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「立花隆が語る武満徹・・言葉よりも語るもの」
 ずいぶん前に、自分のサイトに、けっこうこつこつと日記らしきものを書いていたことを思うと、最近は、そんな日々に懐かしささえ覚えるほどだ。
 検索で見つけてくれて、そんな古い記事を読んでくれた人が報告してくれたりすると、有難いような申し訳ないような気持ちだが、・・本心はただただ嬉しい(笑)。

 もちろんそんなことは年に一度か二度のことだが、今年もあるところのブログを書いている人が見つけて紹介してくれたものがある。
 自分でも思いだして読んでみた。誤字脱字なんぞをそれで急いで直した。(^-^;

 武満徹さんの本業の音楽より彼の文章の方がぼくには馴染みが多かったが、映画に対しての鋭い感性と、思い入れのつよい文章も読みごたえがあった。
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「立花隆が語る武満徹・・言葉よりも語るもの」

 武満徹の音楽は独特な響きを感じさせる。しかし難解と言えばそうも言えるし、ぼんやり聴くという態度では聴き逃してしまう濃密な音楽でもあり、ぼくもなかなかきちんと全編を通して聴くことは正直少ない。それに時々なんだか聴いていると不安感を覚えるものもある。(それは彼が生に内包される死を常に意識していたということによる世界観、あやうく浮遊するようなバランス感覚から生まれたものなのかもしれない)。

 音楽以外の表現媒体の作品にも広く関心を見せた人で、映画の感想・随筆なども非常に興味深い内容で、しかも詩的な表現で語れる人でもあった。そういった言葉にぼくは、音楽より先に惹かれたと記憶している。
 そんな武満徹の音楽は映画やテレビドラマでも聴くことができ、多くの印象的なサウンドトラックを創ってもいる。映画「砂の女」や、その原作者の安部公房の小説の映画化されたものなどに、ぼくは強い魅力を感じていた。
 亡くなる少し前、ニュース23のために書かれたシンプルなクレジットタイトルソングを記憶している人も多いだろう。(その紹介とともに出演した武満徹を見た時は、病気のことは知らなかったが、なんとなく肉体的な命の長くない人の姿ではあった。)
 またぼくは、もう10年以上前になると思うが、なかなか再放送されることのない笠智衆が主役の特別ドラマだった「波の盆」という題(だったと思う)の・・その美しい曲が流れるドラマをもう一度観たいとも常に思い続けている。
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 そして話は変るが、何年か前にその武満徹は亡くなった。
 それから一週間後ぐらいに放送された番組があった。
 その夜、偶然テレビをつけたら、その番組が始っていた。あわてて録画した。
 そのビデオを久しぶりに観た。このビデオは最初の部分がテープトラブルでぐしゃぐしゃになっていて、それでもこれはけして捨てられないので、ドライバーでビデオカセットのケースを開け、なんとかスムーズにテープが巻けるようにした。
 理由は武満徹の貴重な記録・・というだけではなく、その番組の進行を任せられた立花隆という人に感じている頭脳的な天才というか、そういった印象を超えた、他では出会えない突然現れた感動的な表情が、この番組にはあるからでもある。

 縁のあった作曲家・演奏家や作家、・・と様々な著名人がインタビューで武満徹を語る映像、武満徹の生前の記録映像、写真、それに武満徹の曲の演奏、また最後の大作になった演出された映像・谷川俊太郎の詩と書き下ろされた音楽の融合した美しい遺作「系図---Family Tree」が放送された。

 その案内をベテラン女性アナウンサーと対話形式で解説していく立花隆は、各ビデオ映像が終わると一拍の間もなくすぐに話し出す・・。その解説は武満徹になみなみならぬ関心と尊敬を持ち続けた人の熱い思いが充分に感じられるものだ。しかも立花隆特有の早口によって、的確な言葉で埋め尽くす。アナウンサーは頷くか時折補足する程度だ。
 しかし・・なぜ、こんなにもいつにもまして喋りまくるのだろう。息を吐く間もないように・・・。でもそれは最後に解る。この世を去る日の武満徹の一日を描写する話に。

 ・・・・「武満さんは、病院からその日、家に帰った。いつもは映画や音楽が好きな人だから、ビデオやCDなどを、持っていきますか?と聞くと、その日は「いらない」と言ったという。それじゃ、ラジオでも・・。とラジオを置いていったそうです。
 その日は偶然にというか・・・ラジオではバッハの「マタイ受難曲」を特集している日でもあったんです。「マタイ受難曲」は武満徹がもっとも好きな音楽である。というより特別な曲なのである。
 武満徹が作曲する時には、必ず儀式のように「マタイ受難曲」を聴いてから始めるほどの生涯切り離せない音楽なんです。亡くなるその前夜、武満さんはそのラジオで「マタイ受難曲」を聴いたであろうと思います。・・そのことは・・・・武満徹という人は・・・幸せな人だと・・・・思います・・・・」・・・・

 番組の二時間ほどの間、ずっと蓋を閉められていた扉が、彼の悲しみの感情が、突然、堰を切って溢れだし、押し寄せた逆らいがたい感情の洪水に胸を塞がれ嗚咽をこらえる立花隆は、初めて沈黙をもってアナウンサーの補足の言葉にただただ頷くしかなかった。

 その場面はそれまでの言葉以上に、何にも増して立花隆の「思い」を語り、心を動かす。
 そんな・・、ぼくには奇蹟を見るような説得力を持つ映像だった。
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by past_light | 2004-10-30 19:35 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(2)
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Commented by noble_y at 2004-10-31 22:39
武満徹さんが亡くなられた時のことは、私も今でもよく憶えています。ちょうどその頃、武満徹と交流の深かった映画監督のお嬢さんと大学のゼミが同じこともあり、また大学のオーケストラで武満徹作品を取り上げたり、サイトウキネンでお見かけしたりして、武満徹の音楽に非常に興味を覚えてきた矢先のことでした。

最初にお見かけした時は、地球人とは違う感性を持たれている方、言葉は適切ではないですが宇宙人のようにも感じられました。それくらいの衝撃だったのです。一周忌の夜にサントリーホールで追悼演奏会が催されたのに行った時に、その監督がいらしていたのでお話をしました。その時にその監督が私に言われたことを今でもよく憶えています。「僕も武満さんも30年以上新しいものを作ろうとがんばってきたけど、今日、君のように若い人たちがたくさん来てくれて、そしてそれに対して共感してくれるということが、本当にうれしい。きっと彼のための最高の供養になると思うし、彼は今頃喜んでいるよ。」

その言葉を聞いたときに、私は涙をとめることが出来ませんでした。そして、新しいものを創造し続けた彼らの情熱を少しでも受け継ぎたいと今でも願って止みません。
Commented by past_light at 2004-11-01 15:14
noble_yさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

武満さんに御会いになられていたのですね。長年の友人の監督さんと言うと、だれでしょう。
篠田さんとか勅使河原宏さんとか想像しましたけれど。

それはそうと多くの方も「宇宙人」のような印象をもたれた感想を聞きますね。黒澤監督もそんなことを言っていたような。

武満さんの病気がちだった若い頃の話を谷川さんがどこかで書いていましたが、常に死を身近に感じておられたようですね。
印象的な後ろ姿など、よく映像が浮かんでくる感じでした。

それから「あたらしいもの」をつくると言うのはとても深い意味がある言葉だろうと感じました。

貴重なお話をありがとうございます。