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愛情があっての上なら、という納得

 ニュースのサイトの特集記事に「体罰」についてとあり、賛成、反対、いや曖昧、また体罰の一線を公的に決めてほしい、と意見は入り乱れている感じだ。
 しかし気になるのは一見正論のように聞こえるこういう言葉だ。「(体罰は)愛情を持った範囲で。先生と生徒の信頼関係によってどこまで許されるのか。愛情があっての上なら、少なくとも私は自分の子供にはするし、それは教師と生徒の間でも同じだと思う」という意見。
 これはたしかに常識的、普通に分かりやすいと思う。しかしよく考えれば「愛のある」というのもまた主観的なことになりやすい。「しつけ」と称して無自覚に虐待は多く存在するはずだ。もちろんそういうことはわかった上で、「愛情があっての上なら、」「愛のある」「愛ゆえの鞭」ということを伝えたいのだろうと思う。が、はたしてこれはそれほど単純に普遍的に通用することだろうか、疑問だ。

 美しく聞こえる言葉のなかに、なにか気をつけないといけない匂い、感じがする。自己正当化、自己愛が潜んでいるような気がする。もしそういうことに敏感で警戒する繊細さのある人は、こういう言葉を使うだろうかと、考えてみたくなる。
 また前もって「私は愛があるから・・」と意識的に思っていたりしたら、とんでもない勘違いかもしれない。そして「愛のある叱り方」は、果たして用意周到に訓練され、また方式として成り立ちうるだろうか。むしろ「愛のある体罰はよい」などという納得をしているとしたら、その状態の精神に「愛」は自然と到来するのだろうか。
 あえていうなら、現場でやむに止まれぬ気持ちからの叱責、という爆発力が、当事者の子供に伝わることで、両者の関係に無垢な静寂の瞬間が訪れ、その意図されず生まれる現場の真空ともいうべきものが、関係に共に変化を起こすのではないか。
 なにか「愛があれば・・」やたとえば「美しい国に・・」などといった「観念」を、先に持ってこざるを得ないという精神の、ある貧困さを感じる。
「愛のある・・ならよい」という言葉は、どうにもショートカットな人格から発せられるものだと感じる。

 体罰は子供の頃、小学生の頃にはぼくもよく経験している。
 よくビンタを繰り出した怖い先生が担任だったことがある。相当痛い衝撃的な一撃だったから、みんなビンタの順番を震えながら身じろぎもできずに待っていたことがよくあった。それはある意味、その先生の個性でもあった。先生が許せない部類の悪戯や態度は、烈火のごとくの怒鳴り声と、授業中ならたとえば廊下に出された。さらにレベルアップした怒りはビンタだった。今では先生たちができずに苦労していることかもしれない。しかしたとえ許されたとしても、先生の誰もができることではない。女の先生なら、また、愛があろうが、いずれ暴力であるには違いない行為をけしてできない先生もいるだろう。

 それはやはり言うなら個性である。小学生の僕らも、その先生の「個性」としてどこか納得していたところがあったと思う。ある悪戯なり、遊んでいて意図はなくとも教室の公共物を壊したとする。ぼくらはどうして壊したかを再現させられ、次に1列に並ばされ、衝撃的なビンタの順番を待つことになる。この経験はある意味では収容所で味わった収容者たちの千分の一、万分の一かもしれないが、その恐怖に匹敵すると思う。それは後には想像力とも関係する。納得できることなら、恐怖や痛みを理解するに一度経験するのも無駄ではない。だからといって、「経験した方がよい」と言えないのは当然で、「方式」「決り事」として、有効に機能するものと思ってしまうと、それはまたショートカットということになるのだと思う。
Commented by misa-asakura at 2007-01-24 11:50 x
リンクありがとうございました(^O^)/

年末、私も大野城サティには何度も行きましたよ!!
擦れ違ったかもしれませんね(*^_^*)

うちは、サティより、東大利の積文館大野城店の近くです☆
積文館にもよく行きます☆
すごーく力入れて、CDと本を販売して下さってて、いつも私の歌が店内に流れてるので、今度帰ってこられた時は「佐賀のがばいばあちゃん」コーナーを探して下さいね♪
その店だけですが、記録的枚数でCD売れてニュースにも取り上げられました(^-^)v
地元の応援に感謝してます☆
いつかばったり大野城市で、お会いできる日を楽しみにしています\(^o^)/
Commented by past_light at 2007-01-24 18:54
misaさん、コメントありがとうございます。
長崎がもともとの住処だったんで、ぼくは福岡は住んだ経験はまだないのですが、今は両親と兄弟夫婦が大野城市に住んでいますから、たまに行きます。東京のこちらより、便利です(笑)。

misaさんのお歌は、残念ながらまだお聞きしたことがないのですが、じわじわとファンが増えているのではないかと、そちらのページを拝見して思いました。その内にぜひ聞かせて頂きます。

