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賢治の言霊
 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を、その日の幼稚園で暗記して帰って来て父親に聞かせるという娘の奇跡。
 びっくりだが、それだけではなくて、聞かせてもらっていた父が「え、何々、いまなんて言ったの」とくり返してもらったところが、

 「南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ」。

 父親は死の宣告を病院から言い渡されて、はじめの三ヶ月のあいだ近づく死というものが怖くて仕方がなかった。
 しかし、ある日娘が覚えて来た宮沢賢治のこの詩を聴いて、すっかり怖さが抜け落ちたのだという。 怖がっている暇はない、とも思った。

 父親はできるだけたくさんの想い出を家族とつくろうと思って、日々を大事に生きているという。
 健康なときは、あるときは勝ち負けにこだわり、「ざまあみろ、オレは勝つぞ」と思い、あるときは自分が家族を守っているんだと思っていたが、妻や子どもやまわりに、なんだ助けられているんじゃないかと分かったんだと。

 テレビを観ていたら、そんなドキュメントがあって、なんだか、この家族すごいなあと思った。
 こういう人の話を聞くと、やっぱりちょっと恥ずかしくなるんだな、緊迫感ない自分が。

 それはそうと、言葉が人を救うと言うことがあるんだと改めて思う。
 しかし、幼稚園で暗記して帰った小さな娘や、奥さんの平常心、といろいろと人には奇蹟が用意されているような気がする話だ。

 言葉が、ひとの深くで伝わり作用し力を発揮する。宮沢賢治も本望だろう。


★リンク「雨ニモ負ケズ」原文

★宮沢賢治関連過去コラム「迷い人」
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by past_light | 2006-02-26 03:07 | ■コラム-Past Light | Trackback(1) | Comments(2)
中身より外見
 先日の自分のレス書きで思い出したことだけど、「目は口ほどにものを言う」というの。

 昔アルバイト先の同僚がいて、彼は獣医を目指していた。
 彼は馬が好きで、お気に入りの馬を観に競馬場へ出かけるのが楽しみで、そのためには仙台まで足を運ぶこともあったと言う。
 しかし馬券を買うのは一枚だけ。本当にともかく好きな馬を観たさのことなのだ。

 ぼくはその頃も今も、たいして馬に関心があるわけでなはいから、向かい合って話をしても退屈しそうだと想像する人が多いだろうかとも思うけれど、若い頃のバイトの関係だから付き合いの期間は短かったが、意外にぼくらは馬が合った(笑)。

b0019960_2383337.jpg ぼくが半分冗談なんだけど、「ジーンズとか長髪とか、そういう恰好だと世の中、先入観とか固定観念でみられやすいから、そういうのをちょっと変えたいとか意識して割と動いている」というような話をしたとき、ぼくは、ありゃあ、ちょっとカッコつけすぎでうそっぽいなあ、と思っていたのに、すごく真面目に感心してくれたのは彼だ。

 ぼくは映画の話とか絵の話とか、彼にとってはあまり馴染みのない話ばかりしかできないし、彼にしても、どこそこで、あの馬を見るのが楽しみだとか、愛する馬の・・などなど、ぼくにしても馴染みのない話ばかりなのだけれど。
 つまりその時その場に、お互いに相手の話を、とにかくただただ同じレベル、テンションで話し、また聞いてもいた。というそんな不思議な友愛の空気が生まれていたのだ。
 彼もぼくも、相手の「愛すること、好きなこと」を話したり聞いたりするという、幸福な空気を共有できたわけだ。

 それは、話の中身よりも、外に現れてくるもの、話す人、聞く人のエネルギーとか、大げさに言えば愛のオーラなんだな、つまりぼくらを幸福にしたのは。
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by past_light | 2006-02-25 02:29 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)
光と影は切ってもキレナイ
 「カメラをまわせ ! あれが現実だ。みんな檻から出された獣なのさ ! 」
 窓の外の夜の闇から銃声が聴こえる。ストリートギャングたちが抜けた仲間を襲っているのだ。

b0019960_19204433.jpg 昨夜のニュースで、ニューヨークで低年齢化して増加しているというストリートギャングを一年にわたって取材した特集があり、それは短い時間だが、実に臨場感あるハーレムの街や若いギャングたちのリアリティのある姿を垣間見ることができた。
 彼らがこんな内部の取材に応じたのは、取材者が日本人という彼らにとっては同じマイノリティだからだという。

 しかしまず呆気にとられたのは、彼らのまるで映画の脚本に書かれているような話っぷり。誤解を怖れずに言えば、とても魅力的なのだ。
 まだ十代のギャングたちをアパートに招いて、彼らの頭を散髪してやりながら、更正へと誘う元ギャングの男は三十代初め。若いギャングたちが気持ちを許しているのも、彼が説教じみ押し付けるという態度ではないからだ。ただ自分の経験からナチュラルに関わっているからだろう。その彼にしても話っぷりはそのままラップを聴いているようだ。しかも実に的確に応え話す。

