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夢にて会いましょう
 夢、続きで思い出したこと。
 心理学者の河合隼雄の本に、「明恵上人」のことを書いたものがあって、明恵上人は「夢」を積極的に修行のなかに溶け込ませ、ある時は予知までしていた坊さまのようだ。よく共時的な現象もおきていたという話があって興味深く読んだことがあった。
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 明恵上人がしずかに座禅中のこと、とつぜん弟子を呼んだ。
 離れたところにある水瓶のなかに、「蠅が溺れているから助けてやりなさい」と言ったそうだ。
 弟子はまさか、見もしないでそんなことがどうしてわかるのかな、と不審に思う。
 それでも行って見ると、確かに目を閉じたままの明恵上人の言う通りだったそうだ。

 まだ猫二匹も生きている頃のある日、せこい庭にあるネコ用の水飲み場であるバケツに満々と雨水が溢れかえっていた。
 そのせまいバケツの水面に、昨日来より一匹の小さな虫が泳いでいた。じっと見つめていて、その泳ぎっぷりから特に助けることもないだろう、いつか自分でそこから出ていくだろうと、少し気にはなったが放っておいた。ちょっと雨の中、めんどうにも感じていたのが本当のこと。
 しかし晴れた翌日、雨のなかのバケツをふとみると、すでに溺死しているように見えた。

 ・・と思っていたら二日後のことだ。
 その朝また、ふと見たネコの水飲みバケツのなかに、まだあの虫が浮いている。心がちくりちくりと痛んだ。昨日の晴天ですっかり忘れていた。しかし、しばらく見ていたら「溺れ死んだはずの虫」動きだした。しかも突然元気よくという風にだ。
 あの大雨の中で、水の上に浮かび、ただじっと「その時」を待っていたのか。
 
 今度こそ手ですくい上げて、塀の上に降ろしてやったら元気よく歩き始めどこかへ消えて行った。
 その虫は甲羅のある黄金虫みたいな小さな虫である。甲羅状の背中が強い雨からも守ってくれていたんだろうか、呼吸は大丈夫だったんだろうか、ずっと動かないで寝ていたんだろうか、そんなこんなも謎だった。突然動きだした時は、なんだか蘇生したというような不思議な気もしたものだ。

 ユング本関係では共時性(シンクロニシティ)がよく出てくる。それにも黄金虫が登場した。なにかを告げに来た話である。あのバケツのなかの虫も、なにかを告げてくれたような気がする。それはなんだったのだろうか。・・北風の中でも期をジッと待てということか・・(なんでもないようでした(笑)。

 特に修行などしていないとはいえ、修行が足りない、慈悲心には程遠いぼくのある日の想い出。しかも、ネタにしている・・おそろしや。
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by past_light | 2006-01-31 17:38 | ■コラム-Past Light | Trackback(1) | Comments(0)
世にも不死身な者が足り
 数日前に見た夢で、もうそろそろ目が醒めそうだというところだったので、よく覚えている。
 それで、起きてネットですぐにニュースを確かめたりした。(笑)

 つまり、その夢はちゃんとニュース記事文字列まで出てきてたので、夢の信ぴょう性を確認したかったのだが、取り合えず外れた(笑)。
 記事の前に夢の画面があって、ブッシュ大統領が、よくテレビで演説しているようににやにやしながら聴衆に語っている。その内容が、またぞろ戦争しますという話だ。つまりイラクに続いて今、核問題でもんもんと再燃しているイランに対してだ。

 ところでその聴衆の反応がこうだった。
 聴衆はイラクで息子たちを亡くした人ばかりのようで、もう戦争に息子たちをかり出されて悲しい思いをしたくない。という、そんな嘆きで会場はいっぱいなのだ。
 聴衆の中には、行き場のない怒りや、気分を悪くして会場を去る人が続出し、ブッシュさんは途方に暮れるという顔、・・という感じの夢だ。

