レビュー三昧

◆「ブラザー・サン シスター・ムーン」監督フランコ・ゼッフィレッリ

 いつの時代にも衝撃的な作品になる映画

ゼッフィレッリの「ロミオとジュリエット」とともに、もっとも愛される映画。
当時、かたやアメリカのニューシネマがあり、鬱々たる世相を反映する映画も多かった。
そんななかで、思春期、青春期にこの映画に出逢った人は、衝撃に近いつよい感動を覚えた人が多かった。

だから年齢を経て、再び鑑賞する度に、この映画にあるビュア、無垢、そのものに、自分がどんなふうに向き合えるか、いつも少し怖いほどだ。

この映画は当時のフラワーチルドレン、ヒッピーたちが民衆としてエキストラで参加していると聞いたことがあり、注意して見れば、フランチェスコたちによって建て直されるちいさな教会に集まる長い髪の青年、少女たちが、その時代の現代青年の顔としても映されているようで、それはゼッフィレッリが古い過去の話としてではなく、金権的で、暴力と失望に果てのない人間の世界、その現代に問いかけるメッセージのつもりだったことの、ひとつのあらわれでもあるだろう。
この映画の中で、禁欲的な生活は他者に強いられるものではなく、自らの自由な意志であると描かれるかのエピソードなども、そういう意味でも物語に現実性を感じさせている。

アシジの自然の映像の美しさとともに、ドノバンの音楽はこの映画では切り離せないほどの魅力になっている。美しい祈念碑的な作品。

--------
◆「ロミオとジュリエット」監督フランコ・ゼッフィレッリ

 本物の恋愛とは

この映画を観たときには、自分が本当に「ほんものの恋愛」をしたことがあるのか、としみじみ内省してみたくなる。
そういう意味でも、この映画は、生死を賭けたほどの「恋愛」とはどういうものか、うつくしき永遠の問いかけである。

熱病のようなふたりが、会えば一心に見つめあい、抱擁しようとする様を、神父がなんとか引き離し冷静にしようとするシーンなどは、
むしろユーモアさえ画面から滲み出てくるほどだが、なんだか愛の魂が合体し、ぶつかるような、感動的な描写ともいえるシーン。
映像はくまなく「美」に満ちていて、恋愛という人類のテーマの、古典にして普遍的なる象徴としての映画である。


-------
◆「目覚めよ仏教!―ダライ・ラマとの対話」上田 紀行著

 読者も時間を忘れるほどに集中できる対話

ダライ・ラマに好意を持つ人は、特にチベット仏教を勉強したいと思っている人ばかりではないだろう。
むしろ、社会のどこにも教えてくれるシステムもない、一般の人が求める「生きる智慧」「生と死に対しての疑問」などを聞きたいという熱い思いの人が多いと思う。
それに、ダライ・ラマから発せられる、権威的ではない人柄や、無邪気さ、明るさ、正直さ、自らもどこまでもひとりの求道者としての探究心、
そして、自らの社会への責任感など、およそ、ひとりの人間としての魅力の大きさだろうと思えます。

ダライ・ラマは仏教用語などは極力使わず、この本での対話者も意外に思うほど。
特にこの対談でも、読者も共に驚かれると思うけれど、「その人」が仏教の人ということを、ふっと、忘れるほど現代的、日常的な、実にリアリスティックな対話です。
ゆえに誰にでもすすめられる、ダライ・ラマという、その人を知る意味でも貴重な読書体験になります。

それには、本書でひしひし感じられる、訪ねた側の上田さんの熱意と誠実さがあってのことで、ダライ・ラマ自身が対話をわくわくと楽しんでいる様子も伝わります。
読んでいる方も時間を忘れるほどに集中できる対話です。

--------
◆「キリストのヨーガ―解脱の真理 完結編 」M・マクドナルド・ベイン著


 読み捨てて終る本ではない

クリシュナムルティを読んでいる方にも特にお薦めしたい本です。
訳者自身も前書きの註で書かれていますが、共通した教えが、マクドナルド・ベインと師たちの対話により、角度は違えども興味深く紹介されています。
旅行記の形をとりながらの、その地の風景、住民たちの描写なども興味深い。

