ブログトップ
<   2005年 08月 ( 7 )   > この月の画像一覧
夏の終り
 子供の時、海で泳いでいて、だんだん自信がついてきたので、沖の方まで泳いでいったことがある。

 沖といっても、遊泳範囲のしるしにブイが浮いているところから少し先という程度のところまでだ。
 それでも浅瀬に戻る時の体力を考えないで泳いでいって、片道で疲れてしまい、浮いているブイに掴まって休み、必死で戻った。

 海の底へ行くにしたがっての闇と足に感じる水の冷たさ。その海の底から泳ぐ足を捕まえられそうな怖さ、ぞくぞくしたものだ。

 ・・そんな海の底というのも、思えば、なんだか心の底にある暗闇を覗くこととどこか似ている。

 そこは潜って覗き込むのに勇気がいる。
[PR]
by past_light | 2005-08-30 18:31 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)
おとなことなる
 「 ほんとうのことを言おう わたしは詩人のふりはしているが 詩人ではない」

 と谷川俊太郎さんは詩のなかで言ったが、それはほんとうのほんとうのことだから誰も醜いとは思わないだろう。レッテルとは都合のよい社会のためにあるのだし、「私は絶世の美人だけど、オナラもトイレも行きます」という魅力的な女性もいるだろうし。

b0019960_0442743.jpg ところで「本当のことを言おう。わたしは人間のふりはしているが、人間ではない」というと、どうだろう。
 人間らしさというのも今さらだが、たぶんどんな動物よりも危険な人間もいるわけだから、人間らしいというのはおもいっきり幅のある領域なんだろう。
 それでは子供と大人という分け方はどうだろうか。

 前に図書館で立ち読みした大江健三郎さんと柴田翔さんの対話がおもしろかった。
 大江さんがまだ40代の頃のものみたいだが、その率直な対話がよかった。

 「子供の頃、大人はすっかり大人なのだろうと思っていたけれど、自分が大人になって、どうもそうではないとわかりました」と大江さんは言い、柴田さんはうなづいた。

  これはまったくほんとうのことだ。
 むしろすっかり大人だと思い込んでいる人は怪しいし、嘘つきかもしれない。ただウソと知らずにだが。

 人のことは、まあわからないことにしておいて、「大人ってなに?」って、ずいぶんいい歳をしても思う人がいるのを、少年や少女はどう思うのだろうか。
 あなたのお父さんやお母さんは大人ですか?。
 
 「歳だけ大人のふりはしているが、わたしは大人ではない」
[PR]
by past_light | 2005-08-28 00:46 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
グッとくる記事です。
グッとくる記事です。

テキサス州クロフォード:シンディ・シーハン支援のために集まった人々の長ーい車列。地平線の先まで続いている。もはやブッシュ牧場は行列のできる店状態。これは確かに国家にとって脅威だ

8月11日、シーハンはブログに記した。「ジョージ・ブッシュに説明責任を果たさせる時です。そのために私はここに居るんです。大手メディアは大統領に説明させないし、議会も駄目。でも、私は大統領が責任を果たすまでここを離れません」


いつの日か、別の合衆国大統領がシンディ・シーハンを迎えて言うだろう:「イラク戦争を止めさせた女性というのは、あなたでしたか!」
[PR]
by past_light | 2005-08-27 02:38 | ■ちょっとミニメモ | Trackback(2) | Comments(0)
Abomb
 想像力の持ち場が肯定的に語られるなら、おろかな人間がおろかな行為を予防するためのものと言うのが筆頭だろう。

 もし、あなたが自我の中心からくり出す欲望を原動力とした無慈悲な行為から自由であれば、何の問題もない。
 しかし、あなたが我の内からにょろにょろとのびる蛇の頭の存在に気づいているなら、他者と言う分離壁があるなら、想像力はまだそれなりに持ち場がある。

 風の強い公園でタバコに火をつけようとぼくはライターを押した。なかなかつかないので、手をかざし風を防いでガスの出力を最大にしたら、吹き上げた炎で指の間をほんの何秒か焼いた。かるいやけどだ。
 ひりひりするので、近くの水道の蛇口をひねり水を手に流した。その間は気持ちがよかった。ヒリヒリすることは消え、水の冷たさの有難さが身に染みた。
 だが、手を水から離して数秒もすると、焼け付くようなヒリヒリ感がもどった。ふたたび水に浸すとウソのようにそれはまた消える。

 何度かくり返すことで、ふと思った。
 原爆の下で身体に大火傷を負い、水を捜して生き絶えた人々や大火傷や放射能の後遺症に苦しみつつ生きた人たち。
 ほんの軽い指の火傷ですら、そのヒリヒリする痛みはたいへんなのだ。
 まして、爆撃の下、火の海で襲う「痛み」とは、想像を絶するだろう。絶することだからといって、すこしも想像できないわけではない。それはちっぽけな痛みからでさえ。

 公認された、計算された暴力とは、痛みを知らない机上で、想像力の枯渇した人間に悪魔が囁くアイデアでもあるだろう。
 そして無意識なる暴力も、ぼくらの精神のいたる隙き間をくぐり抜けようと狙っている。
[PR]
by past_light | 2005-08-20 19:33 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
Miss.亀
 数年前の欧州。歴史上にも記憶されそうな酷暑があって、フランス、パリでは、ほとんどの家庭がエアコンはおろか扇風機さえ所有しているところも少ないということで、例年より十数度も高い気温に死者も出ていた。スイスさえ猛暑のなかで雪も溶け、ポルトガルあたりでは大規模な山火事に非常事態宣言が出た。40℃を越していたヨーロッパ。はたして今年はどうだったろうか。

