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ぼーっと思考されるもの

 昨日観た「週間ブックレビュー」に、藤原智美さんが、(読んでいないけど)自著の「暴走老人 ! 」の特集で出ていて、司会の綺麗な中江さんの質問に、どんな時にこういうことを思い付くのか、まあきっかけ、アイデア、みたいなもののことだろう、そんな質問をされて、「ぽーっとしているときですね」と答えていて、ああ、そうだろうなあ、と思った(笑)。

 というのも、学者的に資料をならべて、藤原さん流に言うと「情報の集積のパッチワーク」から出てくるものは、だいたい一方向からの見解、同じような個性の欠けた論文、ハウツー的な域を脱せないからだろう。
 彼によると、最近はネットで検索して情報は捜せるから、そんな同じような学生の論文が多いと言う。

 (それで余談だが、このブログで少ないアクセスの中からいうのもなんだけど、エキサイトのアクセス記録には、訪問者がキーワードでアクセスした時の語句がわかる。たしかに、宿題でたとえばきっと、「高村光太郎 あなたはだんだんきれいになる・・」とか出たんだろうなあ、と思うときのものがある(笑)。「佐野洋子 谷川俊太郎」というのが毎月多いのはなんだろう、と思うが、最近「池澤夏樹 離婚」というのが多くて、そんなことがあったのは知りませんでした。やはりどちらもつながりのあるキーワードのようだ(笑)。)

 作家としては、個人的で日常的なある出来事、きっかけから、自らの精神状況や、まわりの現在、世相がつながり、ああだこうだと多角的に考察して生まれてくる思考が纏められ、発展して書かれ、読者にも面白い発見もあり、読者が自らとのつながりも連想されて興味深いものになるのだろう。
 そういうのは、「ぼーっ」としているときにある程度思考されることが多いのはよくわかる。
 ちょっと情報的には間違っていても、なんだか「ぼーっ」として、いろいろつながって思考されることを誘発する記事というのもわるくないんじゃないでしょうか。
Commented by falanx at 2007-11-13 01:45 x
アーティストである管理人さんに対して、それは確かなんじゃないだろうかと言うのも釈迦に説法、孔子に悟道みたいで恥ずかしいが、たとえば芸術的なインスピレーションなど、湧いてくるというか、降りてくるというか、まるでラジオのチューナーをあてもなく回していたら突然、大音量でどこかの放送局の電波ががなり立ててくるようなものじゃないだろうか?
その時とうぜん頭のなかは、電波を受信しやすいように、からっぽの状態がベストだと思う。
僕は、たとえば綺麗な夕日を見たり、綺麗な花を見たりした時、頭のなかを「ぼーっ」とさせて対象から来るものを受け入れている。
もちろん夕日や花の美を、絵画や音楽や文芸として定着させるにはアーティストとしての修練が必要だが、しかしそれは管理人さんのお仕事(笑)。僕は「ぼーっ」として、労することなく美味しいとこだけ頂戴している。綺麗な中江さんを「ぼーっ」と見ている感じ。
Commented by past_light at 2007-11-13 20:15
falanxさん、こんばんは。
御賛同ありがとうございます(笑)。
「からっぽ」っていうのは意外にむずかしいですね。
ぼーっと、に中身があると、実のところもやもや、と表現されるべきなのかも知れません。
で、
>たとえば綺麗な夕日を見たり、綺麗な花を見たりした時、頭のなかを「ぼーっ」とさせて対象から来るものを受け入れている。

これは貴いお姿だと思います。
修練は終焉させて、ここは・・
綺麗な中江さんを「ぼーっ」と来週もぜひ観たいと思います。(笑)
Commented by のら at 2007-11-14 20:08 x
その「ぼーっと」というのは
無意識に、自分の中に入ってきた蓄積された情報を整理したり
解析したり、自分の言葉(表現)に変換したりする、そんな
状態なんでしょうね。

わたしのような凡人でもなんとなくやってるんだと
思います。
Commented by past_light at 2007-11-15 01:27
のらさん、こんばんは。

おっしゃるとおりです。
また、ただぼーっとしているのもあるでしょうね(笑)。
ぼーっと、のなかにはいろいろありそうです。
ぼーっと、汽笛を聴いている、なんて言うのは贅沢でいいでしょう。
なかなかそういう環境も少なくなりましたが。
by past_light | 2007-11-12 20:58 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(4)

過去と現在、記憶のコラム。

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