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日本人という病

 特に芸術家の話などを読んでいると、「日本」「日本人」である自分というものに、外から、内から、と誠実に向き合っているところを感じ、世に言われる「日本、日本人」などといったアイディンティティの浅薄さを思ってしまう。
 それは政治家なんかがよく説教、押し付けがましく言うものとまったくちがうものだ。むしろそれは、内省であり、良きと悪しきを冷静平等に我の内に見つけ、逃れがたい部類のその国に生まれての身元検証、とでも感じさせるものだ。
 また心理学者の河合隼雄さんなども、その著作の「日本人という病」というタイトルが示すとおり、外の国においての学習、滞在期間の中から浮かび上がってくる自らの中の日本人を、バランス感覚のある観察でえぐり出して語っているように感じた。
 自ら聴衆に、「・・それで私の病は何だろうと思いましたら、日本人という病、だと思いまして」と言われている。
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 先日の政治家、財団などの「自殺」による「けじめ」、また日本で独特な「ともあれ、侍だった」という一部の人の感想も含めて、きっと西欧では実に理解しがたいものだろう。死者にむち打つ必要はない。だがなぜ美化するような発言が必要か、理解しにくい。

 思い出すに映画「戦場のメリークリスマス」のなかでの、将校ヨノイ、ハラ軍曹、そして西欧人であるロレンスとの、あのなんともいいがたい壁、断絶と接近と、合いまみえることのない価値観。しかし、そしてその先にある人としての親近感、愛、その不思議さをやはり思い浮かべずにはいられない。

・追記(映画の中のたとえば思い出す会話がある。「ロレンス、なぜ捕虜という恥に平気でいられる。お前が腹を切ったら、俺はお前をもっと好きになるのに」とハラ軍曹が言うと、ロレンスは「我々は、恥だとは思わないよ」と言う。)

 #プロパを変更するので、一週間ほど接続がダイヤルアップになりそうだ。それであまり長時間つなげられないと思うので、ここもお留守になりがちです。よろしくお願いします(笑)。
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by past_light | 2007-05-31 20:37 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

「うた うたうたいうたい うたたねうたこ うたえない」

 だいぶ前につくったフレーズですが、まあ、そんなことはそれとして。

 「翼」が聴きたくなったので、小室等さんの武満撤ソングブックを借りていた。本当は石川セリさんの歌で聴きたいと思ったんだけど、そんなことはそれとして。
 ブックレットには、いくつも詞を提供していた谷川さんが紹介文を書いていた。

 『武満はね、音楽にクラシックとかポピュラーとかの区別はつけない人でした』
 それに『演歌は大嫌いだと言いつつ、ある拍子に歌い出すと呆れるほど歌い続けた』と谷川さんは言う。

 イギリスの大学でか、コンサートの中で、武満さんのつくった歌の合唱が演奏されたとき、聴衆からブーイングがあった、と後日武満さんは谷川さんに笑って話したという。
 『マタイ受難曲とビートルズの歌を同じように愛していたことを学生達は知らなかっんでしょうね』

 武満さんのジャズ好きは有名だったようだが、自分の曲作りには、それはまったく反映してはいない、と言っていたそうだ。


 ふと思い出したことで、むかしまだCDじゃなくてレコードジャケットが大きかった頃、レコード店で棚から抜き出して眺めるのは楽しかった。
 となりにあるクラシックの棚を見ていた、ふたりづれの女性のひとりが、こちらのポピュラーの棚にあるレコードのジャケットをあごで指し示して、軽蔑したように連れの女性と笑っていた光景があった。

 ぼくはわりとなんでも聴く方だが、さすがに演歌も、今はハードなロックや、まして小刻みなラップは聴かないが、それはいわばただこの時この場の体質的なものなので、なんかの機会があったり、ふと気に入った音に出会えば聴くこともあるだろう。
 ジャンルで言う場合は単に取り合えず便利な呼称、というぐらいだろう。ジャズなんていわばもう、ずっと昔からロックもポップスもラップもクラシックもイージーリスニングも混ぜこぜのジャンルに等しいのだ。

