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本年もありがとうございました。
いよいよ今年もおしまいです。

御訪問頂いた皆様に「ありがとう」。お世話になりました。
それから楽しいコメントなど、今年もたくさん頂いてありがとうございました。

寒い大晦日になりましたが、お風邪などにお気を付けて、楽しいお正月をお迎えください。

来る年がよい年になりますよう。
来年もよろしくお願いいたします。
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by past_light | 2006-12-31 15:16 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
三丁目の年の暮れにみる夕日
 年の暮れに押し迫り、寒くなってきた。小掃除のつもりで動き始めたらけっこう二日続けて中掃除程度になってしまった。始め出すとそういう性分なので、やらないかやるかという選択肢になりやすいのだが、それで年末身体を冷やして新年に風邪をひくということを繰り返しやすい。今回は暖かいからと、油断していたら二日目は見事危ない冷気がやってきた。
 窓を拭くのはたいへんだ。壁を拭くのもたいへんだ。めったに覗かないたんすの裏を覗くのはこわごわだ。油汚れは落ちづらい。・・・ふだん気に止めないように見てみぬふりをしていると、たまにジッと見ると見るべきものがたくさんあるのに途方に暮れる。時間の経過は埃をも積らせる。内側もちょいと、すす払いも必要。
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 先日、「三丁目の夕日」を録画していたのを、やっと観る。テレビサイズではCGの東京も箱庭みたいでファンタジー。リアルを追求したというより、そういうことなんだろう。きれいすぎるとは思うけれど、誰もが想い出の中の少年の日々が美しいように、当時を知らない世代でさえ懐かしいという感想があってもおかしくない。過去の光に投射されたメモリアルフィルムだ。ドラマはよくできていて楽しく見れた。
 それに、空想、想像が、少年たちや、まだテレビが目新しいものだった頃、大人たちでさえ頭の中いっぱいに広がるように、映画も大きな画面いっぱいに映像化されるのは、わかりやすいほどだが納得してしまう。技術進歩と便利さによって恩恵を享受しながら、これは確かに失っているもののひとつ。

 駄菓子屋の文学先生と捨て猫みたいに居着くことになる子供との間がとくによかった。自動車修理工場の家族と集団就職の少女とのエピソードといい、現にむかしはそんな話がよくドラマにあった。どちらのエピソードも定番みたいにありふれているし、泣かせ所も読めに読める。それでも配役たちの楽しんでいるような演技で、映画はすごく成立ちを感じさせる。そういう意味ではかなりアナログ、人間の魅力が重要だと再確認させるような映画だろう。
 もちろん少し脇の役になるとあまり魅力が引き出されていないような配役もあったが、二人の主要な子供がよくて、文学先生の家に居着くことになる少年が、当時のある少年の原形をとても感じさせていていい。言葉ではなく、首を横にふるという伝え方で、オジサンへの愛情の意志交換をするところなど、泣かせ所の品格をちゃんと感じさせるから後味がよかった。
 映画のはじめの頃の、やや軽薄なカメラワークと、だんだん後半落ち着いたように変わってしまうようなところとか、いろいろいちゃもん付けたくなるところは大いにあるはずだけど、結局のところ楽しめたということで、丸く納まるような映画。続編がつくられるということだが、テレビの連続ドラマにしても当たるだろう。しかし映画としては、作る側の緊張感を持続するのはたいへんになるだろうけど、期待している人はたくさんいるだろう、ぜひいい映画にしてほしい。
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by past_light | 2006-12-30 15:13 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)
徒然日記な暮れ
 なんだか、十二月にはふさわしからぬ天候でしたが、昨日のはげしい雨の夜、台所の天井からぽたぽたと雨漏りがしているので、あわてつつも懐かしく思った(笑)。家は瓦の屋根で、古い木造だから、瓦が風で動いたりするとこんなことも起きる。とりあえず年を越したら直して頂こう。
 などと徒然に書き始めては見たものの、クリスマスも年の暮れにも、あんまり実感がなくてこの調子で残りも過ぎそうだ。大掃除には暖かい十二月はありがたいが、小掃除に毛が生えた程度には済ませたいとはおもう。