 ひとりのギャングは足を洗い、氷点下の夜の街に、警備員として10時間も立つ地道な仕事で得た給料で、はじめてまともに買物して家族から喜ばれたり囃し立てられたりする。

 一度その世界に入ったからにはギャングを抜けるのは絶望的にたいへんだと言う。
 彼は報復を受けて、翌日顔を腫らして答える。
 「殺してやりたいのはあたりまえだ。でも刑務所はもういやだからな」
 それから学校へも行き、先々を思い勉強をはじめる。
 「・・・うまくいくかどうかはわからないが、まあ弁護士ぐらいにはなれるさ」というジョークともとれる言葉が自然に出る。

 ひとりは八歳の時に店で最初の盗みをした。
 動機は腹が減って他に選択肢がなかったからだという。それから常習のように盗みや暴力の世界に馴染んでしまう。
 彼は取材中にもまた事件を起こし、警察に追われ逃げ隠れしながら「オレはギャングはやめられない」という。
 保護観察か半年の刑務所かを選択しなくちゃならない彼は、何年も盗まないでいたり大人しくしている自信はないから刑務所に行くという。
 更正をすすめる男は「刑務所に行けばもっと暴力的になって帰ってくるぞ」と保護観察を選ぶようにすすめる。

 彼がどちらを選択したかはわからないが、インタビューの最後には十代らしい率直な正直な言葉が出る。「ホントはやめたい。無理だと分かっているが最初からやりなおせたら・・」

 彼らが取材を受け入れたのにはもうひとつ理由があった。
 この機会を逃せば、自分達の現実を知られることはないだろうからだと言う。

 ブッシュ大統領が演説している場面がある。
 「ギャングから子供たちを守ろう」
 会場の拍手を、いつものにやにや顔で見渡している顔。

 「あれはまったく偽善だ」とインタビューされている識者が言う。

 増え続けるストリートギャングの原因は?、という質問に、最後に取材者はあまりにはっきりと言う。

 「かたやテロ戦争を名目に莫大な資金を注ぎ込んだアメリカは、その間、国内の格差は拡大し貧困層は増え続けています・・」

*(文中の言葉は、実際上の番組の言葉に正確というわけではありません)
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by past_light | 2006-02-21 19:26 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)
巧妙なブレイン
 本屋で立ち読みしたある本に・・、「援助とか分かちあうとか言いますが、その人たちはその人たちの困難の理由があり、助けるのが彼らが自立するのをさまたげる場合もあるんじゃないですか。・・」

 そんな質問に、「私にはあなたが、かれらを放っておきたいという、自分の考えをただ正当化したいというように聞こえますね。・・」というふうに答えているページがあった。

 思い出したのは、この本のそういう質問者のような言葉を前にも聞いたことがあるということ。

b0019960_19494861.jpg 映画の中で放浪する主人公が、はらぺこでにっちもさっちもいかなくなって、田舎の教会の神父に「食べるものをもらえないか」と懇願するのだが。
 神父は「あげることはできるが、それはあたなたのためにならない。あなたが自分で食事できるようになることを邪魔することになる」というように説教し、彼を簡単に突き放す場面。

 のちにぼくは、神父の対応は、シンプルな人の反応とか相手に対しての無邪気な対応ではないと思う。というような話をしたとき、しかしやはり、神父に一理ある。という意見が意外に多かった。精神世界とか関心のある人たちだ。なかにはカルマという言葉がお好きな人も多い(笑)。

 ぼくらはそういう世界に住んでいて、イエスの言う、「おさな子」の世界から遠く離れ、ハートからではなくてヘリクツの編み目に絡み込んだブレインからの反応で、一生食い切れない量をたらふく溜め込んだり、そして世界で餓え死にしている人を黙殺し、一国では勝ち組とか負け組とか、上流だ下流だとか、そんな話題にしているようなものかも知れないね。
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by past_light | 2006-02-19 19:51 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(6)
お久しぶり、キース。
wave たまには、しっとりと音楽。
 キース・ジャレットを初めて聴いたのは、二十代はじめ。
 ぼくももちろん「ケルンコンサート」のガラス玉が弾けるような、あの即効演奏の完成度にびっくりしたものだ。
 そのころはまだジャズ喫茶があちこちにあって、一軒の店で最初は聴いたのだと思う。曲がかかると、そのジャケットが必ず飾られたから、それを目に焼きつけて、レコードを捜しに行ったものだ。

 「ケルンコンサート」は、ぼくに、絵においてそのころ「表現主義」を思わせたが、それは当時、ムンクの絵をよく見ていたせいもあるだろうか。
 のちにキースはグルジェフかだったか、その辺に関心があったようなことをどこかで読んだ気がする。そのころなんとなくケルン・コンサートには、ある意味では宗教的な(キリスト教という意味ではなく)緊張感があると感じていた。

wave
 だけど、「The Melody At Night, With You 」このアルバムは、こちらに耳を研ぎ澄ますテンションも余裕もなく、また何かをしている合間に聴いていても、何時の間にか胸に染み入って来て、圧倒的な郷愁を誘う。

