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ぶれー考

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どこからやってくるのか、この感情。
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喧噪の中の静けさとも同居して、
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いつもその角からすがたを見せる。
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それはいきいきと、とつぜんでぶれていて。
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by past_light | 2006-06-24 20:16 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(6)

真の脅威と戦わない「テロ戦争」

■「真の脅威と戦わない「テロ戦争」 地球規模の安全保障への道 ジョン・スロボダ」

openDemocracy特約】BBCテレビの自然番組のプロデュ-サーであるデビッド・アッテンボローが、気候変動は世界が直面している重大な課題であると主張している著名人たちの列に加わった。彼の動機は明白である。「孫から、『おじいちゃん、分かっていたのに、何もしなかったんだね』と言われたくはないからね」

「米国の主導する「テロとの戦い」は、人類が直面している真の脅威と取り組まなかったばかりでなく、その「戦争」行為そのものが、それらの脅威を悪化させ、人類と環境の安全保障に破壊的な影響をもたらすような状況に近づけた。」 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200606181855050
(日刊ベリタ)

■ニューメキシコ州アルバカーキ:男は独り、今日も路上に立ち続ける

「私が本当によく出来てると思った政治標語のひとつは、『クリントンの嘘では誰も死ななかった(Nobody Died When Clinton Lied!)』というやつだ。自分でも、あれぐらい少ない言葉で思い切り主張できたらいいのに。「

「しかしながら、ジェス・アンレインにとって大切なことは、クラクションではなく、正しい行いだ。不道徳な戦争が進行する時代に、正しい行いをする。死んでしまった幼なじみの友達のために、正しい行いをする。遠い過去に起こった出来事は、恐怖と対峙する勇気を持つ者にとっては、ほんの昨日の出来事なのである。そしてジェスは、恐怖と対峙している。過ちを糾し、自身の気持ちを証言するために、アルバカーキのセントラル・アベニューに、ジェスは毎日立ち続ける。」

「ジェス・アンレインは、違う形でそれを語った。「言葉が変わっても気にするな。自分流でいけ。それが世界を変えていくんだ(“Don't worry about changing the word; live with yourself. That will change the world.”)」
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2005/05/post_b04d.html
(暗いニュースリンク)
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by past_light | 2006-06-22 15:37 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)

miss

 miss(外れ)、miss(しそこない)、miss(失う)ということで、ワールドカップの日本選手は、外野の雑音もたいへんだが、観ていれば、どこの国の選手もつきまとう現象だ。それから一般的にも誰でも身に覚えのあることだ。

 こういうことでは、ぼくにふと浮上してくる記憶が少年のころの記憶だ。
 ソフトボール大会での決勝戦、レフトに大きく上がったフライを取りそこね、わが町内を落胆させた犯人はぼくだ。
 犯人とは意図的に取り損ねた場合に言われることだろうが、どう思い出してもその後しばらくは、そういう視線とか空気に町内からさらされていたような気がする。
 負け試合の後、チームで一緒に帰る時に、ねぎらいの言葉も慰めの言葉もなく、あの沈黙を破った言葉は、ひとりの少年の「ああ、あいつがいなければなあ」という言葉である。

 ヤナギサワよ、ミスは誰にでもある。どんまいどんまい。と痛みを知るぼくは言おう。
 どんな試合でも戦争に例えるようなものではない。誰が何と言おうと、やっぱり楽しむことが一番だ。
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by past_light | 2006-06-21 18:39 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)

コドモはみんなカワイイわけでもない

「どこのねこですかぁ」
「はあ?、なに?」
「どこの・・」
「しぜんのだよ」
「は、あなたがさわっているから」

小学生のコドモとの会話か、これは。
確かに子供用だ、乗ってるマ運転バイクな自転車は。
サッカー教室帰りのね。
一度さわってみろよ。ねこに。

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(写真説明・ネコに至近距離で、写真を撮る時は、間違ってもフラッシュを焚いてはいけません)
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by past_light | 2006-06-20 19:49 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)