 先日行った福岡はやはりこちらより暖かくて、帰ってきた夜にはとても寒く感じたが、それは住宅環境のせいもあるのを忘れていた。この平家の木造では、地面から床まで1メートルと離れていないから、床暖房が毎年欲しくなる。
 しかし昔の日本のひとは、だいたいみんなこんな住まいの人が多かったのだが、ああ、昔と言っても江戸時代とかそんな昔じゃなくて、小津安二郎とか成瀬巳喜男の映画で原節子が玄関先か台所から出てきて、「お帰りなさい」と言ってくれそうな画面が浮かんでほしい。シンプルライフは心身も丈夫でないと楽しめない。妄想しているだけではいけない。

 福岡にはぼくの両親が健在で、現在、両親はマンションの7階に住んでいる。その部屋は冬はとっても暖かい。駅から数分でマンションには着き、また数分の位置には、だいたいすべて揃う大きなスーパーがあるし、その上の最上階には映画館だけの階があり、4館ぐらいかで7本の映画を上映していた。ぼくが今住んでいるところから比較すれば便利を絵に描いたようなところだ。だからたまに福岡に行くと田舎から都会へ出てきたような錯覚が起きる。
 以前住んでいたこれも古い家の隣のおばさんは、もう何年もというか何十年、銀座に出たことはないと行っていた。なんだかんだで小1時間は必要な場所だが、東京では普通の距離感覚だろう。福岡の両親の家からは、電車で十分ぐらいで、銀座も澁谷も原宿も新宿も兼ね備えたような街、天神に出ることができるので、これもまたどちらがどうなのかと、たまに福岡に行ってこちらに帰ってくるとよく思う。
 天神にはアップルストアもできていたから覗いたら、銀座と同じ店内に入ったような感じだった。街並はきれいだから例えれば銀座を歩く感じに近い。違いを見つけようとすれば食べ物店の特徴だろうか。それと「めんたいこ」の文字文字・・。

 こちらに帰ってきて思うのは、ぼくの日常の行動範囲が、たとえれば猫の縄張りエリアみたいだなあということだ(笑)。 多分ぼくもどこに住んでもだいたいそんな風なんだろうな。
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by past_light | 2006-12-28 01:53 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(4)
過去八百〜断章
■過去の話というのは、どうしてもうそ八百である。というのは言い過ぎだけど、記憶っていうのはどうしても美化するか卑下するか、ともかく事実そのままに記憶しているとは限らない。それよりその事実に感情的な、あるいは情緒的な色付けをされて脚色され、整理されて記憶していると言った方が間違いない。
過去というと、ずいぶん時間的には前を普通さすけれど、考えてみればどんどん過去になって行っているわけで、今のことを書くとすでに描写不可能な世界を書き残してしまうのということになるので、あんまり深く考えない方がよい(笑)。

決り事なども文章化したりするが、当事者はよかれと思いつつ、しかし実際にはその御仁たちが頭の中で納得したいだけのものかもしれない。
とにかく形から入ろうというわけで、今までそんな魂の入らない形が自分達の品位を棚にあげたままいくつ作られて来たんだろう。魂が入らない決り事は悪魔に利用されやすいのかもしれない。

■事件ドラマなどで昔あったけど、もともと悪感情を抱いていたりすると犯人かどうか定かでなくても、犯人に見えて来たりする。いや、まちがいないはず、と言い聞かせたりする。そういう場面はドラマならハラハラドキドキですむが、現実に身に降り掛かったりするとたいへんだろう。別にそういう経験があるわけではないが。

でもずいぶん昔の話だが、嫌な夢から目を覚ますと、警察から電話が掛かってきた。そしてある殺人事件について聞かれたことがあった。被害者のある人を知らないかと言う。覚えのないその名前の人の手帳にぼくの名前があったのだと言う。