 それにくらべれば、日本はまだ不平を言うには穏やかな異常気象、という言葉も変だが、そんなところなのだろう。
 ニュースでは、四国あたりでは水がめがゼロに限り無く近付いていて、節水はおろか、発電のための水量の確保にと、戦々兢々というはなし。
 いろいろ科学技術は、宇宙だ、遺伝子工学だ・・と、鼻を高くしているが、適度な雨が降らないと人はたいへんなのだ。人が生きるために水は、古来と変わらず自然が頼みなんだ。

b0019960_1982212.jpg

 昔読んだ中国のふるい話を思い出した。記憶によって「脚色」採録すると。

 「ある農村でいくにちもいくにちもの日照り、一滴の雨も降らない日々がえんえんと続いていた。

 よわりはてた村びとたちは、風の便りに名の伝わって来た雨乞い師に、雨を降らせてくれるように依頼した。
  村に到着したその雨乞い師は「何処か静かな場所にある小屋を数日貸してくれまいか」と言った。
 そしてかれは、村びとにあてがわれた小屋の中に入って戸をぴしゃりと閉めた。

  翌日、そしてまた翌日、雨乞い師は小屋の外に出てくる様子もなく、村びとたちはじれったくいらいらもし、いっこうに姿を見せない雨乞い師の様子を怪訝に思っていた。

 ・・そしてやがてそれから三日ほど経って、ほんとうにようやく、ひさしぶりに空から雨粒が落ちて来た。村人たちは大喜びで雨乞い師にお礼を言いに行った。

 「さすが、名立たる雨乞い師でありんす、ほんにありがたいこったす。だんが、外に出られる御様子もなしに、いったいどげなようにして雨を降らせて頂いたんでありましょうか」

  雨乞い師は頭を掻きながら言った。「いやあ、べつになにもしとらんのです。・・この村に着いてすぐにわかったんですがね、なんか騒々しゅうて、空気もとげとげしゅう感じておりました。
 村の御方たちの顔も険しゅうて、まあ自然の秩序とでもいいますか、なにかあっちこっちと乱れておりまして、まずこれはともかく静めにゃあなるまいと思いましてな。私も小屋で静かにしておりました。
 ようやく今日はおてんとさんも納得したようですなあ」

 最近、日本も騒々しい。政治の世界の人は騒々しい方が元気で、「わが党」に対する愛着も相当なもので、彼らの顔は、けして国民ではなく「わが党」に向いていると感じざるをえない。
 どうして人は政治家になると、アイデアもことばも、深みも品もない顔に見えるんだろうと思ったりする。
[PR]
by past_light | 2005-08-19 19:10 | ■Column Past Light | Trackback(1) | Comments(0)
夏の午後三時
 暑い日が続いているけれど、八月も中旬になると、そろそろ夏の終りが早くも感じられたりしてくる。

b0019960_2126444.jpg
 だんだん日中の暑さも夕方にはおさまり、夜になればだいぶ気温が下がり、うっかりいつものように、布団を用意しないで寝てしまうと寝冷えしてしまう。
 めんどうだから、そのまま丸まって寝ているんだけど。

 また今日も午後になると、しっかり残暑が厳しい一日になった。
 東京では、まじまじと夏の入道雲を凝視することが少ない。それでも昨日の公園から見渡した空には、しっかりした入道雲が左の空にあった。なつかしかった。
 しかし、右の空を見ると、なんだかもう秋の雲を思わせる空だ。その空の表情のコントラストが面白かった。

b0019960_2127822.jpg
 都会の空ではあまり似合わないけれど、子供のとき、田舎の田んぼの真ん中にあるいっぽん道を歩いて海水浴に行く時の、あの強烈な陽射しの中で見上げた入道雲。
 遠く幼い夏の日々の健康と完全なる休暇。

 過ぎて遠く感じる季節といえば、やはり夏だ。
 青春と例えられる由縁は、なかなか的確であると気づいた時は、過ぎていたりする(笑)。

b0019960_21272783.jpg
 夏の猫よ、数えられるほどの夏だよ。
[PR]
by past_light | 2005-08-14 21:33 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
夏の弧
 温暖化どのうこうのは置いておいても、ここ数年の東京の夏を経験していると、日本も亜熱帯の気候に徐々に移行しているという説が思いだされる。

 ありありとそんなことになると、今のような住居、ビル、マンションなど都会的な生活も様式を変更せざるをえなくなり、家の造りも変わってくるかもしれません。そうしないとエアコン等の設備、使用で電力の消費も莫大になるかもしれませんね。まあ、冷房装置も進化してくれるのでしょうけれど。

 日本はたてに長いので、南の端の九州や沖縄の夏は、関東と比較すると全く別の国に来たような気候に感じることもあります。といっても体感的には鹿児島あたりまでしか知らないのですが。それは南方独特の多様な植物を見るとよけい感じます。

 もうとっくの過去になりますが、長崎の島原半島の南にあった実家の近くの海岸ぞいを散歩したり、自転車で堤防沿いを走ると、もう本当に夏を満喫できました。
 今、このブログのタイトル画像にしているのはその海岸のひとつ。
 東京の、街の近くに長く居て、すっかり忘れた潮風と潮の香り満載の空気、海辺の情緒に酔いしれたものでした。
 それはほかに替えがたい贅沢な時間に思え、帰る気持ちが起きなくなってしまったものでした。
 そんな話をもっと読みたいというありがたい方には、こちらを(笑)↓
★リンク「思春期の情景」
[PR]
by past_light | 2005-08-05 18:59 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)