 武満さんのつくった歌にはシンプルで短くて谷川さんのような詩がよくあう。でも「翼」などいくつか自身で書かれたものもある。

 『彼が誰でも歌えるこのような「ソング」を残してくれたことを私は心から喜んでいます』
 『思い出や残した文章も私にとってはかけがえのないものですが、彼の書いた歌を口ずさむとき、私はもっとも身近に武満という人間を感じます。と同時に、そのむこうに流れる彼が夢見た「音の河」に、私もまた加わっているのだと思うんです』

 「死んだ男の残したものは」について、武満さんは『政治的に歌うのではなく、たとえば「愛染かつら」の歌を歌うように歌って欲しい』と言ったという。
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by past_light | 2007-05-26 21:02 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)

美しいと醜い

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 美醜について、コメント。

 美醜という場合は美と醜で別けているわけですからね、それは相対的な概念で、もっと端的には好き嫌い、でしょう。

 好き嫌いは「わたし」そのものです。

 しかし、夕日を観て「きれいだな」と思ったとき、美醜が持ち出されているわけではないでしょう。
 単に感覚としてセンセーションが起こるということで、相対的に美だと判断しているわけではないでしょう。

 たまにやらかすことでは、「美しい」と言葉で伝えたいと焦ってしまうことです。
 「美しい」と感じたことを伝えたいとき、「美しい」と言葉でいってしまうと伝わらないんですね。

 夕日だと一緒に観てもらわないといけないわけですが、なんらかのかたちで表現したとき、ある人のある場合、伝わるものがあるのでしょう。
 それは同じものではないかもしれないし、違っててもいいわけでしょうし。
 その先はバトンタッチされています。

 続けて思い出したんですが、醜い、っていうのは意外に侮れない。感覚的な好き嫌いで治まり切れないものがあるかも知れないですね。
 例えば、先日観た映画の中で特権を保守したい人たちがク−データ−を軍隊にやらせてせっかくの民主化を弾圧し、つぎつぎと人を殺したり投獄したりします。
 観ているとすごく「醜い」という部類の反応とかショックがあります。

 「美しい」国をつくりたいというのも、よかれと思いながら、じつのところ手段は「醜い」ことをするとかですね。結果は手段と別って思っているんでしょうか。
 観念、概念が大事になると、生きたものでなく、幻に魂を売りかねない。
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by past_light | 2007-05-24 21:12 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(6)

オール・アバウト・マイ・マザー

 ペドロ・アルモドバルという、舌を噛みそうで覚えられないスペインの映画監督の作品。
 ちょっとだけ噂は以前から聞いてはいたが、どういう作風なのかは想像できなかった。でもでもなるほど、ファンがいる理由はよくわかった。
 結論から言うと、とてもおもしろかった。アルモドバルさん、あなたは素敵だ。
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 女性が主人公で、けっこう男より逞しく感じるというのは、アクションなどではありがちだが、これは女性でしかあらわせない逞しさではないかと思う。
 しかも、程度の悪いアクションなどよりはるかに展開がスリリング。その映像の密度ありつつも軽妙なセンスとで、ワクワクさせる進行だから、扱われている「命」のテーマについて完全に煮詰めて理解されなくても充分楽しめるだろう。

 子供に対する愛情、と言葉にすれば陳腐だが、それはこの映画では男どもが想像し得ないくらいに深く、それは支配ではなく受容である、という真理に到達している。
 いわゆる、差別用語かもしれないと心配するのがばかばかしいが、「おかま」さんの深淵を垣間見せてもらえたような、これは同胞人間に対する「親愛」の薫り満ちて、気持ちのよい鑑賞だった。その役者さんがまた素晴らしいから説得力がある。
 ああ、かれらは「よろこばせたい、よろこんでほしい」のだと。

