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おさな心の断片
 「おさな心の君」という言葉がファンタジック映画のなかに出てきたことがあった。 エンデの「はてしない物語」の映画化だった。
 「おさな心、子供の心」と言っても、・・子供のように・・と単純に解釈はできないだろう。

 逆から話しはじめると、大人の世界で起きている出来事、子供の世界ですら起きている現実感のない不透明な事件をよくニュースで聴く。

 大人になると、世間体とか地位とか、他者からの認容が必要に感じられる。それでこそ社会的に自分の価値が確立するし、生活にも影響がある。
 しかし、そう思われる社会的な地位を持つような人の背徳、疑わしい事件なども一方では当たり前のように報道される。
 社会的な自身の価値とは、目に見えるものが幅を利かせる。あるタイプの人々には満足というものが一体あるのかと思われる程その欲望は果てしなく拡がる。

 そのように突き進んでいる時には目的、目標というものがその人を支配するし、それにそぐわない、関係のないものには無頓着、あるいは邪魔で嫌悪すべきものにすら見えてくることがあるだろうか。なにより競争が賛美される社会でもあるしだ。
 自分という世界にある価値観が絶対的に思えるし、他者のささやかな日常が非生産的、無能にすら見えるかもしれない。
 そこから見れば「おさな心」などという言葉がとても幼稚で空想的、非現実的に聴こえてくるのはある意味で当たり前のことかもしれない。

 そんな多くの個人の集合体が社会を構成する時、他者には無関心、排他的で、時には残酷になったりすることも当然起こり得るような気がする。それはそっくり子供達の世界に映し出されもするかもしれない。社会ではやっぱりどこか子供は鏡なのだろう。

 しかし例えば動物や自然に対する関心も一方ではいつも話題になる社会もあり、別にそこから物理的、生産的なものを期待しての関心というわけではない世界もある。
 猫や犬の全く意図のない無邪気な表情を目にしたり、木々の緑、花の色彩、川の流れ、海の悠々たる姿に接したりした時に、なにか心にひっかかっていたものが忘れられたりすることは誰もが経験し知っていることだ。

 そこにあるのは「こうしてやろうとか、こうでなくては」とかいったように、計画されたり作為的な行為ではむしろ生じえない、それが入り込む余地のない、「無邪気で、ありのままの姿」に触れた時におこりえるものだ。人も、幼い頃に誰もが持っていたものなのかもしれない。
 それは人のなんらかの心の平衡と深く関わっていて、「目に見えないかんじんなもの」で、闇を救うものの、そういったある部分を見せているのかもしれない。

★「子供という象徴 / メリークリスマス・ミスターローレンス」
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by past_light | 2005-10-27 19:33 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
星の王子さまの新装
 「かんじんなことは、目に見えない」と、王子さまは忘れないようにくりかえしました。
 サン テグジュペリの『星の王子さま』がキツネに教えてもらった言葉だ。

 以前なぜか宮沢賢治の言葉とばかり記憶間違いをしていた。それは多分そんなに間違っても、けしてぼくの中ではイメージとして遠くないものだが、賢治の『銀河鉄道の夜』に出てきたと思い込んでいた。

 『銀河鉄道の夜』で印象的な言葉は、「ほんとうの幸いはいったいなんだろう」という言葉かもしれない。
 やはり、こうして並べてみると共通した響きを感じるのは、ぼくだけなんだろうか。

 『星の王子さま』はいつも不思議な気持ちにさせる童話だ。最近、新しい翻訳がいくつか出てもいる。本屋で覗いたら池澤夏樹さんの訳本が目立つところにあり、なんだか読みやすそうだ。

 しかしこれは、童話なんだろうか。
 『星の王子さま』はユング心理学の恰好な材料にもされていて、もうゆうに20年以上前に読んだユング門下生マリア・フォン・フランツの、「星の王子さまの深層」という本には、その頃ひどく感心したり、自らをかえりみて脂汗を流したりした。・・というのはおおげさなんだが。

 しかしその頃、まだ原作は読んでいなくて、その後、真っ白でこの原作に向かうことが難しくなってしまった条件をつくってしまったような気もする。それでもしばらくは読んだつもりになっていたので、おかげですいぶん後になって原作を読むことになってしまった。

 この物語にある悲しさ、さみしさは、なんだろう。
 フランスではミュージカルになっていてたりして、日本公演も日本人で公演があったようだ。最近、日本人の演出家の公演の話もラジオで聴いた。
 ぼくはこの物語がそんなに多くの人に賛辞を受け、何故だかノーマルに・・。そしてエンターテーメント的に楽しまれると云うのがなぜか信じられない。大きな口を開けて大声で歌い、踊り、大声で「ぼくのバラなんだ!」なんてどなるミュージカルに創るという演出家が理解できない。

