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おばあちゃんの家
 韓国のがばいばあちゃん、がばいばあゃんのもうひとつの原形、なんていうときっと陳腐な表現です(じゃ書かなきゃいいですけどね(笑)。そう、どこにも説教、教訓、語録、そういった形では残せない、言ってみればコマーシャルの匂いがないのが、この映画、そしておばあちゃんの存在感。

 想像したように、主人公の少年を除いて出演者はすべて本職の役者さんではなかった。そのことがますます、都会のソウルから来て預けられた現代シティ坊主のおばあちゃんの孫、その小憎らしい可愛らしさの少年との対比を際立たせた。

wave 腰の曲がったまま、険しい田舎道をやすやすと登っていくかのような、そのおばあちゃんの足腰にぼくらは驚くが、きっとけして辛くないわけではないだろう。でもそれは、日々の生活の中のおばあちゃんの姿、表情をみていれば、そういう苦労は当たり前のようなもの。そんなことに感心しているだけで終る映画ではない。
 教育とはきっとまったく無縁だし、言葉も発することができないおばあちゃん。しかし自らの胸を手のひらでポンポンと叩く「ごめんなさい」が豊かな「ことば」であることは、おばあちゃんとの生活の日々によって無言で伝わって行った少年のこころを観ていればわかる。

 少年の都会から持ち込んだ遊び、食の好みを見ていると、ああ、どこの国も同じだなあ、と日本のぼくらも苦笑いが出そうだ。字幕は「フライドチキン」だけど、少年の発する「ケ○タッキーチキン ! 」や「チョコパイ」の韓国発音がなんだかすごく耳に残る。

 なにひとつ少年を叱るわけでもない、むしろ表面上の言いなりのように見えるおばあちゃんなのに・・、それは孫の少年に媚びていたり、遠慮している姿ではなくて、なんというか、それは神聖なほどに無垢な姿に感じられて、ぼくらに驚きと新鮮さの気持ちが起きる。
 おばあちゃんはそこに生きていて、そして単にできることをしている。そういう生活のペースがある。そこに意図されたなんのメッセージもないのに、孫の少年のこころに染み込むような影響を与えて行く。それはまた新鮮に思われる物語だが、じつはそれはぼくらがすっかり忘れていたせいでのことだろう。

 イ・ジョンヒャン監督は「亡くなったおばあちゃんの深い愛情に感謝する映画をずっと撮りたかった」と語っている。

2002年/韓国/87分

<映画の詳細>
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by past_light | 2007-05-08 18:33 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)
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