人間の条件づけられた精神の、先入観、固定観念、それら迷妄による疑われずにいる想念、観念。
物事を勝手に解釈し、みずから様々な感情、錯覚に捕われ、靄で覆わてれいる我々の精神を、「見る」「気づく」「洞察する」ことなどを、この本の中では「正見」という言葉で言われています。
儀式や与えられた観念をただ受け入れる、そんな時代は終った。
偽物を偽物として正しく気づかれなければならない。
そうして明かされていく教えは、読み捨てて終るものではないでしょう。

ヒマラヤに住むといわれる存在など、馴染みのない読者にとっては夢物語のように感じられるとも思います。
それはベイン氏自身が、西洋に戻ってから思い起こす記述のなかにさえ感じられるようなほどですから。

辺鄙な秘境の地への旅と、覚者たちとの出会い、その教えの深さ。
たとえ読後、難解に感じられても、繰り返し挑戦するに適した、しかも楽しくすらある本です。
ぼくは、何年にもわたって、ことあるごと再読する本になっています。

--------
◆「アルタード・ステーツ 未知への挑戦」監督ケン・ラッセル


 苦心のある表現

ケン・ラッセルという人は「変わっている」。とまずひとこと始めたくなる。
いろんなタイプの映画を作れる人だけど、すべてにアクのある個性があって、独特な匂いを放っている。

この映画は公開当時に劇場で観たのですが、やはり大画面と大音響のなかで体験するのにふさわしいですが、
この安価なDVDでも、鑑賞した感想は、画質・音響ともに悪くないです。

太古の記憶が肉体の細胞にまで影響を与えて行く。
そういう描写は、「猿人」のエピソードに至っては、失笑する人もあったようだけど、幻覚シーンの描写も含め、
ユングとかインド哲学とか、多少興味を持っている人には逆に変なリアリティがあると思います。

ともあれ、ヘンテコ映画と揶揄されがちな本編は、主演の誠実で存在感ある二人の俳優の魅力も充実しています。

-------
◆「大地の子守歌」監督増村保造


 原田美枝子を絶賛します。

原田美枝子が体当たりの演技で衝撃的だった作品だ。
まだまだ少女の面影のある原田美枝子さんの、
自然にそのまま溶け込むような、存在感のある裸体の美しさが強烈な印象。
そのヒロインとともに、映画も全体に骨太に語られて重量感がある。

なかなかテレビで放映されたりする機会のない作品のひとつで、知らない人が多いのが残念。

--------
◆「旅の重さ」監督斎藤耕一


 初々しい登場人物たち

この時代の空気を、当時新人の高橋洋子が、旅の途上でかく汗と体臭で身近に伝えてくれるような、
そんな自由と孤独と悲しさを、吉田拓郎の主題歌とともに初々しく映画にしていた。
初々しいと言えば、高橋洋子とともに、儚気な文学少女で登場した秋吉久美子の可憐さも必見。

その頃の青春期にあるものにとっては、この空気は等身大の旅の映画だったような気がする。
こういう映画が、ここ最近皆無なのはどうしてだろう。
[PR]
トラックバックURL : http://past.exblog.jp/tb/8185363
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by anna-d at 2008-04-06 09:54
past_lightさん、こんにちは。お久しぶりです。
以前観た「ブラザーサン~」と谷川俊太郎のことが書かれていたので、コメントしたくなりました。私の知らなかった本や映画の紹介、とてもためになります。
「キリストのヨーガ―解脱の真理 完結編」を特に読んでみたいです。  アンナ
Commented by past_light at 2008-04-06 20:18
anna-dさん、ごぶさたしていました。
エキサイトにブログが出来たんですね。これからもよろしく。
家も布素材での制作が商業ベースではメインなので(笑)、 anna-dさんの作品も楽しませていただきます。とりあえず男性なので、感想はいいかげんですが、センスのいい作品だと思いました。それに日常的に使えたり着て歩けるのがいいですね。
「ブラザーサン~」は本家のイタリアバージョンではクラシック的サントラでの長尺ものの映画もあるそうです。しかし、ドノバンのバージョンがやっぱりよさそうです。

「キリストのヨーガ―解脱の真理 完結編」は最初図書館で借りて何度もリピートして読んでいたのですが、古本屋でほぼ半額で見つけて買いました。
ちよっとやはり発行部数の関係などで高めの値段ですね。
図書館になければリクエストすると入れてくれるかもしれませんね。
by past_light | 2008-03-17 17:53 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(2)

過去と現在、記憶のコラム。関連ありなTBはラヴリー。リンクはフリー。コメントはブラボー。


by Past Light
プロフィールを見る
画像一覧