 ぼくにはなんだか、ある怖さと悲しさが、囁くように、儚気に、語られ伝わってくる謎に満ちたお話なんだ。

 原作に忠実なアニメがあり、また「ベルリン天使の詩」の役者ブルーノ・ガンツのサン テグジュペリの映画があり、斎藤由貴の素晴らしい王子さま役の、しずかな朗読によるCDもあった。その世界は原作を大事にした創作を見せてくれていた。
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by past_light | 2005-10-25 01:36 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(4)
偉い人と会うとき
★U2ボノ、ブッシュ大統領と会談

<記事抜粋>・・・ボノさんはホワイトハウスへ向かう前にローリング・ストーン誌の取材に答え、ブッシュ大統領と会うときも、ほかのどんな世界的指導者と会うときも、別に緊張しないと話している。

「緊張すべきなのは連中の方だ。自分たちが当番のときに何が起きたか、責任を問われる立場なんだから」とボノさん。「ぼくは、極貧の中にいる人たちの代表、誰よりも弱い立場の人たちの代表だ。ぼくは心の中にそういう気持ちを抱えている。ぼくはパンチを繰り出す。その拳は、一緒に部屋にいられない人たちのもの。その人たちの激しい怒りや憤りや痛みを、ぼくは代表している」「その人たちの道義的な力はぼく個人の力よりもはるかに大きい。その人たちの意見は、ぼく個人の意見よりもはるかに重みがある。だからぼくは緊張なんかしない」と同誌に話している。
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by past_light | 2005-10-24 02:30 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
夏の残照
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 ちょっとだけ、夏が戻って来てくれたような日でした。
 今年は洪水などもあったり、台風の大きな被害もあった。
 いつになく長い夏が終って、はや一月以上がたった。秋も深まり、これからだんだん寒さとか感じる日が迫り来るのだと思うこの頃、ふっと、わずかにこんな夏の名残りを感じる日があるものです。

 しかし思い起こせば、出先で、例年より雷雨に見舞われて困ったことはなかった。
意外に夏の終りの雷雨は想い出深いものなので、ちよっと損した気分。
 だから残しておくのは数年前のオモイで。

 ◆空がどんどん暗くなる。やがてとおくから雷鳴が鳴り響き、地上を走るような風がむかってきた。すぐに夕立ちがくる。自転車をひきずり屋根のあるベンチに避難してみた。が、すぐに突風がきた。ちょっとやそっとの夕立ちじゃなさそうだ。ここじゃだめだな。おきまりのように雷鳴はますます近づいてくる。
  子犬を連れたご婦人も散歩の途中。同じ屋根の下、困ったわ~とワンちゃんと顔を見合わせている。そのへんに雷が落ちた音。うわ~こりゃだめだ。 ワンちゃん、目を丸くして固まった。ご婦人も意を決して子犬との散歩はあきらめて帰ることにしたようだ。ぼくは帰るといってもお家は遠過ぎてだめだい。近くのこじんまりしたトイレに雨宿りに行くことにした。おお、ありがたいことに清潔だ!! ブラボー。頑丈なスチールの扉だし、ちよっとした三畳のマンションの一室って感じだ。
 そして間一髪、ごうごうの土砂降りの雨があたりを包み込んだ。

 「ひえ~、こりゃひでぇ!」
 声の主は自転車で隣の女性用に乗り付けた一日の労働帰りのおじさんだ。まあ、よく考えるとこちらもおじさんだ。時々忘れるのは罪じゃないだろうが。 あれすみません、男用をひとりじめしたみたいで・・。

  半開きのスチールのドアの下の隙間からは雨水がどんどん入ってくる。タバコをふかしながらふとノアの洪水の日を思い浮かべる。どんな嵐もやまない日はない、と言ったのは老子だった。でもこんなひどい雷雨のとき、人類最後の日だって妄想してもおかしくない世界なんだろうか。

 でもやっぱり妄想で、やがて20分もたったら雷も雨も走り去っていくようだ。だいぶ小降りになった。女性用にいたおじさんはまた自転車にまたがり帰ることにしたようだ。男用のぼくの前でちょっと立ち止まり挨拶してくれた。

  「傘、持ってこなかったんですか」「ええ、でももうやむでしょう」「傘あってもしょうがないけどね、これじゃ」「そうですね」「雷のほうがこわいからね」「ほんと」「じゃ」「気をつけて」

 おじさんも帰って数分もすると雨はもう傘がなくても気にならないほどになった、雷鳴も徐々に遠く移動した。雨が洗った夕空に月がくっきりと浮かんでいる。稲妻は雲の隙間にときおり光り、ぼくはしばらく見とれる。

 ◆ヘッセは雲が好きだった。初期の作品をむかし読んだ頃は夏の日々だった。ものがたりの詳細は忘れているが、清々しい夏の高原の空気を胸にふかく吸い込んだような懐かしい想いがハートに残っている。
 熊谷守一は「へたも絵のうち」で、よく晴れた青空より雲のある空の方が好きだと言う。読んだ時はピンとこなくて、青空もいいけれどなあ・・と思っていたが、先日、夕空に浮かぶ雲の美しさを見ていて、気がつくといつからかぼくも、晴天の雲ひとつない青空よりも幾重もの雲がつくる表情の空が好きだったことに思い当たった。