 何となく現実感ある夢だったので、ニュースを確かめたけれど、今のところブッシュ氏は安泰のようだ(笑)。
 しかし、かなり人気は落ち目なことは確かなようだが。

b0019960_19381449.jpg むかしチェルノブイリの事後の日、ぼくは新聞をとっていないし、ネットももちろんその頃ない。それで夕方のニュースを見るまで事故のことは知らなかった。
昼間会った友人に夢の話をした。友人は、ぼくの話に呆気に取られていたが、黙って聞いていた。彼も知らなかったんだな(笑)。

 夕方には、ぼくは夢の画面がテレビの画面と同じなのを見て戦慄することになる。
 あのころ、テレビのアンテナを室内の天上に張り付けていた。それはちょうどぼくの寝ている真上だったことを思い出す(笑)。
 そういうことがあるので、気になったんだが外れました。外れてよかったところが多いという夢だろうか・・。

 おもえば、日本の首相とブッシュ氏の似ているところは、内容よりも、良しあしに関わらずにキャラクターになりやすいタイプであるということかな。

 *夢で、核の怖さをこれほど味わったという経験もほかにないので、以前書いたノートを追記します。

 「だいぶ前になりますが、ロシアのチェルノブイリ事故の時は、世界に大きな震撼が走りました。
 実は、ぼくはあの事故の日の朝に、悪夢で目を醒ました一人です。
 ぼくは朝刊を取っていなかったこともあり、夕方のテレビのニュースを観るまで、その事故が本当にあったことだとは知りませんでした。

 夢の内容は、テレビのニュースでロシアの原子力発電所の火災事故を知らせています。地名も出てきます。識者が重大な事故であることを説明しています。水では消せないとか(現実そのままです)。
 現場の映像が映ります。その映像のいくつかは、そのまま夕方のニュースで観るものと同じでした。

 夢はその後、いわゆる終末の世界を思わせ、世界に放射能の死の白い灰が降るようになり、屋外へ出られず、いつしか教会のような建物の中にぼくは大勢の人と避難しています。
 名簿に名前を記載するために列に並び、知人らを心配します。
 ・・その頃飼っていた猫が、表に出たままなので、気になって仕方ありません。
 窓から外を眺め、雪の降るような空を観て、もう永遠に外には出られないのかと云う、絶望感が襲います。

 といううことで、当時、ぼくにとってはびっくり仰天な出来事ですが、その夢から目が醒めた時に、夢でよかったと思ったのは言うまでもなく、ほっと、胸撫で下ろす安堵感がありました。
 それゆえ、よけいにその後の現実のニュースを知った時の、ぼくの恐怖は想像できるでしょう。

 数日後、世界でそんな夢を観た人や、予知までした人が結構いたらしいという話をどこかの記事で知りました。世界にとってそれほどショックな出来事でしたし、その経験からもぼくは、人間の意識がどこかで繋がっているような集合的な意識の場があるような説にふかく頷く気持ちがあります。」
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by past_light | 2006-01-29 19:39 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(4)
野良猫に名前を付け過ぎてはいけないか
b0019960_18562616.jpg うわさに聞くところによれば、数年後につまらない法令などつくり、野良猫を絶滅させようと言うような風に聴こえる仕組みをつくろうなどというようなゲシュタボ区会議員がいるような話を聞く。

 まあ、居たらぜひとも選挙で公正に絶滅させてやりたいと思うが、まだ確かな話ではないので、あわてることはない。
 しかしある区域のみでそのようなことをしたとしても、移動する野生は隣の区域に逃げ込むかも知れないし、外を歩く飼猫を誤認逮捕などして無駄な税金をさらに使い込むんじゃないかとか、いろいろ責め手はあるのだろう。しかし、他に考えることはないのかな、議員というのは。

b0019960_18565488.jpg 野良猫のいない町とはどんな町になるのだろう。
 もちろん関心のない人には視界に入らない生きものかも知れないし、そこに都会にとって最後に残された野生も感じることもないだろうと思う。
 かれらは真冬の寒さにもなんとか工夫して生き延びる。もちろんある程度成人しないと無理なのは人間と同じで保護が必要だろう。ある区画では三匹が夜になるとぴったりとカラダを寄せあって眠りにつこうとする。

