2004年 10月 25日
自然災害
昨日、新潟で起きた地震も、東京でもかなり大きな揺れを感じましたし、その後もたびたび揺れます。
テレビの映像で見るだけでも、山間部での被害は都市部とはちがう被害の深刻なことが判ります。田舎に住んだ経験がある人にはわかるかもしれませんが、けっこう山の斜面を削り取ったような場所に民家があるケースは多い。また、交通が遮断された場合、住民が孤立してしまうというのもたいへんです。
地震をなんとか切り抜けたお年寄りが、その後疲労して亡くなるケースなど、実感としては、自分も年令を重ねないとわからない避難生活のしんどさも想像します。こういう時、肉体の若さや健康はなによりもありがたいことです。
ニュースの中の住民の方が語っていた。「阪神の時も先日の洪水の時も他人事だと思っていたけど、自分があってみると、とんでもないことがわかりました」
被害に合われた方々にお見舞い申し上げます。
先日も台風による大雨の被害が生々しく報じられたりしていました。
ぼくも子供の時になんどか浸水で畳をびしょびしょにされたり、窓下に見えた畑が翌朝、池に変わっていたり(実はそれは申し訳ないですが楽しい思い出です。というのも、どこからか流れ着いた金魚がたくさん金魚鉢に客人となり、宝石のように見えたぼくの子供心の興奮があったのです)しました。
でも深刻な時もあり、近所の低い土地にある住宅が水に浸り、川のなかを渡るようにお腹まで浸かって歩いた記憶もあります。
何年も前、島原半島の南の町に田舎があった頃に帰郷した時、まだ静まりきれない火山の噴煙が、風向きによって降ってくる日があって、夕方、自転車で海辺の町を散歩していた時、ひどくなってきた灰のなかをあわてて帰ろうと家路を急ぎました。
それでも途中、中学生の頃に住んでいた借家の前にさしかかり、懐かしさもあって自転車を止めて眺めていたら、犬が居たので愛嬌を振りまいたつもりで顔を近づけたら、突然ぼくの顔をめがけて飛び掛からんばかりに吠えられました。びっくりしたぼくは「なんでかなあ?」と思いながら家に帰ってみると両親が大笑いします。
鏡を観ると灰で真っ白、無気味に暗黒舞踏団のメンバーに入れそうな顔でした。
これも以前、諫早の、例の海を塞き止めてしまった効果があったのかどうかを、地元で問うている方がいらっしゃいました。
ぼくは自然というものを人間がすべてコントロールできると思うとしたら、それはかなり傲慢な感じがします。
by past_light
| 2004-10-25 20:54
| ■コラム-Past Light
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