 世界は戦争や暴力の場面では「おとこ」ばかりが圧倒的に支配的だ。
 なんとなくも、おすぎが、「おとこ」「おんな」と発音するのかのごとくが腑に落ちた気がする。


 アルモドバルは、「生きることは、悲しみと喜び、そして受け入れてこその親愛により、こんなにもうつくしくなる」と男達に教えたいかのようだ。
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by past_light | 2007-05-23 20:03 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(11)

異色のド根性大統領候補

異色のド根性大統領候補:マイク・グラベル
実際に合衆国大統領になれる可能性がほとんどないとしても、マイク・グラベルほど愉快な大統領候補はいないだろう。彼ほどアメリカの懐の深さを体現した人物は、最近では珍しいのではないか。
・・・・

グラベル:
「全くそう思いませんな。この国で核開発批判を始めたのは私だよ。さらに言うと、徴兵を終わらせるために私は議事妨害をしたから、ジョージ・ブッシュを地上軍入隊から救ったのは私ということになる。アラスカにパイプラインを敷設したのも私だ。ところで、エネルギー問題や他の問題について聞かれるくらいなら、戦争や現在の状況について話させてほしいんだがね。我が国はテロリズムを誤解している。テロリズムとは文明の始まりから存在したし、文明の終わりまでつきまとうんだ。テロ戦争における成功はドラッグ戦争と同じ程度だ。効果ないんだよ。我が国に必要なのは、外交政策全体を見直すことだ。共和党側は民主党が祖国を防衛するつもりがないと責め立てるが、軍事侵攻はテロリストを増やしただけじゃないか。我々がイラクに侵攻したおかげで、オサマ・ビン・ラディンは今頃毛布の中で転げまわって喜んでるに違いないぞ。」
・・・

財務を担当するエリオット・ジャコブソンはボストン・グローブ紙の取材に対してこう言った:「彼はエドワーズ候補の散髪代より少ないお金で選挙活動を開始したんですよ。」

グラベル本人も討論会の後で貧窮ぶりを吐露している。「今、一泊55ドルのモーテルに泊まってるんだ。もしこの後さらに討論会があるなら、ヒッチハイクしなきゃいけない。」

ヒッチハイク?-ご冗談でしょうグラベルさん?
-さらにグローブ紙はこんなことも報じている。:「今月上旬、グラベルはニューヨークで選挙活動を終えてからバージニア州アーリントンの自宅へ帰るため、ヴァン・ムース・バスの乗客列に25ドルの切符を持って並んでいた。」

なんと、76歳のマイク・グラベル合衆国大統領候補は、移動手段に格安の長距離バスを使っているというのだ。専用ジェット機3機で全米を遊説するヒラリーとはえらい違いである。
・・・

★マイク・グラベル大統領、クシニッチ副大統領・・、というアメリカに一票 !!
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by past_light | 2007-05-17 02:19 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(9)

変わらないから変えられる政治

 先日の選挙のことで続きになりますが、最近国会では、なんだかどかどか決りゴトができていく。
 多分保守的な方へと票を選挙で入れている人の中には、生活はさして困らないし、そのうえ財もチョットはできたし、いろいろ守りたいものが増えて来た。
 景気を減速するようなことはしないでおくれ。どうか国もしっかり守って下さい。という感じの人も多いんだろうと想像する。

 しかし、実際はどうなんだろう。「守り」がウチへ内へと向かうとき、外は敵だらけのような感じに思える。なんだか海の外でも金儲けもうまくなって、仕事をもって行かれるし、いろいろと言われるのもしゃくだ。それでケンカに強くならないとまずいぞ、みんなちゃんと鍛えておこう。
 ウチは伝統にないからまだしも、アメリカも銃の自由所持は捨てられないらしい。そいで強いリーダーが必要だ。弱気な意見はビシッと叱れ、言うこと聴かないならなんなら封じ込めろ。砦を民族のホコリで固めるのだ。・・・
 きっといつの時代も同じように時間が進んだのかもしれない。