「名古屋に行かれたことがありますか」
「ああ、いえ。ああ、先だって展示会をしましたけど、ぼくは行きませんでした」
「ほほう、どういう絵を描かれるんですか」
「どういう・・・と言われても」

「まあ、思い出したら電話して下さい」と言われ、その日はなにがなんだかワッカラない状態で、必死に記憶や資料を捜したりした。
陽も落ちる頃になって、ずいぶん前の東京の展示会の芳名帳に刑事の言う名前があったときは驚いた。
その名の人とは会ったことはなかったが、その頃出会っていたある知人の友人で、その展示会に一緒に来ていたのだろう。

急いで警察署に電話した。受付嬢からとりついで暫くして刑事が出た。
かれこれそのことを話すと、「よかったですよ、思い出してもらって」なんていわれた。
もしその芳名帳がなくて、いつまでもわからなかったらと思うとぞっとした。
「会ったこともないのに、どうしてぼくの名前があったんでしょう」
「さあ」
「もしかして、その人はたくさんの人の名前を手帳に書いているんですか」
「・・・」。

そういうケースもあるので、やたら個人情報を持ち歩かないようにしましょう(笑)。

■昨夜、十時過ぎにテレビをつけてニュースを見ようかとチャンネルを回していたら、あちこちのドラマの放送が目に入る。そこでちょっと驚いたのは、タイムリーとはいえだ、どの局もアップにされている登場人物の顔が涙に濡れている !。泣いていらっしゃる。
泣ける話が流行っていると聞いたけど、こういうことかと。ちがうかな。

今年も半月を残すばかりとなって、過去八百物語もまたふえていく。

■明日から数日間、福岡に行くので、更新は休みます(笑)。ことわるほどに更新していないのですが、もし、ありがたくも頂いたコメントがあれば、お返しは帰ってからになります。驚かれるんですが、携帯電話をいまだ使っていないので、そういうアクセスもできないのです。
それからトラックバックはエキサイトブログだけの設定にして行きます。これはときどき、関係もないし、気持ちの入っていない、またはクリックしたら御迷惑かもしれない所へ連れて行くような、いらないトラバが自動で書き込まれるので。
それではよい週末を。
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by past_light | 2006-12-15 20:40 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(8)
目が離せない
 先日、タルコフスキーの「ノスタルジア」を放送していたので、昔のビデオが痛んでいるので再録画してみた。翌日ちゃんと撮れているかどうか確認のチェックをしていたら、なかなか消せなくて一時間ほどは観てしまった。

 つまり目が離せないというのはこういうことで、アメリカ映画などの「目が離せない」というのと全く意味が違うんだろうか。たとえばむかし、スピルバーグの「インディジョーンズ」なんて劇場で観ていたとき、確かに目が離せなくて楽しかったが、後に二度と観たいと思うものではないとわかった。観終って、まるで遊園地から帰ったような気分だった。どこを捜しても何んにも残っていなかった。それでいいという人もいるだろうが、映画を観るということでいうと、なんとなくうまくダマされているような気分。

 目が離せないのはタルコフスキーだけではなく、ビクトル・エリセとか、日本でいえば小栗康平の映画もそうで、小津安二郎もそうだ。
 考えてみれば、静かで、だいたい派手なドラマが展開するわけでもなく、ときに寝てしまう人がいるような映画。
 目が離せないというのは、映画としての映像としての、息づく命の「呼吸」があるからだろう。見逃してしまうということが勿体無い。そこにひとつひとつの呼吸が、感性の鼓動が連なっているからだろう。
 8mmだけど、つくった側の経験でわかることは、作者というのは何度も何度もそのフィルム、その光と影の造型の世界をしつこいほど辿っているということ。愛し、思考しているということだ。
 こころをなににたとえよう。
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by past_light | 2006-12-12 01:44 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(2)
「銃に使うよりも賢明な戦略」
「貧困のない世界をつくることはできる。なぜなら、貧困は貧しい人々によってつくられたものではないからだ」

