ過ちを繰り返しているのか問うてみるのは公正ではないのか?」

テレビに登場すれば怒鳴ってばかりのマイク・グラベルだが、しかし戦争に対する彼の主張は沈黙を通じてさえ広範に知らされるべきだと強く感じる。


 VIP警護・狙撃兵から反戦への道程
・・・私は“巻き添え被害”から家族を護ろうとした人々を殺害し、命を奪ってきた。イラクの少年らが“アル・カイダ”のような集団に加わるのは、米国の浮浪児たちが“Cribs”や“Bloods”のようなギャングに加わるのと同じだ。それは自己防衛のためであり、威厳のためであり、抵抗のためなのだ。

父親やいとこが我々によって“偶然”殺害され、戦車が近所を通るたびに母親や親戚が泣き叫ぶのを見てきた若者たちにとっては、オサマ・ビン・ラディンが誰であろうと知ったことじゃない。我々が攻撃する“民兵”は、政府を信用しない近所の武装監視集団と何の違いもない。我々も政府を信用できなかったが、権力を与えてしまった。
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by past_light | 2007-08-16 15:52 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
ニュース記事・・わだつみのこえ
「最後になるかも」息子亡くした101歳母、車いすで参列

しかし、欣平さんは、出征前の身もだえするような葛藤(かっとう)を、その日記に残していた。

 <九月二十七日 自分は命が惜しい、しかしそれがすべてでないことはもちろんだ。(中略)死、死、一体死とは何だろうか。(中略)政府よ、日本の現在行っている戦は勝算あってやっているのであろうか>

 <十月四日 もう学問など出来ぬと半ば捨て鉢とでもいう気持ちになると、小説がむやみに読みたい。(中略)ああ もっと本を読んでおけばよかった>

 <十一月某日 俺(おれ)は気が狂いそうだ。(中略)戦争、戦争、戦争、それは現在の自分にとってあまりにもつよい宿命的な存在なのである。世はまさに闇だ。戦争に何の倫理があるのだ>

「今年で最後になるかもしれない。どうしても行きたい」。体調を危ぶむ家族にコトさんはそう言い張って、二十数年ぶりに全国戦没者追悼式に参列した。「最近は布団に横になりがちなのに。何か感じているのかもしれません」と、三男の彰平さん(67)は話す。

読売オンラインの記事
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by past_light | 2007-08-15 16:01 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
戦争モノを続ける
 水木しげるさんの自伝戦記漫画「総員玉砕せよ!」(1973年発表)をドラマ化したNHKスペシャル・終戦特集ドラマ「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~」
録画しておいて観た。

 「はだしのゲン」とはまた違った角度から見る戦争の中身だ。
 それにしても戦争で左腕を失った水木さんのことは知っていたが、こんなラバウルの最前戦で、2度の玉砕するはずの戦場から生きて帰ったということは初めて知った。
b0019960_02591451.jpg NHKスペシャルドラマらしい、凝った、そして演技人も緻密であり存在感がありで、香川さん演じる水木さんが巧みなキャラクターになっていて魅せるし、話の運びもたのしい。
 たのしくてもやはり戦地の生な現実感はみっちり出しているから感心する。
 映画「野火」でも戦場の実感を切実に感じたけれど、このドラマでも、一方ではアニメも使用し、ファンタジー的な脚色もされながら、そこではかなり現実感を大事にしている。

 そして、水木さんの下記のこの言葉に非常に頷く気持ちになるこのごろ。
 きっと「あちら側」でも「こちら側」を心配されているのだろう。

 「『総員玉砕せよ!』は90%事実。戦記ものを書くと、わけのわからない怒りが込み上げてきて仕方ない。戦死者の霊がそうさせるのではないか」

内容の詳細、東京新聞
このドラマのNHK特集ページ

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by past_light | 2007-08-14 04:06 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
シンジに食べさせたかった
 暑い。ものすごくひさしぶりにコンビニで「はろはろ・・」のかき氷を食べる。どう見ても若くないが若づくりな夫婦ら式カップルだ。座って食べる。座れるスペースがあるからだ。
 昨日から「シンジにも、たべさせたかった」と台詞が頭の中に出てくる。スーパーのパン売場で子供の姉弟がいた。つい悪戯心で同じ台詞を口にしたら、ふたりともぼくをジッと見つめた。配偶者が「まだみてるわよ、ばかね」というような台詞をぼくに言った。

b0019960_03025075.jpg 「はだしのゲン」の二日連続してのテレビドラマがあったから録画して観た。
 山田太一さんは、映画の目と同じ目でテレビドラマを観、考えるのは間違っている。けれど、今そうしてしまう人が多い。場所、環境、あらゆる条件の違いを忘れて「映像」による表現に執着することの不合理、それを忘れている、とは確かにそのとおりだろう。

 そういうことはまたいつか後で考えるとして、やはりとくに一回目の原爆が落ちるまでの物語、そしてその後の生き残った者の苦しさ、原作にある精神を無駄にせずにお茶の間を引き込むことのできる良質なドラマ。あえてある意味の教育映画とすら言ってもいいだろう。げんに、ドラマのサイトに寄せられている膨大な感想を読んでいると、お茶の間、家族で観ていろんな意味での有意義さが感じられているというものが多かった。フジテレビがやったというのは意外(笑)。これからも頼みます。

 子役のふたりが最初はすこし器用すぎるようにも感じながらも、ふたりの元気さがよけいに現実の出来事の痛みの強さをだんだんと際立たせた。

 父と姉、そして弟のシンジが、崩れた家屋の下敷きになっての場面の子役の頑張りはたいしたもので、よくあれだけリアルさを出せた、と拍手したくなった。想像力に助けられるはずの「痛み」「恐怖」を、シンジの子役はきっと同じ年頃の子供たちにも「痛くて恐い」ことを伝えられたと思う。
 きっと胸がはり裂けそうな思いになった親御さんも多いだろう。涙が出て仕方ない場面のひとつだ。

 やっぱり、イモのしっぽも食べて、ひもじい思いでなんとか生き繋いできた生活者がその命すらも断たれて、一方、戦争に固執していた日本の国の上層にいた連中は何を食べていたか気になるし、連中がもう少し物わかりがよければ、何万という、そして今も残るような苦しみをつくることもなかったかもしれないという切実な自覚があるのか、そうとう疑問な今の日本をも思う。
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by past_light | 2007-08-13 03:33 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)