ブログトップ
<   2005年 03月 ( 6 )   > この月の画像一覧
独り、犀の角のように
b0019960_1759531.jpg
孤独とか、考えていると、孤独とかは、考えるものじゃないと思う。
味わうものだ。
味わうのが下手なのが、けっこう人間だ。
あれやこれやで埋めたがる。
味は薄まり、いつまでも孤独の味はわからない。
独り犀の角のように歩め。
・・猫のようにでもいいな。
[PR]
by past_light | 2005-03-31 03:15 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
天国への階段
 おもえばふしぎだった、最期の最期には赤ちゃんのように世話を喜んで受け入れて旅立った。


 チビチャは、今から一年四か月ほど前、先に旅立ったポッポが、自分もまだ来て間もない頃に連れて来た友だちだった。
 なかなか人間に慣れようとはしなかったけれど、やがて小さい頃のか弱さもウソのように、足腰の弱さを上半身の逞しさで充分にカバーして半野良生活を満喫し、食欲は旺盛だった。
 しかし一年に一度か二度、そんな食欲もなくなる時があり、それは持病と思われる腸の調子によるもので、重度の便秘が続いて、それから下痢になり衰弱して、何度も「だめか」と思わされることがあった。
 それでもいつも復活して、またガツガツと食欲旺盛になり、さかりの始まるとはいえまだ極寒のシーズン、ふっと十日ほど帰ってこないで、これでお別れか・・と思えば、やっぱり必ず帰って来た。

 ポッポが旅立つ2003年の秋から冬に向かうころは、チビチャは絶好調で、その頃の写真は生命力に満ちて、楽しく作ったミニ写真集の表紙を飾った。

 そんなチビチャも昨年の夏の暑さでは、その食欲不振も長引いた。秋になり、持病はやはり出た。それでもまた年末になる頃には復活し、正月料理に招かれた。
 しかし今年は昨年のようには調子はなかなかあがらなかった。寒がりになりいつも窓を閉めると出口を捜すパニックもふしぎになくなり、家の中でおちつき、くつろぐようになった。
 それは今考えれば、最期の親密なこの付き合いのための予行練習じゃなかったのかと思われてならない。

 二月のなかば、やっと快復しはじめた矢先、今までで一番大きなケンカの傷を顔に持って帰って来た。新顔の若手の猫の勢力拡大に、果敢に縄張りの死守に挑戦していたのだ。
 傷は表面からは、いつものようにほおっておいてもまあ治るとぼくも油断した。しかし一週間ほどして化膿し大きく腫れた。
 膿を出し、包帯しても、あのチビチャがいやがらなかった。意外にも世話を喜んでいた。
 二ケ所に及んでいた傷は耳の下片方がひどかった。その傷はついに塞がらなかった。
 どんどんまったく食べたがらなくなった。やむなく緊急食を水でとかし注射ポンプで口に注入しはじめた。
 それで何日かはいつもの自力の治癒力を待ったが、衰弱する原因は今回は頭、下腹部との二重だった。
 覚悟しはじめた。もうぶどう糖を加えた水だけをあたえた。それをまだなんとか飲んだ。それで四日ほど命をつないだ。手厚く看護して見送ることに覚悟は決まった。
 これは三度目のことだ。家族のような猫を、こうして見送るつらさに気持ちも身体も疲れた。

 赤ちゃんのように安心して看護を受け入れ、ほとんど寝たままのチビチャは、おしっこが出るとかすれた鳴き声で知らせた。下血したときも知らせた。
 荒い呼吸を見ていたらショック状態で死ぬと思った。つらくて涙が吹きでた。でも、広い胸板を持ったチビチャの心肺機能は持ちこたえ、二日も命はもった。


 その日は、ぼくが望んだように、暖かく、明るい陽射しの午後になった。
 ちびちゃらしく、庭のいつもの椅子に寝かせてじっと旅立ちを見送った。チビチャはよくがんばった。
 ポッポと同じときのように泳ぐようにもがき、やっと胸の鼓動は止まった。3月16日午後三時。チビチャはポッポより一年あまり長く生きた。しかし最初のねこの半分の時間しかふたりとも生きれなかった。

 一昨年の初冬、ポッポをなくした悲しみに、「役不足」などとからかわれながら、ぼくらの廻りにチビチャは寄り添っていた。
 ほとんど食事の時間しか顔を見せないこともあった。しかしそういう時が一番チビチャも元気で充実した毎日だったのだ。目に付く場所に長くいる時はいつも体調もわるい時で、そんなときは心配と不安はよぎった。

