風の丘を越えて<西便制>について覚え書き

風の丘を越えて<西便制> (1994年 韓国)
監督: イム・グォンテク(林權澤)  原題: SOPYONJE (西便制)

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 興味深いことに、この映画で、たとえようもなく胸を打つ、パンソリという芸能にこめられたものに見られるように、きっと世界の多くの芸能などの、シャーマニズム的な面と言うのは、こういうことを言うのだなあと目を開かされる思いだった。

 以前読んだことのある、チベット仏教のある派の本の中にも共通するような話があった。

 たとえば、ぼくらは内から起こるどうしようもないような否定的な感情といわれる、怒り、恨み、悲しみ、など、ふだん常識的、分別的には、「否定的」とスタンプされてしまう、そのような感情を、実際のところ、肯、否定抜きに、よくよく見たことがあるか。ということだ。言い換えるとよく味わった試しがあるのか。というようなことだ。

 よく見る、とか味わう、というのはそういう感情に「浸る」、とか、感情にふりまわされることによって外へ向かう行動を取る、というような意味ではない。また、そのような感情を忌み嫌ったり、単に抑圧する、また罪深いと思ったりするという方向へ向かうことでもない。わき起るその感情の出所からして、その「実物」を「よく見る、味わう」ということを言うのだ。すると、それはぼくらが慣れ親しんだ「もの」なのか。

 #映画のあらすじについてはこちらへ
 下記の本を読んでいて、十年ぐらい前に観たこの映画が、「なぜ」感動的だったかに思い当る気がした。
 貴重な記事なのでメモしておきます。


--------------以下は「神秘学入門」高橋巌著・「恨の美」の章より、部分的に抜粋。

「恨(ハン)」
(韓国の美学用語。朝鮮民族の詩、民謡、パンソリ(太鼓の伴奏で長い物語を演唱する
芸能)の主題をなす「情」の表現。)

 深い困窮を体験させられた朝鮮民族は、その苦悩、怨恨をはらすために、外へ向かわず、むしろ自己の内部に沈み込んで、一種の感情の和解に達しようとします。

 「恨(ハン)」を粘り強く、「恨(ハン)」を内的に深めることで、明るい生の地平を拓くところに、「恨(ハン)」の美を見ようとする。
 この体験は韓国語で「サキタ」(いい味に糖化、発酵させる)という動詞で表現できるようなプロセスである。
 「暗い、否定的な感情と粘り強く取り組み、それを鎮め、浄化し、新しい価値体系へと発酵させて行く」絶え間ないプロセスである。

 このプロセスは二元対立的ではなく、一元的、連続的なプロセスである。

 たとえば、同じ「恨(ハン)」でも、ニーチェの「道徳の系譜」におけるルサンチマン(怨恨)は、弱者が強者に対して、想像上の復讐によって埋め合わせをつけようとする。
 支配者ローマに抑圧された奴隷としてのイスラエル民族は、ルサンチマンを営々と主張できないので、その代りに正反対の「愛」を主張して、支配者を無力化しようとする。ルサンチマンから愛へのこの転化は、ヨーロッパ的、二元論であるのに対して「恨(ハン)」における価値の転化は、一元論的に、絶え間ない自己の浄化作用に向かう。

 韓国においては、この自己浄化のための契機として「モッ」(風雅)と「スルキ」(ゆとり)が文化伝統として伝えられているのですが、特にパンソリにおいては「モッ」の代りに「シキムセ」という言葉を用いる。「シキムセ」は、パンソリの唱者が「長い修練の過程で、調べが良く熱し、高い「モッ」を表現できるようになったときの表現能力」のことだが、この言葉は「サキタ」に由来する。たとえば、「誰それのパンソリには、シキセムが付いた」と言うような言い方をして円熟した芸をほめる。

 西便制派はパンソリ派の名前で、東便制の正統的な歌唱と異なり、「恨(ハン)」の感情をより深く歌い上げるという一派。-----------------以上



映画の中で、父ユボンが残した言葉は、「恨に埋もれず、恨を越えろ」である。

「彼ら(主人公)は、誰かに自分の存在を知ってもらうことを望んで芸の道を歩んでいる人達ではありません。実に、彼らは、生と死を無限に拡張させながら、その中で多義的かつ多様な宇宙を作り出す人達なのです。彼らは、世の中の秩序の中に生きながら“恨”を抱き、そして、その“恨”を受け止めながら、より大きな宇宙の秩序を作り出します。それこそが、世の中に対する憎悪から許しを学ぶ方法なのです」(イム・グォンテク)

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by past_light | 2008-03-09 20:47 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

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