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日本語ウイルスというと・・

 なんだか、このところ選挙が続いてありましたが、日本という国は変わらないことが好きですね。半分ほどの人が投票しませんから、残りの半分のなかにはすごく熱心に集団化した票のお化けがいたりするようです。
 以下の雑誌の記事を読んでいて思ったんです。わたし。

 「今や私たちは昔とはくらべものにならない発達した通信手段をもっている。そのおかげで私たちは、妙な合い言葉で話したり、互いに互いの口真似をしたり、多数が声を合わせることで少数の言葉を聞こえなくしたりするようになっている。/
 もしも私たちが何ひとつ文章を創造せず、決まり文句や引用ばかりで話しあうようになったらどうなるだろう。私たちはしまいにはきっと、自分と他人の区別のつかぬ均質な集団になってしまう。・・・私たち自身の中に画一化への欲望がある」

 谷川 : 三十年前に書いたので、ちょっと今びっくりしているんですけどね。

 ぼくもびっくりした ! 。

引用は(笑)、現代詩手帖2006/11( 谷川俊太郎×四元康裕 対話より)
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by past_light | 2007-04-25 19:44 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(6)

聴く力

 今は残念ながら病床にある河合隼雄さん、それと立花隆さん、谷川俊太郎さんの三人の対話の講演の記録が「読む力。聴く力」という本にあり、それは読んでいて三者三様の個性が楽しい。
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 河合さんの仕事は、「聴く」ということでは実にプロフェッショナルなものを感じさせるが、それはいわゆる常識的に考えての仕事人というイメージとは次元を大きく異にするものだ。たとえばいわゆる、よく人の話を聞いてあげる、とか、親身に聞く、とか、そういう表現では語れないし、まずそうイメージしては誤解の元だろう。
 河合さんの言葉で言うと、「ぼーっと」聴く、ただ聴いている、しかしそれは話だけ聴いているんじゃなくて、いうなら、その人を聴いている、自らの身体ごと聴いている、・・とでもいう感じだろう。ぼーっと、と表現する中身はエネルギーのいる聴き方だということだ。

 河合さんの話の中にクライアントとの経験談があり、それはなんともこころに残る話なので、とりあえず紹介しておきたい。

 その男性は、ものすごくこわい父親に苦しめられた過去を持つ人で、真冬に裸で外に放り出されたことなど、どんなに辛かったかを、河合さんに話す。
 河合さんが黙って聴いていると、その人はものすごく怒り出して「先生ほど冷たい人はいない。これだけ悲しい話をしているのに先生は涙ひとつこぼさないではないですか」と言った。
 河合さんが「涙は出るときは出るし、出ないときは出んで」と言ったら、激怒してを罵倒し始めた。さんざん罵倒した後で「ちょっと休ませていただきます」と、そこに寝てしまったという。
 暫くしてぱっと目を覚まして本当に晴れ晴れとした顔で起きて来て、「私は目上の人を怒ったのは、これが生まれて初めてです。本当にスッキリしました」と言われたという。
 そのとき河合さんは、涙がばーっと出て来たという。

 河合さんは、いわば結果的にその人の父親の身代わりで聴いている。話を聴いているうちに、後で考えれば 冷たい父親に完璧になっている。だから向こうも怒れる。
 河合さんは彼が怒っている間は「なに言うとんねん」と思っていた。で、「初めてです」と言われたときに涙が「ばーっと」出て来た。

「自分でも不思議なんです。自分でやろうとしているのではなく、そういうのがいろいろ自然に起こるんです。自然に起こるということはものすごく大事です」

 もうひとつ次にある話は、相手は一生懸命相談する人で、河合さんもいつも体調整えて聴くのだが、なぜかすぐに眠くなってくる。相手の話の内容はちゃんとしているし、ワケがわからない。それでとうとう正直に「本当に申し訳ないけど、あなたの話を聴いていると僕はむちゃくちゃ眠くなるんです」と言った。

 その人はこう言ったという。
 「すみません。一番大事なことは言ってません」。
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by past_light | 2007-04-10 21:04 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

ダンナパパ

 ダンマパダ(Dhammapada)というのは、ずっと前にちょっとだけ読んでみたことがあったことを思い出した。

 いかんせん、やっぱり、「なんだこりゃあ、あたりまえのことみたいなことが書いてある」というようなピンと来ない感想で、正直最後まで読んだ記憶がない。

 ネットで読めるページがあって、またすこし読んでみた。
で、なんというか、これはすごいと思った。その夜はだが。翌朝にはピンと来なくなる、そういうものなのが、ときに悟りを垣間見る凡人の性格なのだ。
その一節は下記に引用して。