 安部さんは、実のところ最初顔を見たときからぼくは好きになれなくてなぜだろうと思っていた。
 今日もダークな背広姿で妙な派手なネクタイ。記者会見での誰の顔も見ず虚空を見つめて、紋切り型に報告しているだけの感じ、その堅い表情が他者の意見を聞く耳もたない姿。

 そういつも連想してしまうのが「げしゅたぼ」なんだ。失礼。。
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by past_light | 2007-05-15 01:50 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)

おばあちゃんの日

おばあちゃんの話続きですが、今日のニュースがよかった。チャン・イーモォの映画を見ているように想像がふくらんだ。
東京新聞・都会の優しさ迷子母助ける 77歳中国人、都内40時間


香港からやってきた中国人女性が、滞在していた東京都渋谷区の長女宅から散歩に出かけたまま迷子になり、約四十時間後に約十二キロも離れた台東区内で無事保護された。言葉も地理も分からず、現金や持病の薬を持たないまま都心をさまよい歩く間、多くの人々に助けられたといい、長女は「途中で出会った方々や、警察の人たちのおかげで見つけることができました。良い母の日が迎えられます」と感謝している。・・・
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by past_light | 2007-05-13 14:55 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(2)

おばあちゃんの家

 韓国のがばいばあちゃん、がばいばあゃんのもうひとつの原形、なんていうときっと陳腐な表現です(じゃ書かなきゃいいですけどね(笑)。そう、どこにも説教、教訓、語録、そういった形では残せない、言ってみればコマーシャルの匂いがないのが、この映画、そしておばあちゃんの存在感。

 想像したように、主人公の少年を除いて出演者はすべて本職の役者さんではなかった。そのことがますます、都会のソウルから来て預けられた現代シティ坊主のおばあちゃんの孫、その小憎らしい可愛らしさの少年との対比を際立たせた。

wave 腰の曲がったまま、険しい田舎道をやすやすと登っていくかのような、そのおばあちゃんの足腰にぼくらは驚くが、きっとけして辛くないわけではないだろう。でもそれは、日々の生活の中のおばあちゃんの姿、表情をみていれば、そういう苦労は当たり前のようなもの。そんなことに感心しているだけで終る映画ではない。
 教育とはきっとまったく無縁だし、言葉も発することができないおばあちゃん。しかし自らの胸を手のひらでポンポンと叩く「ごめんなさい」が豊かな「ことば」であることは、おばあちゃんとの生活の日々によって無言で伝わって行った少年のこころを観ていればわかる。

 少年の都会から持ち込んだ遊び、食の好みを見ていると、ああ、どこの国も同じだなあ、と日本のぼくらも苦笑いが出そうだ。字幕は「フライドチキン」だけど、少年の発する「ケ○タッキーチキン ! 」や「チョコパイ」の韓国発音がなんだかすごく耳に残る。

 なにひとつ少年を叱るわけでもない、むしろ表面上の言いなりのように見えるおばあちゃんなのに・・、それは孫の少年に媚びていたり、遠慮している姿ではなくて、なんというか、それは神聖なほどに無垢な姿に感じられて、ぼくらに驚きと新鮮さの気持ちが起きる。
 おばあちゃんはそこに生きていて、そして単にできることをしている。そういう生活のペースがある。そこに意図されたなんのメッセージもないのに、孫の少年のこころに染み込むような影響を与えて行く。それはまた新鮮に思われる物語だが、じつはそれはぼくらがすっかり忘れていたせいでのことだろう。

 イ・ジョンヒャン監督は「亡くなったおばあちゃんの深い愛情に感謝する映画をずっと撮りたかった」と語っている。

2002年/韓国/87分

<映画の詳細>
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by past_light | 2007-05-08 18:33 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

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