「萌の朱雀」(もえのすざく)・・「解体する日常」

「萌の朱雀」(もえのすざく) (1997年) 監督・脚本 河瀬直美

  ■数年前、カンヌの新人賞を取って、当時27才のこの女性の作家が知られることになったのも鮮烈な記憶だ。
  河瀬さんは、映画を見る前にテレビで、そのはつらつとした切れのよい関西弁での、発言や問いに答える姿などを度々目にしていたので、予告などで観た静かな「萌の朱雀」の映像と、どこでどう結びつくのか、少し不思議でもあった。
  河瀬さんが、8mmカメラでよく制作していた人というのも、映画に挿入される村人を映し出す画面からもよく伝わってくる。
 そして、この映画をビデオで今になって観ることになった。それは、ちょっとある意味では後悔の対面ともなった。
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 ■物語は、奈良県の山間にある過疎が進む村(西吉野村)が舞台。
 ひとつの家族の朝の光景がはじまる。 釜戸のある土間、やがて朝の食卓が、丸いちゃぶ台に揃う。 開け放たれた障子と窓の向こうに、視界を遮るものなく悠然と緑の山肌が見渡せる。家族は常にこの風景と共に暮らしている。
  しかし、この映画の家族の静かな暮しは、過疎という時間の進行からも、やがて解体へと進むのだが・・。

  ■台詞がかなり抑制され、しかも物語は極端に感じられる寸前まで説明描写を避けて省略の形をとっている。そのぶん観客は集中力と静かな観察眼が必要だ。己の雑念を排して映画を凝視していなくてはいけない。
  「省略」とっても大好きなぼくも、この登場する家族の関係も、時間の経過も、読みとり、想像力でついていくのに、ちよっと労を要した。しかし、物語は元来曖昧なままで観続けていて良い場合も多い。はっきりと説明されるものであれば、映像として感じとっていく観客の力はいらないだろうから。

 登場する人たちの台詞も囁かれるように発声されていることが多く、聴き取れなくて先へ進んでしまうということもある。 耳をつんざく音響ももっと困るが、カンヌでは字幕があっただろうから、国内上映のものは、言葉の聴き取りやすさにはもう少し配慮されてもよかったかもしれない。
 ただ、経験として想像すると、8mmにしても、フイルムの編集など、静かな部屋でひとりで映像と向き合うことの多い習性ゆえか、たくさんの観客がいる劇場、また騒音が時折混じる室内などの、ビデオで鑑賞されるなどということは、作り手は思いもよらないか、うっかり忘れやすいことだろう。そういう意味では商業映画としては、少し我がままとも誤解されかねないのだろうか。この映画も16mmをブローアップする予定で作られている。

 美しい山間の風景だけではなく、そんな音の繊細さ脆弱さ、物語が寡黙な表情で語られるようなフイルム映像を堪能するには、静かな環境がこちらも必要だ。ビデオはちよっと失敗だ。少なくとも環境に難があったならば、もう一度観るべきかもしれない。 また、いつも感じるのは、自然の木々の「緑」は、ブラウン管の発光するビデオの粒子では、乾いてまったく作りモノのようになってしまう。

 ■ひとりを除いて、すべて俳優として未経験の素人の配役である。それもドラマとしては日本ではめずらしい。
 ドキュメンタリーを思わせる感触ではじまるのだけれど、やがて、ひとつの家族の物語が、愛おしく大切に語り終えられていくのを感じる。 家族と言ったけれど、あまり説明はしないでおきたいが・・、少しだけ不思議な家族構成だと感じると思う。お母さんがとっても若く感じるし、それゆえの娘の気持ちの葛藤も現れている。 兄妹のように育った従兄とのあまりの自然な恋情が、ふと「山の焚き火」という映画を連想させたが、そんな危ない話にはならない。

 やがて不在となる父親、不在その後のそれぞれの家族の、その思いが静かで悲しくて、解体していく家族のかたちが儚くて、とても切ない。それは「無常」という思いの姿、域までも感じさせる。
 思えば、この映画の描く喪失感にも、静かに耐えていくような、おばあちゃんの姿も心に残る。
                 ・・・・・・・

 ■ 河瀬さんの、質問に答えた言葉がネットにあったので、これはと思うものを紹介します。
 監督:(笑)お父さんがいなくなる映画なんですが(笑)、『萌の朱雀』という映画は。まだ観ていない人はぜひ観てください(笑)。えっと、そういった映画なのですが、いなくなったところの理由を描くよりも、いなくなってしまったことで、残された人たちが感じる思いを描いた映画なので、そのあたりで解釈していただけるとありがたいです。あと五感で感じる映画というふうな言い方で、まず前置きでさしてもらうこともありまして。『萌の朱雀』含め、自分の作品というのは、目で見えること、耳で聞こえることだけじゃなくって、肌で感じることも人間にはあるのではないかというような、スクリーンからにじみ出てくる空気が、私はそうだと思ってまして。それを感じ取れていただければ、きょうわからなかった人も、3年後にはわかるかもしれないという(笑)。そのへんの楽しさを含みつつ・・・。b0019960_15234436.jpg

 監督:『うなぎ』しかあんまり日本ではわかられてないですけど(笑)。カンヌだけとってみてもですね、私の映画なり、『うなぎ』なり、その『テイスト・オブ・チェリー(桜桃の味)』が大賞をとっていくような、いまのこの時代っていうのはね、どうも、これまでの映画の既成概念からはずれてしまっているような、変わり目にあるんじゃないかなと思うんですよ。要するに、なんか人が消費社会のなかで失っていっているものをものすごくクリアに取り上げてて、それが物語性のなかですごく生きてるような映画が良しとされてきだしたんじゃないかというのがありまして。私自身も、今の時代がそうだからというんじゃなくて。わりとむかしから、商売のためにこんな役者さん使ってるから売れるやろう、みたいなことで成ってる映画よりも、切実に生きることを考えてるような映画とか、観ているだけで身じろぎできないような長回しのシーンがあったりするような映画が好きで、たとえばタルコフスキーさんとかですね。ほんで、ヴィクトル・エリセさんとかですね。そのような、目には見えないものをとらえようとしている人は、すごい好きですね。そういうものが、必ずあるということを信じ続けて映画と戦ってる人は尊敬できますね。
 

  ややっ、タルコフスキーにエリセにキアロスタミ、好みバッチシじやあ・・(笑)。
2001.10.23 
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by past_light | 2004-10-15 03:10 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

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