ユヌス氏「貧困は平和への脅威」 ノーベル平和賞授賞式 2006年12月10日21時48分
http://www.asahi.com/international/update/1210/008.html
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by past_light | 2006-12-11 02:50 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
寒い日の野良猫
 まだまだだと思っていたら、ついに「さむい、さむい」と口にするような寒い日がやってきた。しかも、冷たい雨というオマケ付き。

 近年は、こういう日はつい公園のネコの身の上を思い浮かべてしまう。
 とはいっても、かわいそう、かわいそう、などとばかりに思うわけではなく、彼らをある程度は信頼してのことだ。全幅の、ではないが(笑)。激励しつつ。でも信頼というのは変だ。言い換えると彼らの逞しさに敬服しての気持ちだ。
 しかし、それもやはり元気な比較的若いネコたちのことを思えばのことで、野良は年齢と共に環境の変化にやはり弱くもなるようだ。人間とてそうだから押して知るべしこと。

 そういえば、前に聞いた話ではヘルシンキには野良猫はいないそうだ。冬には人間も外出中には暖かい店を中継しつつ、、と聞いたことがある。限度というものがあるんだなあ。野良猫の分布も。日本の北国もどこらあたりまでだろうか。

b0019960_2211859.jpg 冬の日ではなくても、野良猫を前にして出会う人が、あんまり、かわいそう、かわいそう・・と側で連発するとうんざりすることがある。多分、自分を投影しているんだとおもう。正直にいえば、現実的に何匹ものネコに感情移入することはできない。本気で何匹も自らの目の届く場所で面倒見たいとおもえば、人生をかけるぐらいのエネルギーが必要になる。かわいそう・・とばかり見るのではなくて、くつろいで一緒に遊んでみるともっと感じたり、わかることがある。野良はたいへんなこともあるし、寒いけど、でも、やっぱり楽しいこともあるし、なにより元気です。よく付き合えば無償の眼差しさえ向けてくれるだろう。彼らのさまざまな性格もあるから、多彩な付き合いと距離がそこにはありうる。

 台風が来たり、冷たい雨や雪の日。想像と妄想の間での彼らは、なんとなく悲劇的のみに脳裏に映像化されるが、会うと意外なことも多い。人間の想像力は、そうして自然や彼らの智恵に及ばないことを知る。

 彼らのふかふかの毛皮は、人間みたいに着ているわけではなくて、直に生えている。当たり前のようだが。改めて確認する。ぷにょぷにょ。秋ごろから増やしている皮下脂肪。自然と生きる、そのためにあるのだと冬になると思う。
あんまり気持ちよいので、自らの顔を彼らの背中やお腹に埋める。
時々枯れ葉の薫りもするし、ほかにもいろいろ・・する。

 寒い日、夜には雨はやんだ。彼らも明日は陽射しのなかで日向ぼっこができるかどうか期待しているんだろうか。
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by past_light | 2006-12-10 02:31 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(4)
百人村のお二人
「世界の「富」、人口の2%が半分以上所有」
 国連の研究機関が5日発表した調査で、世界の成人人口の2%が家計全体の「富」の半分以上を所有していることが分かった。地球規模で豊かさに偏りがある実態が浮き彫りになったが、日本は世界平均や米国などと比べて格差が小さかった。・・・中略
・・・・・・・・
 最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。「上位1%」を居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%となった。日米だけで上位1%の3分の2近くを占めた。(ニューヨーク=中前博之) (01:35)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20061205AT1C0500205122006.html

すごいね。100人の村を思い出すけれど、眼に見えない怪物のような話。。
たぶん、お二人もたいへんだろうし・・。棺桶に入れないでほしいね。
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by past_light | 2006-12-06 02:12 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(2)
東京金曜日
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一本だけ、毎年赤々とした紅葉を見せる木がある。
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食べても食べても、なにか満足が足りないのです。
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やっと一歳になるんだろうか、すべすべお肌、いや毛並み。
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古本屋で525円にて購入。チロの写真がなんだかなつかしい。

★映画「東京日和」の感想過去記事
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by past_light | 2006-12-01 18:47 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(2)