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しかし叱らない

 デパートの売場などで仕事をされて感じている人の話というのがあって、それはお客さんである親子に見られる、日常的な公共の場での風景の現実的なひとこまだ。

 売場にならべてある商品を乱暴に扱う子供がいて、こわさないようにやさしく注意をしたら、その父親が「 壊されて困るなら、手に取れるところに並べるな」というような文句を言って来たと言う話だ。

しかし叱らない_b0019960_1912396.jpg それは珍しい話ではないという。その店員の方の経験によれば、今まで自ら子供に注意をしていた親を観たのは一人だけだったという。それは、おばあちゃんで、「買わないのなら、さわってはいけません」と言っていた光景だという。
 さわってはいけないというのは、すこし無理な話のときもある思うので、それよりも、そんな風に乱暴に扱おうとする子供に注意を促して、商品や公共のモノに対する当り前の、本来自発的だろうと思えるが、そんなルール(この言葉は好きではないけれど)を、現場で気づかせる絶好の機会と考える方が、実は自然な親らしい姿だという気もする。
 自らは叱ることを避けて、「ほら知らないおじちゃんに叱られちゃッたね」(^-^;なんてセリフも、けっこうウソのようで現実ある話だろう。

 そんな話の一方では、子供に対しての様々な虐待もニュースにはある。
 子供という存在は、親の所有するという、いわば一個の人格という面だけでもなく、しかし長い目で見れば、いずれ確かに社会・世界の中に合流する一人の個人、人格だと言うことも明らかだろう。そしてそれは、子供が大人になりはじめた時に気づいても遅すぎるということを、昨今のたくさんの痛ましい事件がある意味では証明しているところもあると思われる。
 親の遺伝的な心理的影響力、そんなDNAは、心という目に見えない領域にもあることを、今の大人になったひとの誰しも感じて育って、生きて来たのではないだろうか。
Tracked from パレード at 2006-01-12 23:17
タイトル : チャバのお母さん
 チャバのお母さんは厳しい。言うことを聞かなければ声を荒げて命令するし、容赦なくお尻を叩く。  けれどもお母さんが限りなく自分たちを愛していることを、チャバは知っている。  お父さんがお母さんと幼い3人の兄弟を置いて、たった一人で亡命してしまった寂しさと決意までは、きっと推し量ることはできないけれども。  内戦下の飛び交う銃弾にその身を危険に晒しながら、自分たちのために外に出て働き、お金を稼ぎ、家事をこなしてくれることを知っている。切ないほどの懸命さを肌で感じている。  大好き...... more
Commented by さすらい at 2006-01-11 01:07 x
同じような親子の話はたくさん聞いています。黙って品物をとったので店員が注意したところ「金さえ払えばいいんだろう。」と開き直った親の話など。地元との摩擦をおそれて弱腰になってしまうのが店の立場みたいです。たまに警察に子どもがつきだされて、学校に連絡が入り、警察までひきとりにいったこともありました。子どもをきっちりしかる親、どうしたら子どものために良いかを考えて対応する親の方が少ないという感じもあります。よその子どものいたずらを注意したら、親から抗議の電話が入った話、よその子に注意したら「うちの母さんでないのに何で起こるんだ」と子どもが開き直った話など聞くようになったのは、僕の記憶が間違ってなければ、1980年代の後半ぐらいからだったと思います。
しかることもほめることもその子自身の成長を願う親心から適切になされなければとは思うものの、難しい時代です。
Commented by past_light at 2006-01-11 01:38
さすらいさん、こんばんは。
このはなしの内容にフォローと説得力を持たせていただいています。ありがとうございます。

80年代というと、やはりバブル絡みですね。
学校などにもいろいろ問題が増えてきたような頃なんでしょうか。

ぼくがイベントなどでデパートなんかで経験したことでは、大人のなかにもデリカシーの欠けた人は多いという感じもあります。
大量消費の大量陳列の商品に慣れてしまった由縁だろうという面もあるかなと思います。なかには乱暴に扱うんですよね、作品商品なんかも。

あと、公園なんかで猫を苛めたりおどかしたりする子どもなども注意やたまに叱るんですが、親が居ないと意外に素直に聞くんですよ(笑)。
で、親が一緒だと、親が睨み付けてきたりすることもあります(笑)。
Commented by さすらい at 2006-01-12 18:49 x
結局の所、子どもたちに現れているものは大人の世界の反映であるという考えがあります。この場合の大人というのは、直接接している大人だけでなく、社会のありよう全体を含んでいます。
その意味では、大人の側が大いに考えていかなければならないことがたくさんあるように感じています。良い背中を見せてあげられるように。
Commented by ナカムラ ユエ at 2006-01-12 23:19 x
こんばんは。昨日、とある映画を観ました。そこに描かれている主人公の少年もさることながら、かれを守ろうと懸命に生きる母親の姿に非常に考えさせられました。拙文ですがTB送らせていただきましたので、ご一読いただければ幸いです。。
Commented by past_light at 2006-01-13 01:33
>さすらいさん、
そうですね、子どもは家庭のみならず、外でいろんな人に出会う日常があるわけですから。
それから、バーチャルな世界も映像としてはリアルで、意識と無意識の境界が、まだまだ曖昧で柔らかい子どもに影響がないと言う方が不自然な気もします。
あと、やはり物質的には困らなくても、マザーテレサも言ってたように精神は渇いているということもどこかあるのでしょう。
模範は悪い方が目立っているニュースばかりですし・・(笑)。
自分はどこまで模範なのか、まったく置いておかないとできない話で恐縮ですが。

>ナカムラ ユエさん
TBありがとうございます。
その映画はまだ知らないのですが、考えてみれば、子どもが描かれるものには日本の映画は、どこか次元の違う問題の話ばかりのような気もします。
いま、家族を描くとどこか病をかかえたような話ばかりになってしまうのが日本を象徴しているのでしょうか。
どちらが幸せか不幸かとか、そんなことの問題ではなく。
物質的に恵まれても平和であっても、人間として「ほんとうの幸い」というのが、やっぱり見つけられないと、どこかいびつになるのでしょか。
by past_light | 2006-01-10 19:13 | ■コラム-Past Light | Trackback(1) | Comments(5)

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