 そして最期のこの日々は、今までの7年半にかってなかったほどの距離の近さにチビチャは入り込んだ。チビチャは絶対的にぼくらを信頼していたのだ。あまえべたのチビチャはどこか遠慮していたのだろう。
 チビチャは大きな想い出と余韻を残した。ぼくは想像以上に泣き虫だった。
 でもチビチャ、こちらの寂しさはお前のせいじゃない。こちらが耐えるだけだ。やがて時間がなんとか風化させていく。

b0019960_342922.jpg 飛行機雲が夕空にひとすじ消えていこうとしていた。それは階段のようなかたちをつくった。

 淀川長治さんは、お母さんの御葬式の後、「お母さんは今どこにいるのだろう」と思って空を見たという。
 淀川さんは空の雲が階段のかたちをしてみせてくれているのを見て、「ああ、天国にいったんだと知らせてくれたんだ」と思ったという話を思いだした。

 バイバイ、チビチャ。
[PR]
by past_light | 2005-03-18 03:16 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)
なつかしいドラマだが、なつかしいなんて言ってられない
 「毎日、自分を抑える訓練をしなきゃいけない。
 自分をおさえる。我慢をする。すると、魂に力が蓄えられる。

 映画が見たい。一本我慢する。二本我慢する。三本我慢する。
 四本目に、これだけは見ようと思う。
 見る。そりゃあんた、見る力がちがう。
 見たい映画全部見た奴とは、集中力がちがう。」

「生きるってことは、自分の中の、死んで行くものをくいとめるってこったよ。
 気を許しゃぁ、すぐ魂も死んでいく。

 なにかを感じる能力もおとろえちまう。
 それを、あの手この手をつかってくいとめることよ。それが生きるってことよ。」
「早春スケッチブック」 
[PR]
by past_light | 2005-03-15 01:10 | ■ちょっとミニメモ | Trackback(2) | Comments(2)
「うしろすがたのしぐれてゆくか」
 以前、ネットで出会った言葉たち。

「 ありがたい ありがたいと おもわなあかん とおもっているうちは まだあかん
  あたまの中から ありがたいが 消えたら ほんまに ありがたいこっちゃ 」

「 夏はあつい 冬はさむい 春と秋はちょうどええなぁそやけど 夏と冬からは逃げられへん  人生も そうや 」

「 人のことやったらわかるのに じぶんのことはわかれへん みんなそうではすまされへんで すまされへんことわかってるのに じぶんのことはわかろうとせえへん  ほんまのとこは わかりたくないのとちがうか みんなこわがりや 」

「 しろくろつけたらじぶんはすっきり そやけどあいてはどうやろ ちょっと待ってほしいときもあるかも しれへん 待つということが 愛やとおもうよ 」

「 にんげんというもんは 許して許されて 忘れて忘れられて そやから  生きていけんのとちがうやろか なんぼええことしても 悪いことしても 1秒たったらもう過去のことや 今日 いま このときを 大切にせんとあかんよ 」

 「人生楽々  ~大川フサ子さんの詩~ 」から、というもの。
 大川さんが『ある日(たしかお墓参りの帰りでした)、ふと訪れた画廊で目にした「弁天さま」の絵を衝動的に買い求め、それを寝室に飾って以来言葉(詩)が次々とあふれだし、 一通り書き終わってからは全く浮かばなくなったとか』ということ。
 このページのあるサイトはいつからかなくなってしまった。

 ほかに山頭火も紹介してあった。

 「うしろすがたのしぐれてゆくか」
 (これはマンガの「ガキデカ」のいわゆる変身シーンで使われていたなあと、ふと思い出し出し・・。)
 「どうしようもないわたしが歩いてゐる」
 「こころつかれて山が海がうつくしすぎる 」
 「まつすぐな道でさみしい」 ・・・。

  また、 『苦痛に徹せよ、しかし苦痛は戦うて勝てるものではない、打つたからとて砕けるものではない、苦痛は抱きしめて初めて融けるものである』
 『或る時は澄み、或る時は濁る・・澄んだり濁つたりする私であるが、 澄んでも濁つても私にあつて一句一句の心身脱落であることは間違ひない』と山頭火は書き記しているという。


b0019960_2544877.jpg 大川さんの言葉は心を軽くするような明るい響きがある。それは大阪弁であるということもあるだろうか。

 でも、実のところ山頭火の言葉に現れる「わたし、じぶん」というものと響きあうものでもある感じがする。いや、自分を見つめている目、というか。

 ぼくらの、くるしみの原因は「私-という意識」そのものではないか。そういう風景を、ふたりの言葉のなかに観ることができるし、それを融きほどいていく目、こころ、意識のあたたかみもまたここにあるようだ。

 「 ありがたい ありがたいと おもわなあかん  とおもっているうちは まだあかん  あたまの中から ありがたいが 消えたら  ほんまに ありがたいこっちゃ 」

 山頭火の句のひとつ、「こころつかれて山が海がうつくしすぎる 」。 

 長い漂泊、放浪ともいえるような時間のなかで、我にかえるように見る旅先で出会う風景。
 身体も疲れ、いつかこころも疲れて、見つめる、山が、海が、なんとも美しい。それは疲れを癒されるもの・・という事で済ませてはいけないような気がする。
 いや、そんな句を読むだろうか。でもただ実際の感銘を詠う、そう、それもあるだろう。