これからも、どこへ行っても、じわじわ、ますます、耳にする日が来ることを楽しみにしています。
Commented by ナカムラ ユエ at 2007-01-25 16:11 x
愛って言われちゃ難しいですよね。
夫婦や親子の愛だって難しいのに、教師と児童・生徒の愛だけがくっきりとわかっているかのような幻想に基づいて理論を組み立てられるのは恐ろしいことです。
だからといって、教育とはなんぞと聞かれると困るのですが。(w
Commented by past_light at 2007-01-26 01:28
ナカムラ ユエさん、こんばんは。
絵に描いた餅、水面に映る月、愛とはけして公開できないものかもしれません(笑)。

熱血なひとは、善意からも勘違いで突き進むことがありますし、それはそれで、うまく打開することもある。ひょうたんからコマだってあるでしょうね。でもそうでない場合もある、ということが解っていればいいのかもしれない。
「愛」とおもわず、気持ちと行為が一致していれば、それがなんとかするでしょう。
Commented by falanx at 2007-01-26 02:03 x
最初から子育てを放棄したような親は論外だが、一生懸命に子供を育てても失敗はある。
僕は子育て(教育・躾)の基本は絶対的に家庭にあると考えている。学校は知識を教えるだけの場所でもかまわないと思っている。
子供は生き物(生もの)で、それぞれに個性があって、この子はこう教えて成功したから、じゃ他の子もそうやればいいかというとまったく逆の結果が生じたりもありうる。
子供を産んで育てるということは、つまりは自分以外の人間(子供)の為に自分の人生の時間を使われてしまうことであって、それが嫌な親に子育ての資格はないと僕は考えている。だったら四六時中、子供と密着してればいいのかというと、それでも子育てに失敗することもある。
僕の考えだが、犬を飼って、その犬の面倒を見きれなくなって、保健所に犬の始末をさせるような人間はだいたい子育てに失敗すると思う。
犬って飼主の気持ちをよく解っていて、心の通っていない飼主に殴られてばかりいると(体罰)、最後には飼主に歯向かったりするようになる。
Commented by past_light at 2007-01-26 19:29 x
falanx さん、こんばんは。
今日は小春日和で間違いない一日でした。
失敗は成功の元、というわけで、長男は次男に奉仕するわけです(笑)。
子育てにテキストがあっても、日々の現実には追い付かないでしょうね。

動物を飼ったり、つきあったりするとぜったいに本人の性根が試されますね。
過保護の犬や猫も、やはり人間同様問題を起こしがちだそうですし。
けっきょく、互いの関係にハートの誠実さとか正直さとか、なんか深い部分が関与するんだとおもいます。きっと対子供、ばかりでなく他者に対しての現れて平行線上にある。
Commented by さすらい at 2007-01-30 00:14 x
子どもをしかるときにかならず両手を後ろに組む先生がいる。子どもから1メートル以上離れる先生がいる。どちらも。間違っても体罰をしないためだ。体罰は瞬間的に行われる方がおおいとおもう。マニュアルを作って計画的に体罰を行うのは気持ちが悪い。許せないと思うとき突発的に行われる体罰の方がありやる。
愛情があれば体罰が許されるといううさんくさい。子どもが納得していないとき体罰は恨みを残す。子どもが教師を受け入れ、教師も子どもに愛情をもっているごくまれな機会しか体罰は成立しないと思う、たいばつのもんだいはこかんたんではないのいである。も
Commented by past_light at 2007-01-30 01:38
さすらいさん、書き込み、途中で切れちゃいましたか?
多分、千文字ぐらいだから、すみません。そういう時は、どうぞつづきを次の欄に。

昔、僕らの小学生頃は、先生がげんこかビンタを繰り出すのは誰も不思議に思いませんでしたが、子供の側からは、納得できない先生の行いもあったと思います。
それから、先生の態度や言葉の暴力は昔もありましたね。
人間なので、好き嫌いとか相性とか、ぜんぜんあったら許せない、とはいいませんが、教師は人間として繊細で自らに厳しく、誠実でもなくては成らない、たいへんな仕事だともおいます。
Commented by さすらい at 2007-01-30 06:31 x
 すいません。操作ミスで途中で切れてしまいました。

もっとも緊急避難的に体罰が発生することもあります。私自身の例で恐縮ですが、教室の中で、興奮してカッターを振り回していた子をたたいたことがあります。子どもが興奮から冷めてから、おちついて話をしてから取り上げたカッターを返しました。こんなことは滅多にないことでした。
Commented by past_light at 2007-01-31 01:41
貴重な体験を話して頂いてありがとうございます。
カッターを振り回していた、というのはただごとではないですね。
緊張感が走ります。子供も、家庭でもクラスでもいろいろと抱えていますね。僕らの頃でしたら、振り回しただけでもたいへんな騒ぎになって行ったでしょう。
by past_light | 2007-01-24 02:30 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(10)

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