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元気ですか?
 何かのきっかけで思い出したけど、小津安二郎の映画の、あの白黒テレビを買うか買わないか・・の事件をきっかけにした、子供たちと大人ののんびりした日々を描いた「お早う」の頃の日本は、醤油や砂糖や塩とか、それに限らずお酒や米まで近所で貸し借りしていたはずだ。「東京物語」でもひとりアパートに住む原節子が、尾道から上京してきた、戦死した夫の義理の両親の夕食のために、お酒だったか、を隣から借りていた。
 ぼくの子供の頃の田舎でもそれは日常的なことで、今さらその頃を思い出せばだが、あえて意識したことはなかったはずだ。
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 黒澤明の「どですかでん」の舞台になっているような、通称「ボロ屋」街が、ぼくが小さい頃住んでいた家の近くにはあって、廃品など回収したりして暮らす人たちの家族が住む粗末なバラック建ての家が並んでいる界隈は、ぼくらの遊び場のひとつでもあった。遊び仲間にはその界隈に住む子も居たろうし、いわば職業は様々な親の家に住む子供たちの、遊びの場を求めて集まるクレオールなグループだった。誰が裕福とか貧しいとか、そういうことを考えたこともなかったし、着ている服は確かにランクづけできそうだったかもしれないが、そういうことを持ち出すようなバカはひとりもいなかった。

 多分そのあたりかどうかは判然としないけど、遊んでいると、よくぼくがちょっと前まで着ていたセーターを着ている少年がいたりした。ぼくの母親がその子の母親にお下がりとしてあげたのだ。お下がりと言っても、ぼくも破れた箇所に当て布をしてまで着ていたものだ。(その頃、当て布が縫い付けてあるズボンを履いたガキなんてたくさんいた)
 7歳まで一人っ子みたいに育った、ちよっとわがままな子供のぼくとしては、なんとなく居心地の悪い感じはしたけれど、「それはぼくが着ていたものだ」なんて無神経なことを言うほどにぼくは感受性は鈍くなかった。母親に問いただすこともなく当たり前に日常は過ぎた。

 それから時々、夜になり、どこの家も夕飯も終えそうな時刻に、家の玄関に立つ母親と子供が居たのを覚えている。その日の夕飯に困り、時々訪ねてくる家族だった。その薄暗い玄関に立っている母親と子供の姿が、なぜかおぼろげながらいつまでも子供のぼくの網膜に焼き付いて今でも浮かび上がる。
 ぼくの母親はいつも気持ちよくなにがしかの夕飯の足しになるものを渡していた。
ごくごく普通の、見栄も世間体も気にする母親だけど、その記憶はぼくの母親に対する誇りみたいなものになるのだろう。

 それは貰う方もあげる方も、たいして大袈裟なことではなくて、戦後まだまだ十数年しかたっていない日本にあった、自然な庶民の助け合いだったのかもしれない。
 そんな光景など、今のこの日本では想像できない若い人も多いだろう。
 しかし、人はそうやって生き延びても来たのだなあと思う。
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by past_light | 2006-08-30 01:49 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)
「至福のとき」 チャン・イーモウ
 もしかしたら、多くの人がこの映画にチャップリンの「街の灯」に似た感想を持ったかもしれない。それからぼくは映画を観ていて連想したのはカウリスマキの映画でもあった。社会的には弱き者たちの、それゆえの連帯感と無垢なる至福。

wave 目の不自由な少女ウー・イン(ドン・ジエ)と、運命的にこころ通わす、さえない中年男のチャオ(チャオ・ベンシャン)。
 度重ねるお見合いでもなかなか結婚できないでいる。実はリストラされて失業中、一介の労働者の中年男チャオ。しかし結婚したい一心で、悪気はないが身勝手な軽いつもりのウソを重ねて行く。最初はそれこそ身勝手な御都合あわせのウソだった。
 が、徐々に見合い相手が厄介者扱いしている前夫の連れ子である目の不自由な少女ウー・インを、成行きとはいえ助けたいだけの思いで、今度はつぶれた工場の仲間と一緒にウソを重ねることになる。だが、それによって少女は今まで人と関わることで味わったことのない至福のときを過ごす。

 「あの子を探して」「初恋のきた道」に比較すれば、ずいぶんと映画として地味な印象も与えるだろう。大きく盛り上がるストーリーが用意されているわけでもない。
 それは近代化が進む中国の都市、大連での話で、「あの子を探して」にも感じたが、都会人たちは経済成長する激動の中国のなかで、自己責任の生活力を試され、なんとなく生存競争もすごい感じで、人の心もドライに流れがちのようだ。

 経済的な格差ゆえと言われる、結婚率の低くなった若年層の話題が出ている日本も重なって見えるのが興味深い。これはもちろん短絡的に格差とか単純なことにすべて帰結するものではないと思うけれど、一般的には相当現実的な話しだろう。

