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水と油のExpression

 先日、教育テレビ(と今でも呼ぶ華道家)・・、山田太一さんと風間杜夫さんが対談していた。

  山田さんの語りはなぜか八千草薫さんによく似ているような気がして、こんなにやさしく話す男性は少ないだろう・・などと思いつつ、聞いていると、舞台、演劇、脚本について、自分はかなり「曖昧」に重きを置いているようなおはなし(しかしそれはまたそのやさしさにも山田さんの好感の持てる頑固さは透けて見えるものだ)。
 そしてそれとは正反対に、いつも演出を担当される人は、非常に厳密さ、計算された芝居、完璧さをポリシーとされているようなところがあり、なのになぜかいつも一緒にもういちど、もういちどと舞台をやることになるのだけど、よくまあ続いているものだと感心するようなはなしだった。

 だけど、水と油ほど違うことが、ある意味では幸運で、もしや双方に必要なのか、ということも感じさせられる。自分にないものだから相手にバトンタッチしてみて、それで相手も困り果てるが、うんうんうなりながらなんとか探ってみる。で、それでできつつある世界を山田さんはまたあれこれと思うのだろうかと。それで、おたがい同じ話をまた時を変えて違うかたちでやってみたくなる・・。

 ひとりの人間が、これこれこういう人でこういう過去があり、こんな性格になって、こんな悩みをいま抱えている。・・なんて計ったように表現できるだろうか、それはごう慢ではないか・・。
 もっと人は複雑で、こういうことに悩んでいてこんな問題をかかえている・・ということではなくて、もしかしたらそこにあるのはあるいは違うことなのかも知れないし、その人は思っていることと違うひとかも知れない・・。そういうほうが観客は自分や周りに置き換えたり、またいろいろ想像していいのではないか。というところなどは、ぼくなどあんまり山田さんに感じることも近過ぎて、うんうんと頷きながら聞くことばかり。
 だが、実際のところ、それじゃ観客がわからない・・という現場も理解できないわけでもない。ある意味では実際問題、少数の人に向けた作家映画などでは通用することも、多くの人を対象に考えた演出家の舞台、テレビ、その演出家の理由というものもあるんだろうなあとは思う。

 でもやっぱりそのへんはどこかラインの引けないものであり、どちらが正解かと言えないもので、誠実な人はほらやっぱり曖昧が宿命なんだとふたたび話はもどるのでした。

 風間さんの役者としての経験を付け加えておくと、初日を迎え、稽古の間ではなくて、観客席の観客との関係やら、舞台で演じてしか初めてわからないことも多く、それからやっと理解できたり思い違いに気づいたり、ということで、この人物はこういうひとで・・というコトで括れないからもう少しやってみましょう・・というような話になると演出家も納得してくれるというから、水と油の出会いも楽しいのだろうと思う。
by past_light | 2006-04-24 19:28 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(0)

過去と現在、記憶のコラム。

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