 その旋律が、無垢というのか、そのときのキースの鍵盤と指の対話だったのだろうか。


★(おすすめ-9.Shenandoah)ここで全曲少しづつ聴けます。
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by past_light | 2006-02-17 02:27 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)
極楽
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あくびは極楽の言語か。
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いつも地獄に住んでいるというわけではないが、今日は極楽。
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観音様寄り。
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by past_light | 2006-02-15 19:16 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(2)
幸せの原形
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 恋人たちよ、そろそろバレンタインおめでとう。(濃い人より。笑)

 ブラッサイの写真には、なんとも平衡感覚のある人間へ眼差しがあります。
 だれもが「人」として写っています。そこにパリの原形、しあわせがあるように感じる。

 ぼくは子供たちの魅力的なひとこまも大好きです。
 そして通り過ぎる人の存在がまたいいのです。

 ということで、ブラッサイの写真をスキャナで撮り込んで、いつもの期間限定のタイトルbanerにしました。
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by past_light | 2006-02-13 16:43 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(4)
ぱっとしないからぱっとしないニュースでも拾うて披露
カチョー!という感じですが、ホントですかと思ってしまう。

「スーパーでバレンタイン用のチョコレートなどを万引きしたとして、神奈川県警茅ケ崎署は茅ケ崎市文化推進課長中村成信(しげのぶ)容疑者(56)=同県寒川町小動(こゆるぎ)=を窃盗の疑いで逮捕した、と・・・」
http://www.asahi.com/national/update/0212/TKY200602120074.html


あまりに中年暗い指数が高いので悲しくなるが、それもまた時期がわるかったということか。
こんなニュースでしっかり名前まで出され、こうして目立ってしまうのは、バレンタイン監督がチョコッと連想されるせいだ。
それにしても、バレタ事件内容にしては、こんな名前まで出すニュースにしてよいのかと疑問。カップラーメンまで盗んだというのに(笑)。

罪状は否定しているというので、冤罪であってほしいと思いつつも、けっこうこういう間のさすクライシスを迎えた更年期中高年がいるのだろう。
彼の今後の人生の刈る魔は、世の女性たちの嘲笑と侮蔑的な眼差しに耐えなくてはならないだろう。
奥さんや子どもが居ないことを祈るのはこれも淋しいが、なにとぞ罪を成仏してくれ。

自家用車で来店し、所持金三万円を持ってましたという結末が許せないが(笑)。
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by past_light | 2006-02-12 18:38 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
立地がリッチ
 立春とは名ばかり、という言葉は毎年聞くような感じだ。今年も間違いなく名ばかりの寒い一日だった。
 家はまわりに地面があるので、その上に足を運べば、氷が混じった土がじゃりじゃりと音を立てる。これほど霜柱の張った地面も久し振りだ。昼間も氷の粒は溶けずにいる。相変らず野良ねこたちには気の毒な日がまだまだ続く。

 時間というのは容赦ないもので、今の瞬間もあっという間に過去になり、人はどんどん未使用の時間を消費している。こうしてブログなどを書いていても、始めた頃のページもどんどん奥へ奥へと埋もれて行く。空想ではなく誰しも棺桶が近くなるというのは不変の事実だ。

b0019960_1494476.jpg 女性にはよく知られていると思うけれど、ターシャ・テューダーというおばあちゃんの本は本屋に行くとたくさんあり、絵も描けば手芸や庭仕事(ガーデニングという言葉は日本ではオシャレ過ぎだ)など、田舎暮し、人の暮しスーパーおばあちゃんみたいだけれど、本人はいたってマイペースみたいだし、騒いで持ち上げるのはきっとまわりだけのことなのだろう。御本人は静かな印象で、すでに人間としては達人という感じだ。

 ちょっと、その本を開いて言葉を垣間見ても、長年生きてきたに見合った重みがある。いや、重みじゃなくて厚みか、いやいや味か?、まあ言葉にするのがためらわれるほどのものだということですね。
 それで、そんな言葉がさらりとウソ偽りなく伝わる人なんて、実は長年生きたからといって少ないのでしょう。90才まで生きているから自然と身につきましたというものではないのでしょう。
 ターシャおばあちゃんには、なにか哲学とか宗教とか、そんな読書あたりから培われたものではない智恵が言葉から感じられる。それが重みとか厚み・・なんでしょうね。
 それで、なんとなく女性というものの強さとか感じたり、生活とか生きることに関してのことには男性があんまり太刀打ちできないような気もするところがある。・・が、まてまてヘッセがいました。ばんざい。ああ、他人のふんどしはだめか。

 ターシャさんは死ぬのは怖くないそうだ。悔いのない人生だからということだ。
 う~む、使い切れないお金よりも、こっちのほうがすごい立地がリッチですね。
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by past_light | 2006-02-05 01:51 | ■コラム-Past Light | Trackback(1) | Comments(7)