3
「〔彼は〕わたしを罵った。〔彼は〕わたしを打った。〔彼は〕わたしに勝った。〔彼は〕わたしから奪った」〔と〕、彼を怨む者たち――彼らの怨みは静まることがない。

4
「〔彼は〕わたしを罵った。〔彼は〕わたしを打った。〔彼は〕わたしに勝っ
た。〔彼は〕わたしから奪った」〔と〕、彼を怨まない者たち――彼らの怨みは止み
静まる。

5
まさに、〔怨みにたいし〕怨みをもって〔するなら〕、この〔世において〕、諸
々の怨みは、いついかなる時も、静まることがない。しかしながら、〔怨みにた
いし〕怨みなきをもって〔するなら〕、〔諸々の怨みは〕静まる――これは、永遠
の法(真理)である。

ダンマパダ (Dhammapada 全訳)

 あたりまえのことが書いてあるのだが、「真理」って当たり前、シンプル、単純なのだと思った。
 なんだかんだとお悩み相談をしている間は、やはりなまぬるく、悩みも、ダイアー・ストレイツ、がけっぷちとは程遠い。真理は竹を割ったような性格だ。

 あいつはおれをののしった。傷つけた。奪って行った。・・と恨んでいたら、恨んでいたで、いつまでも恨みは止むことがない。
 だけど、恨まないなら、恨まないでいると、恨みは止み静まる。

 つまり、怨んでいれば、静まらない。でも、怨みに対して怨まないでいると、こころ静かなんだ。

 これが永遠の(あたりまえの)真理である。
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by past_light | 2007-04-04 02:40 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(4)

あいつのせいにしていると 私はあいつに閉じこめられる

あいつのせいにしていると
私はあいつに閉じこめられる

私がだれかを喜ばすとき
幸せなのはこの私

死ぬことはこわくなくなる
安らかに生きていければ

多すぎることばはさわがしい
こころの底の静けさがことばのふるさと

すこやかに生きよう
たとえ苦しみのうちにあっても

追い求めると
楽しみには哀しみしか残らない

幸せを求めているものを傷つけて
幸せになれるだろうか?

自分をはぐくむのは難しい
自分を枯らすのは簡単だ

世界をあのままに見るために
目覚めよう 間違った夢から

#谷川俊太郎「すこやかに おだやかに しなやかに」の、幾つかの詩の部分的な文節を抜粋。
(「ダンマパダ」から訳してつくられているという)
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by past_light | 2007-04-02 02:30 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)

猫に会うおとこ

ある日、おとこは一匹の野良猫に会った
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こんにちは
こんにちは

猫がしゃべるなんて、はじめてだな

たまにはいいいだろう

こんな機会はざらにないから、聞きたいんだけど

なにを聞きたいの

どうして猫になったんだい、しかも野良猫

そんなこと覚えてないよ だけど何千回か生きてきたと思う

ずっと猫だったの

にんげんだったこともあるよ

今度はどうしてまた猫なの

なんだかきっと悲しかったんだと思う

人間がかい

覚えていない 人間は悲しくない?

猫は悲しくないの?

考えるワケがないんだ だから悲しいのは人間の頃の記憶だと思う

人間だって楽しいこともうれしいこともあるよ

たとえば?

うんと美味しいものを食べるとか

それはぼくらもわかる

暖かい陽射しにからだがほころぶ

それはぼくらのほうがもっとわかる

いろんなところへでかける

ああ、野良猫だからぼくはわかるよ

でも外国とかむりだろう?

ちょっと足をのばせばおなじことだと思うよ

んんと、じゃあ恋をするとか

なんとなく苦しまぎれみたいだね でもぼくらも恋はしているんだ 悲しくない恋を

だんだんおとこは質問にこまりました

じゃあさいごにひとつ にんげんに生まれ変わるつもりは?

きみが80年生きたら ぼくは7回ぐらい猫としてきみと再会するつもりだよ

ぼくが80年生きたらきみは7回生まれ変わる なんだか悲しいのはどうしてだろう

人間の考えることは悲しいんだ
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by past_light | 2007-04-01 21:05 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

過去と現在、記憶のコラム。関連ありなTBはラヴリー。リンクはフリー。コメントはブラボー。


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