引用よりカタルものナシ

b0019960_3251910.jpg シネアートにフランソワ・トリュフォーの特集をページにしたのもずいぶん前のことになった。以来なかなか続きができないが、別に商売でやっているわけではないから、誰も文句はいってこない(笑)。ただ、「 突然炎のごとく(Jules et Jim)」という映画を外しているのは、当初もう一度観なくては何も言葉が出てこないという気持ちからだった。同じ原作者の「恋のエチュード」は、充分堪能した覚えがあるのに、「 突然炎のごとく」は、まだまだ味わい尽くせない「なにか」が、その一見軽妙にも感じられる映画のタッチやテンポの奥にあることを、絶対的に感じながらも、それは言葉になかなかできないものなのだからだ。
 トリュフォーの評伝を借りて開いて見つけた箇所にあった、トリュフォーの心を打ったジャン・ルノワールの賛辞の手紙を読んで、そのひとつの理由があるような気がした。

 「『突然炎のごとく』は、今までに私がスクリーンで観たなかで一番的確に現代のフランス社会を表現しているように思えるということをあなたに申し上げたく、ペンを執りました。・・中略・・・色恋沙汰は、円卓の騎士たちにとってはとんだお笑いぐさで、ロマン派の作家たちにとっては、涙をこぼす口実です。『突然炎のごとく』の登場人物たちにとってそれはまた別のもので、あなたの作品はその別のものとは何なのかを我々が理解するのに役立ちます。
 それ以外の我々のような男たちにとって、自分たちが女たちとどういう段階にいるのかを知るのはとても大切ですし、女たちにとっても、自分たちが男たちとどういう段階にいるのかを知るのは大切です。あなたはその問題の本質を覆っているもやを晴らすのを助けてくれているのです。そのことと、他にもたくさんの理由から、心からお礼を申し上げます」


 ヌーヴェルバーグの父とさえ言われるルノワールからのこのような手紙に、トリュフォーは深く感動しただろう。
 このような文を読むと、色恋沙汰について語るにも日本人であることの限界さえ感じるのだが、次に引用させて頂く手紙が素晴らしいので、とうぶん『突然炎のごとく』について書くのはやめておきたいとさらに思う。

 「私は七十五歳で、ピエール・ロシェの小説『ジュールとジム』の恐るべきヒロイン、カートの成れの果てです。
 私がどれほどの好奇心をもってあなたの映画をスクリーンで観られる瞬間を待ったかご想像なさってください。一月二四日、私は映画館に走りました。あの暗い場内に座って、むりやり似せてあるのではないか、多少なりとも腹立たしいなぞらえかたがされているのではないかと恐れていましたが、たちまち我を忘れ、盲目的に経験したことをよみがえらせる、あなたとジャンヌ・モローの魔力にとらえられました。
 一連の出来事のすぐ近くにいたピエール・ロシェが私たち三人の愛の物語を語りえたことには、奇跡的なことはなにもありません。でもあなたにはどんな才能があって、どんな類似性があって、私たちの内奥の感情の核心を感じとるほどに事情がわかったのでしょう? この筋書きに関しては、私はあなたにとって唯一真の判定を下せる人間です。他のふたりの証人、ピエールとフランツはもういませんからあなたに「はい」とは言えないのです。愛情をこめて、親愛なるトリュフォー様へ」


■突然炎のごとく  JULES ET JIM
監督・脚本/フランソワ・トリュフォー
出演/ジャンヌ・モロー、オスカー・ヴェルナー、アンリ・セール、マリー・デュボア
原作/『突然炎のごとく』 アンリ・ピエール・ロシェ(ハヤカワ文庫)
撮影/ラウール・クタール
音楽/ジョルジュ・ドルリュー  (108分/1961年・フランス)
■作品紹介サイトhttp://www.herald.co.jp/official/truffaut_honoo_no_gotoku/index.shtml
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by past_light | 2006-06-18 03:27 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

本日の雑感

 最近、猫だけにはやさしいと言われる。もちろん家人にである。歌人なら歌で返したいが、「ウム」と言葉を飲んでやりすごす。
 日々、否定できない心当りもある。多分三匹の猫との別れが、すべての生きものに、人間は例外として(笑)、哀れみの情を強く養った部分が大きいとおもわれる。この失われた十年、(言ってみたかっただけだが) 猫の死を看取る出来事は、ボディブローのようにどこか効いていて、しかし、といってなにが失われたかは謎なのだ。

