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「中心と周辺」

 経済的・文明的に先進国と思って自画自賛している国々にとっては、自分達が世界の中心にいるような気持ちになりがちだろうか。
 「中心」とは「周辺」が存在して成り立つものであるように、それぞれの地域の住民が健康に安全に暮らすには、地球という惑星自体の全体の健康も深く関わっていることだろう。

 テレビでギアナ高原の原住民の生活ぶりを観ていると、自然の恵みにそのまま生活の糧すべてを依存しているようなので、観ていると天候や正常な自然のサイクルがとても大事に感じる感想を持つ。
 経済大国といわれる国のエゴで、自分達のみために、ごく当然のように環境に必要以上の操作をし、人工的に変化させたり大量に搾取・消費することで、実は地球全体のいたる周辺までの環境に、じわりじわりと悪影響を与えていることは、常識的にもわかっていることだろうはずだが、現在の経済優先の国々にとっては方向を修正するにはあまりに大きな発想転換と勇気、気持ちの変化を迫られることのようである。

 大気汚染、水質・土壌汚染などの、普段とくに目に入らない影響、時に人が本能的に感じるような自然環境のストレスは、徐々に世界の隅々に住む人間の生活や健康に影響を与えているのだろう。
 地球の反対側で起った汚染による影響がその反対側で必ず影響が出てくる時があるだろうし、それは大気という存在を考えるだけでも、ごく当り前に感じることだ。
 放射能一つとってみたところで、事故などが起きてみれば、手後れになるようなことはもう誰しもよく知っているはずだが、どこかで楽観的であることが裏付けはなくても多くの人の常識みたいであるし、もちろん非観的な未来ばかりを想像してヒステリーな反応ばかりでも、よきビジョンは見えないことでもあるだろうが。

 以前に日本を震撼させた東海村の原子力事故であっても「周辺住民」という言葉がたくさん出たが、普段、周辺を無視したエゴが起こした事故であることを思い起こせば、中心などという意識がどこか我が侭な幻想だという面も浮き彫りになるような気がする。

 映画「ミツバチのささやき」などの監督ビクトル・エリセは、女性を主人公にする理由を、「女性の目を通して世界を見ることに監督としての私が強く関心をもっていることです。女性は社会のシステムの周辺に、男性よりもはるかに昔から存在して来ました。中心の主役ではなく。・・そうした女性の存在のあり方が、男性よりもはるかに興味があるのです。うまくは言えませんが、自分が子供の時に感じていた思考は、女性によってこそ表現できると思います。」と話している。
 が、男性社会が経済至上主義という神に全霊を傾けている間、喪失してしまった周辺に対する感性や洞察力は、今の経済優先・大量生産的社会システムの国の、周辺に存在するかどうか一概に言えない女性・・に、カバー、バランスするものを充分感じるという気もほんとうは現在では正直にはあまりしないのだが・・。
 ともあれ中心からだけでなく周辺からの目をも、ぼくたちはついに持つ必要があるという・・そういう時期にも来ているとは感じられないだろうか。(2000.2)
by past_light | 2004-10-15 21:04 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)

過去と現在、記憶のコラム。

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