 やや高齢な方が多くはあるけれど、子どもも若い人もいる。
 猫たちのまわりにはいつも、そんな誰かが立ち止まり、微笑み、時にちよっと可哀相という顔も見せる。それから同じく立ち止まる人との語らいがけっこうそこに生まれる。
 そこは春の陽射しにふさわしい温度のある場所になる。
 野良たちは、あきらかにそこに集う人々、誰かを助けていて、意図しない奉仕活動をもしている。
 助け助けられている関係なのだと感じる。

 よけいなものとか、生産性に関与しないとか、愛情も関心もなく錆びた心で思っていないと考え付かないことを現代人は思い付き、仕組みをつくったりもする。それがどこかでいろいろな病を生み出してもいることには不感症になり。事後の対策ばかりにあたふたしている。

b0019960_18573679.jpg 捨てて野良猫にしてしまうのは、もうほんとにとてもいけないことだ。が、ただただ居なくなればいいというものではない存在でもある。地域猫というかたちを、かたちだけでなくて気持ち入れて考えた方がいい。ほんとうは、野良として生きる権利だって主張できるのが万物自然の法則でもあろうが。

 猫はかなり繊細で、暴力的な波動を感じさせる人、ギラギラとした野心家やホリエモンは好まないようだ。ちまたの経済には関心なく、のんびりした静かなヒトがだいたい好きなようで、もちろんまず御飯を無条件にくれる人だが。聞くところによれば野良は、ウォール街や兜町や、はたまた六本木干る図には、できれば住みたくないそうだ。
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by past_light | 2006-01-27 18:58 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(2)
人間より経済
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 NHKアーカイブスを観た。
 水俣の公害の歴史を追った、『日本の素顔「奇病のかげに」(27分) 1959年(昭和34年)と特集ドキュメンタリー「水俣の17年」(44分) 1972年(昭和47年)』の二本が放映された。

 これらを観ていて思い出されたのは「国家というものは国民を守らないとわかった」と戦争時の体験から話していた人の言葉だ。

 ちゃんとした対応や、隠蔽などがなければ、その後に続く悲劇の拡大は防げるというのは、今も事件が証明し続けているという、なんという時代に学ばないお粗末さだろうか。

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 当座をしのいで、当座の経済を守り誤魔化し続けることが、むしろ大きな負を増大させて、その後にたいへんな悔恨、悔やみきれない事態を生み出しているのは、今も目の当たりにしていることは明らかだ。この間の雪ジルシもまだ記憶にありありとあるし。

 建てられて間もない新品のマンションが、(もったいない)取り壊され、安全を軽く見て到着した危険な牛肉は(もったいない)焼却され、実体があるのかないのか知らないが、紙切れ状の多額のお金は(もったいない)風前の灯火、かげろうだ。

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 老子は「ことは小さい内に手をうたないととんでもないことになるよ」とずいぶん昔に言いましたが、うわ〜ほんとうだ。・・小さくはなくても。

「環境アーカイブス」http://www.nhk.or.jp/archives/program/back060123.htm
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by past_light | 2006-01-23 03:48 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)
思えば悲しい♪
 歩いていると、少しいい気分そうなオジサンが歌って通り過ぎた。

 「おもえば〜かなしい♪」

 あら、名言だと思う。
 ありふれた歌詞の一節だろうが、名言の根拠はいかに。

b0019960_1565810.jpg 人間の思考回路は必要無くても働いていたりして、それを暇な奴の妄想とか雑念とか恥ずかしがる向きもあるのですが、ふと皿洗いとかしたり、お風呂とか入っていたりしても思いは浮かんだりする。
 過去の記憶の連想だ。

 中学時代の友人とのことを思い出す。それに絡んだ記憶されている出来事。

 あれと思う。なぜ、どこから出てきたんだろう。するとその前の思考の連想だったりすることを思い出す。それを辿るとテレビでの誰かの発言、ちよっと目にした文字、何かの印象、もっと抽象的なもの、ふと嗅いだ匂いとか、それらに由来することが思い出されたりする。