 家人に言われるように、三匹もの猫を、同じように死に逝くまでを見届けるというのは珍しいらしい。昨年死んだ猫は、てっきりふだんの野良生活同様の状態から見て、どこか行方不明ということになるのだろうと想像していたが、昨年の春のブログに書いたようにしっかり畳の上、、みたいなかたちで見送ることになった。

 最近は、まったくの野良たちとの出会いが多い。彼らの何人かとは、もうこの二年ほどでいくつかの別れがあり、なかにはやはり、ある日ふっと消えて二度と姿を見ることがない場合が多い。また新たな出会いも多いが、これが人間とだったら交際費がたいへんだ。ともあれ猫にだけはなかなかモテル人だと思われているだろう。冗談はともかく、親しくなればなるほど、なにかどこかで決意が必要だし、ある意味では冷静さ強さも必要だ。

 それはともかくとして、下記のようなニュースはとても腹立たしい。無抵抗の生命、弱いもの苛め、無感覚、という現代の風潮をすごく象徴しているような(四つもの穴を開けてまで除草剤を注入するというやりかたも)、衰退する慈悲心の霊長類がした恥ずかしい行為のひとつ。
「杉の巨木に除草剤注入される 和歌山・丹生都比売神社」
http://www.asahi.com/national/update/0615/OSK200606140056.html
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by past_light | 2006-06-15 02:34 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(4)

受け入れるというリアル

 サッカー放送の裏ではニュース。結果も、いきさつもがあんまりだから、さっさとニュースにあわせる。自分がピッチに立っているわけではないから、だれかれ捕まえて、どうとでも文句は言えるが、気楽な観客としての限界は見極めていないといけない。

 ニュースでは、ニューヨークの少女売春のレポート。
 ブッシュ師は、国外の青少年犯罪などにいつもの調子で説教していた。が、自国は豊かなはずだが根深い闇の街でドキュメントされるニュースでは、足元見ていないと言われてしまう。しかしこれは日本もとても似ている。
 貧困からのみでなく、そんな世界に入ってしまうのはやはり家庭の問題が大きいと言う。幼少期のいわば虐待による精神に生まれた闇が、人間関係、距離感、方向感覚さえ狂わせてしまう。
 しかしまた、13才でその世界に誘い込まれた少女は18才の今、カメラに向かって語る中に、それまでの地獄も受け入れているのがなんともすごいと思った。

 「やりなおせたらどうしたい ? 」
 「今と変わらない。自分がこの問題に共感できるのもこれまでの自分があったからだし、地獄だったかもしれないけれど、今の自分はこれまでのことからここにいるのだし、今までのことがあったらから成長できたのだと思う」
                    (放送の言葉どおりではありません)

 しかし、彼女の場合は、さまざまに幸運な例であることは忘れてはいけないが。
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by past_light | 2006-06-13 16:59 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

難解キャンディー図

 わからないことのおもしろさ、多分それが芸術というものが持つ魅力である。
 そんなことはじつはわからないが(笑)。
 東京に来たてのころのぼくは、それまでの田舎生活では、禁断の果実みたいな映画体験に溺れようとしたような日々だった。
 眼力低下した今では、まずそれはとても無理だと思うが、一日かけての三本立ての難解モノ、午前中に暗闇の中へ心身ともども埋もれ、映画館を出ればそこはまたしてもすでに陽も落ちた暗闇の街。
 そうして一日が終ると、生きていたのか死んでいたのか判然としなくなりそうな気分でもあるが、スーパーファミコンで夜を明かした過去の一日よりは恥ではないのは、芸術を堪能したというには未熟だが、少なくともスクリーンを凝視して、自らの中に新たな種子を宿したようなエロスが存在したのだとおもう。

 ある日のヘビーな三本立てとは、「パゾリーニのテオレマ」、「フェリーニのサテリコン」(さて離婚)ではない、「ゴダールのアルファビル」だった。
 「テオレマ」には、ホントにその時はショックという表現があてはまるような映画を観た気分だったし、ゴダールは最初に観た彼の映画だろうし、上映三本目だったサテリコンは極彩色の豊穣な歴史画がもはや眼球にテロリズムを奏でていた。

 わからないからおもしろい、多分その頃ぼくは悟ったのだ。映画にしても、物語り、筋で楽しむだけものではなく、作者の個人的な情熱や、彼の無意識から内的に必然と現れざるをえないもの、それらが生命そのものであると。

