2007年 12月 05日
尾道それから、それから
つまり観光アピールになると思っていた地元の大人には、古い家屋とか、寂れたふうの変哲もない港とかばかりが背景にあり、当地にとって特にアピールしたい観光地と目されるところは映されず、むらむらと頭に来たんだろう。
それで、上映も怪しくなるような時期がいったんあった。
しかし、映画を見た子供たちの「自分たちの映画を初めてみた気がする」などの感動の声に後押しされ、映画は無事に映画館にかかることになった。その後のことは大林映画のファンならずとも御存じの現象が全国に行き渡った。
各地から映画を観て感動し、尾道に詰め掛けたファンを、今度は喜んだ地元のなにがしかの方々は、映画の記念になるものを建てたり作ろうと大林さんに持ちかけたりする・・。果ては銅像とか。
大林さんはすべてをことわり、「では、ロケ地の案内図でも」とかという話に、大林さんは、尾道で「迷子になるマップ」を作った。
もう十年前になる。ぼくが尾道に最後に降り立ってからだ。
その頃の尾道は「セピア・尾道それから」などにも書いたように、駅は何の変哲もない、午後の陽射しが差し込んだ田舎の落ち着いた駅、その駅の入り口を外に出ると目の前には港、瀬戸内の海があった。高いビルはなく、目の前の町は懐かしい空気に満ちていた。駅前の本屋で「迷子になる」マップをもらって歩きだせば、普段着の尾道を満喫しながらの散歩がはじまっていた。
「どうぞ、尾道で迷子になって下さい。あなたの尾道を見つけて下さい」
ぼくは確かに迷子になりながら、どこへ行くともしれない山道を歩いたりもした。ある道ではお爺さんに声をかけられて、「あそこではセットだったんですよ」と差された指の先を見て、「時をかける少女」で、ラベンダーの温室があった深町くんの家のことだと思い当たったりした。
不思議に何人もの老人に声をかけられたのが印象的だった。その地の人には一目でロケ地を探して歩いている観光客だとわかるのだ。それはその地の日常のひとこまで、ぼくらが出会う場所は老人たちの散歩の途上であり、老人たちの家の前だったりした。
いま、駅前は大きく変わったという、その尾道をぼくはまだ見ていなくて、最後に行った時の尾道では駅前にバカ高いビルが建築中でなんとも吃驚したものだ。
現在の駅を写した写真を垣間見て、少なくとも、あの駅に降り立った時の、なんとも穏やかな、ごく普通の尾道の日常に紛れ込むかのようなふうには行かないんだろうなあ、とちょっと想像はしている。
大林さんの娘さんが成人式を迎えた日に、彼女が遅く帰って来て、その日に撮って来た写真を見せてくれた。その日の出来事が順番に映っている。
最後に夜になって撮ったらしきセルフタイマーでの写真には、後ろにぼやリと民家があり、娘さんはどこかしょんぼりした感じで自分を写している。
「これ、どこでとったの」
「ああ、やっぱりわかんないのね」
聞くと、前に住んでいた大林さん家族の古くて小さな家だ。
大林さんは、今の前の家とくらべれば大きくて快適と思う家に引っ越して、さぞかし娘も幸せだろう・・。と思い込んでいた。しかし、娘にとって、子供のころから大きくなるまで住んだ、その想い出多い古くて小さな家が、彼女にとっては、かけがえのないふる里なのだ。
観光地であろうが、なかろうが、ひとり迷子になって歩くのは楽しい。そしてすこし心細い。それは子供の頃に感じた隣町への冒険と、心持ちさして変わらない。が、なぜかそこに居たことの、印象としずかな懐かしさが残る。「旅」の本質を味わうことなんだろう。
by past_light
| 2007-12-05 19:24
| ■コラム-Past Light
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