 こうして見直すと、記憶の出所は芋づる式に連鎖していて、どこにアダムとイブが居たのかわからないほどだ。

 人間のささやかな思考の連鎖はジャックと豆の木。天まで届けば楽しいことも怖いこともあるだろうが、だいたい未完の脳内物語で幕はおりる。

b0019960_1504549.jpg ときどき今はいない猫たちとか、当時ともにあった生活などがよみがえる。

「思えば悲しい・・」

 だが、「思わないと悲しくない」。
 儚い、胡蝶の夢のようだ。
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by past_light | 2006-01-22 15:09 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(2)
この人はどこかおかしくないですか?
 テレビのニュースで、コイズミさんの国会での演説をぴっ句アップしていた。

 孔子のことばを、例によって誰に向かって話しているのかわからないような、自己のなかでひとり循環し完結する調子で、我田引水、引用し熱く言い放っていた。

 「改革をなんとしても断行」というキャッチフレーズのような短い言葉がいつものように、自己陶酔のしたようにあの顔から発せられる。最近ますます堅い決意のようだ。いや、意地を維持した人の顔だ(笑)。
 それにたくさんのオバサマとか、まあお互いさまだけど、とても友だちになるのがむずかしいような人も拍手して胸を熱くしたのかも知れない。が、一体その中身、幸せへの指針の理由、内容が理解できたのか不明で、正直いつもよくわかりません。
 またことトラブル発生の際には、ひと事のように「どういうことだろうねぇ・・」と一般人の意見に化けるし、最高責任者だと思うけど、「・・だれそれ・・にまかせてあります」「しっかりやってくれると思います」という呆気に取られるような受答えですし。

 とりあえず進むところは「国民の幸せへの改革断行」と言っているのだろうし、誰もが思うはずだけど、現実に起きていることは、なかなかそれは証明しません。なぜかいい徴候は皆無に感じます。
 思い込みでなんでも陶酔できる人は幸せで不幸です。そしてあぶないです。
 そうやって昔ついて行った国の人は、喉元過ぎればそのころ反省したことも忘れますし。

 それでも「自然の報復」というのには逆らえなくて、時代は、闇に沈殿して隠れていた灰汁を浮き上がらせていく。
 そういう意味ではコイズミさんもホリエモンも、灰汁の沈んだコップの水をかき回し、一役かった人ということになるのかも知れない。

 思い出せば、ホリエモンが「誰でも一千万ぐらいすぐつくれる」と言っていた言葉が何となくやっとこのところ理解できました(笑)。
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by past_light | 2006-01-21 02:28 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(2)
それはつづく世
 昨日の話に追記なんですが、追記しないと誤解を招く部分があるのが、こういうことの厄介さかも知れません。

 ラマナ・マハリシの言葉は、そのままあさはかに読めば、なんとなく死んだ方が楽だよとでも想う人もいない響きではないから、そこがなぞなぞの理由なんですが・・。
 その意味が頭や知識でわかるような意味としてではなくて、「わからない」と意味がないというものだろうということなので、くれぐれもで、早とちりはいのちとりなのですね。そんな人はいないと思いますが。
 ある意味では、あさはかな感じで命を粗末にして死んだりしたら、お似合いのはさはかな彼の世がまっているかも知れませんから。リラックスしておたがいがんばりましょう(笑)。
このブログ内でラマナ・マハリシ参考
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by past_light | 2006-01-19 01:43 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)
それは無慈悲か
 先日テレビをつけると、スタジオで丸くなって喋り場みたいなことをやっていた。芸能人と一般人が入り交じっての対話だ。
 自殺とか人を殺すこととか話していたが、それほどあんまり深い話は出てこない。それでも以前の回に出ていたまだ三十代のはじめの人が余命幾ばくかの病で、しかしそれなりに生きることに積極的に取り組んでいたというビデオが流れ、その歳月を映像は追っていた。だが彼はこの回の番組には出ることはできなかった。
 それはやはりある意味大きなインパクトをみんなに与えるできごとで、感情がそれぞれ表出する場面もあった。

b0019960_2514886.jpg どうにもすごくコンプレックスが強くて、屈折していると感じられる東大出の作家という男は、やはり屈折しながらも、その悲しみの思いを抑えきれずにいたのはけっこう訴えるものがあった。
 が、亡くなった彼が同席していたみんなに「忘れないでほしい」と言ったということを理由に怒りを見せた。そしてほかの出席者に「葬式にも来ないし、花も出してない。忘れてるじゃないか」と責め立てた。

