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幸福な誤解
 今では少なくとも知る限り、映画館で封切り、ロードショーを過ぎて、二番館、三番館というかたちで映画を観ることができなくなってしまったが、以前はそれができた。

 だがそういう映画館への通い方ができなくなって久しい。興業界にしても観客にしても、そういう変化をしたのはだんだんビデオが普及しはじめてからだろう。不運にも見逃した映画はビデオ、今ではDVDでのレンタルなどを待つしかない。
 しかし、ちよっとお茶を飲みに喫茶店に入る金額で映画館へ行けるという時代は、今にしてみれば、なんと幸福な時代だったのだろう。

 入れ替え制の封切り映画ははずして、映画上映中の途中から入って後半と前半を逆さまに観るなんて、もったいなくてあまり考えられないだろうが、当時はそういうことが気軽にできた時代でもあり、それはけして望むかたちの鑑賞ではないとはいえ、映画館との付き合いもラフで、柔軟だったということでもある。

 あるいは二本立てでも上映終了時間の理由で一本を諦めて、第一希望のもう一本だけを観ることもときにはあった。その場合の切符売りの人は、気を利かせて割り引きしてくれることも多かった。
 そうやって入った映画館の暗闇のスクリーンに映る映画のラストシーン近くからだけを観て、その後そのままなかなか全編を観る機会のない映画もあったが、それがなかなか味わい深い出会いとわかれだった。全編を通して観ることよりも、なんだかひどく余韻と印象を残している映画があることの不思議があった。

 それからずいぶん後になり、テレビやビデオなどでその映画をちゃんと観てみると、ラストの十数分ほどしか観ていない映画が、どうしてそんなに心に残ったのかが不思議に思うぐらいにたいして心動かない映画だったりすることもある。
 それでもたとえば誰かが言っていたように、それは恋愛が誤解に基づくものであるように幸福な誤解なのだ、ということなのだろうと思う。

 そのなかの長く記憶された映画に「みじかくも美しく燃え」、カトリーヌ・ドヌーブとジャック・レモンの「幸せはパリで」という映画があった。
 どちらもベストテンに入るような映画でもなかった。スウェーデン映画の「みじかくも美しく燃え」は後に観たとき想像したほど感動することはなかったが、どちらのニ本ともラスト近くは前者のモーツアルトのピアノ協奏曲、後者のエイプリルフールのテーマ音楽に美しく相乗し助けられ、愛する映画の持つなんとも贅沢な気分、心を浸していく潤い、それを暗闇のなかラストの数十分で、じんわりと伝えてくれるものだった。
 恋愛にたとえれば、それは一目惚れという幸福なエイプリルフールなのかも知れないが、安吾さん、やはり恋は人生の花です。
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by past_light | 2006-04-02 18:44 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(2)
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Commented by ナカムラ ユエ at 2006-04-02 23:45 x
そんな映画館との付き合い方、とてもステキですね。

一目惚れという幸福なエイプリルフール。
私は友人の他愛無くも下世話な冗談に騙されたばかりなので(w
その言葉の響きの余韻に浸ろうと思います。
Commented by past_light at 2006-04-03 00:57
ナカムラ ユエさん、こんばんは。
ああ、昨日だったら「一目惚れという幸福なエイプリルフール」というタイトルでアクセス増やせそうでしたね(笑)。

もしや、ナカムラさんがダマされたと思っている冗談は、コマが出るタイプのものですか(笑)。
なにわともあれ、人生の花を咲かせましょう(麦)。