 空にある雲は捨てるべきごみじゃない。だけど、道には、海岸にはごみがあって、あるいは人間が地上でしか暮らせない証しでもあるが・・。
  ニュース23の特集で、数年前に突然、活動を停止したシンガーのCocco(こっこ)が、沖縄の海辺でごみを拾っていた。「きりがないから、これ一杯になったら今日はやめようと思ってるんだけど」と、ゴミ袋を持って海辺を歩いていた。彼女は当時の事を「とつぜんある日、ほんとうに歌が好きなんだと気づいたの。だからこのままは続けられないと思った」と言う。「商売にしたくなかった」「とにかくいったんすべてを捨てよう」と。
 「ほんとうに歌が好きだと気づいた」という転換点がひどく切実に聴こえる。

  子供たちと、学校のブラスの伴奏と、彼女は沖縄の海への思いを、「基地のせいやオニヒトデのせいにばかりしててもだめでしょ、自分ができることしなくちゃと思って」「みんなもひとつでもごみを拾ってくれたらいい」 という思いを歌にしてみんなで歌う。
 中学校の校庭に設けられた野外ステージに登場したときのCoccoは、「なにか言おうとすると泣きそうだから、すぐ歌います」と、まさに泣きそうな顔を細く長い手で覆いながら言った。・・そしてステージを見つめている観客たちの感動も伝わる映像も印象的だ。なんと観客のそれは真剣な表情のことか。
 みんなとの合唱が終わり、感極まったCoccoの雄叫び !!。
 ぼくは彼女の歌をそのころじっくり聴いたことはなかったが、彼女が繊細な、誠実な、ほんものの芸術家だということがよく伝わるそれは番組だった。
 その後に映ったニュース、政界の次期首領争いの映像に出てくる顔は、なんとあの繊細さに遠いことだろう。(2003年9月)
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by past_light | 2005-10-15 02:06 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
みじかい秋みつけた。
おくさんのともだちのおもいやりのこもったおくやみがおくさんにとどいた。

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by past_light | 2005-10-14 02:14 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
コイズミくんにも読ませたい
★リンク記事「ベネズエラのために、ラテンアメリカのために、世界のために、戦う」 チャベス大統領 国連演説

「国民が真実を見抜くためには教育が必要だ」
・・
日本のマスメディアが「反米演説」と片付けたチャベス大統領の演説全文をスペイン語の原文からの翻訳で紹介する。(翻訳・後藤政子/ベリタ通信)

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★リンク記事バート・バカラック、最新アルバムでブッシュ批判「言わねばならないことがある」
ラブ・ソングの大御所、バート・バカラックが、11月1日発売の最新ソロアルバム『At This Time』で、自ら作詞・作曲した反ブッシュサウンドを披露しているという。77歳の音楽家を異例な行動へと駆り立てたものは何か?
・・
私が今問うのは、『私達の人生を支配しつつある連中は一体何者なのか?どうしたら彼等の暴虐を止められるのか?』ということです。

「私見では、ブッシュは最も粗末な大統領だと思いますね。もっと酷い大統領を探すとしたら、私が生まれる以前の時代に遡る必要があるでしょう。」
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by past_light | 2005-10-10 02:06 | ■ちょっとミニメモ | Trackback(1) | Comments(0)
アートカレンダー秋深しです。
アンビエント・アートカレンダー 2005年、秋深し-「 zen(禅)」-
●PDFデータは、御家庭のプリンターで印刷すれば、ポストカードサイズのカレンダーができあがります。
<パソコンのディスクにダウンロードして、Acrobat Readerなどで「ハガキサイズ横」に設定しプリントして下さい>

左のオーナーメインリンクの素材ルームのトップにあります。
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by past_light | 2005-10-02 18:23 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)
負けて金言
 「気合」の親子で、お父さんはハイテンション・パフォーマンスのみが目立って、よく知らない人でしたが、こういう言葉が出てくる人なら、娘はとっても幸せです。

 考えてみれば、これぞスポーツマンシップ。否、人としてとてもすてきなことで、娘が尊敬するのがよく分かる。
 近しい者の目の前の失敗に、愚痴や小言や、つい叱ることは凡人よくあることじゃないだろうか。親にしても子供にしても。そうは本音から言えないことばかも知れないし、なかなか聴けないことばかもしれない。
 過大に勝手な期待を無意識に投影せず、相手をまるごと、あるがままに好きになるということ。

 『・・・浜口の集中力は人並み外れている。それが女子で史上初の10大会連続出場の原動力となっているのは間違いない。しかし、レフェリーの指示や終了のブザーさえ気づかない姿も目にする。関係者からは「冷静に戦えれば、もっと強くなるのに」と、ため息も漏れた。

 それでも、アニマルさんは「何年やっても不器用。それが親としては好きなところ」と、目を腫らす娘に笑顔で大きな声をかけた。・・』

浜口「銀」に終わる…世界レスリング
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by past_light | 2005-10-01 19:24 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(0)