難解キャンディー図

 わからないことのおもしろさ、多分それが芸術というものが持つ魅力である。
 そんなことはじつはわからないが(笑)。
 東京に来たてのころのぼくは、それまでの田舎生活では、禁断の果実みたいな映画体験に溺れようとしたような日々だった。
 眼力低下した今では、まずそれはとても無理だと思うが、一日かけての三本立ての難解モノ、午前中に暗闇の中へ心身ともども埋もれ、映画館を出ればそこはまたしてもすでに陽も落ちた暗闇の街。
 そうして一日が終ると、生きていたのか死んでいたのか判然としなくなりそうな気分でもあるが、スーパーファミコンで夜を明かした過去の一日よりは恥ではないのは、芸術を堪能したというには未熟だが、少なくともスクリーンを凝視して、自らの中に新たな種子を宿したようなエロスが存在したのだとおもう。

 ある日のヘビーな三本立てとは、「パゾリーニのテオレマ」、「フェリーニのサテリコン」(さて離婚)ではない、「ゴダールのアルファビル」だった。
 「テオレマ」には、ホントにその時はショックという表現があてはまるような映画を観た気分だったし、ゴダールは最初に観た彼の映画だろうし、上映三本目だったサテリコンは極彩色の豊穣な歴史画がもはや眼球にテロリズムを奏でていた。

 わからないからおもしろい、多分その頃ぼくは悟ったのだ。映画にしても、物語り、筋で楽しむだけものではなく、作者の個人的な情熱や、彼の無意識から内的に必然と現れざるをえないもの、それらが生命そのものであると。

 ブレッソンは「考え込むことで得られるものよりはむしろ、いきなり頭に浮かんでくるものの方」を重要に思い。「言葉、観念で到達できなかった物事を、カメラの背後に立つことによっていきなり見つけだすとき・・最も創造的で力強いやり方で--発見、再発見させる」と言う。
 フェリーニは「個々人が、無意識に通ずる自分自身の最も内奥の神秘的な未開拓の部分を夢によって表現するように、人間の集団も芸術家を生み出すことで同じことをする」と言う。
 絵描きだけど、ピカソは「絵画は私よりはるかに力がある。絵がやりたいことを私にさせてしまうのだ」と言う。

 わかることだけに安住してはいけないだろう。たやすくわかることには、たびたび危険も潜む。あるいは、わからないこととは毒をもって毒を征することがある。それはときどき「わからない」という顔でぼくらに接近する。
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Commented by bs2005 at 2006-06-12 00:22
体調崩してしばらくブログ回りをやめていました。今日、お休み中のをまとめて読みました。

固くなった頭を柔らかくしてくれる記事が満載でした。有難うございます!(笑) 最近は誰でもわかるものさえわからないという顔で接近してくるのですが、わからないものから逃げているとますますボケるなぁと反省!
Commented by past_light at 2006-06-12 03:12
ぶんさん、こちらこそ、いつも失礼ばかりしています。

時々、ぶんさんのブログも覗かせて頂いていましたので、体調のことは存じていましたけれど、レスがたいへんですから、ご挨拶は遠慮させて頂きました・・というと便利、弁解みたいですが(笑)。

このところコメントお返しなども、ぼくはいつもあとあとのびのびになって、みなさんに失礼しています。
・・と言うことで、今夜はまたまた遅くなりましたので、後日またお邪魔しますぅ(^-^;
by past_light | 2006-06-11 19:16 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(2)

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