 経済格差広がるかたちの社会。そこでは、チャン・イーモウは意図したように社会的に取り残されて行くような人たちの暮しをひときわ注視しているようでもあり、それがカウリスマキの映画を思い起こさせるところのことだろうとも思う。
 が、カウリスマキのように徹底した連帯感を持って、というかどうかは別だ。チャン・イーモウにはその後の「英雄(Hero)」などがあるように、映画のつくり手としては野心的であり、商業的に成功することも視野に入れていて、それはまたどこか器用に見えるバランス感覚のある作家で、また作品の良し悪しとは別の話にもなるだろう。

 当初コメディとして語られたかのようなこの物語りは、目の不自由な少女ウー・インが、自ら現代中国の都市の荒野へ、「至福のとき」の温もりだけを頼りと勇気として旅立つ姿で終るが、それは中年男チャオの物語の行く末と同じく、不確実であり、けしてハピ−エンドとは受け取れないものでもある。
 しかし、たとえばカウリスマキの描く、滅びゆく世界の生活者の人々の(肝心なものは目には見えない)愛と勇気は、現代社会の狼たちの、かたちのある勇気とはまた別種の、別次元の普遍的なものなのだと思われる。

 姿を消した少女が残した「至福のとき」の感謝を語るテープの声に、重ねて読み上げる少女への手紙は、チャップリンの「独裁者」で、最後に切々と床屋が語る、世界のどこかしこに存在する、勇気と希望に飢える生活者へのメッセージとさえ重なって聞こえるものでもある。               (至福のとき (2001/中国))

映画のオフィシャルサイト
http://www.foxjapan.com/movies/happytimes/index.html
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by past_light | 2006-08-17 17:47 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(8)
無用の妖怪
 「妖怪大戦争」という映画。
 多分、水木しげる原作の映画化だろう。最初を見逃して途中から観ました、テレビ録画。
 ぼくは日本のお化けが好きです。伝統芸ひとすじ、専門職みたいな妖怪たち。

 映画はだんだんSFXふんだんで、ハリウッドスタイルなメカが登場するのはちょっと意外でひいたんだけど、日本の妖怪たちは水木しげるの精神をちゃんと受け継いでいる。
 どうにも戦えないキャラばかりで笑えるが、全国各地から盆踊りと勘違いして集結する妖怪たちの数で勝負だ。

 パワーレベル段違いな帝都悪役にどうやって勝かと言うと、そこが水木しげる的妖怪たちの見せ場なのである。
 ネタバレだけど、ネタがばれた方がいい場合もある。
 ぜんぜん頼りにはならないはずの「あずきあらい」。
 誠実に、ばか正直に、ざるのなかのあずきを数えるだけが取りえの妖怪が偶然の救い主になる。これぞ無用の用。悪意や憎しみだけが餌の悪役に、ひと粒の健康食品がやさしく決定的なダメージを与えるところが世界へのメッセージだ。

 水木先生はクレジットの最後に登場して、「憎しみだけの人生など無意味だ」のチャップリンの独裁者よりもすごく短いメッセージをぽつりと言う。
 「戦争はよくないです。ハラが減るだけです」

紹介サイトみっけ。↓
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=4975
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by past_light | 2006-08-14 19:34 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(2)
意識的な個の数と無意識組織的な数
長野県民ではないし、判らない行動もあったし、知的すぎる口調が大丈夫かなあ、とよく感じることもありましたけど、それでも好き嫌いで考えたことはなかった。でもこの人は古い体質ではなく、魅力ある人です。去りゆく長野県知事・田中康夫。

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よく「独裁的」という表現を都合よく使う人がいるが、どちらがどうなんでしょうね、どうもうさんくさい。独裁者は環境や福祉にはあまり関心を見せませんがね。
どうあれ、ときとともに「木は実によって知られる」のでしょう。
御苦労さまでした。

「・・・そしておそらく、皆さんが昼や夜に報じて下さる内容を見て、両親は常にこう、県民の一人として、本県の行く末を、私の為にではなくて案じてくれていたと思いますので、その両親を少し、9月1日以降、物理的にも精神的にも、楽にしてあげられることがあれば、あるいは、こうした知事会見の場の最後に申し上げるべきことじゃないかもしれませんが、この多くの県民に支えられ、職員に支えられてきましたし、全国の方々に、全世界の方々に支えていただいたと思うけど、とりわけ私と一緒に暮らす、その2人の両親に少しほっとする時間を、近く与えることができるかな、できるとすれば、あの、少し嬉しいかなとは思ってます。」
http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/20060807.htm
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by past_light | 2006-08-09 01:40 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(4)