 がしかし、ちよっと深読みをしてみよう。
 人生の旅において、人はいろいろ迷い、葛藤し、やがて彼の心身は疲労の闇に沈む。
 そして、ある日ふと通い慣れたはずの道の垣根に咲く花に彼の目が止まる。花の色彩が眩しいほどに目に飛込んでくる。
 心は悩みくりかえし葛藤し、気がつかぬ間にへとへとに疲れている・・からこそ、その出逢いもまたあったということもできるだろう。
 それは彼の長く、闇に住み慣れ疲れた心には、眩しく美しすぎるほどに映るのであろう。

b0019960_3123739.jpg 
 だいぶ前に読んだことのある記事を思い出した。
 ある夫婦が病院の帰り、死期の近いことを知らされた妻と小さな公園のベンチに座った日の事を語る御主人の話だ。


 『その日、私たちはきっと初めて「花を見た」のです』
[PR]
by past_light | 2005-03-09 02:59 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)
「報復の破綻」
 暮れも押し迫った頃、死刑執行された人の話があった。
 時期的にもいろいろな意味で異例なことだったという。
 この死刑囚にまつわる話は、以前もこのニュース番組で観たことがあった。
 その発端になった犯罪は、よく聴くことのあるお金を手にするための動機だった。

  弟を殺害された被害者の兄の、長い間の犯人に対しての憎しみとの葛藤する日々の中に、獄中からの犯人のかさねて届く詫び状の手紙があった。
 いつか手紙を開いて読む気持ちが兄に訪れた。それをきっかけとして犯人の男と顔を合わせた。
 兄はやがて犯人の男に「死刑ではなく、生きて罪を償ってほしい」と思うようになった。
 ついには法務省に死刑執行しないように要請もした。前法務大臣の時のことだったらしい。
 「被害者家族の思いは、優先され考慮されるべきものだと思う」というようなその時の返事に、兄は少し安堵した時期もあった。
 しかし死刑執行が予想されはじめた頃、被害者の兄は面会を断り続けられる。・・死刑囚の精神を動揺させないため、という理屈だ。

  兄に届く死刑囚の男の手紙は、悔恨と懺悔と悔い改めの感情に満ちていて、いつか来るだろう死期についても覚悟が静かに語られている。
 ただ、殺してしまった弟の兄の「生きて償ってほしい」という思いを、常に感謝の念で受け止めていた。

  そして、師走も押し迫った27日の朝、午前8時、死刑囚の絞首刑が実行された。
 通夜の棺桶に眠る男の顔には笑っているような穏やかな表情があったそうだ。・・しかし、その首には縄の後が無惨に残っていた。
  取材者はその棺桶の中の男の顔をテレビ画面に映して欲しいとつよく希望したが、番組はそれを映さないことにした。

 死刑制度の理由について国は「被害者の家族の思いをもっとも大事にして」というような立場を繰り返し言うそうだ。
 人として、この一件における「兄の思い」は大事にされたと感じられるのだろうか。

  現法務大臣(2001年当時)がテレビ画面に映っていた。やや高齢の女性だ。
 「なぜ、この時期に・・」という記者の質問がとんだ。画面の女性の顔には答えを捜そうとしているような表情が見えた。すかさず横から「個別の質問には答えられない」という耳打ちがされた。女性は表情を立て直し、聴いたそのままの言葉を繰り返した。
(2002.1.11)
[PR]
by past_light | 2005-03-06 02:40 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)
望まれぬ雪を待つ日
 子供の時に見る雪といえば、とにかくまずもってわくわくしたものだ。

 高校生まで住んでいた九州の南端でも、冬にはいくどか必ず雪は降った。
 学校の顕微鏡で観た雪の結晶の美しさも神秘的で、綿雪を手に取ってじっと眼を懲らし観れば、肉眼でもその結晶の形がおぼろに見えるような感じがした。

 手のひらですぐに溶けてしまう、あやうくはかないその繊細な形は、人が創ろうとして作れるものではない自然のなかに備わる知性の存在を思わせるものだった。
 いわば自然の彫刻なのだ。

b0019960_2031520.jpg 自然界にある形・造形に、人の創造力がなかなか適うものではないと思うものはほかにもある。
 田舎の夏の海岸でいつも目にする波に侵食された砂浜の石や岩、貝殻。それから、何年も海を旅し流れついた角のとれたガラスの欠片など。

 身近にあるそんな自然の美に鈍感になるとき、身体と心の風景まで殺風景な気がするものだ。
 外にあるものに鈍感な時は、自分の内にも鈍感でもある時だ。
[PR]
by past_light | 2005-03-03 20:34 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)