 気持ちはわかるがやはりそれはわがままだ。亡くなったとは言え、ぼくは正直言えば「忘れないでくれ」とはわがままだと思う。人は忘れる生きものだ。忘れないことはやはり自然にさからわなくてはならないことだ。
 それから、自分の思いとか感情、悲しみ、それをおなじくほかの誰かれ関わっているものは共有すべきだ、当たり前だと思うのはある意味でごう慢に感じる。
 カミュの異邦人のように。表面的に、悲しまないようにみえる者を異端として糾弾するのはそれも常識と言う名によるファシズムだろう。

 小津安二郎の映画「東京物語」で、急死した母の葬儀のまえ、まあどう見てもちょっと無神経とは思えはするが、女優魂・杉村春子演じるちゃきちゃき姉が、「あんた喪服持ってくればよかったわね」。葬儀が済めば「形見にあれもらって行く、これもらって行く」「忙しいからすぐ帰んなくッちゃ」などと言って、妹が「ひどいわ」と泣きながら原節子演じる義理の姉にぼやく。 そのときの原節子のセリフがとてもよかった。
 「そんなふうに言わないで。みんなそれぞれ事情があるのよ」
 妹は「そんなものかしら。でも姉さんはちがう」と言う。原節子は「わたしだっておなじ」ときっぱりと言う。

 死んだ後に、ぼくは何かを残しておきたいだろうか。忘れないでいてほしいと願うだろうか。ぼくにはそれがどうもわからないことなのだ。
 ぼくはラマナ・マハリシの言うように「なぜ悲しむ。喜ばしいことだ、彼は解放されたのだ」というなぞなぞをできれば死ぬまでに心底解きたいと願います。
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by past_light | 2006-01-18 01:40 | ■コラム-Past Light | Trackback(1) | Comments(0)
なんだかワカンないけどオススメします。
「きっこのブログ」
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/
読んでみたい方は↑面倒ですが、ブラウザのアドレス欄にコピーペーストしてください。

ぼくもドライ愛ぎみで、一度にまるごと読むのは厳しいですが。。。(*-*+
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by past_light | 2006-01-17 01:48 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(2)
それも、あえて欲望の名で呼ぶ
 冬眠した欲望で思い出した。
 人間が生きて行くには「欲望」が必要だと思っているのがふつうだ。
 食欲とか、生物として生きて行くのに自然で必要なもの、それもはたして欲望の名で呼ぶとそのとおりだろう。美食は外して。

 幅広いので、心理的な欲望というものは、なにかとこんがらかっているので、むずかしい。今日はあえて考えない。すっとばす。

b0019960_18115233.jpg 「神の御こころのままに」という生き方がある。
 ぼくら凡庸な精神にはとても空想的に思う方がこれもふつうかもしれない。
 だから、時にそんな言葉を聞いたりしても、ふんふんとわかったつもりになってはすごく恥ずかしい。ほとんど想像して勝手にイメージし、どんなものかをでっち上げかねない。
 だから「わからないものはわからない」としておく方が正直で誠実だ。

 しかしちょっと不誠実に言うと(笑)。
 欲望がなくてもきっと生きて行けて、それは次になにが起こるかわからないという不安定と活き活きした状態だろうか。
 欲望がないということは期待がない。それで無目的で怠惰ということになりそうだけど、はたしてそうかどうか。知らないのに想像して決めつけてはまずい。

 あれこれ欲しいと思わないし、生きるも死ぬも想像・妄想して不安にならない。肩の荷がおりたような・・。

 それは「神の御こころのママに」抱かれてホッとするかも知れないですね。
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by past_light | 2006-01-14 18:17 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(9)