 ブレッソンは「考え込むことで得られるものよりはむしろ、いきなり頭に浮かんでくるものの方」を重要に思い。「言葉、観念で到達できなかった物事を、カメラの背後に立つことによっていきなり見つけだすとき・・最も創造的で力強いやり方で--発見、再発見させる」と言う。
 フェリーニは「個々人が、無意識に通ずる自分自身の最も内奥の神秘的な未開拓の部分を夢によって表現するように、人間の集団も芸術家を生み出すことで同じことをする」と言う。
 絵描きだけど、ピカソは「絵画は私よりはるかに力がある。絵がやりたいことを私にさせてしまうのだ」と言う。

 わかることだけに安住してはいけないだろう。たやすくわかることには、たびたび危険も潜む。あるいは、わからないこととは毒をもって毒を征することがある。それはときどき「わからない」という顔でぼくらに接近する。
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by past_light | 2006-06-11 19:16 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(2)

迷い猫クリハラトラ

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 たまにウチには迷い猫が登場する。
 たいがいはまたどこかへ消えて行くんだけども、クリハラトラくんはウチに上がって来た。ウチは開けっ放していることが多いので猫には好都合だろう。
 テーブルの上には乗るは、流しで水を飲むわで、ぜんぜん警戒しない。初対面でも抱かれてホッとした顔だ。
 幸い首輪に電話番号と名前が書いてあった。・・・・クリハラトラ。
 電話すると少し離れたところにある食堂の猫だった。
 迎えに来てくれた夫人に抱かれてぽえ〜っとしている顔がクリハラトラの性格をよくあらわしておりました。
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by past_light | 2006-06-07 13:58 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(6)

山の郵便配達その後

 いよいよ梅雨に入りそうな空模様になって来た。
 最近はあまりチャンネルをあわせることがが少なくなったけれど、BSなんかは映りづらい日々が続きそうだ。

 今夜は「山の郵便配達」をやっていた。観た映画だからと、テレビを消そうと思ったけれど、なぜか消せない・・。
 思い出す、ゆったりとした時間の流れ、そうそう、この風景と共に背後に流れる音楽のことは書くのを忘れていたんだな。環境音楽とか、アンビエントミュージックとか、以前はよく言ったけれど、このサントラは山岳の風景とその空気感、人の心のなかにあるスペース、そういうものを伝えてくれていると感じる。

 それよりも、ともかく消せないので、途中からだけど録画することにした。それで、食事の後、一時間あまりだが観終った。
 気づいたことは、NHKBSで放映する際に、字幕をレンタルのモノとは、新に書き換えているようだということ。ある程度文字数を削って見やすくしたりするという配慮もあるのかも知れないが、ときにやり過ぎだと思うことがある。

 「山の郵便配達」でもそれは致命的だった。もちろんそれはこちら、個人的に判断してのことなんですが。
 その部分は、崖から落ちたことがある父親が、村びとに助けられたことを話す会話のところ。そのシーンの会話の最後に、ぽつりと父親が言う「恥ずかしかった」という字幕を省いてしまっている。
 放映する方は重要ではないと踏んだのか、それとも・・助けられたのを、恥ずかしい・・と言うのに、なにか問題を感じたんだろうか。「うれしかった」ならよかったとでも・・。
 この会話は、このぽつりと言う最後の「恥ずかしかった」という言葉が大事で、なくなれば意味があまりない会話だと思う。

 NHKは、実はかなり言葉の端々に神経を尖らせていると感じる。NHKは映画のレビューを載せてくれるサイトがあり、ふたつだけ載せられなかったぼくのレビュー記事がある。
 そのふたつが載らなかった理由は、ぼくにはよくわかる。・・ともかく言葉には尖らせているようなんだな。それで、疲れてしまって時々感性が鈍るのかなとも。

 もとい、この映画はやはりシンプルですばらしい。多分何度観ても飽きないだろう。

 「山の郵便配達」検索ワードで今日は何人も訪れてくれた方がいました。ありがとう。
★過去ログ「山の郵便配達」
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by past_light | 2006-06-07 03:02 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

過去と現在、記憶のコラム。関連ありなTBはラヴリー。リンクはフリー。コメントはブラボー。


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