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三丁目の年の暮れにみる夕日
 年の暮れに押し迫り、寒くなってきた。小掃除のつもりで動き始めたらけっこう二日続けて中掃除程度になってしまった。始め出すとそういう性分なので、やらないかやるかという選択肢になりやすいのだが、それで年末身体を冷やして新年に風邪をひくということを繰り返しやすい。今回は暖かいからと、油断していたら二日目は見事危ない冷気がやってきた。
 窓を拭くのはたいへんだ。壁を拭くのもたいへんだ。めったに覗かないたんすの裏を覗くのはこわごわだ。油汚れは落ちづらい。・・・ふだん気に止めないように見てみぬふりをしていると、たまにジッと見ると見るべきものがたくさんあるのに途方に暮れる。時間の経過は埃をも積らせる。内側もちょいと、すす払いも必要。
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 先日、「三丁目の夕日」を録画していたのを、やっと観る。テレビサイズではCGの東京も箱庭みたいでファンタジー。リアルを追求したというより、そういうことなんだろう。きれいすぎるとは思うけれど、誰もが想い出の中の少年の日々が美しいように、当時を知らない世代でさえ懐かしいという感想があってもおかしくない。過去の光に投射されたメモリアルフィルムだ。ドラマはよくできていて楽しく見れた。
 それに、空想、想像が、少年たちや、まだテレビが目新しいものだった頃、大人たちでさえ頭の中いっぱいに広がるように、映画も大きな画面いっぱいに映像化されるのは、わかりやすいほどだが納得してしまう。技術進歩と便利さによって恩恵を享受しながら、これは確かに失っているもののひとつ。

 駄菓子屋の文学先生と捨て猫みたいに居着くことになる子供との間がとくによかった。自動車修理工場の家族と集団就職の少女とのエピソードといい、現にむかしはそんな話がよくドラマにあった。どちらのエピソードも定番みたいにありふれているし、泣かせ所も読めに読める。それでも配役たちの楽しんでいるような演技で、映画はすごく成立ちを感じさせる。そういう意味ではかなりアナログ、人間の魅力が重要だと再確認させるような映画だろう。
 もちろん少し脇の役になるとあまり魅力が引き出されていないような配役もあったが、二人の主要な子供がよくて、文学先生の家に居着くことになる少年が、当時のある少年の原形をとても感じさせていていい。言葉ではなく、首を横にふるという伝え方で、オジサンへの愛情の意志交換をするところなど、泣かせ所の品格をちゃんと感じさせるから後味がよかった。
 映画のはじめの頃の、やや軽薄なカメラワークと、だんだん後半落ち着いたように変わってしまうようなところとか、いろいろいちゃもん付けたくなるところは大いにあるはずだけど、結局のところ楽しめたということで、丸く納まるような映画。続編がつくられるということだが、テレビの連続ドラマにしても当たるだろう。しかし映画としては、作る側の緊張感を持続するのはたいへんになるだろうけど、期待している人はたくさんいるだろう、ぜひいい映画にしてほしい。
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by past_light | 2006-12-30 15:13 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)
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