「なごり雪」大林宣彦(2002年)

「なごり雪」・・古さ「ふるさと」の逆襲

 ■勇気を持った挑戦、冒険というのは、新しく思えるモノへのもの・・、とは限らない。
 大林映画が時代に翻弄されず、注意深く誠実に、普遍的個人映画の水源へ、川を遡るように回帰するたびにあらわれてくるものがある。 それは、時代がますます忘れ去り、ときに嘲笑され見向きもされず、立ち止まらない大人の時間と、急かす時代が捨てていこうとしているもの、柔らかな心の通路の奥から聴こえる、おさな子の声である。
 大林さんはそれを「正気」と呼ぶ。

  動脈硬化を起こした人の心には、緩やかに流れ静かに奏でられる旋律も、初心(うぶ)な甘い感傷として消費されてしまうかもしれない。そんな危険はいつもある。 消費されるならまだしも・・忌み嫌うペシミズムの屑篭へと直行させる人だっているだろう。なにしろ、いつも時代は脅迫的にポジティブ信仰、窮すればさらに「明日があるさ」のかけ声、振り返るのは御法度、生存競争にギアを入れっぱなしの高速道路。そして、いいおとなが「勝ち組負け組」なんて節操のない言葉も無批判に口にする。
  「なごり雪」が撮影に入ったころすぐに、ニューヨークでの9.11-テロがあった。「こんな1本の恋愛映画を撮っていることに意味があるんだろうか・・」という無力感があったと言う。しかし「これは映画の責任でもある」映画のように見えてしまうあの映像、音とは・・と、ふたたび映画の撮影は進行しはじめた。

 前作の「あの夏の日〜とんでろじいちゃん」では、あまりに進む故郷の変貌へか、直接的な批判を遠慮しながら、かえってそのことで映画の中には繰り返し聴こえてくるような、やり場のない作者の声がこだましているようにも感じられたのは錯覚だろうか。 そのことが意図せずも隠されようとでもするかのように、映画は、少年とおじいちゃんのひと夏の至福へと円満に閉じられていたのかもしれない。

 ■「なごり雪」の舞台は大分県臼杵市。
  大林監督の呪術的な「縁」の魔法によって、"二十八年前の歌"と、"やせ我慢して古里を守り通した無名の田舎町"が出逢うことで、生まれた物語。  しかしそれは、大林映画「おかしなふたり」の登場人物にも託される言葉、「人は、むやみに出逢うものではない」という大林さんの、節度ゆえに恵まれたタイミングでもあったのだろう。 それは、「なごり雪」という歌を生み出した伊勢正三さんとの出会いの経過にも、監督自身の言葉として語られている。

 ところで、出会ったこの町、臼杵の市長さんは、なんとも正直な人だ。
 「・・確かに落ちこぼれているといえば落ちこぼれている町なんですけれども、市民がみんなでその古さを誇りに思い、こういう町でいいんだと思いながら大事に守り育てているというような、そういう町であります。・・昭和40年代に、大きなセメントの工場を作ろうじゃないかというような話が起こりました。そのときに臼杵は、昔ながらのこの町がいいんでこのままにしておいて欲しいという想いから、市民が立ち上がって、なんとかセメント工場は作っていただかないということで落着したと、そういうことがございます。昭和の姿のそのまま残ってしまった、取り残された町ではありますけれども、清貧の心といいますか、お金なんかそんなに入らなくていいじゃないかという、そういうような心に誇りを持ってやってきました。・・」  
 この市長さんの話にある、人の心を持った「やせがまん」によって守られた町が、大林監督の「古里ですら古里らしさをなくして都会に近づけようとした、日本自身の青春の痛みを描けるのじゃないか」という映画である「なごり雪」制作への勇気を与えたのだということがよくわかる。

 ■五十歳という青春のエネルギーとは無縁になりかかった旧友ふたり、・・古里に根を張って、恋されず、恋した少女を古里と同じように守って生きてきた男「水田健一郎」。そして、少女に恋されて、しかし、ぼんやりと受け止めることしかできない「大事な時に何も言わない男・・梶村祐作」。 祐作は都会で古里を忘れ、捨てた。しかし「薄っぺらな人生」を空しく消費したという思いに襲われている。
  そしてタイムスリップするかのように、二十八年ぶりの古里の地を踏む。 「臼杵は変わらんだろう。変わるのもいいが、変わらんのもいい」
  変わらない古里を歩く、つぎつぎと過去は甦る。  とっくに忘却したはずのアニマ・・魂から呼ばれて。しかし、現実には残酷にくぎられた長い年月のそれは向こうでもある、そんな取り返すことは叶わない青春の記憶だ。
  祐作には、今まさに目の前にいる水田も、包帯で巻かれて横たわる雪子も、遠い存在で実感は希薄だ・・。
  「雪子、お前の恋がここにいるぞ」 まさに「生き惑う世代」に向けられた、折り目正しい哀歌〜エレジーなのだが・・・。

  ■それは一方、作家・大林宣彦のライフワークの北極地点である福永武彦文学との蜜月が、宿命的に紡がせてしまう、「愛と孤独と死」へと向き合う人物たち・・、これはやはりいつもと似た物語でもある。
 しかし「なごり雪」は、これまでとなにか違う・・。それは水田役のベンガルさんが、これまで大林映画の「時をかける少女」などにおける、尾美としのり君の演じた脇役としての少年の、いわばその後の、年月を経たこころを痛切に語り継いだものとして、これは観ることもできると思われるからだ。 そしてまたその「痛切」は、ふたりが、すでに生きて消費してしまった時間、それがあまりに失われた、喪失の印象がつよいからだろうか。
 小栗康平監督の本にも「哀切と痛切」 という言葉があり、哀切ではなく、「痛切」へという気持ちが、そのころの創作の動機に感じられるものだ。そして、この「なごり雪」での「水田の痛切」は、ぼくらに愛おしいほど届いてくるのではないかと思う。(ぼくは、ベンガルさんの着ているよれよれの服での立ち姿ですでに泣けるのだが-笑) 
  雪子は古里のうつくしい象徴であり、水田は守る人だった。過去に交わした約束、「雪子はお前が守ってくれ」「俺に守らせてくれるのだな」・・が、水田はいったいなにを守ったというのか。

  死に逝く雪子を前にして、二十八年の中で「なにをいったい守ったのか、なにを得たのか、なにを失ったのか」という男ふたりの自問の時でもある。 そして闇の荒野に放り出され途方に暮れる男たちの、人生この先後半の生きるための様式をもとめる模索がある・・。(人ごとみたいな口上ですが、まもなくふたりの男と同じ年<当時(^-^;>になる者が申しております)   別れの場面の多い映画は、この映画ばかりではないが、彼らからすれば、次にいつ会おうとは、軽く口にできない思いがある。だから、ふたりの別れはおそろしく悲しい。
  そして水田は、自らに隠し通すことのできない真実に直面する。それは恋されなかった者の、また古里の、激しい慟哭でもある。水田は、ずっと「泣く前」の人であった・・。人は、あのように泣くのだ、とぼくは思った。

  大林さんは映画のパンレットの中で、自身こう書いている「今古里の駅のホームで流す水田の涙は、決してかつての「恋愛映画がそうであったようには、甘くむせぶ「感涙」などではあるまい。それはここ数十年「恋されない者」であり続けた「日本自身」ヘの「慙愧」と「贖罪」の「号泣」でこそあるだろう。祐作は今ようやく「一所懸命」に辿り着いたのだが、水田の「一所懸命」はとっくに消費つくされていたのだから。」

 ■「なごり雪」は、大林映画の中にあって、もっとも「大人の映画」と感じる映画になったかもしれない。 監督自身が、五十代以上の人に向けた、という思いがよく伝わるし、また、観るべき映画を失い、映画館に足を運ばなくなった人たちへも向けられたという、そういう監督の思い、礼儀もある。
  ぼくが正直に言えば、二十八年前、現実にあれほどしっかりとした言葉で会話していたと言う記憶はもちろんない。が、雪子のくっきりとした日本語の発声は美しく、しかもかなしいほどなつかしい。そして、ぼくらの記憶している日本映画としての象徴のひとつも、「雪子」のそのイメージでもあるだろう。
 それはそしてまた、現代の十代、二十代の女の子の「内なる雪子」の発見でもあるのだろうか・・、彼女たちのこの映画への「感動」が聴かれるというのは、誰しも嬉しいのではないだろうか。 その「雪子」を奥行きのある美しい表情と台詞の発声で、懸命に全身で演じた須藤温子の素晴らしさも胸に残る。
 「・・はからずも先程、須藤温子くんが「自然だ」と言いました。今の目で見ると、この映画の演技は、言葉遣いも、演技の仕方も、相当不自然だと思います。でも、それを自然だと学んでくれた温子くんの感性を、私はとてもすごいなと思います。」と大林監督は賞賛している。
 この映画は、観た直後に早い再会をと要求するようなところがある。ようするに、じわじわと効いてくるようなものだ。


 ■余談だが、三浦友和さん、ベンガルさん、伊勢正三さん・・と、この映画を挟んで五十歳になったという。同じくぼくには、もうひとつ縁を感じたのが、臼杵の土地の映像から感じられる空気感だった。あきらかに九州の光と、そしてぼくが子供時代に住んだ長崎県島原との共通した空気の匂いが感じられたのも興味深かった。

■監督:大林宣彦 ・原案:[なごり雪]伊勢正三 ・プロデューサー:大林恭子/山崎輝道/福田勝・脚本:南柱根/大林宣彦  ・音楽:學草太郎/山下康介(編曲・指揮)/伊勢正三(なごり雪)
■キャスト:・梶村祐作:三浦友和・(過去)細山田隆人/水田健一郎:ベンガル・(過去)反田孝幸 ・雪子:須藤温子
■製作:ピー・エス・シー/TOSエンタープライズ/大映 ・配給:大映 ヨーロッパビスタサイズ/ステレオ/111分
■ 制作協力:大分県/臼杵市

 ★下記は大林関連の私的記事ログです。
「告別」はここ→
「ベテランの18歳」は→
「近くて遠い人、遠くて近い人」は→

★リンク「大林宣彦の普遍的個人映画」
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Tracked from ◇◆Essayという試み◆◇ at 2005-04-17 21:15
タイトル : 大林宣彦監督への質問受付中
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by past_light | 2004-10-05 02:49 | ■主に映画の話題 | Trackback(1) | Comments(0)

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